獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第二十三節

 フェザーン到着後、亡命を認められたレオポルド・シューマッハ元帝国軍大佐とその一行は、まず乗ってきたフレーゲル男爵の旗艦を売却すべく闇市場(ブラック・マーケット)に渡りをつけた。シューマッハ自身は現役軍人時代に不正に手を染めた事はないが、軍内外の不正の摘発に関わった経験はある。そのため、非合法組織という存在に対し無知ではなかったのであった。

 

 搭載していた兵器類は非武装宙域であるフェザーン回廊に入る直前に爆破処理などで廃棄している上、法的にはシューマッハらの財産ではなかった戦艦である。足元を見られて買い叩かれるのはやむを得なかったが、それでも売却額は今後の資金としては充分なものとなった。

 

 部下たちはシューマッハに全資金の運用を委ね、生命の恩人たちからの信頼に応えるべく元大佐は思案を重ねた。その末に彼は、商都フェザーンにおいては競合相手が比較的少ない堅実な農場経営を生活基盤とする事としたのである。

 

 元より人類が居住可能な環境を有していた惑星フェザーンは、砂漠や荒野を原風景とする乾燥性の天体である。他星系の惑星などから天文学的な量の水資源が輸送され、同時に大規模な緑化事業が一世紀近くにわたり進められてきた。その膨大な資金と労力を費やした惑星改造(テラフォーミング)は一定の成果を挙げ、一〇〇年前からは想像もできない地味豊かな大地が惑星上の各所に誕生していたのである。

 

 そしてその一部にして、首都圏から北方に九〇〇キロほど離れたアッシニボイヤ渓谷をシューマッハは新天地に選んだ。

 

 活用されず放置されていた土地を購入し、水利権を確保し、住居や農機具、農作物の種子や苗木、肥料や農薬などの用意も調えるなど、シューマッハらは慌ただしくも平穏な日々を過ごしたのであった。

 

 その途上で、故国にて成立した新体制において貴族連合軍の有能な降将たちが重用されていると仄聞したシューマッハは、安堵と同時に得心を覚えたものである。

 

 少将となったアルツール・フォン・シュトライトは見識と誠実さに富んだ人物で、シューマッハがブラウンシュヴァイク公爵家の私兵だった時に何かと便宜を図ってくれた恩人でもあった。

 

 そして大将となったアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトはシューマッハの士官学校時代の同級生でもあり、その時期から面識があったのだった。

 

 

 シューマッハの旧上官であったフレーゲル男爵は、ファーレンハイトに対して明らかに非好意的であった。「リップシュタット戦役」において陣営を同じくしたとはいえ、爵位なき貧乏貴族の出身でありながら自分より階級が上の少壮の中将である。選民意識の強い男爵としては、忌避感を抱くのは当然の帰結であった。そしてファーレンハイトの方でも、傲慢な大貴族たちと必要以上に交流を持とうとはしなかったのである。

 

 そういった事情から、シューマッハは士官学校の同期と旧交を温める事をはばからざるを得なかったのだが、一度だけ戦役中にファーレンハイトとガイエスブルク要塞内において会話する機会があった。

 

 フレーゲル男爵に意見を具申し却下されたシューマッハ大佐は、面白くなさそうな表情で取り巻きたちと去ってゆく上官の後ろ姿を見て軽く嘆息した。そこで、通りかかったファーレンハイト中将に声をかけられたのである。

 

 敬礼する大佐に対し中将は公の場ではないから礼儀は不要と言い、次いでやや苦く笑った。

 

「卿も頭痛の種が絶えないようだな。卿ほどの軍人は得がたい存在なのに、男爵も勿体ない事をなさるものだ」

「いや、卿には及ばないだろう。作戦会議では貴族諸侯の間で、なにかと苦労しているらしいな」

 

 シューマッハも苦笑を浮かべる。打算と感情が強く渦巻く大貴族主導の作戦会議においては、職業軍人であるファーレンハイトや総司令官メルカッツ上級大将らの意見や作戦案がまともに検討もされず却下される事も珍しくはない、と聞いていた。

 

