――――なつかしい、夢を見た――――。
むくり、と。
黒髪黒眼の男――――アルマ・エーベルバッハは身体を起こした。
うたたねしていたのか、口元にはよだれが垂れており、着ていた服の裾で拭う。
まだ寝ぼけている眼で辺りを見渡すも、そこは見慣れた風景。
木造建築の家屋――――というには申し訳ないほどのあばら家。壁を見ても穴が開いており、空を見ても天井の隙間から
そうなると家財なんて上等な物はない。彼が突っ伏している机も、彼が座っている椅子も、全て自作の物。職人が作り上げて、どこかで購入した物ではなかった。
迷宮都市オラリオ。
その郊外に位置する、誰も住まなかったボロ家に住み始めてからどれほどたっただろうか、とぼんやりと考える。
最低限の雨風をしのげる程度の住居。
いい加減、別の場所に住んだ方がいいか、と考えていると。
「戻ったぞ」
そういうと、ドアを開けて、踏み入れる女性が一人。
手には布で出来た大き目の巾着があり、その中には食材が入っていた。どうやら買物帰りであるらしい。
果たしてそれはドアの役割を果たしているのだろうか。
外界を隔ててる物、と言う意味ではドアと表現して差し支えのないのかもしれない。
にしても頼りない。
女性が開けたと同時に、木造のドアは傾いていた。
もちろん、特別力を込めているわけでも、女性が類まれなる膂力を持っているわけでもない。
ただ単純にボロい、それだけだった。
女性はため息を吐く。
あまりの惨状と、今しがた傾いたドアを眼にして、彼女は億劫そうな口調で。
「貴様、こんな物を私に用意するくらいなら、この状況をどうにかした方が良いのではないか?」
こんな物とはつまりは女性の着ている衣類。
位の高い貴族などが、家事使用人をしている女性に着せる仕事着。黒と白を基調として、丈の長いスカートが特徴的な――――つまりはメイド服である。
布の生地も頑丈なもので肌触りも良く、仕立てるのに決して安くはなかったろうに、と女性は冷静に分析する。
自身にこんな奇天烈な格好をするように言うアルマへの苦情というよりも、理解が出来ない趣味に辟易しているといった方が正しいのかもしれない。
対するアルマはそれを聞いて、
「ばっか。オマエはオレに仕えているんだから、メイド服を着せるだろう普通」
「普通とは」
ため息が深まる。
ふざけた男だと思っていたが、ここまでとは、と彼女は頭を抱えかける。
優先順位がおかしい。どうして住居よりも、こんなものを用意する方を優先しているのか、彼女――――アルフィアは呆れた口調で。
「それで、客は来たのか?」
「ゼロだよ」
アルマは自作した木造テーブルに肘を載せて頬杖を付きながら。
「おかしい。何でも屋だぞ何でも屋。文字通りの意味で何でもやる店だ。このご時勢、こっちは格安で何でもやるって言ってるんだぞ。もっと衆愚共は頼るべきだろオレを」
仮にも顧客の事を衆愚とほざく傲慢さに、そういうところだぞ、と思いながら口にせずにアルフィアは事実だけを口にした。
「しょうがないだろう。私達の行なった事を考えると、誰も寄り付かん」
「私達じゃない。オマエ達のやった事だろう」
それはおかしい、とアルフィアの言葉を否定して、不満気に彼は口を尖らせながらブーブー、と。
「オマエは解るよ?
「…………」
ぐさり、と。
裏表のない言葉。事実だから、彼女は何も言い返せない。
暴れた、なんて生易しいものではない。
かつてはアルフィアも、ザルドという人物も、
オラリオ史で最も多くの死者を出した最厄。それは三日間行なわれ、誰もが忘れることのない記憶として、永遠に語り継がれる事だろう。つまりは――――“大抗争”。
多くを率いて、多くを扇動し、多くの絶望を生み出した。
首魁となった男は死亡し、ザルドは行方不明。そしてもう一人の中心的人物であったアルフィアといえば――――メイド服という奇天烈な格好をさせられている。
生き残るべきではない人物に変わりない。
しかし身勝手にも、彼女の目の前の黒髪黒眼の男がそれを許さなかった。
「オレは止めた方なんだが。オマエ達をぶっ飛ばした側なんだが。何で一緒になって、嫌われないとならないんだ?」
本当にわからない、とアルマは首を捻って考える。
彼の言葉には一つ誤りがあった。
嫌われていると彼は自身のことを評したが、実際は嫌われているというよりも避けられているといった方が正しい。
とはいえ、どちらにしても良く思われていないことは確かであるし、訂正するつもりもアルフィアにはなかった。むしろもっと考えてほしいと言う気持ちも込めて。
「なんだ、貴様は皆から英雄と称えられたいのか?」
「冗談だろ。英雄なんてなりたくない。オレは何でも出来るが、アレは別だ。英雄には絶対になりたくないね」
