獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第三章 残照は儚く、そして昏く
第十二節


 

 

 フェザーン。

 

 

 それは星系を構成する恒星の名であり、その星系にて人類が居住可能な環境を有する第二惑星の名でもあり、それらを中心部に内包している『回廊』の名でもある。

 

 フェザーン回廊はイゼルローン回廊と並び、現在の人類の生存圏を分断する危険宙域である『宇宙の墓場』(サルガッソ・スペース)を貫く希少極まりない要衝であり、その宙域に同じ名を冠した自治領が成立したのは旧帝国暦三七三年、宇宙暦六八二年の事であった。

 

 フェザーン自治領(ラント)はゴールデンバウム朝銀河帝国と自由惑星同盟という二大国の狭間にあって、軍事力ではなく地の利を生かした経済活動によって自らの価値を著しく高め、成立後わずか半世紀で人類社会における三大勢力の一角となりおおせた。

 

 だが、帝国の英雄ラインハルト・フォン・ローエングラムの侵攻によって自治領は一〇〇年強の歴史に終止符を打つ事となる。そして皇帝となったラインハルトの発した勅令により、新帝国暦〇〇二年、宇宙暦八〇〇年七月二九日に惑星フェザーンがローエングラム王朝の新たな帝国首都に定められたのであった。

 

 

 

 その遷都令発布から一年と五か月ほどが経過し、人類社会は新帝国暦〇〇四年、宇宙暦八〇二年を迎え、新帝都中央地区はすでに冬の気配に覆われていた。

 

 帝国の治安関係者は創業者たる皇帝の死を契機として暴動やテロが連鎖的に勃発する可能性を憂慮し、皇帝崩御直後から警戒態勢を全土に敷いていた。だが、現在の時点では大規模な騒乱は生じてはおらず、新しい政治、軍事、および経済の再構築などで慌しいながらも、人類社会はおおむね平穏な状況であった。

 

 昨年は皇帝(カイザー)ラインハルトの崩御の年であり、喪に服すためにも年末年始の諸行事を控えるべきでは、という意見も政権の中枢には存在した。が、摂政皇太后ヒルデガルドは「いたずらに長く喪に服す必要はない」というラインハルトの遺言を尊重したいと考え、重臣たちもほどなく皇太后の意思に従った。かくして、民心を慰撫するためにも諸行事は予定にいくばくか考慮を加えつつも、去年と同様に行われる事が決定されたのである。

 

 

 その内の一つに、一二月に行なわれる『降誕祭』(ヴァイナハテン)が存在した。

 

 同盟やフェザーンにおいては『クリスマス』と呼ばれ、元は古い宗教の開祖が誕生したとされる日を静粛に祝うものであったらしいが、現在の帝国においては子供たちにプレゼントを贈り、家族や親しい知人たちと穏やかに団欒を楽しむだけの行事となっている。

 

 一方、同盟ではクリスマスは一般的な行事ではなかったが、商都であったフェザーンにおいては商業主義の下に盛大に祝われていた。フェザーン市民はある者は賑やかにこの行事を楽しみ、ある者は稼ぎ時として商売に励んだものであった。

 

 だが、旧帝国暦四八九年、宇宙暦七九八年以降、旧フェザーン市民にとってクリスマスは苦い記憶を伴う単語として、彼らの辞書に記される事となる。

 

 その年の一二月二四日は、侵攻してきた帝国軍の先鋒たるミッターマイヤー艦隊が惑星フェザーン上空に現れた日であり、それはすなわちフェザーンの独立が失われた日ともなった事を意味していた。例年通り、聖夜(イヴ)のお祭り騒ぎに浮かれていたフェザーン市民たちは空から降ってきた予想外のクリスマスプレゼントに対し、一転して恐慌と呆然の二重奏に合わせたダンスを入り乱れて踊り狂う破目になったのであった。

 

 フェザーン最後の自治領主(ランデスヘル)アドリアン・ルビンスキーの腹心であり、帝国駐在の高等弁務官に就任したニコラス・ボルテックは、帝都オーディンにおいて自治領の権益を最大限に主張すべき立場にあった。だが、彼は紆余曲折を経て自治領主に叛き、フェザーンの自治権を帝国の事実上の支配者たるラインハルトに売り渡す決断を下す事となる。

 

 ボルテックは自治領主府に偽情報を送り続け、フェザーン側の目と耳を撹乱してラインハルトの侵攻計画を可能な限り隠蔽し、帝国軍のフェザーン占領を成功させるのにひとかたならぬ貢献を果たした。そしてフェザーン占領の翌月にボルテックは帝国軍の後続艦隊とともに故郷に帰還し、ラインハルトから『フェザーン代理総督』という地位を与えられたのである。

 

