過去最大かつ類を見ない巨大な進化体の侵攻。
如何に無尽蔵に侵攻してくるバーテックスと言えど、一度の戦闘でそれだけの戦力を投入すれば、補充にはそれなりの時間を要する。
『丸亀城の戦い』にて、殆どの個体を撃破されたバーテックスが休眠期にような状態に入った事を大社から知らされたのは、それから一か月後の事だった。
これの意味するところ。それは当初、案としては上がりつつも結局実行される事がなかった『結界外の調査』が可能になった事を示唆していた。
元より、勇者達を抱える大社が公約として掲げる究極的な目標は『バーテックスから四国を守り抜く事』ではなく、結界の外の奪還。或いは、生き残りを保護する事にあった。
バーテックスによって破滅した世界において、神樹の結界なしでの生存は絶望的。しかし、可能性は例え一パーセントに満たなくともゼロではない。もしかしたら、今もどこかに隠れ生きている人々がいるかもしれない。
ならば、若葉達にとって取る選択肢は一つのみ。
彼女たちの結界外調査の準備から結構までの段取りは急ピッチで進められる事となった。
■
出発を目前に控えた朝、勇者達は大橋前の記念公園に集まっていた。
白み始めた空は天気良好、ともすれば絶好の旅行日和である。皆、既に勇者装束に換装していて、いつでも出発できる状態だ。
「それじゃあ皆、気を付けてね。特に若葉とキリト、あなた達はハードな無茶だけはしないように」
元勇者である歌野と水都が見送りに来ていた。その理由は勿論、若葉達を思っての事でもあるのだが、それ以上に歌野の故郷である『諏訪』も彼女達の調査目的の一つに入っていたからだ。
「いや、何で俺と若葉だけ名指しで……」
「しかし言い返せないのが辛い所だな」
キリトも若葉も自らの前科を理解している為、歌野の釘刺しを粛々と受け入れた。
「ひなたさん。きつい旅路になるかもしれませんけど……皆の事、お願いしますね」
「はい。水都さんのように導けるかはわかりませんが、万事お任せください」
水都は同じ巫女であるひなたと言葉を交わした。
何事もそつなくこなせるひなたであるが、四国の外に出るのはおよそ三年ぶりの事であり、バーテックスが世界を壊してからは初めての遠征であった。それもあって、先の諏訪の住民の避難を先導した水都からは、事前に幾つかのアドバイスを聞いていた。
結界の外において勇者に守ってもらうしかない巫女が、どのように彼女達の助けになるべきなのか。これらはひなたの胸中にあった不安を和らげる手助けをしてくれた。
「そろそろ時間だな」
若葉の号令で出発が告げられる。
「待て若葉、ひなたの事は誰が……」
そう、ひなたは勇者とは違って普通の人間だ。巫女とは言っても、身体能力はあくまでの並みで、勇者の誰かが担ぐなり背負うなりする必要がある。
球子はそれを誰がやるのか聞こうとすると、若葉は当然のようにひなたは横抱きに……所謂、お姫様抱っこの様相で抱えた。
「では行くか」
口笛を吹く歌野に、黙り込む面々。
「何というか、さすが若葉というべきか……」
「……?何かおかしいか?」
周りの反応やキリトの言葉の意味が分からず首を傾げる若葉。
「まあ、あなたがおかしいと思わないんなら……いいんじゃないかしら?」
「お姫様と王子様みたいだね!」
やれやれと言った様子で苦笑する千景とは対照的に目を輝かせる友奈。そしてとうの本人であるひなたは顔を赤らめていた。
「じゃあ、若葉さんの荷物は私達で持ちます!」
杏が若葉とひなたの荷物をそれぞれに分担して、ようやく出発の準備が整った。
「よーし、それじゃあしゅっぱーつ!!」
友奈の号令で勇者達は記念公園を跳躍した。
一飛びで大橋に飛び移ると、車すらも超える速度で大橋を渡り始めた。現在、四国から本州に至る道はこの丸亀から伸びる瀬戸大橋一本であり、それ以外の連絡路は既に崩壊している。
三年前よりも以前なら車が行き交っていたはずの道路を、勇者の身体能力で駆け抜ける。
この橋を最後に車両が通行したのは、半年前の諏訪からの避難民を受け入れた時が最後で、それ以降は封鎖されたこの橋に踏み入った者はいない。
「まさか、またこの橋を渡ることになるなんてな……」
キリトは感慨深げに呟いた。
過去に一度だけ、彼は四国側から本州へと渡った事がある。あの時は一分一秒を争う状況で感慨にふける暇もなかったが、いざこうして落ち着いているとどうしても様々な事を考えてしまう。
「今回は一人じゃないでしょ?それなら……前とは一緒じゃないわ」
その呟きを聞こえたのか、千景がキリトにそう言った。
「……だな。それに、今回はタマっちのアウトドア道具のお陰で、前よりも快適な旅になりそうだし」
寝袋なしで雑魚寝が基本だったキリトからすれば、これ以上にありがたい事はない。誕生日の時に球子から貰った寝袋も、今は纏めた荷物の中にしっかりと入っていた。
「そうね、本当に人生って分からないものよね」
「人生について考えるほどかよ!?」
タマの抗議の声にキリトも千景も苦笑した。
