キルアの回想録です。主にオルタグアvsベロアグアの戦争中の話です。
ただひとつの使命を果たすために
何千回、何万回と失敗を繰り返した
我が肉体が老いずとも
自我は損なわれたも同然
精神が確固たるものでなくなり
魂が朽ちてゆくのが感じられる
もう終わりにしよう
愛するものの魂と
愛するものの運命にかけて
これを最後にすることを心に誓おう
たとえまた失敗しようとも
再び繰り返すことはしない
誠実さをもち、最期の審判を見届けよう
我がまだ我であるうちに
* * *
私と彼女との出会いは突然だった。
私は森の中にいた。理由は二つあった。ひとつは仲間からの伝達があったからだ。私の恋人でもある戦友は、敵の一人がその森の中に潜んでいると私に忠告したのだ。つい先日魔法のような力を得た彼は、自分の周囲に敵の影が見つけられないとき、高空からあたり一面を索敵しているのだ。
もうひとつの理由は、個人的なことであり、ほんの好奇心の欠片によるものだった。私がまだ幼き頃に一度か二度、私の母方の祖父が同じ森──無論、時代は違う──に私を連れていったことがある。当時の私は祖父の名前も知らなかったし(今も知らぬままだ)、あまり面識もなかったのだが、他に遊んでくれる大人がいなかったので喜んでついて行った。私と祖父がそこへ行ったとき、山の半分くらいがふもとの街の拡大のために削られていた。その時に祖父は、ひどく辛そうな表情をしていたので、私は悲しいのかと尋ねた。すると私の祖父は、見たかったものがなくなっている、と答えた。祖父が見たかったものは情趣のない小屋だったらしいが、ジョウシュがないことが良いことなのだろうかと、まだ幼かった私は首を捻るばかりだった。
その小屋を、私は見に来たのだ。あのときからおよそ一世紀ほど前のこの時代なら、あるいは祖父が見たかったものを目にすることができるかもしれない。そうして、もしそれを目にすることができたならば、私は死んだ祖父にこう言ってやるのだ。たしかにジョウシュがないね、と。
このような気まぐれに近しい心向けをもって森の中に足を踏み入れてからおよそ三十分が経過したとき、彼女はそこにいたのだ。彼女の方も、ふいに私が現れたことに驚いている様子だった。
最初に彼女の出で立ちをちらりと見たとき、私は相手が敵の一人であるとは思わなかった。武器になり得るものがひとつも見当たらなかったからだ。ところが彼女はちゃんと長い刀を隠し持っていた。それも二本。彼女は私の気配を感じとった途端にそれらを両手に構えたが、その素早い動作を見る限り、彼女の腕前はその二本の刀の刃先と同じくらいに磨きが掛かっているようだった。
「人間の格好をしているな」と彼女は私に向かって言った。彼女は、私が獣姿の戦士たちの仲間であることを悟っているようだ。
「自分もそうじゃない」と私は言ってやった。それからしばらくの沈黙が流れた。その間、彼女はずっと刀を構えたままだったが、こちらに斬りかかってくる気配は感じられなかった。
戦いを制するのは知識の差である、というのが私のもっぱらの考え方だ。私はこの時、好機が訪れたのだと思った。彼女から情報を引き出せるかもしれない。
「どうやってここへ来たの」と私は尋ねた。
「自分の足だ」と彼女は冷たく答えた。
「聞きたいのはそれじゃないわ。一体どうやって時空を超えてきたの」
私たちは既に、敵も我らと同様に未来からやってきた戦士たちであることを知っていた。
「金の腕輪」
「何なの、それは」
「仲間がそれを持っている。その力を使って、私らとともに過去へ旅をしている」
「なるほど」と私は答えた。それから一秒か二秒、相手の顔を見つめた後、こう言った──
「私たちも、同じようなものを持っているわ。そしてこの時代へ来るためにそれを使った」
彼女は私の言葉に驚いた様子を見せた。その反応は狙い通りだった。私は彼女からできる限りの情報を聞き出すため、こちら側の情報を提供して相手の好奇心を誘い、警戒を解こうとしたのだ。私の思惑通り、彼女は私の発言に興味を示した。
