結城友奈は勇者である-黒の章-   作:グランドマスター・リア

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第五十九話:乃木若葉

 

 ある湿った夜。

 瀬戸内海を横断する大橋。その橋上の固いアスファルトの上には、二人の剣士が立っていた。

 

 片方は黒衣の剣士。片方は蒼衣の勇者。

 

「ーー本当にやるんだな?」

 

 最後の確認の意味を込めて、キリトは訊いた。

 張りつめた空気感の中で、両者の目に、互いがどう映っているのかは彼女ら自身にしか分からない。

 

「言ったはずだ。お互いの考えがぶつかり、雌雄を決する必要があるのなら、やる事は一つだと……困った事に、私も、お前も、どうやら頑固な所は似通っているようだからな?」

 

 まるで友達に向けるみたいな、他愛ない微笑を浮かべた若葉。

 これは決戦ではない。ただ一つ、友人同士のたわいないいさかいでしかなく、そんな肩ひじ張るものではない。言外にそう伝えようとしていることは、キリトにも理解できた。

 

「……分かった。もうこれ以上、無粋な事は聞かない。……決着を付けよう」

 

 ようやく意を決したのか、キリトも背中の二刀を抜いて悠然と構えた。

 月光の下に佇む、黒と蒼の二刀、そしてそれを携えた剣士の佇まいはまさしく優美とすら言え、纏う気配の鋭さに若葉は満足そうに頷いた。

 

「ああ、それでは始めようか」

 

 鞘にしまったままの刀に手を添えると、まるで若葉の周囲に不可侵の剣閃が張り巡らされたかのような錯覚をキリトは覚えた。

 唐突に始まったこの試合。だが当然、物事の起こりというのには必ず理由がある。こと戦いにもなればそれは尚更で、始まりは僅か一時間前……一通のメッセージがキリトに届いた所まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 やってしまったという自覚はある。

 少なくとも俺に、反論する余地なんてなかった。若葉の怒りは至極当然のもので、勝手な行動に出たのもそれを是としたのも俺だ。俺自身が正しかったと信じていても、他人にまでそれを押し付けるつもりなんてない。

 そんな方法しか取れない俺に原因があるのだから、言い返すのなんて以ての外だ。

 

「焦っていたのは、俺だったのかもな」

 

 後悔はない。だが、間違えた自覚はある。

 まあ、最初から正解じゃないのなんて百も承知でやった以上、今更何を言っても虫のいい話だ。

 それに、俺だって何の計画もなくこんな事をした訳じゃない。

 次の侵攻まで幾ばくの時があるのか不明だが、それまでにやれることをしなければならない。あんな事があった後でも、動揺するどころか、思考は常に冷静な自分に嫌気がさす。

 

 とは言え、今日はもう何かする気分ではない。窓の外の暗闇は夜も深い事を示しており、そろそろ眠る事も念頭に置く。

 

 その時、特徴的な電子音が鳴り響いた。

 

「っ、何だメッセージか」

 

 ポコンと携帯から音が鳴った事で、深い集中は途切れる。

 

 ――こんな夜遅くに、誰だ?

 

 時刻はすでに十時を回っている。何だか面倒な気配がして、開くか否か迷ったがやがて一つため息をつきメッセージを開封した。

 

「……若葉から?えっと『少し夜風に当たらないか?』って、何だよいきなり……」

 

 一行の文章に位置情報が張り付けられていて、行く先を示している。

 あんな事があったのだから、てっきり長文の抗議でも届くのかと身構えていたのだが、こんな柔らかい内容だとは思わず、肩透かしをくらった気分だった。

 

「って、これ大橋のど真ん中じゃないか!?あいつ、何でこんな所に……」

 

 夜風に当たると言ったら丸亀城の天守とかになるかと思っていたら、その実今は立ち入り禁止となっている大橋のど真ん中なのだ。

 距離的には勇者に変身しなければ行けない距離で、俺はどうしようか一瞬迷った。

 こんな夜更けにひとけのない場所に呼び出すという事は、ただの世間話の類ではないのは明らかで、心当たりなんてのは当然山ほどあるものだから、二の足だって踏むってもの。

 

