獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第十八節

 こうして独立に向けて動き出した前後から、グレーチェンは旧シュタインメッツ艦隊の元幕僚とも顔を合わせる機会が多くなった。

 

 

 その一人であるミヒャエル・フォン・ナイセバッハは、かつてシュタインメッツ艦隊の参謀長を務めていた人物である。

 

 ナイセバッハは前王朝時代から、参謀として有能と称されるに足る実績を重ねていた。だが、王朝末期に在籍していた帝国軍主計総監部において、兵站における多大な問題点を指摘し改善を声高に主張したため、上司たちに疎まれて辺境に左遷される憂き目に遭う。そして、同じく辺境に配されていたシュタインメッツに見いだされて幕僚に迎えられたのであった。

 

「神々の黄昏」(ラグナロック)作戦終結後、シュタインメッツは同盟から割譲されたガンダルヴァ星系への駐留を命じられるが、ナイセバッハは参謀長を辞して帝都オーディンへ帰還する事となる。

 

 帝国の事実上の支配者となったラインハルト・フォン・ローエングラムによる軍制改革と綱紀粛正は、短期間で顕著な結果を示した。だが、神々の黄昏という遠征の過程において、軍内部における少なからぬ課題や問題点が浮上したのである。

 

 無論、数千万人規模の大軍の遠征が、いささかの問題も生じずに済むはずもない。が、厳罰が定められ監査が強化されたにもかかわらず、フェザーン占領直後の民間人暴行事件やイゼルローン要塞奪還時における遺棄物資の横領事件を始め、遠征中に発覚した重大な軍規違反の件数は、総司令官たるラインハルトや軍最高幹部たちの想定以上に多かったのである。

 

 また、ゾンバルト少将による輸送船団の護衛失敗は、事前に総司令官から注意を受けていたにもかかわらず、ゾンバルトがヤン艦隊の本格的な襲撃の可能性を低く考え、警戒や索敵を怠った事が要因の一つであった。高級士官の中に、兵站の重要性を甘く見るような輩がいまだに存在していた事実は、低能や怠慢を著しく嫌うラインハルトの憤怒を誘ったものである。

 

 こういった現状は、兵站や軍規を軽視するゴールデンバウム王朝の積年の悪弊が表面上は一掃されても、深部にはしぶとく根を張っている事をラインハルトに痛感させた。遠征の目的を果たして本土への帰還の途についた彼は、各方面に改革の強化や再検討を厳命したのであった。

 

 その一環として、軍上層部は高い運営能力と兵站への見識を見込み、ナイセバッハに軍中枢への転属と帝国軍主計総監への就任を打診した。シュタインメッツは「卿がかつて望んだ改革を、卿自身で為す好機ではないか」と躊躇していたナイセバッハを激励し、信頼していた参謀長を新たな職場へと送り出したのである。

 

 後事をボーレン次席参謀に託してオーディンに帰還したナイセバッハは、大将昇進の後に帝国軍主計総監部を差配する立場に置かれる事となった。そうして彼は兵站にかかわる問題点の改善に取り組み、厳しい眼を持つ軍の領袖たちを納得させるだけの成果を挙げてゆくのである。

 

 新帝国暦〇〇二年の「回廊の戦い」にて、大本営の後方主任参謀の兼任を命じられていたナイセバッハは、艦艇一〇万隻を超える遠征軍の兵站を支える責任者たる立場にあった。

 

 ゾンバルトの失策や、先の同盟領再侵攻の際に同盟軍が展開したゲリラ戦術による補給線の寸断といった過去の事例を繰り返させるわけにはいかない。ナイセバッハは警備艦隊の哨戒やそれらの間の連絡を密にさせて補給路を堅実に維持せしめ、物資の輸送および負傷兵や損傷艦の後方への搬送などを可能な限り迅速に行なえるように心を砕いた。

 

 そのナイセバッハの努力は実を結び、「回廊の戦い」での帝国軍の後方においては、最後まで深刻な遅滞が生じる事はなかった。しかし、その戦いで敬愛すべき元上官たるシュタインメッツやかつての同僚たちの多くをヤン・ウェンリーに斃された彼は、自身の功績を誇るような心境には到底なれなかったのである。

 