 それを考えれば、メルカッツやファーレンハイトこそ自分以上に勿体ないとシューマッハは思う。故郷の領主にして貴族連合軍の盟主たるブラウンシュヴァイク公の器量を、シューマッハは元からそれほど高く評価してはいなかったが、戦役勃発後はその評価もさらに下落する一方であった。シュトライト准将ほどの有能で忠実な人物を敵中に置き去りにし、敗れて解放されたオフレッサー上級大将を内通者と安易に断定して処断するような了見では、麾下の名将たちの真価を引き出せるとは到底思えない。

 

「ともあれ、自分自身に恥じぬように振る舞うまでだ。お互いに軍人として最善を尽くすとしよう」 

 

 いくつか会話を交えた後にそう言い残して、ファーレンハイトはシューマッハと別れた。そしてこれが、士官学校の同期同士の永訣となったのである。

 

 それより後、最後の作戦会議においてファーレンハイトが無謀な出撃への従軍を拒否し、盟主ブラウンシュヴァイク公を正面から弾劾したと聞いたシューマッハは、彼らしいと思わずにはいられなかったのであった……。

 

 

 シュトライトとファーレンハイトはともに高潔と言ってよい人物だが、両者は敵であったラインハルトの度量に感服してゴールデンバウム王朝への忠誠を断ち切ったらしい。彼らは新しい主君の下で、その才識を存分に発揮する事であろう。

 

「あるいは、亡命した自分は選択を誤ったのかもしれないな」

 

 という思いがシューマッハの心中をよぎらないでもなかったが、それは後悔には結びつかなかった。自分には自分の選んだ忙しい現在があり、過去を振り返る暇はないはずであった。

 

 だが、有能な軍人だったという過去の方が彼を放置しておかなかったらしい。フェザーン自治領府首席補佐官ルパート・ケッセルリンクと名のる青年が、シューマッハの前に現れたのである。

 

 

 補佐官は門閥貴族の残党や自由惑星同盟の上層部をも取り込んだ、銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の「救出」計画への参加を元大佐に求めた。これはラインハルトの独裁体制確立により著しく強大化した帝国に、先の遠征失敗とクーデターで著しく弱体化した同盟を併呑させて人類社会統一国家を成立させ、経済面からそれを支配せんと目論んだフェザーンの遠謀の一環であったのである。

 

 もはや部下たちと耕す農場以外に関心を持たない事としていたシューマッハも、自治領の強大な権力により作物の販路を脅迫の材料とされては拒否は不可能だった。闇市場で戦艦を非合法に売却した事も把握されているのは疑いなく、シューマッハは最初から「詰み」に追い込まれていたのであった。

 

 かくしてシューマッハは彼と同じく貴族連合軍に参加し、敗北後はフェザーンに亡命していたランズベルク伯爵アルフレットと共に、二度と踏む事はないと思っていた帝都オーディンの地へと潜入する事となったのである。

 

 

 潜入前にランズベルク伯と顔を合わせたシューマッハは、伯爵が自分の事を憶えていないのを知り、いささかならず安堵した。伯爵はフレーゲル男爵と交友を持っており、男爵の次席参謀であったシューマッハがここにいる理由を追及されれば面倒な事になっていたであろう。だがフレーゲルは「平民風情」を大事な友人に不必要には近づけなかったため、伯爵の記憶には残らなかったのである。

 

 ランズベルク伯は門閥貴族としての矜持を持ちつつも、選民意識がいたって薄い青年であった。平民出身のシューマッハにも隔意を見せず、任務における意見にも耳をきちんと傾けてくれる彼に対し、

 

「よくこれで、あのフレーゲル男爵と友人でいられたものだ」

 

 と元大佐は思い、同時に好感を抱いたのだった。

 

 生来温和な気質だったのもさる事ながら、多くの平民や下級貴族出身の文人や芸術家たちと、幼少期から交流を持っていたのも大きな要因であったのだろう。ランズベルク伯爵家は好学の家系として少なからず学者や芸術家などを輩出しており、現当主たるアルフレットも文学に傾倒していたのである。シューマッハにとって不本意な仕事を強要されたのに変わりはないが、少なくともフレーゲル男爵の下で働いていた時よりもはるかに動きやすいのが、せめてもの救いであった。