「それは今どこにある」
「元の時代に置いてきた。帰還するときには向こうの仲間がやってくれるわ」
実際に、これは事実だった。しかし私は言ってしまってから、少し口走ってしまったと悔やんだ。
塩を送った分、こちらも相手の情報を掴んでやろうと思った私は、改めて相手に尋ねた。
「その仲間は、今も腕輪を持ったままなのかしら」
「そうさ」
それっきり相手は黙ってしまった。彼女が再び口を開くことを期待して、私は何も言わずにじっと待っていた。そうすると、物思いにふけっていた彼女は話し始めた──
「メメントリング。やつは腕輪のことをそう呼んでいた。あれはこの世の全ての記憶を司る腕輪さ。やつはメメントリングと接触したせいで、この世の真実を知った」
「真実? それは一体何?」
「地獄さ。未来人が過去に介入したことで発生した、地獄の渦」
地獄の渦という言葉の意味を、私はこのとき理解しなかった。だがその言葉が持つ意味の重大さは、彼女の頬にできた歪んだ皺を見れば明らかだった。
「やつからメメントリングを奪い取らなければならない」
「どうして?」
彼女が一旦口を閉じたので私がすかさず疑問を投げかけると、彼女はふっと笑みをこぼした。どうして笑ったのか、このときの私は分からなかった。
「やつはきっとまだ知らない。どう足掻いても地獄の渦から抜け出すことはできないということを。だからお前に手伝って欲しい。やつから腕輪を取り返す」
「敵である私が?」
「そうさ」
「こちらになんの利点があるのかしら」
「この戦いを終わらせられる。やつが人類を滅ぼそうとする理由も、地獄の渦を潰すためにあるはずだからな」
私は相手の瞳をしばし見つめていたが、その鋭さに偽りはなかった。私はあくまでより多くの情報を掴もうというつもりで、こう尋ねた──
「名前はなんというの」
「カイラ。左に金属製の義手をしている」
「君の名前は?」
彼女はすぐに答えなかったが、やがて諦めたような顔つきをしてこう言った──
「森丘露夜」
それまで胸の内で一歩か二歩後ろへ引いていた私は、彼女の返答を聞いて気持ちが変わった。彼女の苗字が、私の母親の旧姓と同じだったからだ。
考えてみれば、森丘という苗字は珍しいものでもなんでもなく、私と彼女との間に糸が繋げられていると決定づけられる事実はなかった。それでも私は彼女の望みを叶える気になった。私がここまで彼女に献身的になったのも無理はないと思う。彼女は計画を実行するために必要な知識を、驚くほど明確にかつ大量に(私が一度に覚えられないくらい)教えてくれたのだから。
私は露夜とのことを仲間に一切知らせなかった。このとき仲間に話していれば、あるいは渦から抜け出せなくなることもなかったのかもしれない。しかし、私が自分一人で敵陣に乗り込もうという気になったのは、後から考えれば必然的なことであった。
私は露夜に教えられた通りにしてカイラの居場所に接近した。そこはやはり山の近くであった。だがそれよりも重要だったのは、そこが湖から流れ出る河川のほとりであったことだ。
その湖は、私の両親が死んだ湖だった。人からは色々な顔をされるが、私は気にしない。二人は生きることを諦めた、そして私は生きることを諦めない。ただそれだけのことだ。それにこのとき、目的地が両親の死に場所の近くであることは、かえって私の気を奮い立たせた。
~~~~~~~~~~
私はとある部屋の戸の脇にいて、標的を待ち構えている。眼球とつま先と両手に神経を集中させ、標的が現れれば一瞬の隙も作らずに襲いかかるつもりだ。
私がこれから実行しようとしている作戦は実にシンプルかつ極めて困難なものだ。相手に気配を悟られる前に、金の腕輪を奪う。一度奪い取ってしまえばこちらのもの、後はなるようになるだろう。だがもし相手がこちらに気づいてしまったら、たとえそれが一瞬の間だったとしても、こちらには勝ち目がない。それが露夜の言うところであった。記憶を司るメメントリングをもってすれば、相手の記憶を自在に操ることができるのだ。それも瞬時に。