 帝国軍の進駐という、望みもしなかったプレゼントを押し付けてきた代理総督閣下を旧フェザーン市民たちは、皮肉と自嘲を込めて「我らが『聖ニコラス』(サンタクロース)は『トナカイの()(そり)』ならぬ『帝国軍の押す乳母車』に乗って、一月遅れでやって来た」と評したものであった。

 

 かくして『聖ニコラス』は、主人への背信という名の煙突を通り抜けて郷里に(すす)まみれの錦を飾ったが、その栄達は所有者ともども長寿を保ちえなかった。一年半ほど後にボルテックはルビンスキーと内国安全保障局長ラングの謀略により、剥ぎ取られた錦に代わって「爆弾テロの共犯」という濡れ衣を着せられ、獄中にて変死を遂げる事となるのである。彼が聖人の名にふさわしく天国に旅立てたか否か、生者に知るすべはなかった……。

 

 

 降誕祭や『大晦日』(ジルヴェスター)、そして新年の祝賀といった一連の行事が一段落し、惑星フェザーンに住まう人々はつかの間の休息を終えて活動を開始していた。

 

 無論の事、郊外の帝国軍幼年学校も例外ではない。教師や生徒たちも、先帝の喪の年にあって素直に祝えないながらも年末年始の休暇を家族などと過ごしたのちに、新しい学期を迎えたのである。

 

 

 その幼年学校の図書室の一隅において、二年生のグスタフ・イザーク・ケンプは設置されている情報端末の画面を見つつ、深く嘆息していた。

 

 新年の休暇が終わった後の最初の休日。グスタフは資料閲覧のために友人と連れ立って図書室を訪れ、先に用件を済ませた彼はとある人物の近況を端末を使って調べていたのである。

 

「どうした、グスタフ。ため息なんてらしくないな」

 

 そのグスタフの背中に、友人たるユリウス・オスカー・フォン・ブリュールが声を投げかけた。グスタフは少し首を動かし、横目でユリウスを見やりつつ軽く苦笑した。

 

「らしくないは余計だ」

 

 その言葉にユリウスも笑みを返し、横から画面を覗き込む。グスタフもそれを止めようとはしなかった。

 

 そこに映し出されていたのは、銀河帝国の軍服を着用している鋭角的な印象の青年の肖像と彼の経歴であり、ユリウスも知っている人物であった。

 

 

 イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン大将。今年で二六歳となる彼は、ラインハルト・フォン・ローエングラムとは前王朝における幼年学校時代の同級生であり、常に学年首席の座を占有していたラインハルトに次ぐ優等生グループの一員でもあった。

 

 進学した士官学校においてもトゥルナイゼンは秀才として名を馳せていたが、士官学校に進まず功績を()てて出世していくラインハルトの姿に刺激され、自らも学校を中退して前線に身を投じた。そして指揮官や作戦参謀として実績を重ね、二〇代前半という年齢で将官の椅子を得たのである。

 

 それは彼自身の才幹や武功もさる事ながら、上級貴族という出自も昇進を早めた一因であった事は否定しえない。もっとも、大貴族の一門でありながら偏見や身分に囚われずに『金髪の孺子(こぞう)』の力量を評価し、旧帝国暦四八八年の『リップシュタット戦役』で貴族連合軍ではなくローエングラム陣営に与した洞察と判断は非凡であったと言えるであろう。そして戦役終結後には、畏敬すべき主君と認めたラインハルト直属の分艦隊司令官の一人に抜擢され、階級も中将に昇り、当時の軍最高幹部たちに次ぐ地位を獲得したのである。

 

 だが、旧帝国暦四九〇年、宇宙暦七九九年のバーミリオン会戦の序盤において、トゥルナイゼンは小さからぬ失態を演じる事となった。

 

 総司令官たるラインハルトからの「それぞれの部署において対応せよ」という指令を受け、戦意と功名心を抑え切れなかったトゥルナイゼンは、第二陣でありながら第一陣との位置関係や連携を無視して突出しようと図り、前線に混乱を生じさせてしまったのである。無論の事、敵将たる『魔術師』ヤン・ウェンリー元帥がそのような好機を見逃すはずもなく、同盟軍の容赦なき攻勢によって帝国軍の前衛部隊はしたたかに叩きのめされた。

 

 総司令官からの怒気に満ちた指令を受けたトゥルナイゼンは、慌てて命令に従い艦隊を後退させた。だが、彼に陣形を乱され、半ば押し出される形となっていた帝国軍前衛部隊はヤンの構築した半包囲体勢の中に誘い込まれてしまった。その巧妙さは参戦していたラインハルトやメルカッツといった人類社会有数の名将たちをも瞠目せしめるほどであり、前衛部隊は苛烈な集中砲火の餌食となり果て、同盟軍の半包囲下から脱するまでに総司令官の想定を上回る損害を蒙る事となる。結果として、トゥルナイゼンは敵の攻勢の成功に貢献してしまったのであった。