 

 かくして旧帝国暦四八九年七月六日夜、「皇帝救出計画」が実行に移される。

 

 帝国博物学協会ビルの地下倉庫に出入口が存在する「新無憂宮」への地下通路は、ランズベルク伯爵家の五代前の当主が時の皇帝の密命により秘密裏に建設したものであった。当時のランズベルク伯は学芸省に籍を置いており、彼の管轄下にあった帝国博物学協会の敷地が地下通路の終点に選ばれたのである。老朽化していた博物学協会ビルの移転に伴う再建築を隠れ蓑にして資材と人員を投入し、往古の皇帝の忠臣は秘密通路を完成させたのであった。

 

 伯爵と元大佐は博物学協会の敷地内へと忍び込む。もともと政治ないし軍事関連の施設に比べれば警備体制も緩く、倉庫内までの侵入は比較的容易なものであった。

 

 一〇キロ以上の距離を有する薄暗い通路を軽車両で踏破し、「新無憂宮」の南苑の地上に出たふたりは、暗闇にまぎれて宮殿内への潜入を果たした。そして見事、皇帝陛下を救出したてまつったのである。

 

 ……と言えば聞こえはいいが、シューマッハに言わせれば、単なる幼児拉致でしかなかった。七歳の皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世は、忠実な臣下として振る舞うランズベルク伯の言動を理解できない癇の強い子供でしかなく、説得を断念して強引に連れ出すほかなかったのである。

 

 皇帝拉致の報を受けた憲兵総監兼帝都防衛司令官ウルリッヒ・ケスラー大将は幹線道路の検問や宇宙港の閉鎖など、迅速かつ的確な指示を次々と各方面へと発した。

 

 だが、シューマッハの要求に応じフェザーン側が仕組んだ大規模な陽動工作によって、治安当局の意識と人員の大半がそちらの現場である帝都郊外に向けられていたのである。それにより生じた間隙を縫って、実行犯たちは逃走に成功したのであった。

 

 そしてフェザーンの帝都における弁務官事務所に一時潜伏した皇帝一行は、宇宙港の封鎖が緩和されたタイミングを見計らってフェザーン船籍の貨客船に乗り込み、フェザーンを経由して自由惑星同盟へと向かうべく帝都を離れる事となる。

 

 

 皇帝陛下の癇の虫は船内でも鎮まる事を知らず、シューマッハはランズベルク伯ともども、手荒に扱う訳にもいかない幼児を抑え込むのに少なからず苦労をしたものである。伯爵は皇帝への強い忠誠心や義務感を有していただろうが、それらに至って乏しい元大佐は、フレーゲル男爵の下にいた時期と似たような徒労感しか抱けなかった。

 

 物心がつく前に両親と死別し、祖父であった先帝フリードリヒ四世からはさして関心を向けられず、従者たちからも愛情なき養育しか受けられなかったエルウィン・ヨーゼフを哀れと思う心情はシューマッハにもあった。

 

 かといって、獣じみた癇癪にさらされる立場が充実したものに転化するはずもない。同盟首都ハイネセンに到着し幼帝の身柄を引き渡した時は正直ほっとした表情を隠せなかったが、周囲からは重責を全うした事による安堵と解釈された。それが厄介なジョーカーを手放せた事によるものだと引き取った側が悟るのには、大して時間を必要とはしなかったのである。

 

 こうして幼帝を戴き、自由惑星同盟にて成立した亡命政権たる「銀河帝国正統政府」において、ランズベルク伯は「帝国軍大将」の階級と「軍務次官」の地位を与えられた。シューマッハも「帝国軍准将」の階級を与えられたが、もともと軍務に嫌気が差していた彼にとっては迷惑なものでしかない。まして、砂上の楼閣としか思えぬ組織のものとあっては……。

 