彼女は私に、腕輪のことやカイラに関することだけでなく、戦術についても話してくれた。いかにして自分の気配を相手に悟らせないようにするか、それは自分の気配を周囲の環境に分散させることだ、と彼女は語った。実際にその手法は驚くべき効果を持つことを、私は体感した。
しかしその技巧もカイラという男には効かなかった。彼はまるで首の後ろに目が付いているかのようだった。それも赤外線センサ付きのを。本当にそういう類いのものが付いていたのかもしれない。そう疑うほどに、彼の探知能力は優れていた。おそらく彼はドアを開けた瞬間に私に気づいたのだろう。
作戦が失敗に終わったことは明らかだった。だが私の脳味噌の最も先進的な部位がそう悟っただけで、身体の方は別だった。私は相手に飛びかかっていた。
彼は確かに金色の腕輪を身につけていた。そこに秘められた力を使って、彼はこれから私の記憶を抹消するのだ。なんと酷く恐ろしいことだろう。
しかし次の瞬間、私の右手は金の腕輪をかっさらっていた。
すなわち、相手はこちらに気づいていたにもかかわらず、私の記憶を操作したりしなかったのだ。意図的にそうしなかったのか、あるいはできなかったのか、それともそうするべきか否かを迷っていたのかは定かではない。しかしそんなことをいちいち気にする猶予はなかった。私が金の腕輪を手にした次の瞬間、目の前が闇に包まれたからだ。
私は陰翳の中にいた。そこには何の音も響いておらず、自分の鼓動すら聞こえない。
はるか遠くに光が見えた。その輝きは何の色であるのか、言葉で伝えるのは困難だ。煌めく光は私のいる場所からどれほど遠くにあるのか分からなかった。
なのに次の瞬間、私は光輝の中にいた。それは一途な光線ではなく、それぞれに反発し合う無数の光の矢である。無数の矢はひとつの方向に向かって物凄い勢いで進んでおり、それぞれの光が互いに王座を競い合っているかのようだ。
私はおびただしい光の中に閉じ込められていた。光は直線的に飛んでいるのではなく、私を中心とした球面の軌道を描いていたのだ、おそらく。眩しすぎるがゆえに、その軌道を見定めることはできなかったが。
私はその光の輪の中に、彼女が話していた地獄の渦を見出そうとした。だがその試みは失敗に終わった。私は再び暗闇の中に引き戻されたのだ。
いや、戻った先は暗闇ではなかった。先程まで周囲を取り巻いていた光があまりにも明るかったために、戻された場所がまるで闇の中であるかのように感じられたのだ。戻った先はコンクリートの建物の中であった。
「返せ」
元の状態に一応は戻ったはずの私が、最初に耳にしたのはそれだった。その声は冷たく、切実で、しかしどこか歪んだ響きを帯びていた。
私の意識はかすかに混濁していたので、相手が何を言っているのかすら分かっていなかった気がする。顔を上げると──というのは私の顔は知らぬ間に下を向いていたからであるが──カイラが物凄い形相でこちらに襲いかかってきた。彼の瞳に私が見たのは、怒りや憎しみというより、焦りであった。
私は、ただ冷静に、静かにその場に立っていた。私の精神はいわば放心に近い状態にあり、誰かが私を落ち着かせなくさせようと試みても無理であっただろう。
私は私の、しかし私のものでないような瞳を目の前の男に向けた。すると男の勢いは消沈した。そして間もなく倒れた。私は自分のしたことに驚いた。
脳裏にちょっとした罪悪感の影がよぎった。私は彼の記憶を、文字通り書き換えたのだ。それが、どれほど深刻な行為であったのかを、私は誰よりも理解しているつもりだ。だが、それを悔いる余裕はなかった。仮に悔いていたとしても、それが何の役にも立たない行為であることを知って虚しくなるだけだ。
気を失ったカイラを置いて、私はその場から逃避した。
~~~~~~~~~~
私たちはあの森で再会した。
私が手に持っているものを見るや否や、彼女はふいに顔を逸らした。まるで私が自分の父親の生首でも掲げているかのような反応であった。それくらいの拒絶反応を、彼女は示したのだ。後から知ったところによると、彼女はこのとき、メメントリングを一目見ただけで、呪われた記憶が脳裏に蘇ったらしい。
