怒りという名の感情に負けた炎のハルガは、パルマナカルマに蓄積してきた炎のエネルギーを解放させた。
大きすぎるそのエネルギーは炎のハルガの全身を支配し、理性を奪った。
炎のハルガは風のハルガ、雷のハルガの無限なるエネルギーと融合し、闇のハルガとなった。
全てを呑み込む闇のハルガは、デーモン・スカーと呼ばれるようになった。
「ゲートを閉めろ」
四十路の男──青海空翔が、部屋にいる人間の一人に指示する。指示されたその人物は、オペレーション・ルームの出入口とは反対側の壁に近づき、そこに設置されているスイッチの一つを押した。すると、出入口の上部から一枚の厚い板がゆっくりと下がっていく。その板の中央には、大きく「ZKR」という文字があった。
部屋の中央には大きめの水槽のようなものがあった。水槽の中には赤茶色の液体が半分くらいの高さまで入っており、沸騰しているようにぶくぶくと泡立っている。
水槽の中には眠っている青年の身体があった。彼の身体の各部位にはたくさんのチューブが繋がれている。中でも胸の中央と頭の横につけられたチューブは他より太く、頑丈そうな見た目をしていた。それらのチューブを辿っていくと、水槽のガラス越しに外部装置に接続されていた。外部装置の一つには心拍を表す数値が表示されており、およそ一定の値を保ち続けている。
水槽の周りにはガスマスクをつけた九、十人の男たちがいた。彼らのうち一人は大きな装置の前に立っており、また一人は青年の頭のすぐ近くに立っていた。
「オペレーションを始めろ」
青海空翔の指示で、水槽の周りに立っていたガスマスクの男たちが一歩前へ歩み出た。
オペレーション──それは、「融合進化論改造手術」のことだ。青海空翔がこの技術を生み出したのは、彼自身が抱く思想に深く関係があった。
青海空翔という人間は、物心のついた頃から人間社会が嫌いであった。人間が嫌いだったのではない。自然の姿が見えない生活の場が嫌いだったのだ。彼が若かれし頃、努めて街に緑を取り戻す運動に参加したり、野生環境の保全に尽くしたりした。しかし、そんなものはほとんど役に立たなかった上、自然をこの世から消し去ろうとしているのが人間であることに気づき始めていた。
自然と人類との調和を目標に掲げた彼は、己の理想に逆らう人間を「自然から離脱した個人」と見なすようになった。彼が反社会的な思想の持ち主として、研究者の世界から追放されたのもその時期だ。
彼はあくまでも自分の目標を叶えるため、またその目標に異議を唱える者共を排除するために、人体と他種族の細胞を融合させて新たな生命体を生み出す、「融合進化論改造手術」の技術を作り上げたのだ。しかし彼は、森丘敬を含む研究仲間たちに、この技術は反対勢力を迎え討つためにあるのではなく、自然との調和の象徴そのものであるということを強調していた。
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「目が覚めたか」
青年はベッドで寝ていた。シーツと布団が真っ白すぎることを除けば、何も特別なところのない一般的なベッドだ。青年の寝ていたベッドの横には、髪の色が少し薄くなり始めている男が立っていた。
「君は八人目のHEXAS、マスカードラゴンだ」
青年はぱくぱくと口を動かすが、声ひとつ出ない。
「今の君の身体は以前とは大きく変わっている。いわば、新たな生命体として生まれたばかりの状態だ。そのため、身体の使い方を一から覚えなければならない。」
矢継ぎ早に説明する男に対して、青年は頭が混乱していた。男の言葉が聞こえてはいても、まるで理解できなかった。というよりも、理解する余裕がなかったという方が正しいかもしれない。
「腕は動かせるか?」
男が問いかけるが、青年は相変わらず目の前の状況に困惑している様子で、じっとしていた。男はくるりと回れ右をして青年に背を向けた。
「慌てる必要はない。時間をかければ使えるように──」
ばたんという音がした。男が振り向くと、青年はベッドの上に立ち上がっていた。青年は鋭い眼光で、男を見下ろしていた。
「期待以上の適応速度だな。いや、成長速度と表現するべきか──ところで、私の言葉は通じているのかな?」
「オウミ、クウガ……」と青年が声を発した。
「そう。それが私の名前だよ。よく覚えていてくれたね」
「マスカー、ドラゴン……」