「どうするかなぁ……」

 

 数秒の葛藤の後、俺はため息をついた。

 

「はぁ……仕方ない。行ってみるか」

 

 無視して後で文句を言われるのも嫌だし、気だるい体に鞭打って最小限の貴重品だけ持って部屋から出た。

 

 寮の前まで出てきて、周囲に誰も居ない事を確認してから『勇者』に変身する。光に包まれた肢体はたちどころに黒衣の剣士のそれへと変化し、常人を遥かに越えた神秘を解放した。

 

「……ふっ、自分で『一緒にするな』って否定しておいて、結局使うしかないんだもんな」

 

 確かにこの力の本質は『神樹』の与える『精霊の加護』とは別物だから、あながち間違ってもいないのだが、便宜上やはりこの力は『勇者』と呼ぶ他にない。

 

「いや、それこそ今更か」

 

 無駄な思考に浸っていた事を自覚すると、俺は両手を頬を軽く叩いてそれを追い出し目的地へ向かった。

 指定された場所へは徒歩や車だとそれなりの時間がかかる場所だが、勇者の身体能力があればあっという間に到着する。

 

 大社によってしかれたバリケードを目下に軽く飛び越えて、宵闇の中を颯爽と駆ける。

 やがて瀬戸内海が間近に迫って、大橋の入口に俺は辿り着いた。

 神樹と大社による幾十の封印がなされた人類最後の防波堤にして、地獄へと続く唯一の道。灯りの無い海峡も真夜中ともなれば相応の物々しさがあって、空に輝く月だけが今は心に安寧をくれる。

 

「若葉の奴、こんな所まで呼び出して一体何を話そうって言うんだ?」

 

 十中八九軽い世間話なんて物じゃないだろう。

 しかし、それこそ本人に直接確認する以外に知る方法はない。ならば、必然と選べる択は一つ。逃げ道がないのは慣れっこなので、道筋は比較的に気楽なものとなる。

 

「こうして見ると、本当に長いんだな。この橋……」

 

 何度か渡った事はあるものの、どれもあっという間に飛び越えるだけだったから、徒歩でじっくりと歩むのは何気に初めてだった。

 いや、今やそれも当然だ。

 何せ、この橋は海峡部だけでも十キロメートルはある。

 その長さたるや以前は『世界一長い鉄道道路併用橋』として、ギネス記録にまで認定されていた程だ。端から真ん中まで徒歩となれば、それなり以上の時間がかかる。

 

 こんな夜遅くに呼びつけたのだから、少しくらい待たせたって罰は当たらないだろうという軽い気持ちで、俺は橋上を歩いた。

 

 固いアスファルトをコツコツと鳴らす音だけが空気中に響いて、静寂を実感する。たったそれだけの事なのに、夜風の涼しさも相まって気持ちって奴は比較的落ち着くものだ。

 

 どれ程か、そうして何も思考する事なく進んでいた。

 けれど、そんな安寧の時間も遂には終わりを告げる。

 

「あれは……」

 

 こう声をこぼしたのは、視線の先に見知った青い装束の少女が居たからだ。

 その人物は俺をここに呼び出した張本人である乃木若葉。

 こちらに背を向けて、特徴的な金色の髪を月光の下、涼やかな夜の海風に揺らしている。その佇まいは凛として流麗で、『嗚呼、なんて綺麗なんだろう』と場違いな感想をこぼしてしまう。

 

「来たようだな」

 

 立ち止まった俺に、若葉が振り返った。彼女はふっと微笑して言った。

 

「呼びつけた私が言うのもなんだが……まさか、本当に来てくれるとはな。てっきり無視されると思っていた」

 

「そう言いつつ若葉だって、ちゃんとここで待ってたじゃないか?どうせ、俺の事だから無視なんてしないって高を括ってたんだろ」

 

「まあな。私の知るキリトは、どれだけ険悪な仲になろうと、理由もなしに仲間の呼びかけを無視するような奴じゃない」

 

