結城友奈は勇者である-黒の章-   作:グランドマスター・リア

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第十七話:禍根

 

 バス停から数分も歩くと、一階建ての小さな借家に着く。

 ここが千景の実家だ。一歩進む度に憂鬱な気分に苛まれる千景とは対照的に、友奈とキリトの二人は終始周囲の景色や雰囲気に一喜一憂しているようだったが、千景は家の前で止まると鍵を開けて扉を開く前に、二人に断りを入れた。

 

「片付けとかあるから……ちょっと待ってて……」

 

 一応、二人が来る事は親にも伝えてあるが、どうせあの父親が片付けなんてしているはずがない。

 思って、家に入ると案の定、捨てられていないゴミの悪臭が漂っていた。埃が溜まって、床には空き缶や空き瓶が散乱している。隅に置かれたゴミ袋は回収日から何週間も放置されているようだった。

 

「ただいま」

 

 ため息交じりのそれに返す言葉はない。

 廊下に上がり、空き缶を避けて居間に入るとそこには最後に見た時よりも随分と老け込んでしまった母の姿があった。薬を飲んで眠っているのだろう、布団に伏せっている姿はとても三十代には見えない。

 

「これじゃあ、二人を泊めるのは無理ね」

 

 期待などしていなかったが、今からゴミだけでも掃除した所でこびりついた匂いはそう簡単には退去しない。

 自室はまだある程度はマシだろうが、そんな場所にあの二人を一晩寝かせるなんて、それこそ千景には堪えられない。早々に二人の宿泊先を考える必要があった。そんな中、向かい側の襖が開いてそこから父が部屋に入ってきた。

 

「千景、帰ってたのか!久しぶりだな、元気にしてたか?」

 

 大袈裟に両手を広げ、あたかも愛情ある親みたいに喜ぶ様は道化のよう。

 心にも思っていない癖にそんな風な反応を見せる父に、千景は嫌気がさした。とうの父はというと、千景の持つ布袋に包まれた大鎌を見て一瞬顔を強張らせたが、すぐに作り笑顔を貼り付けた。

 

「それが勇者の……大変だっただろう?」

 

 『大変』か。

 命をかけて戦う娘にかける上等台詞は、今の千景にとって一切心に響かない。無機質な音として、耳に入るだけだ。

 

「それよりお父さん……掃除くらいちゃんとして……部屋にも廊下にもゴミが溜まってる」

 

 『勇者の友人二人も一緒に帰ってくる』。確かにそう伝えたはずなのに、部屋を整理した様子も、外面上だけでもそうしようとした形跡も一切ない。この男は家事が全く出来ないし、しようともしない。

 

「あ、ああ。けどなぁ、母さんの看病が忙しくてな」

 

 言い訳がましく言う父に、千景はそれ以上言っても無駄だと判断して目を細めるだけに留めた。

 

「すまんな、千景。母さんがこんな事になって」

 

「ううん……丁度、休暇もらえたから……」

 

 天空恐怖症候群。

 三年前のバーテックス襲来以来、この四国の多くの人がその病を患っている。この病気は天空から襲来したバーテックスへのトラウマから発症する精神的なものだが、症状の度合いは様々。全部で四段階あるステージのうち初期段階のステージ1なら、外出や空を見上げるのを嫌がったりするくらいでも、ステージ3にまで進めば頻繁に起こるフラッシュバックと発作で薬が手放せなくなる。当然、外出も働く事も出来ない。

 病が進行してステージ4になると、自我の崩壊、記憶の混濁、発狂に至る。

 母は先日、ステージ3の診断を受け、この段階まで進むともうステージ4まで幾ばくも無いと云う。

 だから、父はそうなる前に千景に母に合う事を勧めた。

 

「千景、お昼ご飯食べてきたか?お友達も来てるんだろう?何か出前でも……」

 

「いいよ……もう食べてきた」

 

 お昼なら既に、駅近のファミレスで二人と一緒に食べていた。

 そうでなかったとしても、きっとここで首を縦に振る事はなかっただろう。

 

 背中を向けて今の出入口に向かうと、父の声がかかった。

 

「どこに行くんだ?」

 

「……友達を待たせてるから……せっかく帰って来たし、近くを案内する……」

 

 それ以上言葉を交わすことなく千景は足早に部屋を出た。

 

 ――やっぱり、帰ってくるんじゃなかった。

 

 後悔しながら外に出ると、そこには変わらない二人が待っていた。

 

「チカっち、遅か……」

 

 千景はキリトの言葉を無視して歩いて行く。

 

「ちょっ、ぐんちゃん!?」

 

 困惑気味に声を上げた友奈。

 二人は顔を見合わせると、置いて行かれないように千景に付いて行く。稲田の間に敷かれた細道を歩く千景の後ろ姿からは、その表情は見えない。しかし、只ならない様子を感じ取った二人はどう声をかけるべきか迷った。