 

 かくして主君からの評価を著しく下落させた彼は、会戦終了まで失態の悪印象を覆すだけの武勲を樹てる機会を、ついに得られなかった。そして会戦後に前線勤務から外され、現在に至っているのである。

 

 

 そういった一連の経緯を思い起こしていたユリウスには、友人の嘆息の理由に心当たりがあった。

 

「そういえば、確かこの人はケンプ提督の元部下だったな。もしかして、面識があるのか」

 

「……ああ」

 

 少し間を置いて、グスタフはうなずいた。

 

 

 トゥルナイゼンはリップシュタット戦役に際して、ローエングラム陣営の軍最高幹部の一角たるカール・グスタフ・ケンプの麾下に組み入れられた。

 

 大貴族の出自にもかかわらず、トゥルナイゼンは公明正大にして勇猛果敢な武人として平民出身のケンプに敬意を払い、その指示に忠実に従った。ケンプもトゥルナイゼンのその姿勢と才幹を高く評価し、用兵術や軍務の管理運営など、若い部下への指導を熱心に行なったものである。戦役がローエングラム陣営の勝利によって幕を閉じ、トゥルナイゼンがラインハルトの直属となった後もケンプとの交流は続いた。

 

 そしてユリウスの予想通り、トゥルナイゼンは他の同僚とともにケンプの官舎を幾度か訪問した事があり、ケンプの家族とも面識を得ていたのである。同じ「イザーク」という名を持ち、若くして栄達した青年将官に対しグスタフは憧憬と親近感を抱いた。トゥルナイゼンの方でも上官の息子たちを好ましく思い、親交を深めたのであった。

 

 だが、ほどなくケンプは旧帝国暦四八九年の第八次イゼルローン攻略戦においてヤン・ウェンリーに大敗を喫し、いまだ少壮であった生命を散らす事となる。

 

 トゥルナイゼンは敗者たる運命を免れた己の強運を「確信」する一方で、同時に元上官であったケンプの復讐を誓った。バーミリオン会戦序盤での彼の無謀な突出は功名心だけでなく、ヤンへの復讐心もその原動力となっていたのである。

 

 ケンプの軍部葬において、グスタフは参列したトゥルナイゼンと話をする機会があった。グスタフが父を(たお)した敵将ヤン・ウェンリーへの復讐について口にすると、トゥルナイゼンはわずかに粛然としていた表情を緩めてこう言ったものである。

 

「そうか。だが、あの魔術師に挑むのは私が先だな。私がヤンを斃してしまっても恨まないでくれよ」

 

 そして、彼は重傷の身でありながらも葬儀に参列していたナイトハルト・ミュラーの姿を遠くに見つけて、いささか温かみに欠ける表情を浮かべる。軍最高幹部の中では最年少であり、同僚に比して名声や実績に乏しかったミュラーは、更なる栄達を望むトゥルナイゼンにとっては至近の「追い越し」の目標といえる存在であった。そして今回のイゼルローン遠征軍の副司令官であり、総司令官であったケンプを救いえず敗軍の将として帰還したミュラーに対し、トゥルナイゼンは冷ややかな目を向けたのであった。

 

 だが、バーミリオン会戦においてトゥルナイゼンは主君からの不興を蒙った上、復讐を遂げる事はおろか大功を樹てる事も叶わなかった。しかも皮肉な事に、いささか過小に評価していたミュラーの来援により主君ともども彼は危地を救われ、停戦まで戦い抜いた砂色の髪の提督は『鉄壁』の異名と確固たる声望の双方を得たのであった。

 

 そして一年ほど後にヤン・ウェンリー暗殺の報が任地にて無聊をかこつトゥルナイゼンの下に届き、彼は再戦の機会を永久に失った事を知らされるのである……。

 

 

 なお、ローエングラム王朝成立時において、ラインハルトはトゥルナイゼンを大将に昇進させている。

 

 バーミリオン会戦の中盤以降、帝国軍はヤン・ウェンリーの巧妙極まりない包囲作戦によって殲滅の危機に立たされた。来援したミュラーの艦隊が三回にわたり旗艦を沈められ、同僚のアルトリンゲン、ブラウヒッチの両艦隊が壊乱、グリューネマンが負傷、カルナップが戦死という惨状の中、トゥルナイゼンは防戦一方に追い込まれながらも、結果として分艦隊司令官としてはただ一人、停戦まで陣頭に立ちつつ戦線を維持する事に成功した。本人の積極的な性格とは逆に、戦術家としては防衛戦の方に適性があったようである。トゥルナイゼンがヤンの神懸かりとすら思えた攻勢を多少なりとも減衰させ、最後までラインハルトを守る盾の一部となったのは事実であった。

