迷宮都市オラリオに南西に位置する第六区画。
交易所も兼ねており、いつもはオラリオで一番の賑わいを見せる区画である。
商人が売り出し、掘り出し物がないか冒険者が顔を出し、物珍しそうに旅人が物色する。様々な人種が行き交い、商いを行うのが、第六区画の主な日常といえる。
だがどういうわけか、今ではその賑わいを見せる事はない。
人が一人もおらず、いつもは大声で自身の商品がどれほど優れているか、どれほど珍しい物か、そしてどれほど素晴らしい物なのか、弁舌を繰り広げる商人達の姿がなく、ダンジョンに向かうための買出しに訪れる冒険者の姿も、記念に何か買おうとする旅人の姿もない。
本当の意味で無人。
物音一つせずに、人影すらもなく、ここだけ廃れている。
そんな印象を感じさせられる。
いいや、無人ではなかった。
普段は賑わっている第六区画の西の位置にあるメインストリートを堂々とど真ん中を歩く人影。
黒毛黒眼の男――――アルマ・エーベルバッハは気だるげに歩いていた。
格好もラフなもの。黒い衣服に、これまた黒いズボン。全身黒尽くめの出で立ちで歩くその片手には、羊皮紙の束が握られている。見てみると手書きで『何でも屋、開業中』と文字が書きなぐられている。
宣伝のつもりで人に配る、もしくはどこかに貼るつもりなのだろう。
どちらにしても、あまりにもセンスがない見出し。もう少し工夫をするべきなのは明らかである。
だが本人はそんなこと思っていないのか、堂々と一仕事したといった様子で満足気に歩いて。
「くぁっ……」
あくびを噛み殺し、目尻に浮かんだ涙を片手で拭う。
眠い、と心の中で呟き、どうして眠いのか原因を探ることにし、それがどうしてか直ぐに突き止めることに成功した。
「オッタル、って言ったけ」
ぼんやり、と。
昨夜挑まれて相手をした者の名前。
屈強な男で、いつものように一瞬で倒せなかったことを思い出す。
――初めてかもしれないな。
――今までのヤツらで、一番強かった。
――気絶させる事も出来なかったから、戦利品も取れなかったけど。
――まぁ、楽しかったかな。
何はともあれ、一瞬で倒せないのは良いことである、とアルマはご機嫌な調子で断じた。
――そうでなくちゃ困る。
――うん、本当に困る。
着実に、挑んでくる連中は強くなってきている、とアルマは判断を下した。
ダンジョンに潜り、力量を上げて、どれほどのモノになったかアルマで確かめる。それが純粋な腕を磨くため、彼の振る舞いが気に入らないため、アルフィアを匿う様子が許せないため。理由はどうあれ、戦闘を挑まれる事に何の不満もなかった。
むしろそのために、自分はここにいると言うかのように、望んでいる節すらある。
――全く、
――次代の英雄ってヤツを望んで、行動を起こした。
――そこまでは良いさ。
――だがその後の事については、何も考えていない。
“大抗争”を経て、人間は強くなった。神々に頼る事をせず、人の時代を築くために。
その証拠が今の状況だ。
アルマを警戒し、誰もこの辺りに寄り付かなくなった。
自身の身を守るために。何が起きても直ぐに対処できるように。アルマという謎の規格外を警戒しての現状であった。
アルマに不満はない。平和ボケせずに、目に見える脅威に対応しようとしての行動なのだから。
しかし、人間とは忘れる生き物だ。
良くも悪くも、記憶は新しいものに塗り替えられ、過去の出来事を薄れさせる。
故に、
――いいや、違うか。
――
空を見上げる。
視界には青色で、どこまでも晴れ渡っていた。
――オレには解らない。
――世界はオレのモノだ。
――世界はオレを中心に回っている。
――だからこそ解らない。
――この世界は、
アルマはそうではないと断じる。
アルマも解る。
このままでは世界が滅ぶと。
もはや猶予がなく、だからこそ
――世界はオレの物だ。
――オレの物だから、断言できる。
――命を懸ける程のモノじゃない。
――この世界が、
――いっそのこと、滅んじまった方がいいだろうに。
憎しみはなかった――――本人が望んだ事だ。
怒りはなかった――――そうなって然るべき事だ。
悲しみはなかった―――ー未練なく逝ったのだから。