やがて、大橋の終端に近付き、和やかな雰囲気は途端に緊張感のあるものへと変わった。岡山県の倉敷市、その埠頭に位置する工場地帯と倉庫群は無残に破壊されていた。何かしらの爆発事故でもあったのか、豆腐型の建物は内側から弾け飛ぶように破壊されており、当時の凄惨さを物語っている。
「キリトさんは、諏訪からのこちらに戻ってくる際にここも通ったんですよね?その時、生き残りは?」
杏の問いにキリトは首を横に振った。
「多分、倉敷市内に生き残りは居ないと思う。少なくとも、人口が一番多かった平野部にそれらしい気配はなかった」
もっとも、当時はキリトや歌野もバーテックスの大群を退けるのに必死でそこまでの余裕はなかった。
とは言え、生存者の捜索とまでは行かずとも細心の注意を払いながら進んでいたし、何よりキリトに関しては
「そうですか……」
落胆の色をにじませた杏にキリトは穏やかな声音で言った。
「まあ、可能性はゼロって訳じゃない。探すだけさがしてみよう」
その後勇者たちで生き残りを探したが、結局それらしき痕跡はなかった。
捜索を断念した勇者達は岡山を出て、一直線に兵庫へと向かう。国内でも有数の大都市だった神戸を重点的に捜索する為だ。仮に生き残りは居なくても、少なからずその痕跡くらいは出てくるだろうと踏んでの判断だ。
「捜索範囲も広いし、ここからは一旦二手に分かれよう」
キリトの提案に他の面々も賛成する。
チーム分けは公正にじゃんけんで決定し、『若葉・ひなた・キリト・千景』と『友奈・球子・杏』の二つに相成った。
三時間に神戸港のフェリー乗り場に落ち合う約束をして、それぞれ街へと捜索を開始した。
崩壊した街の中を歩く四人の雰囲気は暗い。
かつては多くの人が闊歩し、生活していた大都市の心臓は機能を停止し、今はもぬけの殻となっていた。崩れた建物、半ばで折れた電柱など、まるで世界の終わりを見ているよう。
「諏訪の人たちと最後に夜を過ごしたのも、この辺りだったんだけど……やっぱり、生き残りは居ないか……」
「ここも全滅したのよ……きっと」
もしかしたら、バーテックス襲来の直後ならまだ生き残りも大勢居たのだろう。
建物などに隠れ、限られた食料で必死に助けを待つ人も、きっとこの三年で一人、また一人と奴らに殺された。その恐怖や痛みは、察するに余りあり、想像にもおぞましいものだ。
「東京から四国に来るまでに三年。俺がもう少し早く、ここまでたどり着いて居れば救えた命もあったのかな……」
そう考えずには居られない。
勿論、あらゆる選択が間違いだったとは思わないし、俺自身と守るべき人々の為にも三年の歳月は必要なものだった。そこは後悔していない。でも、やるせない気持ちになるのはきっと、死んでいった人達の事を、守れなかった人達の事を考えるからだ。
「無いわよ。こんな世界で、何処にいたとも分からない命まで救えたかなんて……それこそ、傲慢な考えよ」
千景は一言で否定した。
それはある種、彼女のキリトに対する優しさであり、悔やむ必要のなさを説いていた。
「そうですよ、桐ヶ谷さん。こんな光景を見て、センチメンタルになるのは仕方ないですけど……余りご自分を責めないであげてください」
ひなたと千景、二人の言葉でキリトは思い直した。
過去をいつまでも追及しても仕方がない。
「三人とも少し待て」
不意に先頭を歩いていた若葉が、後ろの三人を手で制した。
その視線の先にあるものを見て、キリト達もその理由を知る。瓦礫に紛れた白色の化け物、数体のバーテックスがそこに蠢いていた。若葉とキリトが剣の柄に手をかける。
「っ、チカっち!」
しかし、二人が武器を抜くよりも早く千景がバーテックスに突撃した。
「お前っ、達が!!」
怒り、憎しみ、憎悪。
あらゆる憤怒と負の感情を込めた大鎌を振り下ろす。数体のバーテックスに反撃の予知すら与えず、何度も何度も切り刻む姿はまさに復讐者のそれで、呆気に取られていたキリトはすぐに千景に駆け寄った。
「落ち着けチカっち!」
「離して!こいつらのせいでーー」
千景の慟哭にキリトは苦々しく呻いた。
「分かってる!でも、一度冷静になれ。そいつらもう死んでるよ」
「え?」
最初の数撃で既にバーテックスは全て倒していた。
千景はいずれ消滅する前のバーテックスの亡骸を何度も切り裂き、キリトはそんな彼女を見ていられなかった。
「……ごめんなさい、桐ヶ谷さん。取り乱したわ」
冷静になった千景は振り上げた鎌を降ろした。
「いや、謝る事じゃないさ。気持ちは痛いほど分かるから……」
ただ、キリトは憎しみにかられる千景の姿も、叫びも、見たくないし聞きたくない。
それだけのエゴであり、謝られる事じゃない。それに、胸の内に秘めては居てもキリトとて千景と同じか、或いはそれ以上の憎悪をバーテックスには抱いていた。
「そう……行きましょう。生きている人を探すんでしょう……?」
何か言おうとして、けれど千景はその言葉を飲み込むと俯いたまま歩き出した。
その横顔から垣間見えた感情の丈を、キリトは推し量れなかった。