 

 もう一つの昇進の理由としては、空戦隊長ホルスト・シューラー中佐の存在があった。

 

 シューラーはリップシュタット戦役まではケンプ艦隊に属しており、かつての撃墜王(エース)だったケンプの薫陶を受けていた人物であった。そして戦役終結後にトゥルナイゼンとともにラインハルトの直属となり、結果として第八次イゼルローン攻略戦での戦死を免れたのである。そして彼もまた、上官であり恩師であったケンプの復讐を誓ったのであった。

 

 シューラーは自身の経験とも照らし合わせつつ、過去の戦史を徹底して研究した。そしてかつてケンプが旧帝国暦四九七年、宇宙暦七九六年のアムリッツァの前哨戦で実施した艦と戦闘艇の連携作戦の強化と、それに加えて同盟軍の撃墜王オリビエ・ポプランが確立した三機一体の集団戦法の導入を上層部に具申したのである。

 

 第八次イゼルローン攻略戦において、敵空戦隊の三機一体戦術を目の当たりにした元撃墜王のケンプはその効果に注目し、自身の私見を加えた詳細な戦闘記録を遺していた。そして敗北した遠征軍の残存艦隊が持ち帰ったそれをシューラーはケンプの「遺言」と考え、重要な研究材料として最大限に活用したのである。

 

 復仇の志を共有するトゥルナイゼンはそのシューラーの具申に積極的に賛意を示し、ラインハルトもそれを容れた。かくしてラインハルト直属艦隊においてそれは試験的に導入され、シューラーの主導の下にその練度を高めていった。

 

 その結果、バーミリオン会戦の中盤以降において帝国軍のワルキューレ空戦隊は艦隊の混戦状態を尻目に、同盟軍のスパルタニアン空戦隊に対し優位を確保する事に成功したのである。

 

 ヤン艦隊が誇るポプラン戦隊は皮肉にも、専売特許であったはずの三機一体を取り込んだ帝国軍空戦隊に翻弄される破目になった。同盟軍空戦隊は三機一体によって数の優位を生み出す機会を得られないまま、敵の艦砲の射程内にいつの間にか追い込まれて撃墜される艇が続出し、それぞれ酒の名を冠したポプラン麾下の六個中隊はその半数が祝杯として敵に飲み干され、ポプランに並ぶ撃墜王であったイワン・コーネフ中佐も巡航艦の砲撃により斃れた。優勢のまま進んでいた艦隊戦の戦況とは裏腹に、同盟軍空戦隊は艦隊の防衛に専念する事を余儀なくされ、停戦に至るまでその劣勢を覆す事は叶わなかったのである。

 

 帝国軍空戦隊が敵に対し優位を最後まで確保していた事実は、艦隊戦で劣勢に追い込まれながらもラインハルトの艦隊が停戦に至るまで戦線を維持しえた要因の一つである事は明白であった。もし空戦まで不利ないし拮抗状態にあったならば、同盟政府からの停戦命令より迅く、ヤン艦隊の砲火は総旗艦ブリュンヒルトを直撃していたかもしれない。それゆえ、シューラーは無論の事、彼の意見を強く薦めたトゥルナイゼンの功績もラインハルトは評価したのである。

 

 アムリッツァの前哨戦においてヤン・ウェンリーの第一三艦隊と対峙したケンプ艦隊は劣勢に立たされながらも撃墜王サレ・アジズ・シェイクリ、ウォーレン・ヒューズの両名を屠り、バーミリオン会戦では彼の意志と戦術を受け継いだシューラーがオリビエ・ポプランの戦隊を半壊せしめ、イワン・コーネフを戦死に追い込んだ。ケンプ自身はヤンの手によって敗死したものの、空戦という分野において、彼は不敗を誇ったヤン艦隊に深い爪痕を刻みつけたのであった。

 

 バーミリオン会戦以前まで、ケンプを失った事に対するラインハルトの印象は「後味は決してよいものではなかった」という程度に留まっていたが、ケンプの衣鉢を継承した空戦隊の勇戦により救われた金髪の覇者は彼を再評価し、改めてその死を惜しんだ。それゆえに、新王朝成立後に若き初代皇帝は戦闘艇搭乗員の育成を目的とした「カール・グスタフ・ケンプ基金」を設立して、その功績に報いたのである。これはラインハルト自身が麾下の人物の名を冠した事例としては、「ジークフリード・キルヒアイス武勲章」に続いて二番目という栄誉であった。

 

 