 シュタインメッツは旧帝国暦四九〇年のライガール・トリプラ間の会戦においてもヤンに敗退しているが、これは当時の参謀長であったナイセバッハの見解を、総司令官が受け容れた結果でもあった。敗戦後、自己の見解が誤っていた事を強く悔いる参謀長を、

 

「あまり気を落とすな。最終的な責任は俺にある」

 

 と司令官は自身の衝撃を隠そうとしつつ労わったものである。 

 

 シュタインメッツを弔う葬儀において、グレーチェンはナイセバッハと顔を合わせ、悔やみの言葉を伝えられた。

 

 当初は謹直な表情を維持していた元参謀長であったが、話すにつれて感情が昂ぶったのか、

 

「閣下に敗将の汚名を着せてしまったのに、その償いができませんでした」

 

 と、人目をはばからず涙を流し始め、グレーチェンや周囲の参列者は彼をなだめるのにいささか苦労したものである。

 

「ロベルトは償いなど求めていないでしょう。あなたが今、課せられている責務を全うする事こそ望んでいるはずです」

 

 とグレーチェンは語り、ナイセバッハはうなずきつつハンカチで目元を拭ったのであった。

 

 

 ナイセバッハの次にグレーチェンへ挨拶を行なったのは、頭部に包帯を巻き、車椅子に座った壮年の軍人であった。アンドレアス・ライナー・マルクグラーフ少将である。

 

 ナイセバッハの転属後、参謀長に昇格したボーレンの跡を引き継いで次席参謀となったマルクグラーフはシュタインメッツの幕僚でただ一人、回廊の戦いにて轟沈する旗艦からの生還に成功した。護衛隊長のルンプ中佐は戦死したが、奇跡的に軽傷で済んだ護衛隊員らに支えられつつ、脱出用のシャトルに乗りこむ事ができたのである。

 

 そして重傷のマルクグラーフは、大本営に司令官の戦死を報告した直後に力尽きて昏倒し、後方の病院船に収容される事となった。

 

 別の艦に在った副司令官クルーゼンシュテルン大将も司令官とほぼ同時に戦死しており、司令部不在となり果てたシュタインメッツ艦隊は、大本営による再編が完了するまで果敢だが無秩序な艦隊運動で戦線を混乱させる要素となった。マルクグラーフは丸一日の昏睡から回復した後も絶対安静が必要であり、歯噛みしつつベッドの上から、戦況および自艦隊の現状を見守る事しかできなかったのである。 

 

 回廊の戦いの終結後、フェザーンへと帰着したマルクグラーフは入院生活を余儀なくされた。だが、かつてケンプの軍部葬に重傷の身で参列したミュラーに倣い、マルクグラーフも上官の弔いの場に姿を見せたのである。 

 

 そこでマルクグラーフは部下に支えられつつ立ち上がり、上官の最後の言葉をグレーチェンに伝えたのであった。

 

 それを聞いたグレーチェンは、マルクグラーフに礼を述べて頭を下げた。葬儀が終わった後、彼女は人のいない場所で、

 

「まったく、最期にあたしの名前を呼ぶなんてねえ。……思いの外、気障(きざ)な男だったんだね」

 

 と言いつつ、瞼を軽く押さえたのであった……。

 

 

 ザムエル・リッチェルは旧王朝時代から軍官僚としての能力には定評があり、同時に旧フェザーン自治領(ラント)自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)といった外部勢力の内部事情に精通している事でも知られていた。これはフェザーン駐在弁務官事務所や統帥本部情報処理課、軍務省軍事情報局などに籍を置いていた軍歴によるものであった。

 

 旧帝国暦四八八年の「リップシュタット戦役」勃発時、リッチェルは中立派として軍事情報局に勤務していたが、ラインハルトが軍事的独裁権を獲得した後はローエングラム陣営に帰順した。

 

 戦役終結後、リッチェル少将はシュタインメッツの下に配属され、その実務能力を評価されて情報主任参謀に就任する。そして旧帝国暦四九〇年の「神々の黄昏」作戦終結後、ガンダルヴァ駐留軍司令部が成立するにあたり、リッチェルは中将昇進後に司令部の事務全般を統括する総書記という重責を任される事となった。

 

 駐留軍司令官となったシュタインメッツにとって、高水準の軍政手腕と同盟領内についての広範な見識を兼備したリッチェルは貴重な存在であった。同盟首都星ハイネセンにおける変事発生後、シュタインメッツが武力に依存せず的確な判断を下せたのは、総書記の精確な知識に依る所が大だったのである。