私は相手が明らかに腕輪を避けているところを見て取ったので、ひとまずそれを自分の懐にしまい込んだ。彼女の瞳は、何かから逃避しようとしているように見えた。瞳の奥に沈んだ影は深く、底のない闇が渦巻いていた。
私は彼女に語りかけようとして、やめた。私が少し動いたのを感じ取ったのか、彼女はかすかに身を強張らせたように見えたが、それもすぐに消えてしまった。
露夜は、カイラという男とは対称的であった。彼は露夜と違って、何かを必死に追いかけていた。少なくとも、私にはそのように見えた。カイラの瞳は焦燥と、ある種の情熱が混じり合ったような色をしていた。それは彼が追い求めるものへの純粋な欲望、願いを示していたのだと思う。
方や露夜は、出会った最初のときこそこちらを真っ直ぐに鋭く見つめていたが、それは単なる警戒心によるものだったのだろう。私と打ち解けると(私にはそれすら早すぎるくらいに思えたが)、どこか遠くへと視線を投げるばかりで、焦点が定まらない感じであった。彼女は肉体こそこの場にあるものの、精神は全然違うところへ逃げ出して、姿をくらませているようだった。彼女に話しかけづらかったのは、私の言葉によって彼女のはぐれた魂を無理やり連れ戻すような真似をしたくなかったからだ。
私の目の前で、彼女はふいに歌を歌い始めた。月明りが木々の間に静かに差し込み、ほのかに地面を照らしていた。彼女の名前が良く似合う夜だと、私は勝手に思ったりした。
「きれいな声ね」
と私は特に考えもせずに言った。いちいち考え詰めることをしなかっただけで、でたらめに口をついて出たわけではない。露夜は私の言葉に首を振った。
「これは、私の声じゃない。母親の声さ」
どういう意味だ、と私が問うと、彼女は答えた──「声だけじゃない。私の身体の半分以上は、母親のものさ」
私は彼女が感傷に浸っているのだと、このときは思っていた。気になったのは、半分きっかりではなく半分以上と彼女が口にしたところだ。そんなことはどうでも良かったが。いずれにしても、彼女の言葉はセンチメンタルなところから出てきたものではないということが、しばらく後に分かった。
さて、歌を歌い終えた露夜は、出し抜けに自分の望みを口にした。彼女の歌声に聞き惚れていた私にとっては、彼女のそのような言動は唐突なことに感じられたのだ。しかし彼女の方はもしかすると、歌っている間に、自分がこれから言うべき言葉について思いをめぐらせていたのかもしれない。
自分の頭の中から地獄の記憶を消してほしい。
彼女が言った望みはそれだった。「それからメメントリングを誰にも渡さず持っていてほしい」と彼女は付け加えた。
私は、なぜそうしたいのかを彼女に尋ねた。私の質問に彼女は答えを示さなかった。当然のことだ。彼女の魂は出ていきたくないのだ。いや、出ているままがいいのだ。すなわち、戻りたくないのだ。だが今度の私は問いかけをやめなかった。出ているままがいいのと、一生戻れなくなるのとは話が別だ。
「記憶を消せば、君自身が変わってしまうかもしれないのよ。君の一番大切な部分まで消えてしまう可能性だってあるわ」
一瞬、露夜の目が揺れたように見えたが、気のせいかもしれない。
「望みが叶ったら、人間を傷つけない」
彼女は私を安心させるためか、そう誓った。そしてそのとき彼女は初めて、私が持っている金色の腕輪──メメントリングをしっかりと両目で見つめたのだ。
彼女の言葉は嘘ではないし、嘘でもある、と私は思った。彼女はおそらく誓いを破るようなことはしない。だが彼女は言葉の裏に何か別のものを隠しているように見えた。たぶんそれが、彼女の魂があてもなくさまよっている理由なのだろう。
結局私は彼女の望みを叶えてやった。そうして私はメメントリングを所持することとなった。彼女の願いと、彼女の秘密がつまった、金色の腕輪を。
