獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第二節

 国葬の日。

 

 帝国領の各所において、基本的に国旗や軍旗は半旗として、旗竿が短く半旗にできない旗はその上に黒く細長い弔旗を付けて掲げられている。かつてゴールデンバウム王朝期においては、皇帝崩御に際してそれらとは別に漆黒の幟が弔旗として、惑星の地表を埋め尽くさんばかりに林立したものだが、生前のラインハルトはそれを無用として廃止していたのである。

 

 ラインハルト終焉の地となったヴェルゼーデ仮皇宮は、かつてのゴールデンバウム王朝時代におけるフェザーン帝国高等弁務官事務所邸であり、豊かな緑に囲まれた広大な敷地内に建つ白亜の壮麗な館である。とはいえ、旧帝都オーディンにおける前王朝の皇帝の居城であった『新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)』に比べれば一〇〇〇分の一にも満たない規模でしかない。その仮皇宮で今から営まれようとしている葬礼もまた、当時の評判でも後世の視点から見ても、宇宙を手に入れた人物を弔うにしては簡素に過ぎると評されるものであった。

 

 

 仮皇宮の庭の一隅には、葬儀に参加すべく学校から到着したばかりの軍関連学校代表の生徒たちが礼服に身を包み、左胸に喪章をつけてたたずんでいる。ユリウスとグスタフもその中に粛然とした様子で立っていたのだが、にわかに学生たちの間にざわめきが生じた。軍人の集まりの中から、同じく喪章をつけ、高級士官の礼服を着た一人の人物がユリウスとグスタフの前に歩み寄ってきたのである。その人物の姿を確認して冷静なユリウスも息を呑み、親友に比していささか敬礼が遅れてしまった。

 

 

 ナイトハルト・ミュラー上級大将。

 

 

 確か今年で三一歳のはずだが、若さに似ず落ち着いた印象のある風貌である。その顔にある翳りが、主君の死に対する哀惜の深甚なるを無言のうちに物語っていた。

 

 彼は軍最高幹部の中では最年少ながら上級大将の首座という立場にあり、軍神たる皇帝(カイザー)ラインハルト亡き今、帝国のみならず全人類社会においてミッターマイヤー元帥に次ぐ令名を誇る軍人なのである。そのような人物に何の前触れもなく初めて対面する状況になったのでは、まだ幼いと言えるユリウスの常の沈着さに刃こぼれが生じるのも無理からぬ事であった。

 

 二年前のフェザーン及び同盟への侵攻作戦『神々の黄昏(ラグナロック)』における最終決戦となったバーミリオン星域会戦において、同盟軍のヤン・ウェンリー元帥の魔術的な戦術の前に劣勢を強いられたラインハルト・フォン・ローエングラムを救ったのが、途中から来援したミュラー艦隊であった。

 

 ミュラーは乗艦を三度にわたって沈められながらも、そのつど艦を乗りかえて戦闘指揮を執り続けた。同盟軍の勇将ライオネル・モートン中将を戦死せしめたほどの攻勢における果敢さもさる事ながら、守勢における粘り強さに戦術家としての真価を発揮し、停戦にいたるまで主君を守るべく戦い抜いたのである。その献身的な勇戦は敵手たるヤンをしてよく判断し、よく戦い、よく主君を救う「良将」と賞賛せしめ、『鉄壁ミュラー(ミュラー・デア・エイゼルン・ウォンド)』の異名の由来となったのであった。

 

 

「お久しぶりです。ミュラー提督」

 

 グスタフのその声と表情には、相手に対する確かな憧憬と畏敬が感じられた。

 

 砂色の頭髪と同じ色の瞳が、穏やかにグスタフを見つめている。一見して均整の取れた長身に見えたが、左肩がやや不自然に下がっている事にユリウスは気づいた。

 

「ああ。しばらく会わないうちに大きくなったね、グスタフ。お母上とカールは元気かな」

 

「はい、二人とも相変わらずです」

 

 カールことカール・フランツ・ケンプはグスタフの三歳年下の弟であり、この年八歳の誕生日を迎えている。再来年には兄の後を追って幼年学校に入学する予定であった。

 

 短いやりとりの後、グスタフは傍らの友人をミュラーに紹介した。紹介されたユリウスは緊張をできる限り抑え込み、名を名のる。

 