 こういった事情からトゥルナイゼンは大将への昇進は果たせたものの、彼はバーミリオン会戦序盤での失態の原因となった視野の狭さや配慮の不足をラインハルトから厳しく叱責された。その上で、主君の意向によって後方に回される事となったのである。

 

 とはいえ、ラインハルトはかつて自らの狭量が盟友ジークフリード・キルヒアイスの死を招いた事を心から悔やんでおり、一度の失敗のみでトゥルナイゼンを見限るつもりはなかった。もともとトゥルナイゼンの才を評価していた若き覇王は、新しい職場において広範な視野と柔軟な識見を培い、同年の配下に才を容れるだけの器を持つ事を望んだ。彼の職務への精励振りによっては、再び直属に呼び戻す事もラインハルトは考慮していたのである。

 

 が、畏敬する主君の直属という地位と前線勤務の双方から外されて、トゥルナイゼンは落胆して精彩や積極性を著しく失った。おおむね順風満帆な軍歴を歩んできた彼にとってこれほどの蹉跌は初めての経験であり、ここにきて精神的な打たれ弱さを露呈してしまったわけである。

 

 大きな失敗こそしなかったものの、芯が抜けてしまったかのような態度を取り続けるトゥルナイゼンに対し皇帝は苦々しい失望を禁じえなかった。結局ラインハルトの崩御に至るまで、トゥルナイゼンは皇帝の寛恕を得る事は叶わなかったのである……。

 

 

 グスタフはまたもや似つかわしくなく嘆息した。ケンプがバーミリオン以降にラインハルトから再評価された事は、彼の遺族にとっても喜ばしかった。だが、一方でトゥルナイゼンが父の復讐を遂げんとした事によって判断を誤り、それにより敬愛する主君から遠ざけられたという事実は、グスタフの心を曇らせずにはいられなかったのである。

 

 その友人の姿を見てユリウスも眉をひそめ、同時に友人にこのような表情をさせているトゥルナイゼンに対して、いささかならず腹立たしい感情を抱いた。

 

 失敗を犯し、希望に沿わぬ任務に従事せざるを得ない自己の境遇に失意を覚えるのは仕方のない事だろう。だが、そこから立ち直り、前に進むだけの強さを発揮せずして何が軍人か、とユリウスは思うのである。かつてヤン・ウェンリーに未曾有の大敗を喫しながらも名誉回復を成し遂げたミュラーや、志望とは異なる任務に就いても最善を尽くして主君の期待に応えたケスラーなどの軍最高幹部たちの姿を、トゥルナイゼンも見習うべきであろうに。

 

 だが、グスタフが消沈しているのはトゥルナイゼンの近況だけが原因ではなかったのである。そのもう一つの理由について、グスタフは語り始めた。

 

「実は年末に帰省した時、トゥルナイゼン提督と話す機会があったんだ」

 

 

 現在においてもケンプ家とトゥルナイゼンの交流は途絶えてはいないが、以前に比べればその頻度は明らかに減少している。

 

 閑職に回されたとはいえ、ローエングラム王朝の帝国軍大将が暇をもてあます立場に甘んじる事など初代皇帝たるラインハルトが許すはずもない。トゥルナイゼンは新しい職場で意欲をあまり刺激されない任務に勤しまざるを得なかったし、高言を吐いておきながら復讐を果たせなかった身としてはケンプの遺族に対して負い目を感じてもいた。そういった諸々の事情から、ケンプ家から彼の足は遠のいていたのである。

 

 それでも、年に何回かは手紙のやり取りや、TV電話(ヴィジホン)での会話も行なわれていた。だが、トゥルナイゼンは目に見えてかつての鋭気を失っており、その姿を見るのはグスタフにとっても辛かった。何度となく激励の言葉を贈ったりもしたのだが、失意の青年士官はそれを聞いても力なく笑うだけであり、逆効果にしかなっていないとグスタフも悟らざるを得なかったのである。

 

 そして昨年末、実家のTV電話での通話において、皇帝の崩御や昇進を果たせなかった事でさらに落胆した様子のトゥルナイゼンに対し、グスタフはついに感情を爆発させたのである。

 

「いつまで肩を落としているつもりなんですか!」

 

 突然のグスタフの激しい声に、若い帝国軍大将は息を呑んだようであった。

 

「俺にとってあなたは先を行く人だ。あなたの丸まった背中なんかもう見たくない!! 俺が最後に見送った父さんの背中は堂々としていた。あなたは父さんから何を教えられたんですか!!!」

 

 両眼に薄く涙すら浮かべているグスタフのその剣幕にトゥルナイゼンは唖然としていたが、やがて目を伏せ、

 

「……すまない」

 

 と、一言だけつぶやいた。

 

