獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第十一節

 戴冠式とそれに伴う諸式典は大過なく、盛況のうちに終了した。かくして、初代皇帝ラインハルトの死後、ローエングラム王朝は新たな一歩を踏み出したのである。

 

 

 それから約一月後の新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年九月下旬。

 

 新任の宇宙艦隊司令長官ナイトハルト・ミュラー元帥は、一万隻を超える艦隊とともに従来の帝国領方面からイゼルローン回廊へと入り、回廊の中央部に存在するイゼルローン要塞に向かいつつあった。

 

 イゼルローン共和政府からローエングラム朝銀河帝国へと返還されるイゼルローン要塞にて、引渡しに先んじて正式な和約の調印式が行なわれる事となった。その全権大使として、イゼルローン共和政府の重鎮たちともっとも交流の深いミュラーが派遣されたのである。

 

 ミュラーは昨年六月の、畏敬すべき敵将ヤン・ウェンリー元帥の死に際し弔問の使者として訪れて以来のイゼルローン再訪である。そして三年前の旧帝国暦四八九年、宇宙暦七八八年四月にはイゼルローン要塞を攻略すべくカール・グスタフ・ケンプの副将としてヤンとの間に干戈を交え、主将以下一八〇万もの将兵を失うという大敗も経験している彼は旗艦パーツィバルの艦橋にて、その心中に一言では言い表せない感慨が去来しているのを自覚していた。

 

 そしてその正使たるミュラーに、昇進を果たして間もない二名の上級大将が副使として随行している。

 

 

 ホルスト・ジンツァーとマチアス・ライムント・ドロイゼンというのが、その二人の名であった。

 

 

 ジンツァーとドロイゼンは共に前任の宇宙艦隊司令長官であるウォルフガング・ミッターマイヤー麾下の勇将として知られた人物であったが、ミッターマイヤーの軍務尚書就任に伴って、彼が去った後の宇宙艦隊司令部も再編され、大規模な人事の異動が行なわれた。

 

 その人事の一環として、返還後のイゼルローン方面軍司令官に任命されたのが、副使の一人であるジンツァーであったのである。

 

 

 ホルスト・ジンツァーは、かつては故ジークフリード・キルヒアイスの部下であり、キルヒアイスの艦隊司令官就任に際しては高級副官に選ばれた人物であった。

 

 旧帝国暦四八七年のアムリッツァ星域会戦の際、別働隊を率いて同盟軍の後背を突くという大役にいささか空気が張り詰め気味だったキルヒアイスの司令部内において、当時大佐であったジンツァーは「早くしないと、やっつける敵がいなくなってしまうかもしれませんな」などと、ことさらに大声で発言して司令官や同僚たちを苦笑させ、彼らの緊張を(ほぐ)してみせたものであった。

 

 だが、会戦終結後の論功行賞では人事上の都合により、ジンツァーは昇進を見送られる事となる。彼はそれに対し不満を示す事なく、翌年のリップシュタット戦役においても辺境平定の途上で遭遇した地球教の巡礼団への物資供出の手配を手際よく済ませたり、キフォイザー会戦を始めとする諸戦闘においても精確な状況分析や報告をもって勝利に貢献するなど、有能な副官として陰ながらに上官を支え続けた。キルヒアイスもそういったジンツァーの働きを見落とす事なく評価し、キフォイザー会戦後にはラインハルトの認可を得た上で准将に昇進させ、その功に報いたのである。

 

 戦役終結直後のキルヒアイスの遭難に際しては、自身の動揺や悲嘆を抑えつつ同僚たちとともに麾下の兵士たちを叱咤して混乱を最小限に留めてみせた。その功績も含めてラインハルトの独裁体制確立後には少将への昇進を果たしたものの、尊敬する上官を失ったジンツァーはそれを喜ぶ心境には到底なれなかったのであった。

 

 ほどなくジンツァーはミッターマイヤー麾下への転属を命じられ、本人の志望もあって分艦隊司令官に抜擢される。彼は訓練やいくつかの実戦を経て用兵家としても非凡な手腕を示したが、攻勢よりも守勢に優れているとミッターマイヤーには評価され、それゆえに遠征時には常に最後衛を任される事となるのである。

 

 そのためバイエルライン、ドロイゼン、ビューローといった、先鋒や両翼を担当していた同僚の分艦隊司令官に比して華々しい活躍の場にはあまり恵まれなかったが、彼らやミッターマイヤーが戦場で後顧の憂いなく前面の敵に相対する事ができたのは、ジンツァーが後背を堅実に守っていたからこそであったのである。

 

