田の囲まれた道を往くバス。
お昼過ぎの陽光が窓から差し込む社内で、揺られる千景は携帯ゲーム機の世界に一人のめり込んでいる。
「ぐんちゃんの故郷、すっごく楽しみ!」
「高知は行ったことなかったから、いい機会だったよな」
……はずだった。
千景の隣には約二名の少女が、千景の陰鬱な気分など知らずに談笑している。友奈とキリト、この二人が何故千景の久方ぶりの帰郷に付いてきているのか。それはかれこれ、当日の朝に遡る。
◇
バーテックス撃退の報道が成される中、若葉を始めとする勇者達には、訓練や戦闘以外の所謂世間に向けた取り組みも要求された。
主にマスコミやテレビのインタビューを受け持ったのはリーダーである若葉だったが、それ以外のメンバーも少なからず忙しい日々が続いていた。それがある程度収まった時、勇者の面々には順番に纏まった休暇が出された。
天恐の母の容態が悪化した事を千景が知ったのは、そんな折だった。
天空恐怖症候群。そのステージ3に突入し、近いうちに入院を余儀なくされる母に合う事を提案した父の言葉を断る理由も無かった千景は、休暇初日の朝に手軽な荷物を持って、布袋に包まれた『大葉刈』を片手に駅へと向かおうとしていた。
そんな道中の事だった。丸亀駅の改札前にて、怪しげに周囲を警戒しながら切符売り場に向かう友奈とキリトの二人を見つけたのは。
「……高嶋さんと、桐ヶ谷さん?」
言葉に反応した二人がばっと振り返って、慌てた様子で右往左往する二人に千景は訳も訳が分からず怪訝な顔をした。
「ぐんちゃん!?どうしようキリちゃん、もう見つかっちゃったよ!」
「落ち着け友奈!まだ、そうと決まった訳じゃない!」
二人は何やら示し合わせたあと、苦笑しながら言った。
「えっと、やあチカっち。その、チカっちはどうして
キリトに聞かれて、千景は若干不機嫌そうに答える。
「休暇よ。折角の機会だから、ちょっと実家に帰るの」
その言葉を聞いたキリトと友奈は顔を見合わせる。
「里帰りって事か?じゃあ、若葉の差し金とかじゃないんだな?」
「何でそこで乃木さんが出てくるのよ?」
そこまで話した所で、二人はほっと胸を撫でおろした。それを見た、千景は目を細める。
「……怪しいわね。そもそも桐ヶ谷さん、あなたはまだ休暇貰ってなかったわよね?高嶋さんも、検査入院中なのに外を出歩いて大丈夫なの?」
勇者は香川防衛の要である為、全員に一度に休暇を与えることは出来ない。
よって、各々に順番に与えるという事になった。この前、キリトと部屋でゲームをしていた時に聞いた話では、彼女の休暇は最後なのでもう少し先だと言っていた。今は平日の朝、他の皆すでに教室でホームルームの真っ最中のはずで、ならばキリトがここに居るのはおかしい。
次に友奈だが、彼女は今は前回の『切り札』の使用の経過を見る為に検査入院中の身。病院周辺の散歩程度ならまだしも、こんな駅に居る時点で明らかにおかしい。
「いや、それは……」
「これは、あのぉ……」
図星、つまりは黒である。
「乃木さんに連絡するわ」
きっと今頃、丸亀城では若葉が血眼で探しているはずだ。
今のうちに引き渡すのが二人の為だろう。スマホを取り出して、SNSアプリから若葉に連絡しようとした所で待ったがかかる。
「ま、待ってチカっち!話を聞いてくれ!」
「そうね、後でゆっくりと聞いてもらいなさい。乃木さんに」
第一、庇ったりしてとばっちりを喰らうのは御免だ。
「ぐんちゃん!キリちゃんは悪くないの!私が入院生活が退屈だって言ったから、そしたらキリちゃんが抜け出そうって言ってくれて……」
友奈の必死の訴えに、スマホを操作する手が止まる。
「高嶋さん……でも……」
どういった経緯で友奈がキリトに相談するに至ったのかは気になる所だが、それはそうと恐らく友奈の言う事はその場限りの嘘などではない。
勇者は四国を守る最重要人物として、少しでも不調であれば大袈裟なくらいの検査をされる。気分的には悪い所なんて殆どないのに、経過観察だけの入院生活を強要される事ほどつまらない事も無いだろう。