 まんまと乗せられたようで癪だが、結局来てしまった俺も俺で甘いという事だろう。

 

「……要件は何だ?こんな所に呼び出して、ただ世間話がしたい訳じゃないんだろ?」

 

 大橋のど真ん中なんて大層な場所を選んだって事は、民衆にも、大社にも、どちらにも知られずに話したい事があるからに他ならない。

 今この大橋という場所は、勇者にとって最も秘匿性の高い場所と言っていい。

 封鎖しているのは大社だが、その大社の幹部クラスだって好き勝手にここへ入る事は許されていない。

 それと比べて、勇者はこうして夜闇に忍べば軽く出入り出来るから、秘密の話をするにはうってつけという訳だ。

 

「ああ……お前の言葉通り、折り入って重要な話だ」

 

 神妙な面持ちで語る。

 何を思うのか、細かな表情の機微までは夜の闇で見えないが、声音だけでも彼女の心情は察せられる。

 

「今日あんな事があって、私は冷静ではいられなかった。何故、お前があんな行動に出たのか、その深い理由までは考えられなかったんだ」

 

 怒っているのか、憎んでいるのか、或いは悲しみ。

 そのどれとも取れるし、逆にどれでもないかも知れない。けれど、遮る事は許さないとばかりに形容しがたい緊張感を内包していた。

 

「だが、どれだけ考えを巡らせようと、変わらなかったよ。私はやはりお前の行動を正しいとは思えないし、認められない」

 

「若葉……」

 

 きっぱりとそう言い切った若葉が顔を上げると、その真剣な瞳が俺を射貫(いぬ)いた。

 

「ここからが本題だ。……キリト、私の願いは一つ。先刻の宣言も、言葉も、全てを撤回しろ。そして、二度とあんな真似はしないと誓え」

 

 有無を言わさぬ言い草に、俺は少しばかり眉をひそめると視線を俯かせた。

 

「……今更そんな事をしたって、意味なんてないよ」

 

 そう、一度言ってしまった以上はもう俺が何と言おうと現状は変わらない。

 むしろ、それが狙いで今回の乱入を決行したのだ。後からテコ入れが出来ないように、以下にすれば印象的になり得るか考えた。故に、今若葉が要求している事は何の意味もない。

 

「だとしても、私はそんな風にお前が腐っていくのは見ていられない。確かに、起こってしまった事はもう変えようはないだろう。だが、これからを変えていく事は出来る」

 

 若葉はつかつかとこちらまで詰め寄る。

 

「話してくれなければ、何も分からない……私は、お前が何を抱えて、何故そんな判断をしたのか、その理由すらまだ知らないんだ」

 

 言われて、俺はハッとした。

 ずっと先延ばしにして、言えていない事があるのは事実だ。切り札の代償の事だけじゃない。他にも沢山、俺には秘密がある。いつかは言わなければ、何処かで言わなければ、そう思いながらもずっと伝えられずにいる。

 千景の暴走の件を境に、俺達の周囲の状況は変わりすぎた。

 もしも、自らの行動も含めてこんなにもこじれていなければ、素直に言えたのかもしれない。分かち合えたのかもしれない。だけど……

 

「………っ」

 

 口を噤んだまま濁った吐息を吐き出すしか、俺には出来なかった。

 それを見て若葉は悔し気に悲痛な表情なすると、数歩、後退った。

 

「そうか。あくまで話す気はない、か」

 

 声音からは明確な落胆が感じられた。

 けれど次の瞬間、彼女は明確に鋭い声色で言い放った。

 

「ならば、やはりもう道はこれしかないようだな」

 

 雲が晴れて月光が再び降り注ぐ。

 その光が若葉の姿を鮮明にして、俺は思わずその鬼気迫る表情に目を丸くした。

 

「構えろ。キリト」

 

「え?」

 

 唐突に若葉はそう告げると、鋭い眼光を俺に向けた。

 

「話す気はないのだろう?ならば、言葉での説得はここまでだ。……意味は分かるな?」

 