 顕著な例としては、旧帝国暦四九〇年の第一次ランテマリオ会戦が挙げられるだろう。勝利がほぼ確定した会戦の最終局面において、イゼルローン要塞を放棄して急行してきたヤン艦隊に後背を突かれて一時混乱した帝国軍の中で、いち早く混乱を収拾したのはミッターマイヤー艦隊であった。それはミッターマイヤーの抜きん出た指揮統率もさる事ながら、最後衛にあったジンツァー艦隊がすかさず堅固な防御陣を展開して迎撃態勢を整え、味方を落ち着かせたという点も大きかったのである。これによって時間的余裕を得たミッターマイヤーは、他の同僚たちに先んじて総司令官たるラインハルトに戦況報告を行なう事ができたのであった。

 

 それゆえにその功績をミッターマイヤーも適正に評価し、ジンツァーを他の三名の分艦隊司令官と同列の存在として扱った。そして今回の人事において彼はその守勢における手腕を評価され、イゼルローンという要衝の警備責任者に任じられたのである。

 

 そのジンツァーは四年半ほど前の旧帝国暦四八八年、宇宙暦七九七年の二月、捕虜交換式の際に上級大将であったキルヒアイスの随員の一人として、当時は同盟の掌中にあったイゼルローンの人工の大地に足を踏み入れた事がある。それが今や、ジンツァー自身が上級大将という高位に昇り、新任の方面軍司令官として再びイゼルローン要塞へと向かっている。わずか数年間における状況の激変や、その間に得られたものや失われたものを思い起こし、ジンツァーも常になく感傷的にならずにはいられなかったのであった。

 

 

 一方、もう一人の副使たるマチアス・ライムント・ドロイゼンだが、彼はジンツァーとは異なり、カール・エドワルド・バイエルラインと共にリップシュタット戦役以前からのミッターマイヤーの部下であった。彼もまたミッターマイヤー麾下で最も果敢と言われたバイエルラインにも引けを取らない勇将であったが、目先の戦術的勝利に固執せず退き際を適切に見きわめる視野の広さも持ち合わせており、その将器はミッターマイヤーも高く評価するところである。

 

 そしてそのドロイゼンも、先の人事においてジンツァーに劣らぬ大役を拝命していたのであった。

 

「アレクサンデルシャンツェ要塞」建設の現場責任者という地位である。

 

 

 イゼルローン回廊の帝国本土側入口にほど近い宙域に建設が決定されたこの要塞は、ミッターマイヤーにより建設計画が上申され、それを是とした生前の皇帝ラインハルトにより認可されたのである。

 

 この新要塞の建設計画は帝国本土における軍事力や防衛力を強化する目的と同時に、周辺星域の住民の人心を慰撫するという政治的な意図も含まれていた。

 

 五年前の旧帝国暦四八七年、宇宙暦七九六年における自由惑星同盟軍の帝国領侵攻は、イゼルローン回廊周辺の辺境星区に住まう帝国領民にとっては思い返したくもない悪夢のような過去である。帝国軍の一種の焦土作戦により、食料や物資の不足に悩まされた同盟軍と占領地の民衆は衝突を余儀なくされ、双方ともに多大な犠牲を生む結果となった。同盟軍に対する、辺境の民衆の憎悪と恐怖はこの時点で醸成されたのである。

 

 ほどなく同盟軍はアムリッツァ星域で壊滅的な打撃を蒙って本国へと全面撤退したものの、イゼルローン要塞はしばらくの間は同盟軍の手中にあり、旧帝国暦四九〇年初頭に要塞が帝国に奪還されるまで、民衆たちは同盟軍再襲来の可能性におびえながら過ごす事となるのである。

 

 それから二年後の宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年のヤン・ウェンリーによるイゼルローン要塞再奪取の報が知れわたるや否や、自称「解放軍」が自分たちのもとに再び襲来するのではないかと、イゼルローン回廊周辺の辺境星域の住民たちはたちまち恐慌状態に陥った。

 

 実際には帝国領に深く侵攻できるだけの余力は当時のヤン艦隊にはなく、ヤン自身も民衆への暴行や略奪行為を是認するような人物ではなかったのだが、そのような事情を辺境の住民たちが正確に知るすべなど持っているはずもない。辺境を統治及び警備する現地の行政官や軍人たちは、行政府や軍事施設の前に陳情や懇願のために殺到した群衆を慰撫するのに奔走させられる破目になり、大規模な民衆暴動に発展しかねない事態を沈静化するのに並々ならぬ苦労を強いられたのであった……。

 