 フェザーン自治領からは報酬としてフェザーンの正式な永住権と市民権が部下ともども付与され、そして莫大と言える金銭が振り込まれた銀行口座が贈られた。これらは将官だの提督だのといった空虚な肩書きよりはありがたかったが、

 

「仕事が終わった以上は、アッシニボイヤの農場に帰りたい」

 

 というシューマッハの要望は受け容れられなかった。

 

「正統政府も人手、それも有能な人材がいたって不足しており、今しばらくは同盟領に留まっていただきたい」

 

 とケッセルリンク補佐官から通信画面越しに要請──事実は部下や農場を人質とした脅迫──され、シューマッハはそれを受諾せざるを得なかったのであった。

 

 通信を切り、シューマッハは椅子に身を委ねてひとり沈思する。今後もフェザーンの首脳部にいいように振り回されるようでは、自身や部下たちの人生も不安定に過ぎる。以前から考えていたようにフェザーン側の力と選択肢を可能な限り削ぎ、彼らに対抗できる手段を少しでも多く確保しておくべきであろう。

 

 無論、一介の亡命者がフェザーン首脳部と正面から敵対するのは無謀でしかなく、搦め手から攻めるほかない。となれば同盟領内に縫い留められたのを奇貨として、同盟政府や軍関係者との間に人脈を作っておこうとシューマッハは決意したのである。

 

 だが、その決意は結果として無駄なものとなった。

 

 

 旧帝国暦四八九年、宇宙暦七九八年一二月、フェザーン自治領は帝国軍の先鋒たるウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将の電撃的な侵攻により、あっけなく占領の憂き目を見る。帝国軍によるフェザーン回廊の制圧、それはすなわち自由惑星同盟領への侵攻ルートが開けた事をも意味していた。

 

 さしものシューマッハも、これは予想外の事態であった。イゼルローン回廊は智将ヤン・ウェンリーが難攻不落の要塞に拠って堅守しており、歴戦の帝国軍といえども突破は不可能に近い。よもやイゼルローン方面への攻勢を陽動として非武装宙域たるフェザーン回廊に別途に侵攻し、無血占領を完遂するとは。ラインハルト・フォン・ローエングラムの大胆な構想力と果断な実行力を高く評価していたつもりであったが、それでもなお過小であったとシューマッハも認めざるを得ない。

 

 そしてこのような事態になって、フェザーンに残してきた部下たちの安否を気遣わずにはいられなかった。

 

 先のリップシュタット戦役で敵対し、敗北後も降伏せず亡命という道を選んだ者たちに寛大な処置をローエングラム公が採ってくれるかどうか判らない。いかに彼の懐が深くとも、無制限かつ無原則ではあるまい。フェザーン方面への航行や通信は同盟の管制下に置かれ、シューマッハが単身でフェザーンに戻る事はおろか、部下たちや農場の現状を知る事すら事実上不可能であった。

 

 正統政府内においてまともに話が通じる例外的な存在であったメルカッツ「軍務尚書」とその一行がイゼルローンを放棄したヤン艦隊に合流すべく出立した後も、シューマッハ自身はハイネセンに留まった。皇帝陛下を守りまいらせる決意を固めていたランズベルク伯を見捨てる事が、彼にはできなかったのである。

 

 そして旧帝国暦四九〇年、宇宙暦七九九年五月五日。ハイネセン上空を帝国軍が扼した事を知ったランズベルク伯は、いち早く幼帝を連れて逃亡するという選択を採ったのであった。

 

 先年までの敵国領内における王朝再興までの逃避行など、正統政府の閣僚たちですら非現実的として放棄ぜざるを得なかった方策である。シューマッハはローエングラム公に降伏し、幼帝の生命と安全を懇願するという方法もあると伯爵に進言したが「もしそれが容れられなかった時はどうするのか」と拒絶され、進言した側も反論はできなかった。

 

 やむを得ず、ふたりは急いで持ち出せる限りの現金と護身用のブラスターを用意し、動きやすく目立たない服装に着替えた後に、混乱と自失と諦念の坩堝と化していた正統政府ビルを密かに抜け出したのである。肝心の幼帝は侍医に精神安定剤を投与されて熟睡を強制されており、ランズベルク伯が背におぶって連れ出したのであった。