 

 同盟滅亡後、イゼルローン要塞を再奪取したヤン・ウェンリー一党の討伐が決定され、シュタインメッツもイゼルローン回廊遠征への従軍を命じられた。

 

 ヤン討伐に際し、帝国の支配下に置かれたハイネセンはアルフレット・グリルパルツァー大将が警備を委ねられ、もう一つの旧同盟領の要衝にしてシュタインメッツが不在となるガンダルヴァの警備は、ブルーノ・フォン・クナップシュタイン大将がその任にあたる事となる。いずれも重要な任務には違いないが、当人たちにとってはいささかならず不本意な人事であった。

 

 故ヘルムート・レンネンカンプ上級大将の旧部下である両名は、先のマル・アデッタ会戦では先鋒を任されながらも同盟軍のアレクサンドル・ビュコック元帥に翻弄されただけに終わっている。ゆえに両者とも失地回復と旧上官の(かたき)であるヤンへの復讐を果たすべく、イゼルローン遠征への従軍を切望していたのだが、ラインハルトはそれを認めなかった。かつてのレンネンカンプやトゥルナイゼンに通じる危うさを懸念され、任務に励みつつ後方にて全体を見渡す経験を積むように主君から厳命された二人は、謹んで命令を受けざるを得なかったのである。

 

 そしてリッチェルはガンダルヴァに帰還し、クナップシュタインの補佐や惑星ウルヴァシーの基地整備、そして遠征軍への後方支援などに従事する事を命じられた。その結果として、彼はシュタインメッツとともに戦死する事をを免れたのである。だが、ナイセバッハと同じくリッチェルもその事を喜ぶ境地にはまったく至れず、自分の能力を活用してくれた上官や同僚たちの死を悼んだのであった。

 

 オスカー・フォン・ロイエンタール元帥の「新領土」(ノイエ・ラント)総督就任後、リッチェルはその麾下に組み入れられる事となる。新たにウルヴァシー基地司令官に任じられたヴィンクラー中将と入れ替わる形で、リッチェルはクナップシュタインと共にハイネセンへの赴任を命じられた。

 

 総督の軍事面の補佐役たる査閲総監は、ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン大将がその座に着く事となる。彼は前線と後方の双方において有能な軍人であったが、総督ともども旧同盟領内の事情にはさして通じてはいなかった。ゆえに、その部分を補うべくリッチェルが査閲副総監に任じられたのだった。

 

 ロイエンタールの叛乱事件に際し、リッチェルはベルゲングリューンと同様に強く上官へ翻意を促した。だがロイエンタールの決意が揺るがぬ事を悟ると、その意志に従ったのである。

 

 総督府に属して日が浅いリッチェルがあえてロイエンタールに加担したのは、グリルパルツァーのように自己の利益を追求した結果ではなかった。

 

 かつて旧上官のシュタインメッツの大本営幕僚総監就任に、当時の統帥本部総長であったロイエンタールが積極的に賛意を示してくれた事に対し、リッチェルは感謝の念を抱いていた。それに加えてロイエンタールの卓越した度量と才幹に身近に接した事により、短い期間で総督への強い敬意をリッチェルは心の裡に育んでもいたのである。旧同盟領の民衆を生贄や盾とするような作戦を採るつもりはない、とのロイエンタールの明言を聞いて、リッチェルはロイエンタールに最後まで従う事を決めたのであった。

 

 ロイエンタール軍の出撃に際し、リッチェルはハイネセンに残留する事となった。留守中の軍政の統轄を命じられた彼は忠実に命令に従い、友軍の後方支援とハイネセンの治安維持に腐心した。結果としてロイエンタールが敗退後に帰着するまでハイネセンを含む後方で大規模な混乱が起こる事はなく、重傷を負っていた総司令官は出迎えたリッチェルの働きを心からねぎらったものである。

 

 帰還した上官の血色を失った相貌に息を呑んだリッチェルは、軍病院への直行を勧めた。しかしロイエンタールはそれを忠言と認めつつも容れる事はなく、乗り込んだ地上車(ランド・カー)を総督府に向かわせた。そして「金銀妖瞳」(ヘテロクロミア)の名将は執務室にて推し開かれた天上(ヴァルハラ)の門扉を泰然としてくぐり、現世から去ったのであった……。

