【完結】ようこそ、 比較人類研究部へ!! byウマ娘プリティーダービー 作:ちありや
〜水澤視点
「水澤… お前また走りに復帰するつもりは無いのか…? その、例えば地方のトレセン学園とかでレースをしたいとか、無いのか…?」
鷹山先輩に言われた言葉で、私は頭の中が真っ白になってしまった。
私は何も考えられなくなった頭で逃げる様に鷹山先輩の前から走り去り、そのままタカチャン先輩の家のトイレに飛び込んだ。
もちろんトイレに緊急の用事があった訳では無い。混乱した無様な姿を部の皆に見せたくなかったのと、独りで冷静になって考え直す時間と場所が欲しかったからだ。
鷹山先輩を引っ張って数百メートル走った事は覚えている。その後に「走るのって楽しい」と言った事も。
あの時は本気で楽しかった… レースみたいに競ってぶつかり合う勝負じゃなくて、純粋に「走れた事が楽しい」と思った。こんな思いは3〜4歳の時以来だろう。
これはウマ娘である以上避けられない感情、本能なのだと思う。例え脚を怪我していても、年を取っていても、「走りたい」という気持ちは変わらないし抑えられない。まさに『本能』だ。
私も『本格的に走る』事を辞めて3年が経った。今は比人研や演劇部で、仲間の皆とワチャワチャしているのがとても楽しいし充実している。
それでもやはり私はウマ娘なのだ。「走りたい」そしてその先の「勝ちたい」までがセットで、心の奥底に突き上がる物がある。
正直な話、そりゃあ私だって「走りたい」よ。また昔みたいにナズナとかミヨやヨシと一緒に勝負がしたいと思う……。
でも私はもう3年もまともにトレーニングしていない。ダービーの時にもミヨとヨシが反応した勝負の起点に気付けない程に勘が鈍っていた。
今の私では天下のダービーウマ娘となったナズナはもちろん、地方とは言え現役でレースをしているミヨやヨシとも、まともなレースは出来ないだろう。
そして何より「レースに復帰する」という事は、私に「再び『アビスビースト』を名乗れ」という事でもある……。
以前はその名前が嫌で嫌で、アビスビーストという名前から離れる為に、トレセン学園への進学を蹴った程だ。
「走る」事は楽しい。これは誰が何と言おうと間違ってはいない。ウマ娘としてそう言える心とそれを実現する脚があるのは、とても誇らしいと思う。
確かに出来うる事ならば、目一杯走りたい。他の速い娘と戦って勝ちたい。
鷹山先輩と走った時、私は一瞬だけ『その気持ち』を取り戻した。鷹山先輩の隣なら… 鷹山先輩が見ていてくれれば、私は「また走れるのではないか?」と思ってしまったのだ。
もちろんブランクの長いウマ娘がまたレースを目指すのは、まるで現実味のない話だし、ここ数ヶ月の楽しい高校生活の全てを振り捨てる覚悟が要る。
そして何よりも私は『水澤イチ』ではなく『アビスビースト』として生きる事を強いられるのだ。
確かに走りたい、心の底から。でも今の生活と『水澤イチ』の名を捨てなければならないのは、今の私にはリスクが大きすぎる。
そこまでしっかり考えていた訳では無いが、ボンヤリ漠然と感じていた所に浴びせられた「走りに復帰しないのか?」の言葉で、まるで鷹山先輩に私の心を見透かされている様な気がして、ウマ娘としての覚悟を試されている様な気がして、私はその場から逃げ出してしまった。
はぁ、鷹山先輩怒ってるだろうなぁ… いつもみたいに逆ギレして有耶無耶にしちゃえば、また仲良く出来るかなぁ…?
鷹山先輩って、私の事を女の子扱いしてくれない時があるけど、基本真面目で優しいし、『悪い人』では決してない。それは分かる、決して嫌いではない……。
私は今、恐らく発情を抑える薬の効果が出ていない。だから今の鷹山先輩に対する気持ちが、ちゃんとした自分の気持ちなのかの自信が無い。
それこそ「男なら誰でも良い」状態になっている可能性もある。そんなウマ娘を外に出してはならない。関わった人全員が不幸になる未来しかないのだ。
☆
そんな事をグルグルとまとまりも無く考えていたら、どうやら鷹山先輩が帰ってきたらしい。
どうしよう? 私の
先輩は先輩で、私の事を心配して言ってくれた言葉であるのは間違い無いのだ… 顔を合わせづらいなぁ……。
そんなこんなでまだウダウダ考えていたら、どうにも出るタイミングを逃してしまった。扉の外にハッキリとは聞きとれないが、鷹山先輩とタカチャン先輩が話す声が聞こえてくる。
最初は「ケンカしたのか?」とタカチャン先輩が聞いていた。気まずい雰囲気ではあるけど、ケンカをした訳では無い、よね…?
このタイミングで「違うんですよ!」と飛び出して行ければ良かったのだが、『鷹山先輩がどう答えるかで私への気持ちが測れるかも?』などと打算も働く。私が閉じ籠もる原因を鷹山先輩に擦り付けるつもりは無いけど、私だけ一方的に頭を下げるのもなんだか面白くない。
しばらくあーだこーだ話をしていたみたいだったが、鷹山先輩が急にキレた感じで大声を上げた。
「いや、『何があった』って言うか、それ以前にアンタら水澤に一服盛っただろ? そのせいで
え? 何それ…? どういう事…?
更に鷹山先輩のターンらしい。
「俺が予想するに、水澤が朝飲んだ薬は
私が飲んだのは偽物の薬…? だから薬の効果が無かったの…? もしそれが本当なら、タカチャン先輩達は一体何故そんな事を…?
「…だぁって、鷹山くんと水澤ちゃんって見てて凄いモヤモヤするんだもん。お互い憎からず思ってるくせに、なかなか最初の一歩を踏み出せない。そんな初々しい2人の背中を少しでも押して上げられたら、と思ってさぁ…」
そういう事か?! 薬の効いてない私に鷹山先輩を襲わせて、何らかの既成事実を作ろうとしていたって訳だね。そんなの信じられないし許せないよ!
…許せないけど、もうちょっと話を聞いてみよう。外野の声はそれはそれで面白いし。
外の話は鷹山先輩が私に「走りに復帰しないのか?」と聞いてきた辺りになってきた。確かに鷹山先輩本人の口からその言葉の真意が知りたいよね。
ただそこからは鷹山先輩への吊し上げが始まってしまった。これはこれで可哀想だし、私の望む展開では無い。
私は「驚き」はしたけど、別に「傷ついた」訳では無いから、『鷹山先輩の心情を暴く』方向ならともかく、皆で鷹山先輩を痛めつける流れになるのは良くないと思う。
あまり放置しておくと部の人間関係に致命的ダメージが入りそうなので、私は「偽薬ってどういう事ですか?!」とわざと声を荒げてトイレの扉を開けた。