 

「えっと……家で、何かあったのか?」

 

 沈黙を打ち破って、先に問いかけたのはキリトだった。

 

「別に……」

 

 二人に村を案内するというのは嘘だ。

 ただ、あの空気から逃げ出したかった。

 千景はあの家が嫌いだ。疲れ果てた両親の姿も、雰囲気も何もかもが息苦しい。

 どうしてこんな事になったのか。もう思い出したくもない。小さな子供をそのまま大人にしたような父と、不倫した母。泥沼な環境の中で、狭いの村の中で立場が悪くなった郡一家。

 それが原因で、学校では陰湿なイジメを受けた。そして、味方であるはずの両親は子供である千景を押し付け合って離婚出来ない状態から、千景の事を呪うようになった。子供さえ居なければ、きれいさっぱり過去を精算できる。それなのに、娘が居るから……と。誰からも褒められず、必要とされず、常に無価値を囁かれ続ける。

 

 いつしか千景は、自分が『無価値な人間』だと自覚した。

 

 耐え難い環境は、千景の人間性を歪めるには十分過ぎた。

 

「…………母さんの容態が思ったより悪くて……」

 

 そして、また、嘘を付いた。

 今度は付いてくる二人の友達に。

 

「「っ」」

 

 友奈とキリトは同時に息を呑んだ。

 一応、二人には母の病気の事はやんわりとだけ話していた。ステージ3という点は伝えていなかったが、今の言葉で大方その辺りの察しは付いたのだろう。とはいえ、千景からすればそんな事で二人が気に病む必要はないと思う。

 正直もう、彼女自身からしてもどうでもいいことだからだ。

 こんな場所がどうあろうと、どうなろうと、全てがどうでもいい。今の自分の居場所はここじゃない。

 そう思うと余計に、帰省した事を後悔した。

 

 ――やっぱり、帰ろう。

 

 一泊はしていくつもりだったが、一秒でも長くここに居たくなかった。

 何より、二人にこんな自分を見せ続けるのが耐えらない。香川に戻れば、友奈と楽しく話せる。あの場所なら、キリトとまたゲームを出来る。

 

 虐げられ続けた千景に、友奈は屈託なく話しかけた。

 キリトは純粋な友達として、フラットに接してくれた。

 

 どちらも同情や憐憫からそうした訳じゃない。何もない、まっさらな自分に笑ってくれる。まさにそれは、千景にとっての救いだった。

 

「あの……二人共……」

 

 付いてきてくれた二人に申し訳なく思いつつも、言い出そうとした時。

 その言葉は目の前に見えた建物に飲み込まれた。

 

 そこにあったのは、以前まで千景が通っていた小学校だった。この学校には忌まわしい思い出ばかりがある。クラスで一人俯いて過ごす千景に、周りは様々な悪口と、蔑称を吐き捨てた。それが当然であるかのように、校内には味方が居なかった。

 親の不倫をきっかけに、小学生では意味も知らないような汚い言葉で、教師も生徒も隔てなく千景を貶めた。

 着ていた服を脱がされ、焼却炉で燃やされた。

 押さえつけられて、髪を切られそうになった時、誤って耳を切られた事もあった。この時の傷は、今も癒えず千景の長い髪の下に隠されている。

 

 キリトを見る。

 

 友奈を見る。

 

 どちらも心配そうな表情をしていた。

 

 ゲームにのめり込んだきっかけもイジメだった。イヤホンを耳にさせば、悪口は聞こえない。仮想の世界に飛び込めば、全てを忘れられた。

 そうすれば、何も聞かなくていい、痛まない、傷つかない。

 思い出して、千景はキリトに申し訳なさにも似た気持ちを抱いた。純粋にゲームを楽しみ、そしてゲーマー友達として千景にあれやこれやと接してくれるキリトの感情を汚しているみたいだった。

 

「ここ、もしかしてぐんちゃんの通ってた学校?」

 

 友奈の問い。

 

「ええ、そうよ」

 

 負の感情を隠して答えた。

 隠して、隠して……ゲームに集中すれば、何も、痛く……

 かけ続けた自己暗示が不意に途絶える。傷ついた耳がじくじくと痛みだした。拒絶すればする程に溢れ出てくる最悪の思い出。咄嗟に耳を押さえて、顔を顰めた。だけど、すぐにしまったと思った。

 

「チカっち!」

 

 キリトと友奈が心配そうに駆け寄っていた。

 

「どうしたんだ?具合でも悪いのか?」

 

 真剣な表情で、見つめる黒い瞳。

 赤い髪の少女は隣に寄り添ってくれた。

 

 痛くない訳がない。

 

 幾らゲームに没頭しても、罵りは聞こえる。痛みは感じる。ゲームはある程度の逃避は受け止めしてくれても、それら全てを誤魔化す魔法の道具ではない。誰も味方の居ない千景は、独りで傷つくしかなかった。

