樹海化が解けた後、キリト、友奈、杏、球子の四人はすぐさま病院に運ばれた。
それぞれが集中治療室に入り……特に傷が深く、毒も多く受けた杏と球子は一時は生死の境すらも彷徨ったほどだ。若葉、千景、ひなたは閉ざされた治療室の扉の前でただ仲間の無事を祈るしかなかった。
結果だけ言えば、四人は全員生還する事自体は叶った。
しかし、それはあくまで生きてはいるーーという意味での言葉だ。『無事』という言葉を使うには、付けられた傷痕はあまりにも大きすぎる。何せ、球子は両腕が、杏は左腕と右足が殆ど機能しなくなってしまったから。医師の話によれば、神経に何らかの異常が見られ、無事完治するかすら分からないらしい。
どちらにしろ、勇者としての復帰は絶望的とされた。
キリトと友奈は入院を余儀なくされたが、全治は二週間と前述の二人に比べれば軽いもので済んだと言えるだろう。
と、この様な理由で今、学校には若葉、千景、ひなたの三人だけが居る状態だった。
「千景、大丈夫か?朝から、顔色が悪いぞ?」
学校が再開された初日、陰鬱とした気持ちで迎えた昼休み、若葉は心配そうな声音で千景に聞いた。問われた千景はと言うと、面倒くさそうにしながらも彼女の答える。
「別に……久しぶりの学校だから、疲れてるだけ……」
これでも最大限に取り繕っているのだが、若葉はひなたと顔を見合わせて困ったような表情をした。
明らかに理由がそれだけじゃないのは明白だが、かと言って無理に追及したところで本人の機嫌を損ねるだけだ。放っておくのも優しさだとは思う。しかし、ひなたは千景の過去や諸々の事を知っているから、なおのこと心配なのである。
「ごちうそうさま。先に行ってるわ」
うどんを食べ終わって食器を片付けると、千景はそそくさと食堂を後にする。
その後ろ姿はいつもの彼女よりも、少し寂し気に見えた。
最近の千景はずっとそんな憂鬱な気分だった。
何をしても気分が晴れない。好きなはずのゲームもちっとも楽しくないし、笑ったのだって随分前のような気がする。それでも、最低限の外出はするし、学校だけは休まないように心がけてはいた。今は若葉とひなたしか居ないが、彼女達と話すだけでも心なしか気分は楽になるし、寮に閉じこもっているよりはずっとマシだった。
その原因はキリトと友奈の不在もあるのだが、見舞いに行けば少ない時間でも二人に会える。
千景がこんな様子になっているのは、幾つかの理由がある。
「また……書き込まれてる」
パソコンに映し出されているのは匿名の掲示板サイトだ。
それこそ大社による情報規制も緩い、アングラ寄りの裏サイトというやつ。そこに書き込まれているのは、あの戦い以降は"勇者に対する誹謗中傷"ばかりだった。
「どうして……!」
先日の戦いは勇者達だけでなく、現実にも大きな被害が出た。
完全体のバーテックスが樹海を浸食し、腐食させた事が原因だろう。丸亀市内に突如として竜巻が発生し、建物が倒壊、それによって一般人に多くの重軽症者、そして死者が出てしまったのだ。
当然、大社はこの事実を未だ一般公開はしていない。あくまで表沙汰には異常気象や自然災害として報道された。しかし、一部の者はそれを勇者の敗北によるものだと噂し始めたのだ。
『勇者負けたってマジかよ。役に立たねえな』
『所詮この程度』
『勇者二人がめちゃくちゃ大怪我して今後戦えないかもしれないって話だぜ?』
『マジ?でも生きてんのな』
『ホント、一般人が死んでんのに、何であいつらは生きてんだよ』
『こいつらが死ねばよかったのに』
あまりにも醜悪な、心無い暴言の数々に、千景は表情を歪ませた。
「なん、で……なのよ……私達は、あなた達の為に戦っているのに……」
大多数の人間は勇者の活躍と奮戦に感謝し、称賛してくれている。そんな事は分かっているが、仮に少数であったとしてもこういう事を平気で言えてしまう人間がいるというのも確かな事なのだ。
球子や杏は、勇者として戦えないだけでなく、今後日常生活にも支障をきたす程のハンディキャップを背負ってしまった。
二人は口を揃えて「生きてさえいれば」と言っていたが、そう語る二人の表情に浮かぶ苦痛の念が分からない千景ではない。他の誰よりも、痛みに関しては特に人一倍敏感だからこそ、その悲しみを理解できてしまうのだ。
「許せない……こんなのって」
ただただこの連中が憎い。
大社の規制が届かない場所で好き勝手言って、戦いに伴う痛みも知らずにのうのうと生きている癖に。何故こんな奴らの為に、犠牲にならなければならない。
これが千景の精神を追い詰めるもう一つの要因だ。
更に自覚はないが、千景も切り札の使用による影響を徐々に受け始めている。ひたすらに憎悪だけが膨れ上がって、彼女の心を暗い闇がのみ込もうとしていた。
■
目が覚めた時、真っ先に感じたのは空虚感だった。