 

 叛乱の終熄後、自ら生命を絶ったベルゲングリューンと、皇帝から死を賜ったグリルパルツァーを例外として、生き残ったロイエンタールの幕僚たちは予備役編入を命じられる。叛逆に加担した高級士官への処置としては寛容に過ぎるものではあったが、これはウォルフガング・ミッターマイヤー元帥らの寛恕の嘆願と、元よりロイエンタールに最後まで従った将兵に含む所を持たなかったラインハルトの判断の結果であった。

 

 ラインハルトの崩御後、新帝即位に伴う恩赦により現役復帰を認められたリッチェルは、フェザーンにてグレーチェンと対話する機会を作った。予備役の時点では監視の目が存在し、旧上官の想い人に迷惑をかける事を慮って自重していたのである。

 

 リッチェルは誠実な悔やみとシュタインメッツへの感謝の言葉を述べた後、新たな人事によりガンダルヴァに再赴任し、新領土総軍司令官アウグスト・ザムエル・ワーレン元帥の下にて司令部総書記の役職を再び拝命した事をグレーチェンに告げた。

 

「新領土の安定と発展を、駐留なさっていたシュタインメッツ元帥は望まれていました。はばかりながら小官も閣下のご遺志を継ぎ、微力を尽くす所存です」

 

 そう言い残してリッチェルは辞去し、かつての赴任先へと旅立ったのであった。

 

 

 シュタインメッツの旧部下たちは、グレーチェンがフェザーンで独立する事を知るや、それを応援すべく軍の内外で開店の情報を広め始めた。元より師匠である「ポンメルン」の料理長(シェフ)が常連客などを通じて話を広めていたのだが、それに拍車がかけられ、一時期はグレーチェンも殺到する問い合わせへの対応に追われたものである。

 

「まあ、おかげさまで、開店後の予約はしばらく一杯でね。ありがたいけど、これはロベルトの遺徳や『ポンメルン』の名声に底上げされているだけさ。これからも技倆(うで)を磨いて、応援してくれている人たちや天上のロベルトに呆れられないよう努力しないとね」 

 

 それを聞いた白金色の頭髪の少年はやや間を置いて、気になっていた事を口にした。

 

「やはり、この店の名前は……」

 

「ああ、あいつの棺桶になった(ふね)からもらったのさ」 

 

 

 HUONKER(フォンケル)。これが、グレーチェンが選んだ店の名であった。

 

 

 戦艦フォンケルの名は、ゴールデンバウム王朝史上有数の名将と評されている、ラウレンツ・フォン・フォンケル帝国元帥から採られたものである。

 

 旧帝国暦三九八年に伯爵家の次男として生を享けた彼は、他の上級貴族に較べて選民意識は薄く、下級貴族や平民に対しても公平かつ寛容であった事で知られている。「身分の低い者たちに甘すぎる」と周囲から言われながらもその態度を崩す事はなく、兵士たちからは「楽人提督」「我らがフォルケル」と親しまれ、敬意を払われていた。

 

 フォンケルは芸術を愛好していた母親の影響で、幼少期から音楽や演劇に関心を示していた。彼が平民に強い偏見や隔意を抱かなかったのは、実家がパトロンとなっていた平民出身の芸術家たちと早くから交流を持っていたのが要因だと言われている。

 

 だが、彼はのちの「芸術家提督」ことエルネスト・メックリンガーとは異なり芸術的表現力にはとんと恵まれず、周囲からの評価も芳しくなかったため、その方面への道をやむなく断念した経歴を持つ。軍人としての道を歩んだ後、それでもバイオリンの演奏を一番の趣味としており、彼に非好意的な者は「へたの横好き」「へぼ楽士」と陰口を叩き、好意的な者もそれを否定できなかったものである。

 

 そして「フォルケル」とは古い叙事詩において、信義と礼節を備えた勇者にしてフィーデルという弦楽器の名手と描かれている騎士の名である。演奏の技巧はさておき、その趣味と軍人としての有能ぶり、また民衆(VOLK)を労わる姿勢から、「HUONKER」という家名にも引っ掛けて、「VOLKER(フォルケル)」という渾名を奉られる事となったのであった。