 全人類社会で二番目に偉大な提督は、砂色の双眸をまたたかせてユリウスを見つめ、少し首をかしげるような動作をした。

 

「……君とは、以前どこかで会った事があるかな?」

 

「いえ、こうして面と向かってお会いするのは初めてです」

 

 事実、ユリウスは軍最高幹部とは誰一人とも面識はなく、出兵式などの儀典でその姿を見た事があるだけである。

 

 ミュラーは一度幼年学校に講演のために訪れた事がある。戦場において部下たちを叱咤激励するのには慣れているミュラーも、勝手の違う講演というものは苦手であり、かつての『帝国軍の双璧』と同様に早々にそれを切り上げ、校庭の木陰で生徒たちと歓談に興じた。多くの生徒たちはこの偉大な提督からの握手や激励を求めてその周囲に集まったものだったが、この時教師から所用を申し付けられていたユリウスはこの青年提督と会う機会を逃していたのである。

 

「そうか。すまない、変な事を聞いてしまったな。これからもグスタフと仲良くしてやってほしい」

 

「はい、もちろんです」 

 

 ユリウスは声がうわずらないように気を付けつつ答えた。

 

 その時、ミュラーの副官であるドレウェンツ中佐が上官の傍らまでやってきて何事かをささやきかけ、ミュラーはうなずいた。

 

「グスタフ。いずれ時間があればまたゆっくりと話をしよう」

 

「はい!」 

 

 グスタフの返事に微笑しつつ敬礼を一つ残し、ミュラーは踵を返して副官と共に歩き去っていった。その背中を見送り終わり、敬礼の手を下ろしたユリウスはグスタフに緊張の余韻を隠し切れない口調で問いかける。

 

「ミュラー提督と知り合いだったのか、グスタフ」

 

「ああ、まあな」

 

 いつもは朗々としているはずのグスタフの言葉に、歯切れの悪さをユリウスは感じた。友人の疑問を感じ取り、グスタフは場所を変えて話したいと言った。

 

 いまだ周囲からの羨望の視線にさらされつつ、グスタフに促されてユリウスは少し離れた木陰に移動する。

 

 

「三年前の戦いで、ミュラー提督が父さんの副将だったのは知っているだろう?」

 

 無論、ユリウスは知っている。第八次イゼルローン要塞攻略戦において、ミュラーは副司令官として遠征軍総司令官であったケンプを補佐する立場にあった。

 

 そして激戦の末にケンプは爆発四散した移動要塞と運命を共にし、ミュラーは重傷を負いつつも二〇分の一以下まで撃ち減らされた敗軍をまとめて帰還した後、長期療養を余儀なくされたのである。

 

 ケンプの帝国軍葬に際して、ミュラーは医師の制止を押し切って部下に支えられながら葬儀に参列し、葬儀に先立って主将たるケンプを救いえなかった事を遺族に謝罪した。

 

 ケンプ夫人はその謝罪を受け入れ、兄よりさらに幼い弟カールは状況を飲み込めず、母親の喪服の裾にしがみついてミュラーを見つめるのみであったが、グスタフは拒絶した。幼い彼は敬愛する父を失った反動から、ミュラーを「父を見殺しにして生き延びた無能者」と断じ、父親譲りの気性を発揮して激しく非難したのである。夫人は際限なく罵倒の言葉をつむごうとする長男の頬に平手を打って黙らせ、息子の無礼を詫びたが、ミュラーは一言も弁明せずただ頭を下げるのみであった。

 

 その後退院し復帰したミュラーは折を見てケンプ家を何度か訪問した。当初は彼に反発していたグスタフだったが、ミュラーの誠実で穏健な為人(ひととなり)に触れ、復帰後の彼の戦場での活躍を聞き知り、反発心はいつの間にか消えて強い尊敬の念を抱くようになっていたのである。

 

 そして何度目であったか、ケンプ家を再訪したミュラーに対し、グスタフはこれまでの非礼を深く謝罪し、ミュラーもそれを穏やかに受け入れたのであった。

 

 

 ユリウスは得心した。知り合った経緯がそれでは、知人かと聞かれてばつ(・・)が悪いのも無理はない。

 

「提督の左肩には気づいていたか?」

 

 グスタフの問いにユリウスはうなずく。

 

「ああ、こころもち不自然に下がっているように見えたが……」

 