何もない、心にポッカリと穴が開いて、それを自覚した瞬間に『ああ、消えちゃったんだな』と心中で呟いた。
切り札の代償による記憶の欠損。それ自体は覚悟していた事で、そうしなければ球子と杏は助けられなかったのだから仕方がない。でも、耐え難い苦痛を感じているのも否定しようのない本心だった。
どんどんと自分を、自分ではない"自分"で塗り潰していく感覚。
もう去年の事は殆ど思い出せないし、残り僅かな記憶もきっといつかは消えてなくなる。それでも、戦い続ける事をこの体はーー魂の奥底に眠る『彼女』は許してくれるのだろうか。
そうして、見舞いに来る千景や若葉、ひなたにもまともに顔向けもできないまま退院日になってしまった。春先なのに妙な冷え込みを見せる夕暮れ時の帰路は、まるで今の自らの心中を表しているようだった。
「球子も杏も、大丈夫かな……」
二人はあと半年は入院生活を続けることになる。
歌野に一応フォローや面倒を頼んでいるので、万が一もないだろうけど、心配なものは心配だ。幾ら勇者とは言っても俺達は未だ中学生なのだ。好きなことを追いかけるのだって簡単じゃない。それが更に難しくなって、一番辛いのは失った本人なのだ。
「いや、俺も人の事は言えないか」
自分から大切な物を投げ捨てておきながら、何が辛いかなど説けた立場ではないだろう。
そうしてしばらくすると、ようやく懐かしの寮が見えてきた。たった数週間帰らなかっただけで、何とも懐かしく感じる。前に入院した時はそうでもなかったのに、記憶が消えた影響だろうか。
自室に入ると、鍵を閉めるのも忘れて俺は寝室に直行する。ベッドの傍に乱雑に荷物を置いて、机の引き出しを漁った。
「……あった」
手にしたのは一冊の日記帳だ。
もうどうやって手に入れたのかも、書き始めた理由すらも思い出せない。けれど、覚えている範囲でも書ける日は毎日書いていたから、記憶が消えた時は必ずこれを読まなければならない事だけは覚えている。
緊張しながら日記帳を開くと、最初から数ページには仲間についての事がびっしりと書かれていた。今にして思えば、いつか記憶が消える事を前提に書く日記なんて、それこそ怖くて仕方がなかったに違いない。
しかし、それ以上に大切な事があったから書いたのだろう。
忘れたくないという、過去の自分自身の願いがこもった字の数々に涙が溢れそうになる。
最初の記録は『十月四日』、その日は俺の誕生日だった
大切な事から、くだらない事まで……
全てではなくとも、本当に多くの思い出がそこにはあった。
「………」
静かに日記帳を閉じて机の上に置く。
ぽたりぽたりと温かな雫が頬をつたった。
■
「……あれは、桐ヶ谷さん?」
夕暮れの時、学校から帰って来た千景は、見知った黒髪の少女が寮に入っていくのが見えた。
「そっか、今日退院日だったわね」
自分の事で一杯一杯なうちに気が付けばそんなに日にちが経っていた。
この二週間はキリトとのゲームもご無沙汰だったので、今日はどうせなら自分から誘ってみよう。いつも見たいに遊べば、きっとこんな気分も晴れるはず。一週間後には友奈も帰ってくるので、そうなればまた三人一緒だ。
「そうよ……高嶋さんに、桐ヶ谷さんに会えば……こんな気持ち」
あの二人と居れば、あんな忌々しい物の事なんて忘れられるに決まっている。
そう思って、千景は早速自室に荷物を置きに行くと早速キリトの部屋へ向かう。
「桐ヶ谷さん。少し良いかしら?」
コンコンとドアをノックして呼びかけてみるが、返事はない。
千景はその様子に訝しむ。キリトが寮に入ったのはついさっきの出来事で、まだ数分も経っていない。階段を登る音は聞こえたから確実に部屋に居るはずだ。退院日で疲れているから眠ってしまう可能性を考えても、たったの数分で人の来訪に気付かないほど熟睡するとは考えづらい。
「……居ないのかしら?」
普段の千景ならこの時点で出直す。
しかし、何だか今日は彼女も諦めが悪くて、どうしても帰って来た友達とすぐに会いたかった。だから、試す程度の気持ちでドアノブを回した。これで鍵がかかっていれば、流石の千景も大人しく諦めただろう。しかし、その予想に反してドアはあっさりと開いてしまった。
「鍵、開いてる……?」
寮とは言え当然、個々の部屋にも鍵は付いているし、幾ら部屋主が居るとは言っても開けっ放しは不用心だ。不在なら尚の事そうである。
どちらにしろ、そのまま見て見ぬふりして帰る事はもう出来ない。数秒迷ったものの、千景は意を決してドアを開き部屋の中に入った。
「……入るわよ」
部屋に入ってまず先に気付いたのは、妙に寒いという事。
「桐ヶ谷、さん?」
廊下を歩いて寝室に向かうと、そこにはやはり彼女の姿あった。
だが、全体的に様子がおかしい事は一目で分かった。窓は明けっ放しで、とうの本人はまるで抜け殻のように虚ろな目をしてベッドに座り俯いている。
