俺は主人公になれない 〜〝ただの石ころ〟が、誰かの〝特別〟になる物語~ 作:岩重八八十
人の居ない部室棟全体に響くかと思うほど力強く、アリスは言う。
「〝偽物〟なんかじゃない――〝呪い〟なんかじゃないッ! 私は、本当にハル君の事が好きなんだからねッ!!」
迷いの無いあまりにも真っ直ぐなその言葉に、戸惑うばかりだ。
「そ、そんな筈無いだろ!? 本当のアリスは確かに俺を振ったじゃないか! そしてこの学校で出会った後も、俺は何度も、何度もアリスに迷惑をかけてばっかりで、アリスは優しいから許してくれるだけで、俺は君にいくら謝ったって許され無いくらいの罪を背負っているのに……ッ!!」
なのに。アリスの気持ちが〝本物〟の筈が無い。俺はそう考えて居た。
でも――
涙を振り切ってアリスの表情が変わる。悲愴的なものでなく、それは俺を捉える真剣で真摯な表情。眉間に僅かな皺を寄せつつも、済んだ瞳の視線が俺を貫いて居た。
「ハル君。私の気持ちを決めるのは、私だからね? いくらハル君でも、勝手に私の気持ちを決めつけないで。私が好きだって言ってるんなら、それが私の本当の気持ちだからねッ!?」
アリスは自分の心をそのまま取りだそうとでもしているかのように自分の胸に手を当てて、
「あれから。ハル君が私の翼を消してくれてから――もう随分経ったよね? それでも私の気持ちは変わらなかったからね。それどころか、ずっとずっと、ハル君の事好きになったからね」
アリスはいつになく声を張り上げて主張する。
「その気持ちを、私の心を、〝偽物〟だなんて決めつけることは、例えハル君であっても許さないから……ッ!!」
俺は、言葉を失った。
どうして?
迷惑しかかけてないと思って居たのに。
「〝偽物〟……じゃない? 信じ、られないよ……」
漸く絞り出せた言葉は、あまりにも弱々しかった。
アリスにはお世話になってばっかりで。トーラとの戦いだって、命を救われて、心配させて、そのお詫びだって出来てないのに。
アリスはどうしてそこまで、力強く言えるんだ?
俺なんかの事を――好きだなんて。
アリスは俺を諭すように、続ける。
「ハル君、私の事……〝第四の賢者〟から守ってくれたよね?」
「アレは、人として、八天導師として当たり前の事をしただけで俺じゃ無くてもそうした筈――」
「でも、助けに来てくれたのはハル君だったッ!!」
今日のアリスは、いつもと違った。
不思議な感覚だ。アリスがこんなに感情を露わに訴えかけてくるなんて。
普段――いいや、昔から怒ったりする事なんて全然見た事も無かったのに。
だけど、そんな姿を見せてまで訴えるからこそ、その言葉の一つ一つが俺の胸を貫いていく。
「他に誰も居なかった。側に居てくれたのは。私を庇ってくれたのは、命を懸けて守ってくれたのは――ハル君だけだった……それだけじゃ、ダメなのかな?」
他の誰でも良かったのかも知れない。たまたま俺が、あの場に駆けつけただけで。
そうだとしても――
「あの時からハル君は間違い無く、私にとって〝特別〟な人になった……」
ちっぽけで何処にでもあるただの石ころでしかない俺を。アリスもまた、〝特別〟だって拾い上げてくれたのか……?
「ごめんね、ハル君……」
そしてアリスは俺から目を逸らして唇を噛んだ。
「なんでアリスが謝る必要があるんだ……?」
俺はもう、俺の中の価値観や感情がバキバキに破壊されて呆然とするばかりだった。
アリスは自分の胸に当てていた手を机に下ろして。
「私、判ってたんだ。私がハル君の事好きだって伝えれば伝えるほどに、ハル君が苦しんでる事。後悔してる事。それでもね、ハル君の周りには女の子が多かったからそうやって牽制していないと落ち着けなかった。本当は真っ先に、私の気持ちを伝えるべきだったんだ……」
悔しそうに、握り絞める。小さくて、白い壊れそうなくらいに綺麗な手が。ぷるぷると震えているのは見ていて痛ましかった。
「そんなの……君が謝る必要なんて何処にも無い……」
今までアリスが見せてきた好意も、全部、全部、偽物じゃなかった?