戦争は終わった。私はそう思った。露夜にしたのと同じように、敵全員の記憶を書き換えられれば、この戦いは幕を閉じるだろう。このときの私は、まだ腕輪に宿された真実に気づいていなかった。
私は急激におぞましい気配を背後に感じ取って、振り返った。そこにはカイラがこちらを向いて立っていた。
「まさかあの子が敵と組むとは、ね」
私の頭は大混乱だ。
「お前の記憶は消したはずなのに、なぜ」
「ああ、そうだね。確かに私は忘れていた。あくまでも一時的にね。私はそのリングの干渉を受けにくいんだ。だから完全に忘れることはできない。ところで、君も見たのかな、彼女が言うところの“地獄の渦”を」
私はなんのことだかさっぱりだったので、口を閉ざしたまま相手を見据え、彼の指先や頬の動き一つ一つに注意を払っていた。
「取引をしよう」──彼は言った。「その腕輪をこちらに返すんだ。そうすれば、人間を殺戮するのはやめにしよう。実を言えば、人類滅亡以外の方法も考えていてね。どうかな?」
「それは出来ない。お前のことは信用できない」
「それは困ったね。あの子同様私のことも信じてくれると嬉しいんだが。取引に応じて貰えないとなると、望ましくない手段をとることになる」
彼は私に攻撃を仕掛けようとしているみたいだった。なので私は再び彼の記憶を消した。自分でも不思議だったが、メメントリングの能力を操ることは難しくなかった。
私は用心して彼の両腕を鉄のチェーンで括り、その場に座らせた。しばらくして彼は目を覚ました。それからさらにしばらく経つと、彼は元の記憶を取り戻していた。私はもう一度彼の記憶を書き換えた。
私は常にこの男のそばにいて記憶を消し続ける必要があった。だからアイゼは生まれたのだ。
私はカイラを含むベロアグアの記憶を書き換え、新たな人格アイゼを生み出した。私はアイゼとしてベロアグアに味方し、彼らが企てる人類滅亡計画を手伝うふりをした。最初のうちは効率の悪いやり方に思えていたが、次第に理にかなったやり方であったと思うようになった。私の本当の計画を遂行するには仲間のもとから離れていた方がやりやすいので、その意味では都合が良かったのだ。
腕輪と接触してから時が経つにつれて、私は次第にメメントリングに宿された記憶が見えるようになっていった。私は最終的にすべてを知ることになった。露夜の身に起こった真実。彼女が「地獄の渦」と呼んだものの正体。そして、私が本当に成し遂げなければならない使命。私が使命を託されていることに気づいたのは、私がまだそれを成し遂げていないことに気づいたからだ。
私は仲間だった戦士の一人から力を奪った。それは、オルタグアとベロアグアの戦いを終わらせるために必要なことだった。全員の記憶を書き換えるというやり方も考えたが、カイラのように腕輪の影響力に耐性のある者が他にもいる可能性を鑑みると、安全な方法とは言えなかった。第一、腕輪の力がどれほどのものなのか、そして私がそれをどれだけ制することができるのか分からなかった。そしてこの出来事の直後に、やはり記憶操作の完全性が保証されていないということを私は思い知らされた。
現在の拠点に戻った私に、カイラが声をかけた。
「君の本当の名前は、キルアか」
まさかもうそれを思い出すとは思っていなかった。カイラの記憶回復は思っていた以上に凄まじく、常に彼の脳を腕輪の能力の支配下においていても追いつかなかったのだ。私が彼の付近から離れていたのはわずか数分間であったのに。
「地獄の渦が何であるか知っているか?」
私は尋ねた。相手は知らないと答えた。なるほど、一度に全ての記憶を思い出すわけではないらしい。以後、私は記憶の消去対象を地獄の渦に関することだけに留め、自分の正体についてはカイラに隠すのを辞めた。
「君はなぜ我々の味方をしているのかな?」
彼は私に尋ねた。私は言い訳を考えた。私は、自分がベロアグアの味方をする口実として、恋人にかけられた呪いのことや自分がかつて人間から受けてきた仕打ちについて話した。
「なるほど。しかしそれだけの理由で仲間を裏切るとは信じ難いな」