 

 

 ひとまず「流浪の皇帝とその忠臣たち」は、ハイネセンポリスの下町に隠れ家を確保した。

 

 彼らの潜伏が長期にわたって成功しえたのは、ひとつには同盟の社会的混乱と人的資源の不足による警察力の低下に原因があっただろう。ハイネセンに駐留した高等弁務官レンネンカンプ上級大将麾下の帝国軍は装甲擲弾兵四個連隊、軽装陸戦兵一二個連隊のみであり、重要事項とはいえ前王朝の「廃帝」の捜索にそれほど多数の人員を割く余裕もなかったのある。もともと帝国側の最高権力者たるラインハルトが幼帝の行方にさして興味を抱かなかったため、レンネンカンプも捜索の優先順位をそれほど高く設定はしなかったのであった。

 

 平民出身で前線の過酷な環境下を少なからず経験していたシューマッハはまだしも、王侯貴族として不自由の少ない生活を享受していた幼帝と伯爵にとっては、あばら家での貧相な寝食は厳しいものがあったに違いない。それでも伯爵は不平を漏らさず耐えてみせたのだが、忍耐を知らぬ皇帝陛下はさらに癇癪を強める事となったのであった。

 

 もともと雑駁な下町においては騒々しい子供など珍しくもなかったのもあり、ときおり近隣から騒音への苦情が舞い込む程度で済んでいたのは皮肉な幸運であった。そのたびに「皇帝陛下のお世話と警護」を進んで引き受けたランズベルク伯は丁寧に謝罪をして事を収めたものである。

 

 そのシューマッハは外への買い出しや情報収集を担当し、いざとなればこの惑星から脱出するために密航業者への伝手を作るべく、定期的に宇宙港周辺へ脚を運んだ。

 

 我ながら付き合いが良すぎるな、とシューマッハは苦く笑う。幼帝はともかく、どうやら伯爵には完全に情が移ってしまったらしい。無論フェザーンに残してきた部下以上とは言えないが、彼らの事は現時点で無事を祈る以外にできないのは確かであり、毒を喰らわば皿までといった所であった。

 

 

 そういった潜伏生活が半月ほど過ぎた頃、夜半に彼らの隠れ家へひとりの男が訪問してきたのである。

 

「ランズベルク伯爵閣下とシューマッハ提督でいらっしゃいますな」

 

 応対したシューマッハと室内にいた伯爵の顔に緊張が走り、ふたりはブラスターの銃把に手をかける。その一見みずぼらしい風体の男は、動揺する事なく両手を上げた。

 

「私はアドリアン・ルビンスキー閣下の手の者です。話を聞いてはいただけませんか」

 

 それを聞いたふたりは再び驚く。確かに同盟の官憲や帝国軍の兵士であれば、このような回りくどい事はせずに自分たちを問答無用で捕縛していたであろう。どうやら正統政府成立の時期から、フェザーンは皇帝の周辺を独自に監視していたらしい。

 

 帝国の侵攻でフェザーン自治領主の座から逐われたルビンスキーは、シューマッハらと同じく逃亡と潜伏を余儀なくされている立場にある。だが、その組織力と資金力は、陰謀を企むには充分に保持されていたのだった。

 

 ルビンスキーの使者を名のった男は、彼の主人がふたりの「ゴールデンバウム王朝への揺るがぬ忠誠」に感嘆かつ共感しており、潜伏のための資金や情報などの提供を申し出ていると告げた。

 

 ランズベルク伯は「皇帝救出計画」以来の「フェザーンの変わらぬ厚意」に感涙を浮かべたが、シューマッハはルビンスキーは自分たちを「前王朝の皇帝一味」という手駒としてしか見ていないと看破していた。いざとなれば、その駒を使い捨てる事に躊躇はしないであろう。だが、シューマッハらの資金や情報網にも限界があるのは確かであり、フェザーン側がこちらを利用するのであれば、こちらもフェザーンを利用してやろうとシューマッハも思い定めるほかなかったのである。

 

