目を覚ませば、そこは見知らぬ場所――なんて経験、人生でそう何度もするもんじゃないだろうと思っていた。
デスゲームに巻き込まれたり、銃の支配する世界で殺人者と死闘を繰り広げたり、もう一つの現実とも言えるアンダーワールドで世界の命運をかけて戦ったりと、俺の人生には既に有り余る程の非日常があった。
だからこそ、こんな状況でも冷静で居られたのかもしれない。
「すっごい高さ。世界樹といい勝負なんじゃないか?」
目の前の巨木を見上げて、呑気にそう独り語ちる。
今の俺の状況を有り体話すと、目を覚すと何処とも知れない巨大樹の傍で寝転がっていた。
意識を取り戻す直前の記憶は朧気でありながら、最重要と思われる単語だけは明確に脳内に刻み込まれていたのは幸いか。
「『神樹』『勇者』『バーテックス』、そして『天の神』……」
これらの単語は、目を覚ましたと同時に脳内に流れ込んできた記録のような記憶だ。
『神樹』というのが、この巨木を指す事は不思議と確信を持てるのだが、それ以外の単語に関しては強大な災厄であるという事と『勇者』がそれから世界を守る存在であるという事以外に知識はない。
ただ一つ、俺はこの世界で誰かを守るために戦わなければならないという事だけが、明確にはっきりとしていた。
「とりあえずは、情報を集めるしかないか。ここが何処なのかくらいは分からないと、方針の決めようもないし……」
戦うにしたって、こんな状況じゃどうしようもない。
改めて周囲を見回すと、そこは石の切り出された天然の祭壇のような場所だった。まるで、この巨木を神聖視するような配置が、神秘的な雰囲気をより一層に引き立てられている。
「……人は、流石に居るよな?」
様子からしても、少なくとも頻繁に人が手入れされている気配はある。そこの心配がない事だけ一安心だ。
「よし、行こう」
『まずは探索』これはMMORPGの鉄則とも言える。この場で立ち往生していても、何かが得られる気配はない。巨大樹を一瞥して、その様をしっかりと目に焼き付けてから、俺は道なりに歩き出した。
通路は途中で途絶えており、その先は浅い水場となっていた。そこで、状況の分析ばかりで自分に関する事をまだ確認していなかった事に気付く。
「服は、家に居た時と同じ。スマホは、バッテリー切れてるし……何か身体小さくないか?それに、なんだこの感覚……」
服装が寝巻に使っていたTシャツとズボンって言うのは、別に問題ない。スマホのバッテリーが切れているのも許容範囲内だ。
しかし、その後が一番の問題だった。
抽象的に表現するなら、明らかに
何かこうあるべき物が無くて、無い筈の物が付いている感じだ。
近くには水辺がある、水は不自然な程に透き通っていて鏡の役割を果たすには十分だろう。
「どうしよう、凄く見たくないし、確認したくない。でも、これは明らかに……」
確認しない訳には行かない。そもそも視界の端に映り込む長く黒い毛先を認識してしまた時点で逃げ場などないのだ。
――大丈夫、何があっても冷静に……ステイクールだ。
心臓の鼓動を落ち着かせて、恐る恐る水面を覗き込む。そこに映り込んだのは、背まで届く黒髪にくりっとした黒い瞳、見た目的には中学生くらいの体付きをした。――美少女だった。
「っ!!」
瞬間、息が止まりそうになった。
それくらいの衝撃だった。寸前で我に返っていなければ、川のせせらぎに連れられて早くも俺はゲームオーバーとなっていた事だろう。
「危ない、意識が持っていかれる所だった……ふぅ、落ちつけ俺」
目を閉じて、一度深呼吸。眉間をつまんで、叫びたくなる気持ちを必死に抑える。
美少女といったのは、そう見間違う程の美男子とかそういう意味じゃない。文字通り、その名の通り、見間違う筈もなくそうなのだ。
水面に映し出されたのは、俺がガンゲイル・オンラインにダイブした際に使用していたアバターそのままの姿だった。もっとも、今回は姿だけでなく性別まで変えられてしまったみたいだが……
胸に微かに出現した起伏に、下半身の頼りなさ。俺でなきゃその場で発狂ものだ。いや、俺も発狂しかけたけども……
「あ、あははは……いや、全然笑えない」
もうここが何処かだとか、そんなのはどうでもいい。
目前に広がる絶望だけが俺の現実だ。試しに指をスクロールするように虚空で何度も振って見るが、残念ながらシステムウィンドウは現れない。
誰もいない場所で意味もなくそうする様は、果てしなく惨めだった。
「ごめん、皆。俺もう立ち直れそうにない」
剣士キリトこと桐ヶ谷和人は、力なくその場にへたり込んだ。
■
どうしようもない、考えても分からない事は考えるな。そう言い聞かせるしかない時だってある。
気を持ち直した。……訳じゃないけど、目先の目的を再確認した後、どうにか住宅地と思しき場所まで降りてきていた。
すると驚いた事に、先程まであった巨大な樹木『神樹』がきれいさっぱり無くなっていたのだ。
恐らくは幻覚の類だろうかと思ったが、当然もう一度ずぶ濡れになってまで確認しに戻るような気力はないので、もうそこからは考えないようにした。
「たく、下までずぶ濡れだよ。ホント……」
歩いている間に多少乾いたと言え、めちゃくちゃ寒い。
「こんな時、ユイが居てくれたらな……」
ため息を付きつつも辺りを見回した。
住宅街の様子はいわゆる現代日本と相違なく、特に変わった感じはない。どうやら、アンダーワールドのようにファンタジー的な世界という訳ではないらしい。
「それにあれ、間違いなくコンビニだよな。店名は聞いた事ないけど……」
視線の先には、明らかに某大手コンビニチェーン店のような建物があった。もしかしたら、俺が飛ばれたのは別世界の日本なのかもしれない。
それなら聞き込み調査でもしたい所だったが、生憎この格好で誰かに声をかける勇気は俺にはない。今でも周囲の視線が痛いのに、話しかけなんてしたら完全に変人扱いされて終わりだ。
無理無理、耐えられないねきっと。
「せめて、服が乾くまで何処かで暇を潰すしかないか」
住宅街を歩いていると、小学生やら中学生の子供達が下校し始めていた。
日の傾きからしても、暗くなるまで残り二時間くらいと言ったところだろうか。それまでに、今夜の泊まる場所だけはどうにかしたい。
「はぁ……所持金ゼロ、土地勘ゼロの状態であんな場所に放り出すかよ。神様ってなら、もっと太っ腹であって欲しいね」
ここに送り出した記憶の中の誰かさんに悪態を付く。
ただでさえ知らない土地に、こんな体で放り出してくれたのだから、それこそギフト・ボーナスの類いを与えたって罰は当たらないはずだ。
――俺、本当にこの後よくわからない連中と戦わされるのか?