 かくして、難攻不落の代名詞であったイゼルローン要塞は、いまや帝国の民衆たちにとって絶対の防壁とはいえない存在となり果てていた。二度にわたるイゼルローンの失陥は「魔術師」ヤン・ウェンリーの機略あってのものであり、「あれを模倣しうる者が他にいるとも思えんな」と帝国軍最高幹部たちは語り合ったものだが、民衆たちの不安や不信を放置しておくわけにもいかなかった。ミッターマイヤーが回廊の帝国本土出入口を扼す新要塞の建設計画を立案し、ラインハルトや軍務尚書オーベルシュタイン元帥がそれを認可した背景には、こういった事情を勘案したという一面もあったのである。

 

 

 その新要塞の名称たる「アレクサンデルの砦」(アレクサンデルシャンツェ)は無論、この年に誕生し即位した乳児の名にちなんだものである。

 

 その乳児の名の由来となった人物たる同盟軍のビュコック元帥の「アレクサンドル」という名は「守護者」という意を語源に持っている。そして同盟最後の宿将は、奇しくもその名の通りに「民主主義と市民の守護者」として戦い、戦場に斃れたのであった。

 

 新要塞の名にもまた「新帝の名の下に民衆を守護する」という意味も込められており、帝都から遠く離れた辺境であっても新王朝は軽んじたりはしないという意思表示でもあった。そして数年後に完成したこの新要塞は、兵士たちからはその名の由来となった人物と同様に「我らがアレク(ウンザー・アレク)」の愛称で親しまれる事となるのである。

 

 

 今回その「我らがアレク」の建設の現場責任者に任じられたドロイゼンを特に推薦したのが、直接の上官であったミッターマイヤーであった。ミッターマイヤーは宇宙艦隊司令長官であった時期にこの要塞の建設を思い立った際、自身がその総責任者になる事も考えていた。が、軍務尚書という軍政の最高責任者に就いた以上はおいそれと新帝都から離れるわけにもいかなくなったし、後進の者たちに功績や経験を積む機会を与えるべきでもあったのである。いわば「疾風ウォルフ」(ウォルフ・デア・シュトルム)が、自らの代理として選んだのがドロイゼンなのであった。そのような重責を委ねたという一事のみを見ても、「帝国軍の至宝」がドロイゼンに抱いている信頼の厚さが窺い知れるというものであろう。

 

 そして、その要塞建設の次席の責任者の一人として、ドロイゼンの下に今回新たに配属されたのが、アイナー・ヴァーゲンザイル大将であった。

 

 ヴァーゲンザイルは今年の新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年二月におけるイゼルローン共和政府軍との戦闘で敗退した上、援軍であるワーレン艦隊に敵の伏兵の情報を伝達し損ねるという失態を演じている。それに加えて戦闘に先立ち敵をいたずらに軽侮する言動を行っていた事も問題視された。それらだけが理由というわけでもないであろうが、結果として先の人事では彼は昇進を果たせなかった。そして、少し前まで同格であったドロイゼンの下につく事となったのである。これはヴァーゲンザイルが先日までのイゼルローン回廊の帝国本土側出入口の警備責任者であり、その周辺の星域についてある程度熟知していたのも理由の一つであった。

 

 ヴァーゲンザイルはこの人事に不満を隠せなかったが、その態度に対しても軍最高幹部たちから厳しい叱責と説諭を浴びせられる事となる。散々に油を絞られた彼は、改めてドロイゼンの下で忍耐と視野を培い、驕慢を自戒する事を命じられたのであった……。 

 

 

 一方、ジンツァーの補佐として新たにイゼルローン方面軍副司令官という地位を拝命したのは、かつてラインハルト直属の分艦隊司令官の一人であったアルノルト・グリューネマン大将であった。

 

 グリューネマンは一昨年のバーミリオン会戦時において重傷を負い、ローエングラム王朝成立時には大将に昇進したものの、長期にわたって療養生活に入っていたために彼もまた先の人事では昇進を見送られた。そして先日まで同階級であったジンツァーの指揮下に入る事となったのだが、彼は不満の色を少なくとも表には出す事なく、謹んで副司令官の辞令を受けたのであった。

 

 なお、グリューネマンは昨年、軍最高幹部の一角たるコルネリアス・ルッツ提督が不慮の死を遂げた後にその艦隊の指揮権を引き継いでいた。そしてジンツァーの指揮下に入るに際し、麾下の艦隊もジンツァーの艦隊と統合され、新たなイゼルローン駐留艦隊として再編されたのである。ルッツはかつてのイゼルローン要塞および駐留艦隊司令官であり、旧ルッツ艦隊は一年と八か月ぶりに「奇蹟の(ミラクル)ヤン」によって不本意な退去を強いられた要塞へと帰還する事となったのであった。 

 

 