それを不憫に思ったキリトが息抜きと称して友奈に『抜け出し』を提案する。――実にあり得る話だ。
友奈も中学生にしては豆で真面目な少女ではあるが、他人からの厚意を無下にできないお人好しでもある。そこが彼女の魅力なのだが、事が事だけにそれが裏目に出てしまっている。
本来なら、千景は心を鬼にしてすぐさま二人をあるべき場所に帰すべきだった。
しかし、友奈にお願いされたら断れない彼女の性分がここに来て事態をややこしくした。
「…………分かったわよ」
スマホを持つ手を下げて、困ったように告げた千景。
「よし、ナイスだ友奈!」
キリトも友奈もこれには、顔を見合わせてハイタッチ。
「何で朝からこんなに疲れてんのかしら……私……」
憂鬱な気分が更に低くなった気がする。
唯一の救いは友奈の笑顔を見れた事だろうか。
「はぁ、もう良いわ」
幾ら若葉に怒られるのが嫌だと言っても、流石に暗くなるまで行方をくらますような事はしないだろう。
態度こそ軽薄でも、キリトはその辺りの線引きは出来る人間だ。友奈と彼女を二人きりにするのは大変不服だが、生憎と里帰りの予定があるので今日中ずっと二人を見張る事は出来ない。
あんな場所に帰るくらいなら二人と遊んだ方が楽しいに決まってるが、そこをどうこう言っても今更どうにもならない話だ。
――本当に、何であんな場所……
二人が仲良さげに話す姿が、あんな村に戻ろうとする自分を惨めにする。
片や学校をサボって、片や病院から抜け出した友達と町で遊ぶ。外面上は決して褒められた事ではないが、中々どうして今の千景には一等眩しいものに見えた。
「ぐんちゃん?」
友奈の心配そうな声を聞いてしまったと表情を引き締める。
「大丈夫よ、高嶋さん。それじゃあ、私はもう行くから……」
これ以上マイナスな感情な芽生えない内に立ち去ろう。
そう思って、高地行きの改札に向かって歩き出そうとした。
「……チカっち、ちょっと待ってくれ」
その時、何を思ったのか。キリトが千景を呼び止めた。
「まだ何かあるの?」
不機嫌さを隠そうともさず低い声音で聞き返すと、キリトはそれを気にした様子もなく言った。
「えっと、チカっちはこれから里帰りなんだよな?」
「……さっきも言った通り、そうだけど……だからなに?」
「いや、大した事じゃないんだけどさ。チカっちの地元ってどの辺りなのかなって思って」
そんな事を聞いてきたキリトを訝しむが、特に隠す理由もないので答える。
「高知よ。周りを田畑に囲まれた、至って普通の村落……」
そして、千景の人生に最悪の記憶を植え付けた地。
普通の人なら当然に持っているような、故郷への愛情とか、淡い思い出とか、そんな物はない。あるのは口に出すのも憚られる醜悪と、吐き気のするような邪悪を綯い交ぜにしたような悪感情だけ。
『至って普通』なんて表現をするだけで、自嘲の笑みがこぼれてしまいそうになる。
そんな風に思っていると、千景のマイナスな思考を吹き飛ばす驚愕がキリトの口から発せられた。
「高知か。んー、逃げ先としては丁度いいな」
唐突に口から出たキリトの言葉に、千景はただ「は?」と困惑の反応を示した。
「ごめん、友奈。少しいいか?」
「え、なになに?」
キリトが友奈に耳打ちする。
それだけで千景の胸は相当にモヤつくのだが、そんな千景をよそに二人は小声で話を進めた。大体一分ほど経った頃、二人は頷き合う。どうやら話は纏まったようだ。
そして、何やら揃って二人は真剣な顔つきを千景に見せる。
「チカっち」
「ぐんちゃん」
身構える千景。
「い、いきなり何よ?」
あの友奈とキリトが約一分程も綿密に打ち合わせた末の言葉だ。どんな奇想天外、奇々怪々、魑魅魍魎が繰り出されてもおかしくない。
どんな状況になろうと冷静さを保つために、千景は受けの構えで二人の言葉を待つ。しかし、そんな千景の渾身の防御姿勢も次の瞬間に二人の少女からの飛び出した言葉によってグズグズな張りぼてと化した。
「「ぐんちゃん(チカっち)の地元。付いて行っても良い?」」
「…………は?」
千景の思考は、本日何度目かの困惑に包まれた。
付いてくる?