 どれだけ自らを周囲から隔離したって、何も変わらない。解決しない。むしろ、味方が居ない現実を痛感するみたいで余計に辛かった。

 

「大丈夫、よ……」

 

 言葉とは裏腹に、目の奥が熱くなった。

 

「大丈夫って……」

 

 千景を介抱するキリトは、彼女が今にもへたり込みそうな程に苦しんでいる事を感じ取っていた。

 そして、千景が苦し気に押さえている場所を見てはたと思う。少し前に千景とゲームをしていた時に、耳にある傷を見てしまった事があった。普段は髪に隠れたそれが偶然見えて、さり気なくその事について聞いてみると、彼女はその時『昔、事故に遭った』とだけ返した。

 それが真実ではない事はその時点から分かっていたが、隠す理由があるのならと追及はしなかった。

 どうにも、千景の過去には言い表せない闇のような物が見え隠れする。学校を見た瞬間、こんな風になったのも無関係だとは到底思えない。

 

「……友奈、とりあえずチカっちを落ち着ける場所に連れて行こう」

 

「う、うん!ぐんちゃん、歩ける?」

 

 友奈が肩を貸す形で千景は歩き始めた。

 キリトが手頃な場所を探している。だが、その時、予想外な事は起こった。

 

「あなた……郡さん?」

 

 背後から呼び止めた声に反応して振り返ると、そこに居たのは千景の担任だった女性教師だった。

 

「ぐんちゃん、この人は?」

 

「……私の、前の担任だった人よ……」

 

 彼女の事を『あの親の子供ならろくな大人にならない』、そう卑下した人物でもあった。

 そんな過去を知らない友奈とキリトは安心したような表情を浮かべた。

 

「担任の先生?良かった。それなら……あの、実は千景さんが……」

 

 事情を説明して、出来れば学校にある保健室でも使わせてもらおうと思った。しかし、キリトの言葉は教師が話し出した事で遮られた。

 

「どうしてこんな所に居るの?みんなもう、あなたの家へ行っているわよ?」

 

「……?……私の家?」

 

「そうよ。あなたが帰って来た事、もう伝わってるから」

 

 狭い村なので情報伝達が早いのは不思議な事ではないが、疑問に思ったのは何故みんなが家に集まっているのかという事だ。千景だけでなく、キリトや友奈も困惑していた。そんな中、先生が「さあ、行きましょう」と千景の手を引っ張る。

 

「ちょっと待ってください!ぐんちゃんは今、具合が悪いんです!もう少し休ませてから……」

 

「あら、そうなの?郡さん。……でも、大丈夫よね?郡さんは勇者様なんだから」

 

 友奈の聞いた教師はさも当然かのようにそう言い放った。キリトが「は?」と声を漏らし、震えた声で問い質す。

 

「あんた、何を言って……勇者だから大丈夫?どう見たって、チカっちは苦しんでるじゃないか!」

 

 勇者だから、勇者なら、そんな人を人とも思わないような言い方にキリトは怒りを露わにした。

 なのに、教師は何を言っているのか分からないと言った様子で震え上がる。

 

「も、申し訳ありません!勇者様!何か気に障った事がありましたら、謝罪致します!」

 

「何か、だと?本気で言ってるのか?」

 

 怒り以上の困惑がキリトの頭を埋め尽くした。

 そこで教師の千景を見る目が、まるで汚い物を手のひら返しで崇めたように淀んでいる事に気付く。もっと簡単に言えば、自分とは同質ではない何かを見る目だ。しかし、キリトや友奈に向けられるそれともまた違う。

 壮大な畏敬の念の裏に隠れた醜悪な感情を、キリトは知っていた。

 『黒の剣士』の記憶においてビーターと周囲から蔑まれた時、その者達もこんな目をしていた。自分が実際に体験した物ではなくとも、同化した自身の経験ではあるからハッキリと分かる。

 

「……ん、チカっち?」

 

 その時、服の祖を掴む感触がした。

 千景だった。彼女はキリトと友奈の服を握って、目を向けたキリトにふるふると首を横に振っていた。泣きそうな表情で訴える千景には、苦しみ、悲しみ、怯え、といった数え切れない負の感情が見て取れた。

 

「ゃ、めて……桐ヶ谷さん」

 

 千景の消え入りそうな言葉を聞いた瞬間、熱の上がった思考が急激に冷める。

 この場で怒りに任せて教師を糾弾するのは簡単だ。しかし、千景は今こんなにも苦しんでいる。この場で彼女の為にするべき事は何か……それを冷静に考えた時、キリトは一つの答えを導き出した。

 

「友奈、荷物を頼む」

 

 言葉と同時にスマホを取り出して、勇者専用アプリを起動した。

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