 

 

 なお、帝国公用語においては母音の後に付く「R」の発音は必ずしも一定していない。綴りが同一であっても、「VOLKER(フォルケル)」のようにRの発音を古めかしく響かせる場合と、ミッターマイヤー麾下の勇将ビューロー提督の名である「VOLKER(フォルカー)」のようにRを母音として発音する場合が混在しているのである。他の比較例としては、

 

OBERSTEIN(オーベルシュタイン)」と「OBERHAUSEN(オーバーハウゼン)

 

SINGHUBER(ジングフーベル)」と「HUBER(フーバー)」「KAMMHUBER(カムフーバー)

 

 などが挙げられるであろう。

 

 こういった同形異音語が多々生じているのは、帝国公用語の基となり、「英語」を基本とした銀河連邦の公用語の影響を受けていた当時の「標準ドイツ語」の発音と、銀河帝国の創始者ルドルフ大帝が愛好し、普及を促した古典的なオペラや歌曲などで用いられていた「舞台ドイツ語」の差異によるものであり、両者が長い年月をかけて入り混じった結果によるものだと言われている……。

 

 

 旧帝国暦四三六年、宇宙暦七四五年の「第二次ティアマト会戦」で同盟軍は大勝と引きかえに不世出の用兵家ブルース・アッシュビーと猛将ヴィットリオ・ディ・ベルティーニを(うしな)ったが、それでも彼らと同期の名将集団である「七三〇年マフィア」の内、五名はいまだ健在であった。

 

 第二次ティアマト会戦に不参加であったフォンケル提督は、それまで平民への寛容ぶりから軍首脳からは敬遠されがちな存在であった。だが、帝国軍は先の会戦の「軍務省にとって涙すべき四〇分間」において高級士官を多数失い人材不足に陥っていたため、上層部も有能な彼を重用せざるを得なくなった。かくしてフォンケルは凄惨きわまりない損害をこうむった宇宙艦隊の再建に取り組みつつ、七三〇年マフィア率いる同盟軍との戦いに、帝国軍の名誉と勢威の回復を期して臨む事となるのである。

 

 粘り強い防御戦を得意とするフォンケルは最前線に出て「男爵(バロン)」ウォリス・ウォーリックや「行進曲(マーチ)」フレデリック・ジャスパーといった名将たちと干戈を交えて勝敗を重ね、用兵家としての実績と経験を高めていく。

 

 その中でも最大の武勲と言えるのは、旧帝国暦四四二年の「パランティア会戦」での勝利であろう。大将であったフォンケルは七三〇年マフィアの一角であった宇宙艦隊副司令長官ジョン・ドリンカー・コープ大将を戦死に追いやり、兵数にして三〇万人もの損害を与えて敵艦隊を潰走せしめたのである。

 

 この時のコープの指揮統率が「第二次ティアマト会戦時とは異なり、酔っ払い集団(ドリンカーズ)と化した彼らに酔い覚ましの水を浴びせる味方は存在しなかった」と後世で揶揄されるほどに精彩を欠いていたのは事実だが、それでもその隙を的確に把握して完勝をおさめたのは非凡な手腕と言うべきであった。

 

 惜しむらくは、帰還の途上にジャスパー大将率いる同盟軍増援の強襲を許して少なからぬ損害を出してしまった事である。

 

 総司令官であったフォンケルは勝利後も油断しないように全軍に伝達していたが、ジャスパーの艦隊運動の迅速ぶりと巧妙さは、帝国軍後衛の不意をしたたかに突いた。後衛を指揮していたカイト中将は、第二次ティアマト会戦では重傷を負い指揮不能に追い込まれ、麾下の艦隊も最大級の損害を被るという屈辱を味わっていた。そのため、今回の会戦で奮戦し少なからず名誉回復を成し遂げて浮かれ気味だった彼は、総司令官の注意を聞き流してしまったのである。

 

 帝国軍はフォンケルの叱咤の下、ごく短時間で秩序を回復して反撃を試みた。だが、「コープに浴びせそこねた冷や水を、敵の背中に叩きつけた」(ウォリス・ウォーリック談)ジャスパーは相手が態勢を立て直したのを見るや即座に離脱を指示し、フォンケルに追撃の余地を見い出させぬまま撤退を果たしたのである。

 