 そして九月二六日、帝国艦隊は回廊の中心部に到達し、イゼルローン要塞との幾度かの通信を交わした後、全軍停止をミュラーは命じた。

 

「衛星群の設置は予定通りに完了しました。現時点でのフェザーンとの通信状態も問題ありません」

 

 副官ドレウェンツ大佐のその報告にミュラーはうなずき、新帝都との間に回線を繋ぐように命じたのであった。

 

 

 その頃、新帝都フェザーンにおいて、幼年学校の生徒たちは帝都中心部に程近い「金獅子」(ゴールデン・ライオン)ホテルに移動し、会場に設置されている大画面のスクリーンの前にて着席していた。これから行なわれるイゼルローン共和政府との、講和の調印式を見届けるためである。

 

 遷都にともないオーディンからフェザーンに移転した軍関連学校の本校は、現在の時点ではフェザーンにおいて接収した建物を仮の学校施設として利用している。正式な施設は現時点において急ピッチで建設が進められているが、それらが完成するのは今しばらく先の予定であり、全生徒が視聴できるだけの大型スクリーンが現在の校内には存在しなかったのである。

 

 

 このホテルはかつては「ヴルタヴァ」と言う名であり、その設備や内装などは上等ではあっても最高級とまでは言えず、大都市の中枢部ではありふれた部類の建物といってもよい存在に過ぎなかった。

 

 だが、旧帝国暦四八九年の帝国軍によるフェザーン占領の際、宇宙港や都心へのアクセスが便利であるという立地条件ゆえに接収されてフェザーンにおける帝国軍総司令部とされ、のちに皇帝となったラインハルトがフェザーンへの遷都直後に帝国大本営を置いた事で、この個性に乏しい一ホテルは歴史に名を残す事となるのである。

 

 新帝国暦〇〇二年九月一日にラインハルトは大本営を旧フェザーン自治領府の迎賓館に移転し、「ヴルタヴァ」は元の所有者(オーナー)に返還される事となった。

 

 その際、その所有者にしてフェザーン有数の実業家たるオヒギンス氏は恐縮の体を装いつつ、新王朝の軍旗たる「黄金獅子旗」(ゴールデンルーヴェ)にあやかった、ホテルの改名をお許し頂きたいと願い出たのである。なお、このオヒギンス氏は商都フェザーンにおける伝説的な成功者バランタイン・カウフの盟友の孫にあたる人物でもあった。

 

 その厚かましい願いを、当時の首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフを通して聞いたラインハルトは、興味なさげに「好きにさせるといい」と短く答えて決裁中の書類の束に視線を戻したものである。かくして「ヴルタヴァ」は名を改める事に皇帝陛下の「お墨付き」を得たのであった。

 

 そしてホテルとして経営を再開した「金獅子」は以前とは比較にならぬ好評を博し、たちまちフェザーンにおいて抜群の知名度を誇る宿泊施設になりおおせた。特にラインハルトの執務室であった三階の西翼部と、居室であった一四階のスイートルームは予約の絶えぬ人気スポットとなり、他の高級ホテルの経営者たちを羨望させる事となるのである。

 

 このように、オヒギンス氏の商魂たくましい目論見は見事に的中し「まったく、フェザーン商人は転んでもただでは起きぬ」と帝国関係者を苦笑させ、「祖父の薫陶がよく行き届いている」と、旧フェザーン市民からは呆れ半分に賞賛され、彼は実業家としての名望を著しく高めたのであった。

 

 

 そのホテルの、広壮な会場に集合している幼年学校生の一員であったユリウスとグスタフは、時間が来るまで取り留めのない会話を交わしていた。そして現在自分たちが居るホテルについて話題が移り、その名の由来となった「黄金獅子旗」について、不意にグスタフが疑問をこぼした。──そういえば、俺の記憶が正しければ『黄金獅子旗』は先帝陛下が前王朝時代から用いられていたはずだが、やはりローエングラム家の家名か元帥号を得られた際に、下賜なり制定なりされたのだろうか?

 

 その疑問に、ユリウスは軽く首を横に振りつつ答えた。

 

「いや、俺が知っている限りでは、あの軍旗の意匠はローエングラム伯爵家に代々伝わっていたものらしい」

 

「そうなのか?」

 

「ああ、何でもルドルフ大帝からローエングラム家の初代に、ラウエングラム(・・・・・・)の家名と共に下賜されたものだそうだ」

 

 その言葉の後半を聴いて明らかに怪訝な表情をするグスタフに対し、ユリウスは苦笑する。

 

「ああ、言っておくが俺の言い間違えでも、お前の聞き間違えでもないぞ」

 

 そう言いつつ、白金色の髪の少年は資料で得た知識を友人に語り始めた。

 

 