「……どうしたのよ?窓も明けっ放しだし……病み上がりなのに、風邪引いちゃうわよ?」
取り敢えず窓を閉めながら、千景はキリトの様子を伺った。
いつもの快活な雰囲気は何処へやら、まるで一昔前の自分みたいに塞ぎ込んだ姿。そもそも居たのならノックも声も聞こえていたはずで、今の彼女は、それにすら反応できない状態であるという事だ。
とてもゲームになんて誘う雰囲気じゃない。
まず千景はベッドに歩み寄り、キリトの隣に腰かけるとそっと顔を覗き込んだ。すると、驚くほどに酷い顔色だった。
「ちょっと、本当に大丈夫!?具合でも……悪いの?」
もしかしたら、怪我の状態が悪化したのかも。
そう思って問うた千景に、ようやくキリトはか細い声で答えた。
「ごめん、チカっち。大丈夫だから……少し、一人にしてくれ」
何に対してのごめんなのか。
千景は、何かあるとすぐに謝って誤魔化そうとするキリトの癖を知っていたから、余計その言葉には従えなかった。
「そんな事言っても……酷い顔色じゃない。放っておけないわよ……」
キリトは以前に『放っておけない』と言って、千景をあの忌まわしい場所から連れ戻してくれた。その恩返しつもりもあった。
「……ダメだな。俺、皆の前では、カッコ悪い姿は見せないって、決めてたのに……」
「何か、あったの……?」
その何度目かの問い。
優しい声音で聞かれた事で、堰を切ったのかのようにキリトは声を震わせ始めた。
「チカっち、俺……もう殆ど、何も覚えてなくて、皆との大切な思い出をっ!」
その言葉の意味を、すぐに理解する事は出来ない。しかし、キリトが何か大切なものを失って、その結果今こんな風に打ちのめされている。それだけは確かな事で、ならば千景にとって、手を伸ばす理由はそれだけで十分だった。
「大丈夫……大丈夫よ。私はここに居るわ……あなたのお陰で、誰一人欠けてない」
キリトの頭を優しく胸に抱き、その背中をさする。
胸の中で、声も途切れとぎれに、言葉にならない涙を流し続ける。そんなキリトが泣き止むまで、千景はその心を温め続けた。
数分後、ようやく嗚咽が止むと少女の体は徐々に脱力し、制服を掴んでいた指が解ける。しばらくして、それはもう安らかな寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃったのね……本当、無茶ばっかりするんだから」
一体何を抱えたらこんな風になるのか、千景には想像できなかった。
キリトの心の強さは並大抵のものじゃない。何かの為に必死になる事はあっても、弱気になることは終ぞなくて。いつも冷静で、余裕があって、絶体絶命の状況を前にしても不敵な笑みを見せるような人なのだ。彼女は……
結果の外へ遠征した時、一度だけキリトの涙を見た事があったが、今回のはあれとは少し違う。
あの時の涙は、過去や感傷に浸る過程でこぼれた、いわばキリトの優しさの雫みたいなものだ。けれど、今回のはもっと別な……それこそ何かに追い詰められ、その末に出た弱音のように思えた。
「あなたに、一体何があったの……?」
そっとベッドに寝かせて、寝顔にかかった髪をさっと払う。
その様子に一度息をつくと、千景はベッドを離れて何となく部屋を見回した。本人が寝てるうちに部屋を探るなど褒められた行為ではないが、こんな状況になって何も詮索するなというのは無理な話だ。
「……これ、乃木さんがプレゼントした日記?」
そんな中で目に付いたのは、机の上に置かれた一冊の日記帳だった。
理由は分からない。ただ、そこまで物の多くない部屋の中で、それが一際に存在感を持っていたのだ。
ーー流石に、内容を勝手に見るのは失礼よね……
先程ああは言ったが、それでも限度というものがある。
日記の内容はあくまでキリトの尊重すべきプレイベートが記されたもので、それを勝手に覗くのは幾ら友達と言っても度を越している。
「でも、何故かしら……今これを見ないと、凄く後悔するような気がする」
いけないと自覚しつつも、千景はゆっくりとその日記帳を開いた。
「……え?」
数ページ分読んで、千景は目を見開き動きを停止させた。
「どういう事よ……これ」
去年十月からの日記と一緒にーーキリトの持つ切り札の代償である、『記憶の欠損』に関する事が記されていた。
この作品を投稿し始めてから一年が経った事に今更ながら気付きました
あと一年以内に完結できるのだろうか
キャラの生存ついて(感想が聞きたい)
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あり
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なし
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何やっとんじゃワレェ