 最後に瑕瑾が生じはしたものの、帝国軍にとって悪名高き七三〇年マフィアの一人を斃して勝利した功績は巨大であった。これによりフォンケルは上級大将に昇進し、高い声望と宇宙艦隊副司令長官の地位を得るのである。

 

 第二次ティアマト会戦から六年が経った時点でも、帝国軍の人的資源は質量ともに深刻な欠乏状態にあった。それでもなお、大貴族出身者が多数を占める軍上層部は下級貴族や平民出身の軍人の抜擢に消極的だったのである。権限と発言力を著しく高めたフォンケルは、同僚のシュタイエルマルク提督らとともに関係各所の説得に奔走し、下級貴族及び平民出身の軍人の大規模な引き立てを実現させたのであった。

 

 

 なお、この年の一〇月二九日、フォンケルらによる行動の最初の成果である大規模な士官の人事異動が、軍務省にて発表された。そしてその直後、同盟側のスパイ網運営容疑者とひそかに目されていた軍務省参事官ミヒャールゼン中将の暗殺事件が発生するのである。公式記録において生前の彼と最後に面会したのは、シュタイエルマルク大将であった……。

 

 

 かくして帝国軍は一〇年もの年月をかけ、戦力の再建に一段落をつける事に成功する。それに多大な貢献を果たしたフォンケルは軍政家としての手腕も高く評価された。彼は旧帝国暦四五二年に元帥号を与えられ、同時に宇宙艦隊司令長官に就任する。

 

 リヒャルト皇太子とクレメンツ大公の派閥による宮廷抗争と二人の横死、皇帝オトフリート五世の崩御、それにともなうフリードリヒ四世の登極といった政治的な動静とフォンケルは出来る限り距離を置き、純粋に武人としての職責を全うする事に努めた。

 

 そして彼は司令長官に在任中のまま、フリードリヒ四世の即位から二年後の旧帝国暦四五八年に六〇歳で退役する事となるのである。これは宇宙暦で七六七年にあたり、ヤン・ウェンリーやロイエンタール、ビッテンフェルト、ワーレンといった後年の名将たちが誕生し、イゼルローン回廊にて帝国の巨大要塞が完成した年でもあった。

 

 その要塞の建設費用は当初の想定を凌駕する額となり、その桁数は財政関係者の顔色を多彩に変化させるに充分な代物であったと伝えられる。要塞建設の総責任者であったセバスティアン・フォン・リューデリッツ伯爵は、計画を通すため故意に低く算出した建設予算を提示したと告発されて自裁を命じられた。

 

 そして建設に積極的に賛同したフォンケルや、軍務省次官となっていたシュタイエルマルク上級大将らも勇退に追い込まれたのである。一説にはフリードリヒ四世の周囲の大貴族たちが、軍の重鎮でありながら皇位継承に際し中立を保ち、かつ平民や下級貴族から信望を集めている彼らに隔意と疑念を抱いて、イゼルローンの一件を利用し排斥に踏み切ったのだと言われている。

 

 ラウレンツ・フォン・フォンケルとハウザー・フォン・シュタイエルマルクは軍幼年学校および士官学校時代の同期である。公人としては互いの力量と見識を認め合い、協調すべき部分では協調を怠らなかった。

 

 一方で、人並みに社交的なフォンケルに対し、シュタイエルマルクは気難しい為人(ひととなり)で孤高を保つ傾向が強く、私人としては反りが合わず交流は皆無であった。シュタイエルマルクが先んじて静かに死を迎えた後、軍部葬に出席した老いたフォンケルは「有能で沈着な軍人だった」と、故人の印象を短く語っただけであったと伝えられる。

 

 フォンケル自身も、へたなバイオリンの演奏でしばしば周囲を辟易させつつ穏やかな晩年を送り、旧帝国暦四八二年に病死した。元帥号を得ていた彼は国葬で弔われ、若き日にその背中を仰ぎ見ながら軍人としての道を歩んだグレゴール・フォン・ミュッケンベルガーやウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツといった後進たちに見送られつつ埋葬されたのであった。

 

 そしてこの年、一五歳のラインハルト・フォン・ミューゼルが幼年学校を卒業し、初陣を果たしている。

 

 後にローエングラムの家名を継承する彼が銀河帝国を簒奪し、宇宙を統一しえた要因の一つに、その下に集結した下級貴族や平民出身の将帥たちの存在が挙げられるであろう。

 