「そうだ。君の名前はマスカードラゴン。ちなみに元の名前は庵原飛雄馬だが、どちらの名前で名乗るかは君の自由だ」
「アンバラ、ヒュウマ……ヒュウマ……」
「何か思い出したかな」
数秒間の沈黙の後、庵原飛雄馬は呟いた──
「ヒマリ……」
「すまないが、私はその名前の人物を知らないな」
庵原飛雄馬は何も返すことなく黙り込む。青海空翔はしばらく相手をそのままにしておいた。それからぱんと音を立てて両手を合わせると、こう言った──
「私についてきてくれ。想定していたよりも君の成長速度が速いようだから、早速君の力を試してみよう」
庵原飛雄馬は青海空翔の言うことにしたがい、彼の後ろについていった。その先には、まるで博物館の広間、あるいは大富豪の所有するコレクションの館の一室のような部屋があった。そしてその部屋に”展示”されていたのは、奇抜な形のスーツや鎧だった。
青海空翔は緑と灰色の装具の前で立ち止まった。そしてその”展示物”が掛けられている大きな柱の側面にあるスイッチを押した。すると、装具がより低い位置に下がるとともに、装具の前の部分が左右に開いた。
「入ってみるんだ」
と青海空翔が言った。庵原飛雄馬は言われた通りにした。彼が自分の背中を装具の内側にぴたりとくっつけると、鎧の各部位に施されたライトが赤く点灯した。それからゆっくりと装具が元の形に戻りながら、彼の身体を包み込んだ。
「どうだい、これが君専用のスーツだよ」
スーツが柱から外れ、庵原飛雄馬は床に降り立つ。
たくさんの突起が放射状に並ぶ仮面。口元を覆う暗いグレーのマスク。赤く大きな目。
庵原飛雄馬は指先や手首を曲げ伸ばしする。先ほど身体を動かしたときよりもずっと滑らかな動きであった。
「これは、君の盾となり、矛となり、脳となる。君自身に備わった能力を最大限に活用するためのスーツだ」
「これが、俺の新しい力……」
仮面を被っていたが、庵原飛雄馬の声ははっきりと聞き取れる程度だった。
「すでに元通りの知性を取り戻したようだね」
「青海先生、ありがとうございます。それで、僕は何をすれば良いのですか」
「以前も伝えた通り、デーモン・スカーと呼ばれる怪物を倒す。それが我々の目標だ。それを成し遂げるために、君には戦いの最前線に立ってもらいたい」
「僕一人で、ですか」
「いいや、他のHEXASたちも君とともに戦ってくれる予定だ。現在出動可能な仲間は君の他に五人いる。私もその一人だ」
そう言うや否や、青海空翔の頭部が変わった。正確には、庵原飛雄馬が着ているのと同じような戦闘スーツの仮面の部分のみが、男の頭部に現れてその顔を覆った。
長い銀色の突起が二つ、前頭部の左右対称な位置にあった。目は琥珀に光が差し込んだときのような色をしていた。青海空翔はすぐにその仮面をしまいこんだ(出したときと同様、仮面が自律的に動いた)ので、それ以上は観察できなかった。
「トレーニングルームへ行こう」
トレーニングルーム。そこは、円形に近い壁に囲まれた、競技場くらいの大きさの空間だった。二人がその部屋に入ると、彼らが通ってきた入り口が自動的に閉まった。その扉と枠との間には一ミリメートルの隙間もなかったので、完全に一枚の壁と化した。庵原飛雄馬はすでに、自分たちがどこから入って来たのか分からなくなっていた。
「そういえば、私のもう一つの名前を言い忘れていたね。私はHEXAS 1号体、マスカーシルヴァだ」
青海空翔は”マスカーシルヴァ”の姿に変身した。黒色と青紫色を基調としたスーツであった。
「1号体……ということは、あなたが初めてオペレーションを受けた人間ということですか」
「いかにも。私は自分の行っている研究において、他人をモルモットにしないと決めているのでね」
マスカーシルヴァはそう言いながら、構えの体勢をとる。対峙するマスカードラゴンもそれに倣い、右足を後方に動かして腰を低く下げ、前傾姿勢になる。
「訓練を始める前に、大事なことを教えよう。君が今装着しているスーツは、君が力を存分に発揮するための道具のようなものだ。能力自体は君自身に備わっている」
そう言い終えると同時に、マスカーシルヴァが動いた。風を切るような音と共に、一瞬にして相手との距離を詰める。マスカ-ドラゴンは反射的に横へ跳ぶ。着地すると同時に視線をマスカーシルヴァに向けるが、彼はすでに次の動作に移っていた。方向転換し、再び突撃を仕掛けてくる。
(速い──!)