 ローエングラム家の初代たるアルベルトは元々は銀河連邦の軍人の出身であり、同じく軍人であったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの部下にして、用兵の弟子の一人であった。

 

 二八歳で少将となったルドルフが軍を辞して政界に転出した際も、アルベルトは軍隊に残留し、軍内部におけるルドルフの有力な支持者であり続けた。そしてルドルフが銀河帝国を建国して至尊の冠を頭上に戴くに際し、アルベルトは家名を伴った伯爵号を与えられたのだった。 

 

 その下賜された家名こそがLAUENGRAM(ラウエングラム)であったのである。

 

 ラウエングラムという家名についてその由来は諸説あり、一小説に登場する架空の人名という説も存在するほどである。だが、LAUENは古い言葉で「獅子(ルーヴェ)」を指す意もあり、それにちなみルドルフは家名とともに深紅の地に黄金の獅子と縁取りをあしらった意匠の軍旗を下賜したのであった。

 

 西暦二八〇一年(宇宙暦〇〇一年)に成立した銀河連邦における第一公用語は、「英語」という言語を基としたものであった。

 

 そして宇宙暦三一〇年(旧帝国暦〇〇一年)、ゴールデンバウム朝銀河帝国が銀河連邦に取って代わった後、第一公用語は複数存在した第二公用語の一つであった「ドイツ語」という言語を基としたものに切り替えられる事となる。これは王朝の始祖たるルドルフ大帝が、自身の遠い祖先の出自である(と称していた)ゲルマン系の文化や風習の普及にこだわった結果であった。

 

 これに先立ち企図していた、自身の身長や体重を基準とした度量衡の刷新計画が経済上の理由から頓挫した事もあって、公用語の変更に懸けるルドルフの執念は尋常ではなかった。ゴールデンバウム王朝黎明期における財政責任者であったクレーフェは、度量衡の変更を阻止する事には成功したが、公用語の変更に関しては強く異を唱えなかったと伝えられる。一説には、温厚とは評しがたい主君の忍耐力や不満が限界点に達する事を懸念したクレーフェが、試算上では度量衡の変更に比して経済的な負担が遥かに少ない公用語の変更を容認せざるを得なかったのだ、とも言われている。

 

 同盟と帝国の公用語について「もともとそれほど差のある言葉でもない」と、少年時代のユリアン・ミンツが日記に書き残しているように、言語学的にも英語とドイツ語は同系統であり、もともと第二公用語の一角として連邦時代も比較的頻繁に用いられていたという背景もあってか、新しい第一公用語はさしたる混乱もなく徐々に帝国全土に定着していく事となった。その過程において、連邦時代の第一公用語は新しい第一公用語の文法や表記、そして発音などに強い影響を与えた。それによって帝国公用語が基となった言語から少なからず変化を遂げている事実は、後世の言語学者たちが口をそろえて指摘するところである。

 

 そういった事情から、連邦時代の影響が未だ色濃く残っていた王朝成立期においては、LAUENGRAMを連邦時代の第一公用語風に「ローエングラム」と発音する者が少なくなかったのだが、ルドルフはそちらの響きの方が気に入ったらしい。自身が愛好したオペラの演目の主人公にして伝説の英雄たる白鳥の騎士LOHENGRIN(ローエングリン)にも通じるとして、ほどなくルドルフはアルベルトに対し家名をLOHENGRAM(ローエングラム)に改めよ、と命じたのである。

 

 LOHENには「炎」や「燃える」という意味もあり、深紅を地とした『黄金獅子旗』にも相応しいとされた。一方、GRAMには「悲嘆」や「憤怒」という意味がある。これ自体は良い意味とは言えなかったが、神話において大神オーディンが地上にもたらし、英雄たちが手にした剣に与えられた名も「GRAM(グラム)」であったため、ルドルフは「王朝に危機が迫った時、『炎を纏いし神剣』をもって国賊を撃滅すべし」と初代ローエングラム伯に命じたと、伯爵家の家史は伝える。

 

 それ以来、ローエングラム伯爵家は王朝有数の武門の家柄として永く知られる事となった。その歴史の中でも特筆されるべきは、「止血帝」エーリッヒ二世の御世におけるコンラート・ハインツ・フォン・ローエングラム伯爵の功績であろう。

 

 王朝史上最悪の暴君たる「流血帝」アウグスト二世を打倒すべく挙兵した自身の下にいち早く参上したコンラート・ハインツに対し、エーリッヒはその手を取って感涙を浮かべつつ「ローエングラム家はまさしく帝国の神剣である」と讃えたという。ほどなくコンラート・ハインツはエーリッヒ麾下の三提督の一角としてアウグストの命脈を絶たしめるのに貢献し、エーリッヒの即位後にその腹心となりおおせたのであった。