ただ、と言葉を区切って。
「もっと褒められても良いだろうに」
「子供か貴様」
「馬鹿な。褒められて嬉しくならない男なんていないだろう。それに男はいくつになっても子供だ」
それに、オレは年齢的にもまだまだ子供であっていい筈だ、とアルマは続けた。
確かに二十代には見えないし、かといって、少年のような純粋というわけでもない。
アルフィアは深く追求しなかった。むしろどうでもいいと言わんばかりに。
「それよりも由々しき事態だ」
「と言うと?」
「予算がない」
今日買ったので使い切った、と無言で食材の入った巾着を指差す。
アルマは天を見上げて、直ぐにアルフィアに視線を戻すと。
「マジで?」
「マジだ」
「何か売れるものは――――」
「あると思うか。こんなボロ小屋に」
見渡しても物の見事に何もない。
必要最低限の衣類と、何着もあるメイド服しかない。金目のものなどなく、宵越しの銭は持たないにも程がある。
だがアルマの様子に焦りはない。
それがアルフィアにとって不可解であった。
呆れ返るほどの自信家で、世界は自分を中心に回っていると豪語する程の男だ。この反応も楽天的に考えてのことなのかもしれないが、今回は度が過ぎている。
アルフィアは訝しむ表情を浮かべて。
「何を考えている?」
「何も。そろそろ鴨がネギを背負って来るかなーって思ってさ」
「……あぁ、そういうことか」
何を言わんとしているか理解すると同時に、外から絶叫にも似た怒声が響き渡る。
『エーベルバッハァァァァ!!!』
「おっ、来たか」
自身の名を呼ばれた彼は嬉々として立ち上がり、声の主が誰なのか考えて。
「ベート。ベート・ローガ」
「……あぁ、ロキのところの小僧か」
「アイツもガッツあるなぁ。何度もボコっている筈なんだが。
「……貴様は人間だろう」
「それもそうだった。アレだ、喋る
「下らないことを言ってないでさっさと行け。来客を待たせるな」
「それもそうだな。ちょっと行って来る」
そういうと、アルマは足早に家屋から出て行った。
アルフィアはそれには続かない。
家の中から、外の景色を観察する。一言二言交わして、怒声と共に外で叫んでいた
きっと、また余計な一言を言ったのだろう、とアルフィアは分析して、突然起こった二人の決闘を見守った。
彼女に驚きも困惑もない。
何せこれが初めてではない。
“大抗争”が終わり、こうして彼が冒険者に挑まれるのは珍しい事ではなかった。
戦犯の一人であるアルフィアを侍らしているのが許せないからなのか、
それが複数であったり、今のように単独であったり様々であるが、アルマが拒否した事は一度もない。
むしろ嬉々として、遊び相手を見つけたような子供のような顔で、決闘に応じていた。
――彼奴にとって、戦いとは児戯のようなものなのだろう。
――何せ、私とザルドを同時に相手取り圧倒した男だ。
――今回も遊びのような認識でしかないのだろう。
――昔から、気に入らない男だ。
口にするのも、考えるのも癪だが、確かにアイツならば何でも出来るし、世界をどうにか出来てしまいそうな力がある、とアルフィアは苦虫を噛み締めた顔で認める。
そこでふと思い出す。
――
――アルマはアルマだ、と。
――
そこまで考えて、うつ伏せに倒れている
いつの間にか戦いは終わっており、
戦利品を物色しているのだろう。
ヴァリスが底を付いたといってもさして慌てず、鴨がネギを背負ってやって来ると言ったのも、理由はそこにある。
打ち負かした相手の物を戦利品として手にする事で、彼は食い扶持を稼いでいた。鼻歌交じりに漁っている事から悪意はなく、むしろ命を取らないだけありがたく思ってほしいと考えているのかもしれない。
とはいえ、アルフィアも注意するつもりもない。
敗者はただ勝者に従うしかない。文句があれば勝つしかないのが自然の摂理だ。
あの男と戦うという事はそういうことだ。負けた人間は戦利品として、何かを差し出さねばならない。それが命か物かの違いでしかなかった。
「おい、アルフィア! ちょっと来てみろよ」
当の本人は上機嫌に。
「宝石だろこれ。今日は良い物が食えるぞ」
呼ばれたから足を運ぶのはプライドが許さなかったが、それを聞いたら別だ。
アルフィアはメイド服のスカートを優雅に震わせて、家屋から外に出ると。
「私は今日、肉の気分だ」
>>アルマ・エーベルバッハ
主人公。黒髪黒眼。
例えヴァリスがなくてもメイド服に妥協しない。
育ての親に何でも屋は人気だと聞いた。話しが違う。
>>アルフィア
アルマの戦利品。病弱
誰もいらないならオレが貰うね、で貰ってくる。
昔からの知り合い。滅茶苦茶な事をいうアルマが嫌い。滅茶苦茶なところが嫌い、大嫌い。
>>メイド服。
妥協するな byアルマ