 手付けとして多額の現金や偽造の身分証などが詰められたトランクを差し出した男に、シューマッハはいくつか質問を投げかけた。

 

 当初の交渉役であったケッセルリンク補佐官はどうしたのか、という問いに、

 

「去年の暮れに不慮の死を遂げられました。若く有能な人物であったのに惜しい事です」

 

 と男は淡々と答えた。それを聞いたシューマッハはあの不遜で野心的な青年が、権力闘争に敗れて現世から退場したのだと悟ったのである。

 

 アッシニボイヤの農場と部下たちはどうなっているか、という切実な質問には、なにせ首都圏から遠く離れた場所であり、現状は把握できていないと素っ気なく回答された。シューマッハは本当に知らないのか疑念を抱いたものの、追及しても成果は得られまいと判断せざるを得なかったのだった。

 

 ハイネセンからの脱出ルート確保と、農場や部下たちの現状調査といった要望を告げ、男を見送ったシューマッハは彼が置いていったトランクやその内容物をくまなく調べた。爆弾なり盗聴器なりが仕掛けられている可能性を考慮しての事であったが、結局は取り越し苦労に終わった。

 

 もっとも、盗聴はともかく監視されているのは疑いない。心もとなかった追加の資金や身分証を得て行動の自由が多少広がったとはいえ、シューマッハは明るい気分にはなれなかったのだった。

 

 

 ローエングラム王朝が成立し、新帝国暦〇〇一年となったその年の七月におけるヤン・ウェンリー退役元帥の逮捕は、ヤンの旧部下たちによる同盟元首ジョアン・レベロと帝国高等弁務官ヘルムート・レンネンカンプという重要人物たちの拉致と、それに伴うハイネセンポリス中央部における市街戦の勃発を招いた。

 

 その余波が、ハイネセンポリスの下町にも及んだのは言うまでもない。けたたましいサイレンの音が絶えず、通常よりも多くの官憲が殺気立ちつつ闊歩するようになった。シューマッハは外出時の用心をさらに強めねばならなかったものである。皇帝一行は隠れ家を幾度となく替えて下町を転々とし、シューマッハにとってはほとんど無為な日々が過ぎていった。

 

 そして一一月一〇日、ローエングラム王朝初代皇帝ラインハルトの同盟領への再侵攻が、全宇宙へ向けて宣言される。

 

 それを知ったランズベルク伯は、

 

「ハイネセンを脱出すべきであろうか」

 

 と危機感もあらわにシューマッハに尋ねたが、被質問者は首を横に振った。密航業者に関してはいくつかの伝手ができたものの、脱出先に有力と思える候補が存在しなかったのである。

 

「支援者」たるルビンスキーが潜伏しているであろう惑星フェザーンは、皇帝ラインハルトが大本営をオーディンから移動させており、その警備体制は強化されているのは疑いない。まして、そのフェザーンから帝国軍の艦隊が大海嘯のごとくハイネセンへと押し寄せつつある現状では、残念ながらフェザーンへの密航は論外であった。

 

 そしてフェザーン回廊及びイゼルローン回廊が帝国の手にある以上、潜伏すべく旧帝国領に向かうのも非現実的な案と言わざるをえない。

 

 独立を宣言したエル・ファシルは、シューマッハから見ても無謀かつ無力としか言えない存在である。消息が不明となっているヤン・ウェンリーとその一党が合流すればあるいはとも思うが、それでも「銀河帝国正統政府」という近来の悪例が存在する以上、「ゴールデンバウム王朝の廃帝」を受け入れるのは外交的に見ても悪手と彼らは判断するのではないだろうか。受け入れを拒否されるのみならまだしも、身柄を拘束されてローエングラム王朝との交渉材料に使われる可能性すら考えられた。

 

 バーミリオン会戦で戦死したとされる「ゴールデンバウム王朝最後の宿将」たるメルカッツ提督がヤンと共に在れば、幼帝とその一行の権利を最大限に擁護してくれるのは疑いない。だが、この時期の「メルカッツ生存」は根拠なき風説に過ぎず、判断材料として扱う事はできなかったのである。