 

 だが、のちにローエングラム伯爵家は時代を経てその血統が途絶え、伯爵家は断絶の憂き目を見る。やがて、その家門はフリードリヒ四世の時代にラインハルト・フォン・ミューゼルという若者が継ぐ事となり、ローエングラム家は「腐敗した王朝を断罪する神剣」へと変貌を遂げたのであった……。

 

 

「……とまあ、俺が本で読んだのはこんな所だ」

 

 ユリウスはそう締めくくって語り終え、ふと周りを見てみれば、グスタフのみならず近くの同級生たちもいつのまにか話に聞き入っていた。ユリウスは饒舌ではないが、必要と思えば雄弁を振るう事もできる少年であった。その要点を無駄なく押さえた内容に加え、見事な抑揚と滑舌を備えた声は、聞く者を引き込むものがあったのである。

 

「そんな由来があったとは知らなかった」

 

「まさに先帝陛下に相応しいご家名だ」

 

 口々に学友たちが表情を興奮と感動で輝かせつつ語り合う中で、ユリウスは少し舌を回し過ぎたかと内心で苦笑すると同時に、自分が語った逸話について「いささか劇的に過ぎる」と皮肉っぽく考えた。すべてが虚構ではないにせよ、旧王朝や伯爵家の権威付けのために創作ないし改竄された部分も少なからずあるのは疑いない。前王朝が滅び去った今、学芸省などによって膨大な量の未公開資料が分析されれば、歴史的事実も白日の下に姿を現す事となるのだろう。

 

 とはいえ、ローエングラムという家名が、まるでラインハルト・フォン・ミューゼルという存在がこの世に生を享ける前から、彼に与えられるために作られたかのような由来や逸話に彩られていたのも確かである。それに、ラインハルトの永遠の旗艦たる戦艦ブリュンヒルトも「白鳥」にたとえられる存在であり、ローエングラムという家名の由来の一つたる「白鳥の騎士」ローエングリンを連想させる。

 

 最愛の姉を奪われた「悲憤」を糧とした「獅子」のごとき「黄金」の髪の若者が、「白鳥」を駆ってゴールデンバウム王朝を「炎」の中に叩き込み、灰燼に帰せしめる……。「偶然」の一言で片付けるには、あまりにも出来過ぎているのではないか。

 

 そういえば、ラインハルトにローエングラム伯爵家の家名を継がせる事を決めたのは、時の皇帝にして、ラインハルトの姉アンネローゼを奪った張本人たるフリードリヒ四世であったとされる。そしてブリュンヒルトもまた、フリードリヒ四世の名の下にラインハルトの大将昇進に際して与えられたのものである。この二つは憎悪していた皇帝や旧王朝から与えられた文物の中で、ラインハルトが心から喜んだ稀有な存在でもあった。

 

 あるいはフリードリヒ四世は、ラインハルトの抱いている憎悪や野心を察した上で、その彼に相応しい由来を有する家名と旗艦を下賜したのであろうか。だが、とするとフリードリヒ四世は寵姫の弟が己や王朝を憎悪し、打倒せんとするのを承知していながら、彼を処断するどころか、あえて強大な地位と権力を与えていたという事になる。それでは老いた皇帝が、自ら破滅を望んでいたに等しい。まさか自分を、敵役としてローエングリンに斃される「フリードリヒ」・フォン・テルラムント伯爵に擬していたとでもいうのだろうか……。

 

 

 なお、後世の歴史家の中にはユリウスと似たような疑問を抱き、更に穿った見解を提唱する者も存在する。

 

「『LOH(ロー)』は古語で『森』を表す単語でもあった。一例としては『ISERLOHN(イゼルローン)』も同様で、これは『鉄の森』を意味する語である。つまり、『LOHENGRAM』とは『緑の森』(グリューネワルト)たる姉を奪われたラインハルトの悲憤を示しており、フリードリヒ四世は寵姫の弟が己に向ける憎悪の委細を承知していたのだ」と……。

 

 

 不意にユリウスの思考は中断を余儀なくされた。「静粛に!」という教師の声が響き渡り、歓談していた学友たちもすぐに口を閉ざす。そしてほどなく、彼らの前の巨大なスクリーンに銀色に輝く球形の建造物が映し出され、学生たちは一斉に起立した。

 

 

 イゼルローン要塞。

 

 

 強力なエネルギー中和磁場に加え、鏡面反射処理(ミラー・コーティング)を施された超硬度鋼と結晶繊維とスーパー・セラミックの四重複合装甲という最強の盾と、「雷神の鎚」(トゥール・ハンマー)と呼称される九億二四〇〇万メガワットの大出力を誇る要塞主砲群の一斉砲撃という最強の矛を兼ね備えた、直径六〇キロメートルの巨大な人工天体である。