 気まずい雰囲気のまま、トゥルナイゼンとの通話は終わった。傍らにいた弟のカール・フランツは呆然とした表情で兄を見つめ、母親はグスタフをたしなめはしたが、その表情と口調は柔らかいものであった……。

 

 

 その経緯を聞いたユリウスは、先ほどまでの腹立ちを忘れて軽く笑った。本来ならば声を上げて笑いたい所であったが、他の学生も利用している図書室にいる事をはばかったのである。幼年学校の一生徒が栄えある帝国軍大将閣下を叱り付け、謝罪の言葉まで言わしめるとは。 

 

「怖いもの知らずな奴だな。まあ、あの『鉄壁ミュラー』にさえ食ってかかった事もあるお前なら、意外ではないか」

 

「……それを言うな」

 

 グスタフは顔をしかめた。感情に任せてミュラーに罵声を浴びせた頃から進歩していないと、自己嫌悪に囚われていたのもグスタフを落ち込ませていた理由の一つであったのである。

 

 だがユリウスに言わせれば、そのトゥルナイゼンへの難詰はかつてのミュラーに対してのそれ以上に正当なものだと断言できる。ミュラーはトゥルナイゼンのように、戦意を先走らせて戦況や味方との連携を顧みないなどという浅慮な行動を採ったりはしなかった。それゆえにラインハルトも敗軍の将たるミュラーを前線勤務から外す事なく、戦場での汚名返上の機会を与えたのであろう。ミュラーは見事に主君のその期待に応えたのである。

 

 そしてトゥルナイゼンはミュラーが備えていたものを欠いていたがために、戦場の外における名誉回復を主君から望まれたのだが、彼は主君の期待に背いてしまった。そして、敗北を喫しながらもごく自然に背筋を伸ばした雄姿を後進に示したミュラーに対し、トゥルナイゼンはグスタフに悄然とした背中をさらし続けた。ミュラー以上に批難されて当然というべきであり、トゥルナイゼンが反論できなかったのも、それを多少なりとも自覚していたでもあったからではないだろうか。あるいは、トゥルナイゼンは厳しくも親身な指導を行なったであろう旧上官の面影を、グスタフに見い出したかもしれない。

 

 いずれにしても、立ち直るか否かは最終的には本人次第である。主君や上官のみならず、一〇歳以上も年下の後進の少年にまで叱咤されて発奮しないようでは、イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンもそれまでの人物だ、とユリウスは冷たく考えた。が、あえて言語化はせず、彼が口に出したのは友人のための言葉であった。

 

「まあ、トゥルナイゼン提督もまだお若い。同年代だったグリルパルツァー、クナップシュタインの両提督などは一昨年の叛乱で生命まで落としているし、グリルパルツァー提督に至っては軍籍すら剥奪されているしな。それに比べれば、大将として汚名返上の機会を待てるだけ救いはあるだろう」

 

 グスタフは表情をわずかに緩めながらうなずいたが、不意に先ほどとは微妙に異なった苦い表情を作った。

 

「グリルパルツァー提督か……。俺は元々、あの人が好きではなかったな」

 

「ほう? 何故だ」

 

 

 アルフレット・グリルパルツァーとブルーノ・フォン・クナップシュタインは、共に軍最高幹部の一角であった故ヘルムート・レンネンカンプ提督の旧部下にして用兵の弟子である。

 

 その力量は主君や軍最高幹部からも評価されており、ローエングラム王朝成立当初においては、軍最高幹部たちが軍中枢へと移行した後の前線を担う若手の有力候補と見なされていた。

 

 だが、新帝国暦〇〇二年のオスカー・フォン・ロイエンタール元帥叛逆事件に際し、『新領土』(ノイエ・ラント)総督たるロイエンタールの直属となっていた二人は、叛乱に加担する道を選択するのである。

 

『第二次ランテマリオ会戦』において、クナップシュタインは討伐軍の総司令官ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の迅速にして苛烈な攻勢を支えきれずに戦死を遂げた。本人にとっては不本意極まりない死であっただろうが、それでも同僚のグリルパルツァーの末路に比べれば、まだ軍人としてはまっとうな最期と評すべきであった。

 

 そのグリルパルツァーの方は、会戦の最終局面において造反し、総司令官たるロイエンタールの本隊を後背から撃つという挙に及ぶに到る。そのあげくに逆撃に遭って撃破され、討伐軍に降伏するという重ね重ねの醜態をさらす結果となった。

 

 グリルパルツァーの造反がロイエンタール軍の瓦解の要因の一つとなったのは事実ではあったが、それを賞賛する者は存在しなかった。そして、これ以上墜ちようがないと思われていた彼の評価が、瘴気を放つ泥沼の最深部に沈められるような事実が会戦終結後に判明する事となる。

 