 

 こういった思案をまとめた結果として、シューマッハは現時点ではハイネセンに留まった方がいいと判断した。説明を受けたランズベルク伯も、不安な表情で頷いたのであった。

 

 

 そうして越年した宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年。

 

 一月にマル・アデッタ会戦で同盟軍主力艦隊が最後の敗北によって消失し、二月には勝者たる皇帝ラインハルトがハイネセンへと到着した。そして同月二〇日の「冬バラ園の勅令」により、自由惑星同盟の滅亡が宣言されるのである。

 

 マル・アデッタ会戦に前後して、イゼルローン要塞が「エル・ファシル独立政府」と合流したヤン一党により再奪取され、健在であったメルカッツ提督がそれに参加しているとの確たる情報はシューマッハらの耳にも届いていた。

 

 この情報入手が今少し早ければ、シューマッハはエル・ファシルへの密航をランズベルク伯に進言していたかもしれない。だがその情報の裏付けを得た時点で、すでにガンダルヴァ星系駐留軍であるシュタインメッツ艦隊がハイネセンの上空を扼しつつあったのである。

 

 帝国軍の大兵力が近辺に展開している状況では、ハイネセンからの脱出を試みるのはリスクが高すぎた。そしてラインハルトの気質から考えれば、同盟を滅ぼしたのちに遠からずイゼルローンへと大軍を率いて親征するのは確実である。この時点でイゼルローン方面への密航を図るのは無謀と、シューマッハも判断せざるを得なかった。

 

 

 そして幼帝一行の運命を変転させる事故が、三月一日夜に起こった。ハイネセンポリス中央における大規模な爆発および火災発生である。

 

 その火勢は下町の一部にも達し、シューマッハらの当時の隠れ家から指呼の距離へと急速に接近した。シューマッハとランズベルク伯は急いで最低限の荷物を持ち出し、幼帝を隠れ家から連れ出したのだった。

 

 眠りに就いていた幼帝は、不機嫌そうに眼をこすりつつ伯爵に手を引かれていた。だが、暗黒の中を燃え盛る炎を目にし、遠くから断続的に轟く爆発音を耳にして、眠気と不快感を圧する恐怖と不安に囚われたようであった。その表情を看て取ったランズベルク伯は、

 

「ご心配なく。あなた様はこの不肖の身に代えてもお守りいたします」

 

 と、自身の不安を押し隠してうやうやしく言上した。しかし、この時の伯爵を見る幼帝の視線は、明らかに負の感情が満ちていたようにシューマッハには見えたのである。

 

 この一〇か月ほどの逃亡生活を経ても、幼帝は二人の「庇護者」に懐く事はなかった。伯爵の手前、表面的な礼儀のみを保っていたシューマッハは当然として、純粋な忠義をもって仕えてきたランズベルク伯も同様だったのである。

 

 伯爵はエルウィン・ヨーゼフを「ひとりの人間」ではなく「ゴールデンバウム王朝の正統な皇帝」という血脈と身分しか見ていない傾向が強く、臣下としての分をわきまえてか、強固だが一方的な忠誠心はあっても親愛の念は向けていないようにシューマッハには思われた。あるいは幼帝は彼なりに、それを感じ取っていたのかもしれない。そして粗暴かつ邪険に扱っても礼儀と誠意を絶やさない彼を薄気味悪く感じるようになっていったのではないかと、シューマッハは後に回想したのだった。

 

 にわかに幼帝は、それまで伯爵につながれていた手を乱暴に振り払った。そしてあらぬ方向へと駆け出したのである。

 

「へ、陛下!」

 

 予想外の主君の行動に、一瞬ランズベルク伯は放心し、ついで狼狽した。シューマッハはすぐに幼帝の後をを追おうとしたが、その彼の前を慌てて避難する群衆が急流となって遮った。

 

 かくして、彼らは喧騒と暗闇の中にまぎれた幼帝の姿を見失ってしまったのである。 

 

 シューマッハは半狂乱になりかけたランズベルク伯をなんとか落ち着かせ、手分けして幼帝を探し始めた。子供の足ではそう遠くへ行けるはずもないが、この混乱の中、しかも夜半である。たったふたりでの捜索が難航するのは当然であった。