 

 

 旧帝国暦四三六年、宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦において凄絶なまでの大損害を蒙った帝国軍の首脳部は、回廊内における防衛と出撃のための一大拠点の必要性を痛感し、巨大要塞の建設計画を立案するに至った。

 

 だが、現実問題として、限られた軍事予算の枠内では喪失した戦力の再建を優先せざるを得なかった。一〇年ほどの歳月を費やしてその再建がひとまず成った後も、守銭奴として有名であった時の皇帝オトフリート五世は何やかやと理由を並べて、多額の国家予算を必要とする巨大要塞の構築になかなか手をつけようとはしなかったのである。重臣リューデリッツ伯らの度重なる説得を受けて皇帝がしぶしぶ要塞建設の勅令に署名したのは、第二次ティアマト会戦から二〇年近くの年月が経過した後のことであった。

 

 旧帝国暦四五八年に完成を見たこの要塞は三〇年近くの間、六度に及ぶ同盟軍の大攻勢を退け、「鉄の森」の名に恥じぬ難攻不落を誇った。だが、宇宙暦七九六年のヤン・ウェンリーによる無血占領が成功してのち、わずか四年ほどの間にイゼルローンはエルネスト・メックリンガー評するところの「球技(フライング・ボール)のボールのように」三度にわたって所有者を変える事となる。そして四度目の所有者の変更が、あと数時間ほど後に平和裏に開始されようとしていたが、それに先立ってある「儀式」が行なわれる事となっていたのである。

 

 

 ナイトハルト・ミュラーは右手を上げ、それを静かに振り下ろした。

 

 それに一拍遅れ、戦艦パーツィバルの艦首から金属製の球形のカプセルが射出された。それは要塞が公転する恒星アルテナの光を反射して、淡く煌きつつ艦から離れてゆく。

 

 やがてそのカプセルは二つにゆっくりと割れて、内容物が宇宙空間に解き放たれる。

 

 それは人の頭髪であった。一人のではない。太陽の欠片のような黄金色の髪と、炎や紅玉(ルビー)を連想させる鮮やかな赤毛が、それぞれ一房ずつ収められていたのであった。

 

 

「俺は地上で死ぬのは嫌だ。どうせ不老不死ではいられないのだから、せめて自分に相応しい場所で死にたい」

 

 と、生前のラインハルトは初陣の戦場にてキルヒアイスに語ったものである。

 

 ヒルダに対しても、彼女との婚姻の後に似たような事を漏らした事があるのだが、結果として、彼は地上にて二五年の生涯を静かに閉じる事となる。本人も末期においてその境遇を受け容れていたようであるが、せめてその遺髪の一房だけでも、夫が死に場所として望み、闊歩してきた宇宙に還したいとヒルダは願ったのであった。

 

 ラインハルトの葬礼が終わった後、宿所として提供された仮皇宮の一室にて義妹のそういった思いを聞いた大公妃アンネローゼは穏やかにうなずいた。そして彼女はにわかに椅子から立ち上がり、化粧台に歩み寄って抽斗から長方形の小さな箱を取り出す。そしてそれを持って戻り、ヒルダに手渡したのである。

 

 ヒルダは義姉とその木製の簡素な箱を交互に見つめたのち、アンネローゼに促されてその蓋を開ける。中には一房の赤い頭髪が収められており、ヒルダの目を瞠らせた。誰のものであるかなど、聞くまでもない。

 

 その遺髪は、キルヒアイスの死後、ラインハルトが自分の分とは別に姉に贈り届けたものであった。それを受け取ったアンネローゼは、今日まで丁重に保管していたのである。

 

「どうか、この遺髪も一緒に送ってあげてください。私は弟から、これを譲り受けましたから……」

 

 アンネローゼは胸元の銀色のペンダントを片手で静かに包みながら、ヒルダにそう語ったのだった。

 

 

 そして今回の和約の調印式に際し、ヒルダは二人の遺髪を、全権大使に任じたミュラーに託したのである。

 

 イゼルローン回廊はカール・グスタフ・ケンプ、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、カール・ロベルト・シュタインメッツといったラインハルトの覇業を支えた勇将たち、そしてその彼らを戦没せしめた新王朝の最大にして最良の敵であったヤン・ウェンリーなど、有名無名の将兵が数知れず斃れた古戦場である。そして何よりも、ジークフリード・キルヒアイスの死場所となったガイエスブルク要塞が失われた場所であり、夫とその盟友の遺髪を弔うならば、この回廊こそがもっとも相応しいとヒルダは考えたのであった。