この二人が?
あの穢れた場所に、友奈とキリトが来る。純粋無垢で汚しがたい存在である友奈を、そんな場所に連れていくなど千景にとって許容できる事じゃない。
「絶対にダメ!!」
声を荒げた。
普段は大声なんて出さない千景の剣幕に、友奈はビクリと肩を震わせた。キリトも困惑しているようだった。
「ぁ、えっと……」
しまったと思った。
「……ご、ごめん!そうだよね?ぐんちゃんも、流石にそこまで付いてこられたら迷惑だろうし……嫌、だよね……」
苦笑しながら言う友奈。
違う。そうじゃない。
迷惑とか、嫌だとか、そんな理由で断ったんじゃない。彼女にただ、そんな汚い物を見て欲しくなかっただけで……
「まあ、いきなり言い出した俺達も悪いしな。すまない、チカっち」
飄々として見せているキリトも、心なしか申し訳なさを滲ませていた。
「ちが……そうじゃなくて……」
千景自身も、生まれ育った地元が良い場所なら二人の同行を嬉々として受け入れただろう。しかし、現実はその真逆。二人との関係は千景がこの香川に来てようやく手に入れた安寧で、せめてあんな場所とだけは関わって欲しくなかった。ただ、それだけなのだ。
友奈とキリトにあの地に踏み入って欲しくない気持ちと、悲しませたくない気持ちの板挟み。
そんな中で、突きつけられる二者択一に苦悩する。
「…………」
あの地を離れてから、もう随分と時間が経っている。
今、あの村がどうなっているのか千景は知らない。ただ確かな事として、千景が勇者になった事実は間違いなく広まっている。そして、友奈とキリトも若葉ほどではないが有名人だ。心底、業腹な事ではあるが、人間とは後ろ暗い事があれば無意識にそれを隠そうとする。
それが、勇者相手ともなれば尚更だ。
ならば、二人を連れて行ったとして、必ずしも事件の数々が露見するとは限らない。
――そうよ。私が表に出しさえしなければ、きっと二人だって気付かない。
二人との溝を作らず、自分の過去も知られないようにする。そう難しい事じゃない。あまりの驚きに冷静な思考を失っていたが、考えてみれば簡単な話だ。
「ごめんなさい。いきなりの事で、私も少し動揺していて……だから、別に二人を拒絶したかった訳じゃないの」
そもそも、あんな大声で怒鳴ったら誰だって気まずくなる。
最初からやんわりと傷つけないようにしていれば、こんな苦悩もせずに済んだ。
「本当に?ぐんちゃん、怒ってない?」
「そこの馬鹿と違って、高嶋さんに怒るなんて……そんな事ある訳ないわ」
何やらキリトが抗議の声を上げているが全て無視する。
「でも、私の地元は本当に何もないから……きっと、ろくなおもてなしも出来ないと思う」
建前とは言え、これ自体は事実だ。何処かで上手い嘘の付き方は適度に真実を混ぜる事だと聞いたことがあるが、まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。
「それでも良いなら……二人が一緒に来てくれるのは……構わないわ」
自他共に認める内気な性格の自分にしてはよくやったと、千景は自身を褒め称える。
「それじゃあ、良いのか?付いて行っても……」
「そうよ」
以前までの千景なら、そこで首を縦に振る事はなかっただろう。
それが成長した証拠だと言う事を本人は自覚していない。しかし、その代わりに彼女はこの先の何処かで、この場でした選択を改めて良い物だったと振り返る時が来る。
何しろ、この選択が彼女自身の運命すらも変える事になるのだから。
◇
停車のブザーが鳴る。
「降ります」
辛うじて運転手が聞き取れる声量で言って立ち上がると、隣に座っていた友奈にも声を掛ける。
「高嶋さん、桐ヶ谷さん。付いたわよ」
キリトはうつらうつらと船を漕いでいて、友奈に肩を叩かれていた。
「うん!ほら、キリちゃん。起きて!」
「ん?あぁ、分かった……」
キリトと友奈も千景に付いてバスを降りる。
友奈は目の前の風景に元気ハツラツな様子だが、キリトは未だ寝ぼけまなこで大きな欠伸していた。
「あなたはいつまで寝てるのよ……」
提案者が現地についても眠りこけている事にイラッと来て、軽く小突くとようやく目を覚ました。