夕日も沈みかけた町、暗くなる前に辿り着いた乃木園子の実家は俺の想像を遥かに超えていた。
「あの、そのっちさん?本当にここなのか?」
「うん、そうだよ~」
当然のように言う園子だが、俺の方と言えば呆然とその場に立ち尽くしていた。それなりに大きな家なのは何となく想定していたけど、流石にここまでとは思わなかった。目の前に広がるのは大豪邸と言っていい程の屋敷で、これはもうハッキリ言って要塞とかそういうレベルだ。安芸が言っていた乃木家の権力というのがこれでもかと窺い知れる。元の世界の桐ヶ谷家もそれなりに大きな日本家屋だったけど、あれが豆粒に思えてしまうくらいにこれは別格だ。
――俺、本当に今日からここに住むのか?
何だか不安になってきた。フィクションでよくある、家の中で迷ったりもするんじゃないのか?
「ほら、行くよ~。キリトさん」
「あ、ああ、そうだな……」
そんなぎこちない様子で、園子の後ろについて新しい我が家に帰宅したのだった。
□
扉を開ければ、そこは『これまでとは違う世界』――荒唐無稽で突飛押しもない表現だが、俺はそんな事を今まで何度も体験してきた。目を開ければ硝煙香るメトロポロリス、木漏れ日の眩しい森の中、広大な都市、どれも得難い経験だったけどそこにまた一つ追加された。
「ここ、本当に同じ世界だよな?」
そんな言葉を零してしまう程には、乃木家はこれまでの俺の価値観の内における『家』とはかけ離れたものだった。VRゲームの中でなら、こう言った屋敷のような場所にも何度か立ち入った事はあるがそれはあくまでもゲーム内のマップやストーリーとしてだ。
「あはは~、キリトさん緊張しすぎだよ~」
「いや、そうは言ってもだな?こんな豪華な家にいきなり連れてこられたら、そりゃビックリもするだろ」
そんな感じで園子はおかしそうに笑う。
今は屋敷の中を園子に簡単に案内してもらっているのだが、これは完全に覚えるまではそれなりに時間が掛かりそうだ。迷うという心配は流石に無さそうなので、そこは一安心と言った所だろうか。
そんな事を思いつつ、俺は少し前を歩く園子に声を掛けた。
「急にこんな事になっちゃったけど、そのっちは良かったのか?」
「え、何が~?」
「いや、気にならないなら別にいいんだけど……普通は、いきなり何処の誰とも知れない奴とひとつ屋根の下で同じ家に住むって言われても、嫌だったりするだろ?」
それも彼女は年頃の女の子だ。幾ら彼女から見た現時点の俺が同性であったとしても、抵抗があってもおかしくはない。そんな俺の懸念を含んだ言葉に、園子は雰囲気を変える事なくかわらない様子で答える。
「キリトさんは『何処の誰とも知れない奴』なんかじゃないし、嫌だなんてとんでもないよ~。むしろ、わたしは嬉しいかな~」
「嬉しい?」
彼女に言葉の意味を問い返すと、園子はこちらを向いて俺の傍まで歩み寄った。
「そうだよ~。わたしって昔からあんまり友達とか出来ないタイプだったし、兄弟も居なかったから余計にね~」
その告白に俺は純粋に驚きの声を上げた。
「そのっちが?そんな風には見えないけどな……」
人は見かけに寄らずというか、意外と言うべきか……
ほんの先日知り合ったばかりの俺から見ても、彼女は本当に人懐っこくていい子だと思う。天然でどこか抜けている感じもするけど、別に物事に対して適当って訳じゃない。むしろ、その天然さが雰囲気を柔らかくし接しやすくしている。
あまり人付き合いが上手いとは言えない俺から見ても、彼女は十分に人から好かれる要素を持っていると断言できる。
「何だか、皆わたしと話すと変に縮こっまちゃうんだよね~。自由に外に出られるようになったのも、実は最近のことなんだ~」
彼女は調子こそ崩さないけれど、少し寂しそうに語る。