「理由は他にもある。私はダイラの圧力から逃れられない」
私はサンクがベルトの力を所持していることを知っていた。もし彼もそれを知っていたならば、私の返事は彼を納得させるのに十分だったはずだ。しかし彼はなおも私に問いかけた。
「例えば、君の恋人が君の正体を知って、こちらに飛び込んできたとしよう。そのとき、君はどうする?」
「どうもしない。私の名はアイゼだ」
* * *
この魂が朽ち果てるまで
全てを捧げよう
生きとし生けるすべての者のため
ただひとつの使命を成し遂げるため
幾千の犠牲を背負おうとも
この手が血に染まろうとも
無明の闇に差す一筋の光を探し出し
終わりなき鎖を断ち切るのだ
永劫なる回帰から脱却し
我が知る未来を正史とするのだ
──CHAPTER 4 につづく
CHAPTER 3 を最後までお読みいただきありがとうございます。感想などいただけると嬉しいです。
当初はCHAPTER 3 で物語が完結する予定でしたが、思っていたより文字数が膨らんだので、ここから先のお話はCHAPTER 4 に入れたいと思います。
さて、今回はイヴナとキルアの過去エピソードでした。どうだったでしょうか?
メメントリングは未来人が過去に行くための道具であり、当然オルタグア側の未来にもそれは存在しています。ですが、ベロアグアが腕輪と一緒に過去にやってきたのに対し、オルタグア側は腕輪を未来に置いてきたのですね。オルタグアのほとんどが異形の姿になっているのも、この違いによります。ここらへんの設定については面白くもないので詳しく書くつもりはありませんが。
一番最後のキルアの詩で、「永劫なる回帰」が発生している、という事実が明らかになりました。永劫なる回帰とは、つまり永劫回帰のことで、ある瞬間が永遠に繰り返されることを指します。本来は哲学的な思想ですが、今は簡単にループのことだと考えてもらえば良いと思います。具体的に何が起こっているのか、はこれから描いていきますから。
永劫回帰が発生している、という設定は、ハルガのストーリーが固まり始めたときからアイデアとしてあった気がします。元々の予定では、もう少し後のエピソードで読者にバラそうとしていました。が、この後のお話をより具体的に描こうということになり、それならループの事実をここで言ってしまおう、と判断しました。ちょうど、第3章の最終話としてもインパクトがある方が良いし。
キルアが露夜と接する中で、彼女が何かから逃避している、という話が出てきました。まあこれはあくまでキルアが抱いた感想ですが。この表現は、僕が今プライベートで読んでいる小説『長いお別れ』の中から借りたものです。知っている方も多いと思いますが、『長いお別れ』の原題は The Long Goodbye で、『仮面ライダーW』に登場しています。この作品の中で、小説家であるミスタ・ウェイドは客として招き入れた私立探偵ミスタ・マーロウ(フィリップ・マーロウのことです)に、こう尋ねます──「僕がいったい何から逃避しようとしているのだと君は思う」
人は皆、何かから逃避しています。そうしなければ生きていけないことがほとんどです。大体の人間は、全部に向き合って真面目に接するような人生に耐えられません。そんなことをすれば壊れてしまう。でも中にはまれに、逃避することをやめて(あるいは諦めて)、追いかけることにした人間もいる。そういう人たちがいわゆる、ヒーローだとか、英雄だとか、そういう風に呼ばれる人たちなのだと、僕は思っています。カイラも、ヒーローになれたのかもしれませんね。あるいは、なれているのかな?
さて、お喋りはこのへんにして、僕はこの筆を物語の方に向けることとします。
もう何回も言った気がしますが、第3章はこれで終わりです。次から新たな章(今度こそ、最終章です! 絶対に。たぶん……)が始まります。どんな展開になっていくのか、楽しみにしていてください。僕はひとまず、第4章の表紙をどうするか考えます(笑)。
それでは、CHAPTER 4 に御期待下さい。