そう思うと、途端にモチベーションが消えていく。
少し時間が経てばもう調査するだけのやる気など失せて、公園片隅で一人途方に暮れていた。
しかし、天啓、神の救いや運命とはいつだって奇妙に俺へ救いを与えてくれる。
「ねぇねぇ、
神はまだ俺を見放してはいなかった。
「はい?」
咄嗟に声のした方に目を向けると、長い金髪を特徴的なリボンで結んだ、ゆったりとした雰囲気の少女が立っていた。
ランドセルを背負っているのと、背の高さからしても小学生だろう。
大方、公園で見つけた不審者に興味本位で声を掛けたとかだろうか?
そういうのは親にダメって真っ先に言われるはずだけど、どの世界にもそういった子供は居るものだ。
「えっと、ごめん。今の『お姉さん』って俺の事かな?」
こっちを見ているし、今の姿形からしてそう呼ばれても仕方がないが念の為に確認しておく。
「そうだよ~。あれ?もしかして、お姉さんじゃなかった~?もしかして、超美形なお兄さん!?」
身振り手振りで感情を表現しているとは、この事を言うのだろう。
少女は最初はゆったりしていたのに、途中からはあっと驚いた様な反応に変わり。率直に言って面白い子だなと思った。
まあ、見れば分かる天然さと不用心さは考えものだが……
「いや、
自分でこんな事を言いたくないが、その不満をこの子に発露しても仕方がない。
「良かった~。間違えてたらどうしようかと思ったよ~」
安堵した表情を浮かべた少女に、俺はもう一度問う。
「それで、俺に何か用?」
これは記念すべき第一村人ならぬ第一異世界人。その第一コンタクトなのだ。下手な手は打たず、慎重に話を進めよう。
「あ~、うん。それでね~。お姉さん、さっきからここで何か寂しそうに途方に暮れてたから、どうかしたのかなと思って……」
そういう風に言われると、途端に返答に困る。
何せ、俺はそういう風に聞かれた際の最適な回答を用意していなかったからだ。
「それは……」
――どう説明するのが正解なんだ?
どうしたものかと考えているうちに、結局は妙案など思いつかず、煮え切らない返答に留まった。
「……分からないんだ。ここが何処で、そして何の為に自分がここに居るのか……分かりやすく言うなら、より厄介な迷子って感じかな」
「おぉ、ミステリアスお姉さんだぁ~」
間延びした口調で、特に驚く様子もなく少女は言う。
「何処に帰ればいいのかも分からないの~?」
「ああ、情けない事にね」
外面だけでも飄々として見せる。
冷静ではあるけど、心細さがないかと言われれば嘘になる。
「うーん……それじゃあ、一緒に探そうよ~!お姉さんの帰る場所!」
「え、俺の帰る場所?」
「わたし、これでもこの辺の事には詳しんだ~。一緒に探せば、もしかしたら見つかるかも知れないよ~!」
屈託なくはにかむ少女の笑顔は、本当に見つかるような気さえしてくる。
そんな事は有り得ないと分かっていても、もしかたら現状に突破口を拓く鍵になるかも知れない。だが、俺は本当にそうという訳じゃない。
これから危険な戦いに赴くかもしれないのに、こんな幼い子を連れまわす訳に行かない。
「申し出はありがたいけど、流石にそこまで世話になる訳には……」
けれど、その言葉が完結する前にそれは突然訪れた。
チリン。
風鈴のような音が聞こえた。と、同時に世界そのものに異変が起きる。否、起きてしまったと言う方が正しいだろう。
「……なんだ?」
――風が止まった?
それだけじゃない。
草の揺らめき、人の声や動きさえも、世界の動きそのものが止まってしまったかのように停止していた。それも目の前の少女を除いて、である。少女の方はというと、心底驚いた様子で俺の事を見つめていた。
「え、お姉さん何で動けるの~!?」
「いや、何でと言われても俺にはさっぱり……」
この事態の詳細についてなら聞きたいのは俺の方だ。
今の口ぶりからして、彼女はこの不可解な現象について何らかの知見があると見た。
「なあ、これは一体……」
そんな言葉が形になる前に世界が揺れ、光った。ずっと向こう、七色に輝く光の壁が世界を塗りつぶすように迫ってくる。
「え?」
数秒と経たずに、その光は目前まで到達していた。
「ちょっ、待……」
余りの眩しさに目を