それだけ聞けば、彼女の言わんとする事の意味くらいは分かった。――この屋敷を見れば分かるように、乃木家の持つ権力は相当なものだ。その令嬢ともなれば、幼少期から不自由な部分もそれなりにあったんだと思う。この"不自由"が彼女の言う、周囲の人間関係に少なからず影響を及ぼしていたんじゃないだろうか。
俺の身近でも、明日奈が家の事で親と揉めたりしていた所を見てきたから、その苦悩は想像に難くない。
「だからね~?お役目を通して、ミノさんやわっしーと仲良くなれて本当に嬉しかったんだ~。わたしからしたら初めての友達で~、一緒に居ると世界が輝いてて~、ずっと一緒に居たいなって思った」
園子が優しく笑ってそう言うものだから、思わずこっちまで心が温かくなる。
彼女が銀と須美の事を単なる友人関係以上に大切にしているのは少し見ればすぐに分かった。あの二人は園子にとって初めて出来た気の許せる同い年の友達で、故に家族同然に大事にしているんだ。
俺には、そんな彼女の気持ちが痛いほどに分かる。比べられる訳じゃないし、境遇だって別に似てはいない。だが、産まれや育ち、それらのある種様々な要素がもたらす結果によって、人間関係が上手くいかなったという経験は俺にもある。その末に手に入れた気の置けない親友が、どれだけ自分にとって大切なのかは誰よりも分かっているつもりだ。
俺がそう考える間にも、園子は自身の心情を口にしていた。
「わたしはキリトさんともそういう風になりたい。それならいっその事、一緒に暮らせば早いでしょ~?」
園子らしい素直で純粋な考え方だと思ったし、少なくとも一人で居る事を選んでいたら俺は彼女のこんな一面を知る事もなかった。それだけでも、この状況には意味があったんだと今なら思える。
「ははっ、本当にそのっちには敵わないな」
俺は微笑まじりに言った。
こんな風に他愛ない会話をして笑い合える。俺は心のどこかで、この世界でも当たり前にそんな事が出来るのか不安に思っていた。何処まで行っても違う世界に生きる人間、自分と周りの隔絶が浮き彫りになるのも時間の問題。――――なんて、そんなのは無用な心配だった。園子だけじゃない、銀も須美も、混じり気なく極めて純真な気持ちで俺の手を取ってくれようとしているんだ。
満足に答えられるかは分からない。もしかしたら、最後には彼女達を裏切る結果になってしまうかも知れない。それでも、逃げるのだけはしない。真っ直ぐに向き合おう、それが俺にできる唯一の事だから……
その日の夜は、歓迎という意味も込めてか豪華な食事が並び、園子の両親とも改めて挨拶を交わした。
大きな風呂につかって、宛がわれた部屋に入りベッドに体を沈めると、それまでの緊張や回転させていた思考回路が急激に冷却して、それまではそこまで感じていなかった睡魔が押し寄せてくる。
大赦の施設では妙な空気感もあってあまり眠れなかったし、連日に渡って常に張りつめていた気の線が解けて疲れがどっと溢れた。寝る前に情報を整理しておこうと思ったけど、意識は欲求には抵抗できず俺はそのまま眠りに落ちた。
■
眠りの中であの光景、あの世界が広がった。この夢を見るのはいつぶりだっただろうか――
蒼穹の果てに浮かぶ夢幻の城、プレイヤーの魂はいつだってその世界にあって、毎日を死に物狂いで生きて、その頂きを極める日を夢見ていた。あの瞬間、あの世界での俺はきっと、自分の為と言いつつ不特定多数の誰かの為に戦っていたんだと思う。
正しく、語られるに等しい英雄――黒の剣士として……
今回の戦いはきっと、そう言うものじゃないんだと俺は思う。
世界に生きる人々や、その風景、それらを守りたい気持ちは嘘じゃない。けれど、俺のそれは九割が使命感みたいなもので純粋な意志力では勇者である彼女達には根本的に及ばない。
ならば、この世界で俺を強くする理由とはなんだ?