 

 二つの色の髪がほどなく(ほぐ)れて混ざり、回廊内を生ある存在のようにゆっくりと進んで行く様は、撮影されて全人類社会全土に流された。

 

 フェザーンの旧迎賓館の一室にて催された会議において、主催者たる摂政ヒルデガルドおよび参集した文武の重鎮たちも、会議場に設置されているスクリーンを通して宇宙空間を漂う遺髪に黙祷や敬礼を施した。そして、出席していない大公妃アンネローゼも、乳児たる甥を抱きながら別室においてその一部始終をスクリーン越しに見届けたのである。

 

 どこまでも高く、どこまでも遠くへと飛翔できる強い翼を持っていたあの二人にとって、あるいはイゼルローン回廊は狭すぎるかもしれない、とヒルダは思う。だが、キルヒアイスの最期の願いであった、宇宙を手に入れるという誓約を果たしたラインハルトは、誰も見た事のない夢を見果てて世を去った。前人未到の領域への旅路は、これからの時代を生きてゆく者たちに委ねるべきであろう。わが子アレクサンデル・ジークフリードや、その友フェリックス・ミッターマイヤーはまだ見ぬ宇宙へと思いを馳せるであろうか……。

 

 

 同じ頃、ユリウス・オスカー・フォン・ブリュールと、グスタフ・イザーク・ケンプという二人の少年は、学友たちと共にスクリーンに映る遺髪に敬礼を施しつつ思惟を巡らしていた。

 

 眼前の遺髪の所有者たる二人が初めて出会ったのは、軍人を志す前の一〇歳の時であったと仄聞している。

 

 また、「帝国軍の双璧」たるミッターマイヤー、ロイエンタールの両提督が友誼を結んだのは、軍人として赴任した、前線たるイゼルローン要塞においてであったという。

 

 自分たちが知己を得たのも一〇歳の時であり、出会った場所も軍人としての道を歩むべく入学した軍幼年学校においてであった。それからまだ一年を過ぎた程度の年月しか経てはいないのである。それを思えば、自分は傍らにいる親友とどのような人生を歩み、友誼を培うのであろうかと、ユリウスとグスタフは考えずにはいられなかった。だが、確かなのは、友の歩みは早く、そして力強いものであるという事である。それこそ、うかうかしていると置いていかれると思うほどに。己がどのような人生を歩むにせよ、互いに研鑽し合うのを怠るつもりは、彼らの心情には(ごう)も存在しなかったのであった。

 

 

 やがて、黄金と深紅の髪は永遠の夜の深遠へと、溶けるように人々の視界から去っていった。

 

 

 ……新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年九月二六日。イゼルローン要塞において、のちに「イゼルローンの和約」とよばれる条約がローエングラム朝銀河帝国全権大使ナイトハルト・ミュラー元帥とイゼルローン共和政府代表フレデリカ・グリーンヒル・ヤンの名において正式に締結され、要塞は帝国に返還された。

 

 共和政府の一団はバーラト星系へと進発し、ハイネセン到着後の一〇月二〇日に帝国の「新領土」(ノイエ・ラント)民政府および駐留軍との間で星系の統治権の引継ぎを正式に完了した。そして「八月政府」は「ハイネセン臨時政府」となり、一年二か月の短命の歴史を終える。

 

 さらにその臨時政府のごく短い治世を経て「バーラト自治政府」が発足し、人類史に新たな一ページを加えるのに長い時間を必要とはしなかった。

 

 

 

 

 

                                第二章 完結




 









 LAUENGRAMという名は、イギリスの作家アンソニー・ホープ(1863‐1933)の著作であり、田中芳樹氏も愛読していた冒険小説「ゼンダ城の(とりこ)」に脇役として登場しています。

「ゼンダ城の虜」は何度か日本語に翻訳されており、1970年初版の創元推理文庫版(井上勇・訳)ではドイツ語(?)風に「ラウエングラム」となっていますが、それ以前の古い邦訳本(1925年出版の健文社版(宮田峯一・訳)など)には、英語圏からの翻訳のためか、英語風に「ローエングラム」と訳している本もあります。この二次小説における「ローエングラム」の家名の由来は、これを基にした創作です(なお、余談ながら「ゼンダ城の虜」の過去を題材とした「The Heart of Princess Osra」(日本語訳未刊行)には、「Hilda von Lauengram」という名の伯爵夫人が登場するそうです)。

 また「LAUEN」が「獅子」を示すという件については、ドイツのニーダーザクセン州ローテンブルク(ヴュンメ)郡の町村名である「ラウエンブリュック」の由来を参考にしています。

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