 あれは第八次イゼルローン攻略戦で負った戦傷であった。ガイエスブルク移動要塞の爆発の余波に旗艦が巻き込まれ、ミュラーは艦内の壁に叩きつけられて全治三ヶ月の重傷を負ったのである。現在の医療技術であれば元通りに整復する事も可能だったのだが、ミュラーは主将や多くの将兵たちを死なせた敗戦を忘れないために、自身への戒めとしてあえて完治させずに残す事を望んだのだという。

 

「そういった事情を知ったのはしばらく後の事だった。父さんが死んだ戦いで傷付いていたのは、自分たち家族だけじゃない。そんな事にも気付かずにミュラー提督を口汚く責めた自分自身が情けなかった」

 

 グスタフはうつむいたが、まだ一〇歳に満たない子供が、敬愛していた父の死に冷静でいられなかったのは無理のないことであったろう。にもかかわらず自らの不明を悔い、謝罪もしたのだからグスタフの器も捨てたものではない、とユリウスは思う。

 

 それに、グスタフの非難もまったくの的外れという訳でもない。ミュラーにも副司令官として敗戦の責任があったのは確かであり、だからこそグスタフの罵声を甘受したのだろう。そのミュラーの己に厳しい高潔な姿勢に触れて、グスタフもまた感化され成長したのではないだろうか。ユリウスは親友のたくましい肩を軽く叩いた。

 

 その時、彼らの頭上から何の前触れもなく強い風の流れが生じた。それは庭の緑豊かな木々の間を駆け巡り、長鳴りする木ずれの音を奏でたのである。

 

 人々が驚いて頭上を見上げると、仮皇宮のはるか上空に陽光を受けて輝く二隻の艦艇が滞空していたのが見えた。

 

 一隻は白銀、一隻は深紅とそれぞれ鮮やかに彩られた、共に機能美を究めたかのような流線型の戦艦である。

 

「ブリュンヒルトに、バルバロッサ……」

 

 誰ともなくつぶやかれた言葉が、天空を飛翔する二つの存在の固有名詞を示していた。

 

 皇帝ラインハルトの座乗艦にしてローエングラム王朝軍の総旗艦たるブリュンヒルト。

 

 そして故キルヒアイス元帥の座乗艦たる戦艦バルバロッサ。

 

 主と共に勇名を馳せた二隻が、主と主の盟友を見送るために天空を翔けてきたのだと、人々は理解した。

 

 

 ジークフリード・キルヒアイス元帥。

 

 

 名工の鍛えたサーベルのような強靭さを感じさせる一九〇センチに達する長身と、炎とも紅玉(ルビー)とも形容される輝くような癖のある赤毛の美男子であり、幼少期からのラインハルトの盟友にして半身。ゴールデンバウム王朝打倒の志をラインハルトと共有し、比類なき忠誠と才識、そして謙虚で温和な為人をもってラインハルトのともすれば激しく鋭すぎる一面を抑え、補佐役および副将としてその覇業を支えた不敗の驍将であった。

 

 四年前の旧帝国暦四八八年九月、帝国を二分する内乱となった『リップシュタット戦役』において、帝国元帥にして帝国軍最高司令官であったラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵は門閥貴族連合軍を打ち破り、貴族連合盟主ブラウンシュヴァイク公爵を自決せしめて勝利者となった。

 

 当時上級大将にして宇宙艦隊副司令長官だったキルヒアイスもまた、別働隊を率いてラインハルトの本隊の後方を磐石なものとすべく辺境星域に向かい、大小数十度に及ぶ戦闘にことごとく完勝し、キフォイザー星域会戦では敵の副盟主リッテンハイム侯爵率いる五万隻の大軍を大破した。そして全辺境星域を平らげて本隊と合流し、最終決戦の終盤において麾下の高速巡航艦隊の圧倒的な破壊力と速度で敵軍の戦線崩壊の契機を作り上げて勝利を確定させ、「巨大すぎる」と味方の一部から警戒すらされるほどの武勲を打ち立てたのであった。

 

 その直後、戦勝式における捕虜の引見時にラインハルトが刺客に襲撃された際、キルヒアイスは自らの身を盾として凶弾を浴び、盟友に看取られながら二一歳の生涯を閉じたのである。

 