朧げな記憶の彼方で、誰かの願いを聞いた気がする。他の誰でもない、世界のどれでもない、ただ一つだけ『世界を守る彼女達』を守って欲しいと言う切実で強い願い。
明確には思い出せないし、この世界で目を覚ました時に何故か既知であった知識にくっついてきたノイズみたいな
草原の上に立って、蒼穹の彼方に居る誰かに向かって誓う。
『必ず守る』――と。
目を覚ますと、空調をつけていない部屋は少し肌寒くて、上半身を起こして窓に目を向けると朝日は未だに微かにしか差し込んではいなかった。
「……朝の六時、か。また、随分と早く起きちゃったな」
大赦の施設とは違い、幾分か清々しい朝だ。ちょっと眠りが浅かったのはあるが、別に疲れが取れていないという程ではないし、寝不足になっている訳でもないから良い。むしろ早く起き過ぎても暇なだけなのが考え物だ。
何となく部屋を出て、屋敷を歩いてみる。
お手伝いさんはもう仕事を始めているので、極力邪魔にならないようにする。そうしていると、いつの間にか玄関口に来ていた。どうせならと外に出てみると、まだ屋敷内よりも結構寒い。部屋着のままなので肌をツンと刺すような朝霧の冷気が意識を覚ます。
羽織る物を取りに戻るのも面倒なので、そのまま庭園がある方へと向かう。
こうして歩くだけでも、本当にただの家なのか疑いたくなるが、そんな思考も数秒後には些細な風となって消える。
「へぇ、流石の広さだな。このスペースだけで一戸の家が建てられそうだ」
辿り着いた庭園は結構な広さで、具体的に言うと大きな公園かそれ以上は平気であるくらいだ。
アンダーワールドのセントリア修剣学院でもこれくらいの手頃な場所でよく剣を振っていた。その結果、上級生であるウォロ・リーバンテインに泥をかけるなんていう、とんでもない失敗をやらかした事もあるのだが……
剣の稽古、どうせなら運動ついでにまたやってみたいな。
「あ、そうだ」
そこで、俺はある事を思いついたのだった。
□
「ん、ふわぁ~……」
いつもと同じような朝、いつもと同じように目を覚ます。時計を確認するとまだ六時半だった。二度寝をしてもいいけど、今日は何故かそれが少しだけ勿体なく感じてしまう。
珍しくそのままベッドから出て部屋を後にする。廊下に出て少し歩くと顔馴染みの使用人が居た。
「おはようございます。今日はお早いですね、園子お嬢様」
「おはよう~。そうなんよ、何だか二度寝するのが勿体なくてね~」
朝の微睡もあってか普段以上に浮ついた言葉遣いだけれど、長年この屋敷で仕事をしている者ならばもう慣れっこである。そんなわたしを見て、何か思いついたように彼女は言った。
「それでは、庭の方に出られてみるのはいかがですか?今なら、きっと面白いものが見られると思いますよ」
「えっ?なになに~?何かあるの~?」
興味をそそられる響きに聞いてみると、お手伝いさんは微笑んで言った。
「それはご自分で見た方が早いと思います。それでは朝食の準備がありますので、私はこれで――」
言って、使用人は何処かへ行ってしまった。それを見て、わたしは言われた「面白いもの」ついて気になって仕方がなかった。
そこまで言われて、わたしに行かないという選択肢はない。
玄関口に向かい、足早に外に出るとすぐそこにある庭を目指す。わたしはワクワクしながら、庭に出るとそこに居た先客に足を止める事になった。
「フッ!――セイッ!」
朝の肌寒くて何処か眠たい空気を吹き飛ばすような声、そして風を切る音を響かせて振るわれる木製の剣。黒くて長い髪が
「きれい」
極限まで無駄を省きながらも、絶対的な鋭さを感じさせる剣舞だ。一体どれ程の研鑽と、戦いに身を投じればあそこまでのものになるのか、現在進行形でバーテックスとの命懸けの戦いに赴くわたしですらも底を見極めることが出来ない。
そんな風だから声をかけるタイミングも無くて、数分その場で立ち尽くしてキリトの剣技を見つめていた。ようやく一通りの型が終わったのか、キリトはふっと息を吐いて剣を左右に振ってから背中に収めるような動作をした。それはきっと、彼女が勇者の時には背中に鞘があるからだ。