マスカードラゴンは咄嗟に後方へ跳躍し、なんとか攻撃を回避する。
「避けているだけでは相手を倒せない」マスカーシルヴァが言葉を発すると同時に、再び突進を開始した。「隙を見て私に攻撃してみろ」
マスカードラゴンの鼓動が速くなる。マスカーシルヴァとの距離が一メートルを切った瞬間、マスカードラゴンは上方へ跳び上がった。それから空中で身体をひねり、急降下する。マスカードラゴンは相手に鋭い蹴りを放った。
マスカーシルヴァは相手の攻撃を避けようともせず、微動だにしなかった。腕を動かさないまま左手首だけをわずかに回し、その手のひらをマスカードラゴンに向ける。
瞬間、マスカードラゴンの全身が水晶のようなもので覆われた。凍てつく感覚が彼を襲う。身体が硬直し、動かない。水晶の塊は床まで伸び、マスカードラゴンを完全に封じ込めた。
シルヴァは二歩ほど後ろに下がり、静かに様子を見守る。
沈黙が場を支配する。数秒後、水晶に小さなひびが走った。最初はわずかだったが、すぐにその亀裂が全体に広がる。突如、水晶が弾け飛んだ。その破片が空中に舞う中、マスカードラゴンはマスカーシルヴァに向かって突進する。二人の戦士は衝突しそうだったが、ギリギリのところでマスカーシルヴァは身をかわした。
「今の反撃はなかなか良い。予測外の攻撃にも対応する力が君には備わっているようだな」
マスカードラゴンは床に膝をつき、荒い息を吐いていた。周囲には砕け散った水晶の欠片が散らばっている。
「今君に見せたのは、あらゆる物体を凍結させる能力だ」マスカーシルヴァは静かに言った。「この力は、私がオペレーションを受けた後に、二回目のオペレーションによって得た力だ。君もこれからもっと成長すれば、私のようにアップグレードすることができる」
ドラゴンは息を整えながら、拳を握りしめた。
──二週間後──
マスカードラゴンとしての能力を自在に発揮できるようになった庵原飛雄馬は、デーモン・スカー討伐のために出動していた。デーモン・スカーの出現場所は、リアルタイムで情報を傍受していた。彼が今いる場所は避難区域に入り、一般人の影はひとつもなかった。
スカー討伐作戦の出動メンバーはマスカードラゴンだけではなかった。彼に同行していたのはマスカーアラネアとマスカーオルスの二人。彼らは庵原飛雄馬と同じようにHEXASのオペレーションを受けて超人的力を獲得した、いわば先輩だった。庵原飛雄馬はこの二人についてほとんど知らなかった。知っているのは、自分よりも前にオペレーションを受けたということと、マスカーオルスが男でマスカーアラネアが女であるらしいことくらいだった。
マスカーアラネアなる人物が言うところによると、庵原飛雄馬がこのミッションのメンバーに選ばれたのは、マスカードラゴンのスーツに備わっている爆発的加速度を誇る加速器が、デーモン・スカーの吸引能力に対抗しうる唯一の手段だからだった。その話は青海空翔からも聞かされていた。
マスカーアラネア、マスカーオルス、マスカードラゴンの三人は、そのあたりで一番高いビルの屋上に立っていた。デーモン・スカーの姿はすでに彼らの視界に入るところまで迫っていた。
「こんな風に再会するとは」と、マスカーオルスが呟くように言った。「まあ、私のことを覚えているとは思いませんが」
「あんた、あのバケモンと知り合いなん?」とマスカーアラネアが尋ねる。彼女は抑揚のついた関西弁を話すようだ。
「あれがまだ怪物になる前に、ちょっと顔を合わせたことがありましてね」
二人は言葉を交わしながらも、常に標的──デーモン・スカー──の方に視線を向けていた。
「あー、あれか」とマスカーアラネアは何かを思い出したように言った。「警察ごっこしてたやつや?」
「警察に潜入していた、というのが正解ですが」
二人がこのような会話をしている間、マスカードラゴンが見ていたのはターゲットであるデーモン・スカーではなく、ほとんど初めて見る二人のHEXASとしての姿だった。
マスカーアラネアはマスカードラゴンに似た複数の突起を頭部に持っていた。紫色の目をしており、身体は白色がベースで赤色のラインが至る所に走っていた。背中に八本の大きな曲がった棒状のものがあり、まるで蜘蛛の脚を連想させる。
マスカーオルスの頭部には二本の突起があり、その両隣には赤色の大きな複眼があった。身体は黒色と青色を基調としていて、暗い全身の中に赤色の目だけが浮いて見える。また、マスカードラゴンやアラネアと違って、全身の装甲が少なく、伸縮性のスーツが露出している面積が大きかった。
庵原飛雄馬が目の前の二人の戦士の姿に見入っていると、マスカーオルスが声を上げた。