しかし、納得は出来なかった――――それほどの価値があったとは思えない。
アルマ・エーベルバッハがオラリオに居座るのがそれが理由であった。
自分が見切りをつけていた世界を、
あのお人好しが、果たして本当に、命を懸ける程の価値があったのか、アルマは確かめたかった。
その為であれば、
『必要悪』が消えた。これから求められるのは『絶対悪』。悪夢の“大抗争”を忘れさせないように、人々が己を鍛える事を怠らせないように、その為に自分はここに居る。新たな脅威として、君臨し続けると言わんばかりに笑みを浮かべて。
「まぁ、適当にやるけどな」
へら、と腑抜けた笑みを携えて。
「第一に柄じゃない。やっぱり、良い事をして褒められたい訳だオレは。
それからしばらく歩き、辿り着いたオラリオ郊外。
いつもの代わり映えのない、狭くも隙間風が酷い我が家へアルマは帰って来た。
妙な光景。
いつもは家の中に居て、出迎えもしないメイド服を着たアルフィアが家の外に立っている。
はて、とアルマは少しだけ考えて、もしかしたらメイドとして主の帰りを待っているのかもしれない、という一抹の期待を込めて。
「ご苦労」
「何を勘違いしている」
反応は冷たい。
まるでアルマの考えていることを解っていたように、間髪いれずにアルフィアは応対してみせる。
対するアルマの反応が薄い。
そんな事をアルフィアが考えているわけがない、と思っていたからか特に気にすることもなく。
「それで何してんの?」
「客だ」
アルマは考える。
客と言う言葉の意味を考えて、吟味し、少しだけ間を空けて。
「マジで?」
「マジだ」
何でも屋を開店して、初めての客であった。
オラリオでは干され気味であり、まさか来るとは思ってもみなかったのか、アルマは興奮気味に。
「尚更何してんのオマエ! 客だぞ客。お
「弊社には雨水しかないが?」
「だったら、雨水出してやれよ」
「馬鹿か貴様は」
アルフィアは呆れた口調で。
「貴様は何でも出来ると給う癖に、どうしてこうも甲斐性がないのだ」
「全てが思い通りになる人生とか退屈なだけだろ? 楽しめよアルフィア。儘ならないのが人生ってヤツだ」
「減らず口を」
苛立ちを覚えるが、直ぐに冷静に戻る。
今も昔も、アルフィアの前に立っている男が、まともであったことなどない。無茶苦茶な事を言うのがアルマ・エーベルバッハの常であった。
ここで目くじらを立てたところでどうしようもなく、早々に本題に入るに限ると判断して。
「中を見てみろ」
アルマは首をかしげながら、言葉に従い中を覗く。
二人の男女の護衛がおり、守られるように女性がいた。
ただの女性ではない。ありえないほどの美貌。そして、その格好は胸元が大きく開き、腹部辺りまで肌を露出している。
まるで人間を超越したような美しさ。
アルマの視線に気付いた女性は、笑みを浮かべて片手を優雅に振った。
アルマもそれに応じるかのように手を振る。
何やら妙な気配を感じたが、それを無視して覗くのを止めて、アルフィアの元まで戻ると。
「何だあのエロい女は。あんなの歓楽街でも見たことないぞ」
「……待て。歓楽街だと? 行ったのか?」
「おう」
「資金がないのにか?」
「おう。ないから借りて行った」
「クズめ」
吐き捨てるように言い、アルフィアは続けて。
「アイツはフレイヤだ」
「聞いた事があるな。アイツがフレイヤか」
「誰から聞いた?」
「
「あぁ」
誰から聞いたのかアルフィアは納得して。
「どうする? 先のオッタルの報復に来たのかもしれないぞ?」
「あんな綺麗な顔して? フレイヤってのは実はアグレッシブなのか?」
「さぁ? ないとも言い切れないだろう」
嘘である。
ありえない、とはアルフィアも解っている。
フレイヤという神の性質上、お礼参りなどありえない。
アルフィアの問いは単純にアルマを困らせたいからに過ぎない。
現に彼女の顔には悪戯をする子供のような、意地の悪い笑みが張り付いていた。
対してアルマは少しだけ考えて。
「だったら返り討ちにしてやるさ」
「それはまた、容赦がないな」
「当たり前だろう。――――オレの世界に、女尊男卑なんて言葉はない」