 その先日までキルヒアイスだけが式典時の武器の携行を許されていたのだが、それを不公正な特権であるとした謀臣オーベルシュタインの献言を、この時期キルヒアイスとの関係に未曾有の亀裂が生じていたラインハルトが是としたがゆえの惨劇であった。その早すぎる死は彼を知る多くの人間から惜しまれ、事あるごとに「キルヒアイスが生きていれば」とローエングラム王朝の重臣たちを嘆息せしめたのである。

 

 短い期間ではあったが、共に死線を潜り抜けてきた栄光ある騎手を失った戦艦バルバロッサは、戦役終了後にラインハルトの予備旗艦という名目上の扱いで旧帝都オーディンの宇宙港に繋留され、フェザーン遷都後に新帝都の宇宙港に移された。自身の誤断と狭量ゆえに半身を失った自責の念と喪失感から終生逃れられなかったラインハルトは、時折この深紅の戦艦を視察に訪れ故人をしのんだと伝えられる。

 

 若い覇者はキルヒアイス以外の人間がバルバロッサを旗艦とする事を決して許さなかった。ローエングラム王朝成立後、バーミリオン会戦において旗艦リューベックを失ったナイトハルト・ミュラーにバルバロッサを新しい旗艦として与えてはどうかという意見があったが、ラインハルトはそれを容れず、代わりに新王朝における最初の新造戦艦パーツィバルを与えるという名誉をもってミュラーに報いたのである。

 

 屈指の功臣ミュラーですら許されなかった以上、総旗艦ブリュンヒルトに万一のことがない限りはバルバロッサが再び戦場に出る可能性はなく、その雄姿を見る事はもはや叶わぬと人々は思っていたのだが、皇妃(カイザーリン)ヒルデガルドの指示により、この場への二艦の来訪が実現したのであった。

 

 ユリウスもまた、今よりも更に幼いころ、宇宙港から数多の軍艦が天空の彼方へと飛翔するのを目の当たりにした時の興奮と感歎を思い出していた。旗艦級の戦艦の全長はおよそ二五〇メートル前後──六〇階の高層ビルに匹敵──であるが、あの時初めて間近で見た戦艦は実際の大きさよりも遥かに巨大に感じられたものである。

 

 古い伝説の比翼の鳥のごとく寄り添って飛翔する伝説的な二隻の戦艦を仰ぎ見た軍人や生徒たちは、誰に言われるともなく一斉に艦影に対し敬礼を施した。彼らには、その二隻に天上(ヴァルハラ)へと翔けていく黄金と深紅の頭髪の二人の若者の姿が重なって見えたであろうか。

 

 特にビューロー、ジンツァー、アルトリンゲン、ブラウヒッチ、ザウケンといった将官を始めとしたキルヒアイスの旧部下たちは、皇帝のみならず真の名将であったかつての上官との記憶をも思い起こし、瞼の熱さに耐えかねているようであった。

 

 中でも先日まで惑星ハイネセンの警備責任者の任にあり、治安回復に目処がついた後は後事をマイフォーハー中将に委ねてフェザーンに帰着していたフォルカー・アクセル・フォン・ビューロー大将などは、堪えきれなかったのか片手を顔に当てて低く嗚咽を漏らした。同僚や部下たちは慰めの声をかけようとしたが、

 

「ベルゲングリューン……」

 

 というビューローの悲痛な独語を聞いて、彼がかつてキルヒアイス麾下で勇名を競い合い、昨年自ら命を絶った戦友の事までも想起した事を知り、周囲の者たちは沈黙せざるを得なかったのであった。




 









 旗艦級の戦艦の全長については、

・原作の黎明篇第五章でオーベルシュタインが艦隊司令官ゼークト大将を見限って旗艦から退艦する際に、「六〇階建のビルに匹敵する巨艦のなかを艦底へとおりてゆく」という描写がある。

・原作第一巻初刷の四年前の1978年に開業した東京・池袋の六〇階建ビル「サンシャイン60」の最頂部までの高さが239・7メートル(ウィキペディア参照)である。

 という二点を参考にしています。

※追記

 アニメ版の設定において、旗艦級の戦艦の全長が1000メートル前後であるのは承知していますが、この小説は基本的には原作をベースとしており、原作とアニメ、コミック版などの各設定に矛盾や齟齬がある場合は原作の記述を優先しています。
 
 作者個人としては「六〇階建のビルに匹敵する巨艦のなか」という原作の記述は戦艦の全高ではなく全長と解釈するのが自然であると考えておりますので、なにとぞご了承ください。

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