 叛乱の端緒となった惑星ウルヴァシーにおける皇帝襲撃事件の直後、青天の霹靂であったその報を受けたロイエンタールの命によって治安回復と現地調査のために派遣されたのが、他ならぬグリルパルツァーであった。ロイエンタールがグリルパルツァーにこの任を命じたのは、軍人にして学者という二つの側面を持つ『探検家提督』の軍事および調査能力を評価しての事であったが、結果としてこの人選が、彼らの命運を大きく左右したのである。

 

 グリルパルツァーはウルヴァシーの混乱を鎮定した後、調査によって事件の背後に地球教の暗躍が存在した事実を把握したのだが、その調査結果を彼は緘口令を敷いて隠匿した。そして何食わぬ顔で新領土の中枢たるハイネセンに帰還し、陰険な策略を心中に秘めつつロイエンタールの叛乱に協力する事を表明したのであった……。

 

 討伐軍の別働隊司令官であり、ウルヴァシーにおいて再調査を実施して裏の事情を暴露したエルネスト・メックリンガーは、グリルパルツァーを厳しく糾弾した。ねじれた野心に目がくらんで主君の期待と信任に背き、上官の叛乱を制止する努力を怠ったばかりかそれを助長し、果てには味方を装って無防備な背を斬りつけるという卑劣な手段で功を誇ろうとするなど、まともな擁護や弁解の余地などあろうはずもない。少なくとも、光輝ある『黄金獅子旗』(ゴールデンルーヴェ)を仰ぐローエングラム王朝の軍人としては。

 

 そういった一連の事情を知らされた皇帝ラインハルトも、嫌悪や失望といった膨大な負の感情をグリルパルツァーに向けざるを得なかった。ここまでの醜行を示されては汚名返上の機会など与えようがなく、グリルパルツァーは皇帝の命により軍籍剥奪の上で死を賜ったのである。銃殺刑ではなく毒酒による苦痛なき自裁を命じたのが、せめてもの温情であっただろう。もっとも、死後も汚辱に塗れた評価を背負う事を自覚していた彼にとって、さしたる慰めにはならなかったであろうが……。

 

 

 こういった一連の経緯から、グリルパルツァーは自決後も多くの人間から嫌悪される存在へと成り下がってしまったのである。

 

 そしてグリルパルツァーに対するユリウスの評価は、世間のそれと大差はない。味方を背中から刺してその首級を差し出すなどという行為を、高潔な皇帝ラインハルトが是とするなどと本気で思っていたのだろうか。いや、そう思ったからこそグリルパルツァーは自身の計画を実行したのであろう。

 

 かつて自由惑星同盟の滅亡に際し、上位者であった最高評議会議長ジョアン・レベロを殺害した同盟の一部軍人たちが征服者たるラインハルトに処刑された事例もある。その先例だけを見ても、そのような行為がラインハルトに嫌悪される事など少し考えれば解るはずだが、理解できなかったとすればグリルパルツァーも愚物としか表現のしようがない。

 

 それとも、先ほど話題に上がったトゥルナイゼンや、ケンプやレンネンカンプといった軍最高幹部たちもそうであったように、強すぎる野心や功名心はそれほどまでに所有者の知恵の鏡を曇らせ、奈落の底へと導いてしまうものなのであろうか。そういえば、『常勝の天才』ラインハルト・フォン・ローエングラムですら、バーミリオン会戦では『魔術師』ヤン・ウェンリーを独力で撃破したいという欲求から逃れられず、その点をヤンに衝かれて戦術的敗退を喫しているのである……。

 

 そこまで考えて思考が本題から逸れかけているのにユリウスは気付き、元の話題に話を戻した。

 

 さて、グリルパルツァーは現在でこそ「唾棄すべき背信者」と酷評されているが、叛乱事件以前は帝国軍大将にして探検家という、文武に優れた少壮気鋭の軍人として相応の敬意を払われていた人物であった。その彼に対し、あの叛乱以前から非好意的な感情を抱くような事情が、グスタフにはあったのだろうか。

 

 あまり気の進まない風ではあったが、グスタフは親友に話す事にした。

 

 

 四年前の、第八次イゼルローン攻略戦で戦死した父、カール・グスタフ・ケンプの軍部葬に際しての事である。

 

 葬儀が始まる前、父親を救いえなかったナイトハルト・ミュラー提督を罵倒したグスタフは、母親に平手で鋭く頬を叩かれた。そして不意の一撃に呆然とする長男に、母はミュラーに謝罪するように厳しく命じたのである。

 

 だが、グスタフは母に従わなかった。彼はミュラーを憎悪や憤怒といった感情を込めた瞳で睨みつけた後、母の制止を振り切って式場を飛び出してしまったのだった。

 