 彼らはその出自と能力によって、同じ身分である圧倒的多数の将兵から絶大な信頼と支持を集めていたのは周知の通りである。ラインハルトの独裁権力確立の基盤となったアムリッツァ会戦やリップシュタット戦役、そして「神々の黄昏」作戦などの勝利は、戦争の天才たるラインハルトの手足として彼らが十全に活躍したからこそであった。

 

 もしフォンケルが主導した軍部の人員増強案が断行されていなければ、ラインハルトの時代になっても下級貴族や平民出身の高級士官の絶対数や影響力は限定的なままであり、軍部内の「ローエングラム閥」も成立しえなかったであろう。

 

 それゆえ、フォンケルは「自由惑星同盟、フェザーン自治領、そしてゴールデンバウム王朝滅亡の陰の立役者」「ローエングラム王朝の成立と人類社会統一の大功労者」などと、ラインハルトに敗れて没落した者たちからは怨嗟の、そして後世の歴史家からは皮肉を交えた評価の対象となるのである。

 

 もっとも、ゴールデンバウム王朝のみに限って言うなら、仮に人員増強が為されないままであれば、人的資源が質量ともに不足し軍組織の維持や運営に著しい支障をきたした事は確実である。そうなれば有力貴族の相次ぐ叛乱や同盟軍の攻勢などに対処しえないまま、異なる形でゴールデンバウム王朝は崩壊していたかもしれない。「Aという衰亡の道を塞げば、Bという滅亡の門が開くというだけの事である」とは、かのヤン・ウェンリーが遺した言葉である……。

 

 

「フォンケル元帥は今でも平民や下級貴族に人気があるからね。店の命名には料理長も賛成してくれたよ。ロベルトも尊敬していたから、旗艦をもらった時は喜んでいたものさ。俺は元帥とは違って芸術には人並み以上の興味はないんだがな、と苦笑交じりでもあったけどね」

 

 そのシュタインメッツに対し「志向はともかく、芸術の才能は似たり寄ったりじゃないか」とからかったグレーチェンは、続けてこうも言ったものである。

 

「フォンケル元帥の功績や、戦死せずに老後を迎えた悪運にあやかりたいものだね」

 

 その彼女の言葉は、前半のみが実現する事となった。シュタインメッツはローエングラム王朝の功臣として、軍人としてフォンケルに勝るとも劣らぬ令名を獲得する。そして彼は壮年の年齢で、フォンケルの名を冠した旗艦と共に天上へと旅立っていった。

 

 叙事詩において、楽人騎士フォルケルは戦友との友誼に殉じて闘死したと描かれている。そしてシュタインメッツもまた、主君への忠義に殉じて戦場に斃れたのである。それを思うと、ユリウスもグスタフも改めてシュタインメッツへ敬意と哀惜の念を抱かざるを得ないのであった。

 

 

「ところでさ、あんたたちはどんな風に知り合ったんだい? なかなかに気難しいグスタフが、親友と認めるなんてねえ」

 

 これは湿っぽくなった雰囲気を変えようとした、グレーチェンの何気ない言葉であった。

 

 だが、グスタフはばつ(・・)の悪そうな、ユリウスは少し困ったような表情をそれぞれ浮かべる。

 

「……ひょっとしたら、何かまずいこと訊いたかい?」

 

「……いえ」 

 

 やや間をおいて、グスタフは首を横に振ったのち、ユリウスに向かって軽くうなずいた。

 

「いいのか、グスタフ?」

 

「いいさ。立ち入った話を聞いておきながら、こちらは何も話さないというのもな」

 

 そうか、とユリウスは言った後、自分とグスタフが最初に出会った時の事を語り始めたのだった。




 戦艦フォンケルの名の由来について少し検索したところ、

「ドイツの音楽家フォルケル(JOHANN NIKOLAUS FORKEL)」

 もしくは、

「叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の登場人物フォルケル(VOLKER VON ALZEY)」

 のRやLの発音が無声音化して「フォンケル」と表記されたもの、という説を見つけました。

 この二次小説における「フォンケル」の由来はそれらの説の一部と、ドイツ語圏に実在する「HUONKER」(フォンカー)という姓を絡めて作った独自設定です。

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