 

 大火は払暁を迎える頃には鎮まったが、それまでに彼らは幼帝を発見する事はできなかったのである。火災原因や被害状況を調査している帝国軍兵士や官憲の姿も増え始め、これ以上の捜索は危険であった。二人は一旦、延焼を免れた隠れ家へと戻らざるを得なかったのである。

 

「もし陛下の御身に万一の事があれば、私は、私は……!」

 

 床に座り込みつつ両手で顔を押さえて呻くランズベルク伯であった。

 

 長きにわたる低水準の潜伏生活は、大貴族出身たる彼に多大な心労を強いていた。それでも「皇帝陛下さえご無事であれば、王朝復興の希望はある」と常々そう語って自身を鼓舞していた伯爵であったが、その皇帝が彼の前から消え失せてしまったのである。伯爵の精神が千々に乱れるのも無理からぬことであった。

 

 まだ「万一の事」があったと決まったわけではない、とシューマッハは励ました。そして状況が一段落したら自分は再捜索に向かう。ここに皇帝陛下が戻ってくる可能性もあるため、伯爵には隠れ家に留まっていてほしいと告げ、伯爵は動揺しつつも首を縦に振ったのであった。

 

 シューマッハは用心しつつ、近隣の病院や救護キャンプ、仮設の避難所などを訪ねたが、成果は得られなかった。そして気が進まないながらも、いくつかの死体収容所(モルグ)にも足を運んだのである。

 

 シューマッハは収容所の管理者に事情を説明し、身元不明である子供の遺体の情報を求めた。

 

 先の大火による死者は五五〇〇名にも及んだが、その大半はハイネセンポリスの地理に通じていなかった帝国軍の将兵であった。そのため、旧同盟市民、それもエルウィン・ヨーゼフと同世代である子供の犠牲者の割合はそれほど多くはない。それでも一〇〇人単位の数に及んでおり、確認だけでもひと苦労であった。

 

 結果として、生者としても死者としても、幼帝はシューマッハらの下に戻ってくる事はなかったのであった。

 

 そして何度目かの成果なき捜索を終え、期待から落胆へと一変するランズベルク伯の表情を見る事を覚悟して、シューマッハは夜半に隠れ家へと戻った。だが、留守を預かっているはずの伯爵の姿が見当たらない。

 

 あんな精神状態でどこへ行ったのかとシューマッハが思った矢先、背後から近付いてくる足音が聞こえた。振り向くとそこには当の伯爵が、油膜を浮かべたような両眼でシューマッハを見つめていたのである。

 

 そして彼は、見知らぬ少年を両腕に抱きかかえていた。眠っているのかと思ったが、その顔色は異様に蒼白で、全く身じろぎもしない。それどころか、呼吸すらもしていないように見える。戦場経験を積み重ねていたシューマッハは、それが死体である事に気付かざるを得なかった。

 

「……その子は一体?」

「何を言っているのだ、准将。我らが皇帝陛下のご尊顔を忘れたわけではあるまい」

 

 そのどことなく虚ろな声での返答に、冷静沈着なシューマッハもさすがに絶句した。

 

 不意に伯爵が着ていた古いコートの裾から、字が書かれた紙片が舞い落ちる。シューマッハはそれを拾い上げ、目を通す。それはシューマッハ自身が書いたものであり、病院や死体収容所などの住所をひかえたメモであった。

 

 おそらくシューマッハが隠れ家に残していたメモから死体収容所の所在を知った伯爵は、そこに赴いて幼帝の同年代の死体を盗み出したに違いない。

 

 ランズベルク伯は隠れ家に入り、遺体を粗末なベッドへ丁重に横たえて優雅に一礼した。

 

「おいたわしや、陛下。今度こそは、必ずわたくし共がお守りいたしますぞ」

「……伯爵」

 

 ランズベルク伯の元から夢見がちな精神は、忠誠の対象を見失った衝撃により完全に別世界へと旅立ってしまったようであった……。


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