 さまざまな感情が頭の中で渦巻いていたグスタフは、その時は一人になりたいと思った。そのため、彼の足は自然に個室があるトイレへと向けられたのである。

 

 そしてトイレの出入口を遠くに認めた際、やや急ぎ足でそこに入っていった青年将官の礼服姿をグスタフは目撃したが、その時はあまりに気に留めなかった。

 

 グスタフは後に続いてトイレに足を踏み入れたが、その瞬間、閉ざされた個室の一つから「やったぞ!」という小さいが確かな歓喜の声が聞こえたのである。トイレの扉や壁には防音や吸音処理が施された建材が用いられているはずであったが、どうやら壁の一部が老朽化していたらしい。扉が閉まっていたのはその一室のみであり、その声の主が先ほどの青年士官である事は明白であった。

 

 高級士官の礼服を着ていた以上、葬儀の参列者の一人であることは疑いない。父の葬儀の直前でそんな真似をされてグスタフは憤慨し、先刻のような怒声を上げたい衝動に駆られた。

 

 が、続けて聞こえてきた「ようやく入会できた」などといった内容から、父の死を喜んだというわけでもないらしかったし、人の目と耳のない(と思われた)場所で歓喜を爆発させるだけの節度があった事も考え、グスタフは軽く息を吐きつつ心を落ち着かせた。そして声が筒抜けかも知れぬ個室に篭もりたいとも思えず、グスタフは黙ってその場を立ち去ったのである。

 

 グスタフがトイレから少し離れた後、ほどなく例の青年将官も出入口から出て来た。その表情にはすでに歓喜の欠片もなく、謹厳そのものの表情で式場へと向かっていったのを見てグスタフは呆れたものである。そしてグスタフも感情を完全には整理できてはいなかったが、長男たる自分が父の葬儀に遅れるわけにも、ましてや欠席するわけにもいかなかった。トイレの壁の件を式場の関係者に伝えた後、ばつ(・・)が悪いと思いながらも式場へと戻るべく足を動かしたのであった。

 

 

 この時の青年士官こそが他ならぬアルフレット・グリルパルツァーであり、彼が悲願だった帝国地理博物学協会への入会許可の知らせを受け取ったのが、父親の葬儀の直前であった事をグスタフは後に知った。

 

 かくして、ミュラーのように徐々に畏敬の念を抱いていったわけでもなく、トゥルナイゼンのように出会った当初から親睦を深めたわけでもない交流なきグリルパルツァーに対し、グスタフは冷めた感情を抱き続ける事となる。そしてロイエンタール元帥叛逆事件以降、グリルパルツァーはグスタフのみならず、万人から忌避される境遇に自ら落ちぶれてしまったのであった……。

 

 

「そいつはまた……」

 

 面白くもなさそうな表情のまま語り終えた親友を見やりつつ、ユリウスは苦笑した。

 

 苦労を重ねての念願が叶った喜悦に耐えるのが難しかったのは理解できるし、完全防音のはずの個室で、まさか声が外に漏れていたとはさすがに予想外に違いない。まして、それをこれから弔うべき故人の身内に聞かれるとは、つくづく間の悪い事だと思う。その件に関しては、グリルパルツァーを責めるのはいささか酷であろうし、そう思ったからこそ当時のグスタフも怒気を抑制しえたのであろう。同時に、グスタフがグリルパルツァーにいい印象を抱けなかったのもまた、無理からぬ事だったと言える。

 

 

 なお、グリルパルツァーのトイレでの一件をグスタフは積極的に広めようなどとは考えなかったが、語った一部の人間に対し、ことさらに他言無用を求めたりもしなかった。結果としてこの逸話は後世に広く伝えられ、「唾棄すべき背信者」の軽薄な一面の証左として扱われる事となるのである……。

 

 

「ここにいたか、ケンプ」

 

 不意に二人の背中に、大きくはないがよく(とお)る声が投げかけられた。

 

 二人が振り向いた先に立っていたのは、彼らと同年代の、同じ幼年学校の制服を来た一人の少年である。堂々たる態度と体格であり、その身長はユリウスより高く、グスタフより低い。

 

 

 ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー。幼年学校の三年生であり、旧ゴールデンバウム王朝末期の宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥を大叔父に持つ少年であった。




 




 




 この二次小説における帝国やフェザーンの降誕祭(クリスマス)は、外伝『千億の星、千億の光』でキリスト教の行事である『聖霊降臨祭』(プフィングステン)が帝国で祝われている描写を基にした独自設定です。
 
 また、外伝『ユリアンのイゼルローン日記』において、宇宙暦七九六年一二月辺りの記述にクリスマスについての言及が存在しなかったので「クリスマスは同盟では一般的なイベントではない」と、この二次小説においては設定しています。

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