何はともあれ、ようやくタイミングが出来たとばかりにわたしは動いた。
「おはよう~、キリトさん」
それでようやくわたしの事に気が付いたのか、キリトさんがこちらに目を向けた。
「そのっちか。おはよう」
微笑んで見せるその姿すらも何だか様になっているが、剣を持つ彼女はそれだけ空気感が違うという事なんだ。
「こんな朝早くから訓練なんて、キリトさんは偉いな~」
わたしの言葉に微笑して首を横に振る。
「訓練だなんて、別にそんな大層なもんじゃないさ。ただ、早く目が覚めたから適当に体を動かしてただけだよ」
タオルで汗を拭きながら言う。わたしはとにかく会話を続けたくて、適当に目に付いたもので話題を振ってみる。
「それにしても、うちに木剣なんてあったんだね~」
「使用人の人に頼んだら出してくれたんだ。本当に、何でもあるよな」
そう言いながら、手練手管を器用に剣を取り回し振っている。そんな姿すらも様になるのだから不思議だ。まるで、本物のおとぎ話の剣士様みたい。
「やっぱり、ちょっと軽いな……」
「え?」
「あぁ、いや、何でもない」
彼女の扱っている木剣は見た感じ生身で振るならそれなりに重そうだが、それだけキリトさんは鍛えているという事だろうか。
「それにしても、やっぱり凄い剣技だよね~。どうりであれだけ強いわけだよ~」
これはわたしが純粋にキリトさんの剣技に対して思った事だ。
それは、同じく二刀流を使うミノさんとも違う。
それこそ一つで完成された戦闘術のようなもので、きっと彼女なら一人でもバーテックスや恐ろしい怪物とだって戦えてしまうんだと思う。
それだけ、言い方を変えれば付け入る隙がないんだ。
「いや、こんなのはただの小手先の技術だ。努力さえすれば誰にだって手に入る」
そう語る彼女の表情は何処か自嘲的で、飄々として言っているけど心の中では誰よりも自らのそれには満足していない。一体どんな日々を送ればそうまでなれるのか、何て無神経な事は聞けない。でもだからと言って、いつもみたいに「そうなんだね~」で済ますのもちょっと嫌だ。
「え~、そんな事ないと思うけどな~」
わたしは傍らに置いた剣を取ると、軽く振ってみる。当然、槍とは勝手が違うし、今は変身している訳でもない。
キリトさんがやっていた様に自由自在に、体の一部かのように扱うなんて今はまだ到底出来そうにない。
「ほらね~?ずっと訓練を積んできたわたしにだって出来ないんだから、キリトさんの技は小手先なんかじゃないと思うよ~」
言いながらも軽く数回は振ってみるけど、やはりキリトさんがやっていたようには行かない。
それを見かねたのか、キリトさんはむむむと木刀を見つめるわたしの頭に手を置いて優しく擦った。
「え?」
「あぁ、ごめん!いきなり……何だかそうしているそのっちが、ちょっと知り合いに似ててさ」
慌てて弁明するキリトさんの言葉を無視して、わたしは言った。
「今の、もう一回やって」
「はい?」
「もう一回やって!」
催促すると、キリトさんは「はい!」と返事をするとすぐさまさっきみたいにわたしの頭を撫でた。
「えへへ…キリトさん撫でるの上手いね~」
優しく、それでいて確かな温もりを感じさせる、そんな撫で方に頬を緩める。
まるで、年の離れた姉が出来たような感覚だった。
「そ、そうか?まあ、喜んでくれたなら良かったよ」
それからしばらくそうやって撫でてもらって、わたしが満足するとようやくキリトさんも手を離した。
それからタオルを濡らして、首筋を冷やしたりしている間にわたしに一つの問いを投げる。
「そう言えば、そのっちはこれから学校か?」
「あ、うん。そうだよ~」
そう答えると、彼女は少し考えるような仕草で言った。
「学校かぁ……そのっち達が通ってる神樹館ってどんな所なんだ?」
何気ない問いの一つでしかなかったけど、それをわたしは見逃さなかった。わたしは目を輝かせて、ある提案をした。
「気になるなら来てみる~?わたし達の学校――」