 意思表明をするように若葉の手が刀の柄に触れた。途端に空気が張りつめて、ピリッとした感覚が肌を刺す。

 明らかな臨戦態勢に入った若葉に俺はここに来て動揺を露にした。

 

「ち、ちょっと待て若葉。何でそうなる?確かにお前の問いには、まだ答えられないけど、だからって何で戦う必要が……」

 

「お前を一人で行かせない為だ!」

 

 空気を切り裂く言葉の刃に、スッと息を飲み込んだ。

 

「私とお前は、今、小さくも対立状態にある。私はもう仲間を傷つける剣は持たない。何かを壊すのではなく、守る剣であろうと決めた。だが……いや、だからこそ、私は今ここで剣を抜かなければならないのだ。他ならない、お前の意思を否定する為に……」

 

 その言葉を吐くのに、どれだけの苦悩があったのだろう。

 その意思を固めるのに、どれだけの葛藤を抱いたのだろう。

 

 言葉を交わすのは簡単だ。意思一つで出来る。しかし、これが戦いとなると話は変わってくる。戦うには相応の理由が必要だ。相手を斬り、そして自分が斬られるに値する程の絶対的な指針が不可欠なのだ。

 

「言いたくない、知られたくない。お前の意思は尊重するが、守る事はまかりならん。だがもし、それでも自らの正義を貫き通すと言うのなら……剣で、二刀流で退けろ」

 

 若葉の決意は固い。

 何を言ったとしても有耶無耶にはさせてくれないだろう。ならば、必然的に選択肢は一つ。()るしかない。

 

「……どうしても、譲らないんだな?」

 

「ああ」

 

 これは最後通告だ。

 まあ、意味はなかったようだが……

 

「はぁ……たく、ホント頑固な奴だな」

 

 ため息交じりに悪態をつくと若葉は不敵に笑って見せた。

 

「ふっ、お互い様だ」

 

「……それもそうか」

 

 何だか、そんな風に軽口を叩き合うのも酷く懐かしい。

 例え全てを忘れてしまっても、過去の自分が残した思い出と、魂に刻まれた記録は残っている。明確な形で想像できなくとも、俺達にとってあの日々はあまりにも長く、そして重すぎた。約一年、それが俺と若葉達が過ごしてきた日の長さ。

 そして、笑いあった数と、戦いの痛みが、重さだ。

 

「本当にやるんだな?」

 

 答えは決まっている。

 

「言ったはずだ。お互いの考えがぶつかり、雌雄を決する必要があるのなら、やる事は一つだと……困った事に、私も、お前も、どうやら頑固な所は似通っているようだからな?」

 

 若葉の笑みは、これから剣を合わせる者同士とは思えないほどに優しいものだった。

 拍子抜け、とは行かなくとも、それによって緊張が解れたのは確かだ。

 

「……分かった。もうこれ以上、無粋な事は聞かない。……決着を付けよう」

 

 ようやく意を決し、背中の二刀を抜いて悠然と構えた。

 月光の下に佇む、黒と蒼の二刀、そしてそれを携えた剣士の佇まいはまさしく優美とすら言え、纏う気配の鋭さに若葉は満足そうに頷いた。

 

「ああ、それでは始めようか」

 

 抜刀居合の構え。

 鞘にしまったままの刀に手を添えると、まるで若葉の周囲に不可侵の剣閃が張り巡らされたかのような錯覚を覚えた。改めて相対すると、その技の深みに感嘆せざる得ない。思えば、変身した状態で若葉と手合わせをした経験はあまりない。

 

 訓練では、当然、変身状態で行うものもあったが、こうして神器まで持ち出しての決闘はそれこそ今回が初めてだった。

 

 間合いに入れば、息をつく余裕はない。だから今、一度深呼吸をしてベストコンディションに整える。

 

「よし」

 

 思考が晴れる。

 開戦の合図はお互いの踏み込みと同時に切って落とされた。




幻の過去の没稿からようやくこの展開を出来ました
次回は二人の決闘です
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