「それでは、作戦を決行しましょう。飛雄馬くん、よろしく」
名前を呼ばれた庵原飛雄馬は我に返る。それから自分の任務内容を思い出すと、ビルの屋上から飛び立った。
マスカードラゴンは標的に向かって宙を降下していた。滑空というよりも落下に近かったが、彼はいつでも加速器を発動できるようにしていた。
デーモン・スカーは、接近する敵の存在に気づいた。マスカードラゴンの方に視線を向ける。
その直後、別の無数の影がデーモン・スカーに襲いかかる。四方八方から一斉に現れたその数は百をも超えていた。それはマスカーオルスと同じような見た目をしていた。
「一度にあんないっぱい出してええんか? また倒れるで」と、ビルの屋上でマスカーアラネアが一言発した。
「私だってあなたに劣らず日々訓練を積んでいるんですよ」と隣に立つマスカーオルスが答えた。「今の私なら一度に最大百三十の分身体を作れます」
「いつの間にそんな修行しとったん、アリーナでは全然会わんかったけど」
「流華さん、お喋りはいいので、そろそろお願いしますよ。僕の分身たちがすでにターゲットの動きを封じています」
「わかってるよ」
返事をしたマスカーアラネアが、自身の背中に生えている細くて長い突起物のひとつに手をかけると、それはいとも容易く取り外された。彼女がそれを握ると、変形して弓の形になった。さらにその一部が融解して矢が生成される。マスカーアラネアはその弓矢武器でデーモン・スカーの方を狙った。
マスカーアラネアが矢を射った。それはほとんど一直線に飛ぶ。
デーモン・スカーはその攻撃に気づいていた。しかし夥しい数の敵──マスカーオルスの分身体が周囲を蠢いており、両腕両足ばかりか脳みそまでもそちらにとられていたので、遠隔から放たれた一撃を防ぐことはできなかった。
マスカーアラネアが放った矢は、マスカーオルスの分身体を貫き、デーモン・スカーに刺さる。それから一秒と経たずに、デーモン・スカーの動きが鈍ったらしい。それまで周囲を慌ただしく動く無数の敵と近接戦を交わしていた腕と脚が、敵の動きについていけなくなっていた。
少し離れたところで待機していたマスカードラゴンは、勝機とばかり標的の懐に飛び込もうとする。
そのとき、デーモン・スカーはついに闇を展開した。悪魔の周囲に姿を顕にした紫色の闇は、その範囲内にあるもの全て──道路のアスファルトやその下にある土、さらには水道やガス管などのパイプまでをも飲み込み始める。
だがマスカードラゴンは物怖じすることなく突き進む。
マスカードラゴンは闇の端に接触し始める直前、進行方向をわずかに変えた。
マスカードラゴンは闇の中に突入した。彼は凄まじい勢いでデーモン・スカーの元へと引き寄せられていく。しかし彼はゆっくりと弧を描きながら、闇の中心から逃れる方向を向く。マスカードラゴンの加速器とデーモン・スカーの闇。それぞれの力が打ち消し合って、マスカードラゴンは闇に吸い寄せられながらも徐々に吸引速度を下げていく。
デーモン・スカーの漆黒の装甲に触れそうになったそのとき、マスカードラゴンは左腕のダガーを突き立てる。マスカードラゴンは相手の肉体を切り裂きながら闇の外側に向かって進んだ。加速器の威力は強大で、すでに闇の吸引力を上回っていた。マスカードラゴンは闇から脱出することに成功した。
マスカードラゴンが与えた一撃は、たしかにデーモン・スカーにダメージを与えたはずだ。しかし、その攻撃がもたらしたものはそれだけではなかった。
マスカードラゴンが闇から脱した直後、彼の背後から何かの気配が迫っていた。
彼の背後に迫っていたのは、先ほど脱したはずの闇そのものだった。闇は凄まじい速度で拡大していたのだ。
ビルの屋上で事の成り行きを見守っていた二人の戦士も当然、闇の拡大に気づいていた。しかし、察知するところまでが精一杯だった。
急速に成長した悪魔の闇は、辺り一面を覆いつくした。マスカーアラネアとマスカーオルスは闇の中心に吸い寄せられ、スパゲッティのような形に歪められて消えてしまった。
一方、マスカードラゴンは闇に飲み込まれそうになりながらも、その加速器を駆使し、辛うじて闇の吸引力に対抗していた。
闇はいつまでも広がっているわけではなかった。マスカードラゴンが闇から抜け出そうともがいている間に、闇は拡大をやめて縮小し始めていた。縮小する速度は徐々に増していき、それとともに闇の吸引力が増していたのだ。マスカードラゴンが事の次第に気づいたとき、すでに彼の身体は悪魔の中に吸収されていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回は"劇場版"の続きです。
お楽しみに。