「ハル君が私の事で悩んでる事、気に病んでること、判ってたから。ハル君の気持ちの整理が付くまでは、そうやって小さな積み重ねをしていこうって。いつかハル君の罪悪感が薄れてきた時の為にって打算的に考えてた。そう、考えてたのに――昨日はそんなの全部忘れちゃって、気がついたら口が勝手に動いてた」
ポタポタとアリスの涙が机に滴り落ちる。
罪を犯したのは俺の方だった筈だ。
なのになんでアリスが悔やんでいる?
アリスを――泣かせている……ッ!?
頭の中がぐちゃぐちゃになって。
〝偽物の恋心〟とか〝アリスの本当の気持ち〟とか、訳が判らなくなって。
身体は固まるし、言葉も失うけれど。
目の前で涙を滴らせる好きな女の子の姿が、一つだけ俺に行動を起こさせた。
「やっぱり、謝るのは俺の方だ」
ハンカチをマテリアライズして。俺もまた、机から身を乗り出して俺はアリスの頬を拭った。
そして拭い終わって離れようとした俺の手をアリスはパッと取り。すがるように頬に押し当てる。
ドクン、と心臓が一つなり、自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
「ぐすっ、ありがとう。ハル君……」
また、アリスの目尻から涙がこぼれる。俺はもう一度その涙を拭って。
漸く、核心した。
全てが間違いであった事に。
「君の気持ちを、勝手に決めつけていた。結局、罪だ罰だなんて言って、俺は自分の事しか考えて無かった、愚か者だった」
つくづく自分に嫌気が差す。
どうして失敗してからじゃないと気づけないのだろうか?
どうしてもっと上手く生きる事ができないのだろうか?
どうして――主人公みたいに鮮やかに、アリスに涙なんて流させないで、その心に寄り添ってあげられないのだろうか。
――やっぱり俺は、主人公になれない。
俺の事をこんなに慕ってくれている人が、ずっと、ずっと側に居たのに。その本当の気持ちにも気づく事が出来なくて。
その挙げ句、何度も泣かせてしまうなんて……。
「アリス。俺はやっぱり、自分が良い人間だなんて思えない。俺なんかに価値があるだなんて思えない」
俺なんかが、アリスの側に居続けても良いのだろうか? そんな資格はあるのか?
その気持ちは今だって消えない。
だけど。
「それでも――ある人が言ってくれた。〝価値を決めるのは、自分じゃ無くて他人〟だって。こんなに愚かな俺でも、それでもまだ君は〝好き〟だって言ってくれるのかい?」
例えそれがどんな形で、相手が誰であろうとも。俺を〝特別〟だと想ってくれる気持ちに必ず応えると、ナギさんと戦ったあの日誓ったから。
「当たり前だからね……、ハル君、もう一度言わせて。そして、もう一度答えを聞かせてね……?」
アリスは最後の希望を託すように。
両手で俺の手を包み込む。
切実で、そしてそれだけ本気だと判る程に真剣な眼差しを涙ながらに俺へと向ける。
自然と鼓動が高鳴っていって、心臓が飛び出しそうな気持ちを感じながら。
「ハル君。昔の事も、イーヴィルの事も関係無い。私の気持ちは今の私のモノだから。だから、ね……今の私を見て! ハル君――大好きだよ。私と、付き合って……」
アリスはもう一度、俺に告白をした。
俺は幾度となく過ちを繰り返す。今だってずっと大きな勘違いと失敗を繰り返してきた。それをずっと側で見続けてきて。俺の駄目な所なんて判りきってる筈なのにずっと支えてくれて、好きだと言ってくれる人が居る。
そんな幸せに、漸く気がつく。
「……ありがとう、アリス。こんな俺を、好きになってくれて。こんな俺の為に、泣いてくれて」
惚れた女を泣かせる男なんて最低だった言われるのに。それじゃあ現在進行形で最低じゃないか。
俺の片手を包み込むアリスの手に俺は更にもう片方の手を重ねて。
「俺も――ずっと昔から好きだった。いつかこんな風に、君に好きだって言われる未来を期待していた。でも俺は、それを〝悪しき願い〟だと思い込んでいた」
〝悪しき願い〟なんて、もう何処にも残って居ない。目の前に居るのは、ありのままのアリスだと言うのなら。
「俺で良ければ、いつまでだって側に居る。頼りないかも知れないけれど、また何度も失敗して、回り道して、悩んだりするかもしれないけど、君の想いに応えたい。君を幸せにしてあげたい。心の底から、そう思うよ」
昨日考え込んだ筈の答えはいつの間にか、真逆のモノに変わって居た。