千景は最近、死について、戦いの意味ついて考える事がある。
太刀打ちできないような化け物が現れ、今まで以上に明確な死を予感した。それでも、一生消えない傷を抱えながらも勝利して、それに対して世間に飛び交うのは勇者に対する酷い批判の数々だ。
ーー私達は……何の為に戦っているの?
体をボロボロにして、命を危険に晒して。
人知れずむせび泣く少女を土台にして、成り立つ世界。そんな不安定な土台の上で、あいつらは好き勝手に言うのだ。支えてもらわなければ生きられない分際で、勇者がどれだけ痛い思いをして居るのかも知らずに。
拳が砕けても敵を殴り続けた事があるか?
手足が使えなくなって、体を毒に侵されても戦い続けた事があるか?
記憶を失うと分かっていても、剣を振る事ができるのか?
もう大社も、四国の人達も、共に戦う勇者以外の全てが憎くて仕方がない。もし今、皆で戦いとは関係のない幸せな世界に逃げられるなら、それ以外の全てを捨ててでも千景はその道を纏わず進むだろう。
夕陽に眩む道をトボトボと歩いていると、後ろから足早に迫ってくる音が聞こえた。
「おい、チカっち!待てって!」
その主はやはり、キリトだった。
「ふぅ、やっと追いついた」
千景は立ち止まって振り返ると、キリトは彼女の目の前まで来ると一息ついた。
「桐ヶ谷さん……先に帰っててと言ったはずよ」
心の底では追いかけてきてくれた事実が嬉しくはあったが、それでいて形容しがたい複雑な感情も抱いていた。さきほど千景はひなたを傷つけるような事を言っただけでなく、その場から逃げた。それなのに、何をどう話せばいいのか、彼女には分からなかった。
それが、キリトが相手なら尚更だ。
故にこんな言葉が口から出たのだろう。
「そういう割に、随分と寂しそうな顔しているように見えるけど?」
「気のせいよ……本当に、デリカシーのない人ね」
そんな軽口が妙に久しぶりなように思う。まるで、以前のような、お互いに何も憚る事のなかったあの頃のようだ。
「どうとでも言ってくれ。とにかく、二人も心配してるし、早く戻ろうぜ?」
そう言ってキリトが手を差し伸べると、千景はそれを拒絶する。
「だから、余計なお世話だって言ってるでしょ?……それに、私は……」
いま戻った所で合わす顔なんてない。例え本人が許していても、冷静さを失って言いたいようにいったのは事実だ。今、自分が最も嫌っているはずの行為を仲間に対してしてしまった。それが例え、故意であろうと千景は許せない。
キリトもそんな千景の心中を察したようだった。
「……さっきの事なら、ひなたも気にしてないって言ってただろ?ちょっと言い方は悪かったかもしれないけど、チカっちの気持ちは……」
「分かる……って言うの?」
千景が言葉を遮る。紡がれた声音は低く、ほのかな憤りを感じさせた。だけど、黄昏の明暗によって陰った横顔は何処か悲しそうで、そんな彼女をキリトは始めて目の当たりにした。
「あなたは、本当に……何も分かっていないわ。私の事も、あなた自身の事ですら……」
「……?どういうことだ?」
言葉の意味が分からなくて問い返す。見澄ませた黒色の瞳が僅かに逡巡して、でも少しすると疲れたように細められ、その口から一つの言葉をこぼした。
「ダメね、もう我慢の限界……」
千景は意を決して、核心的な言葉をキリトに叩きつけた。
「記憶の欠損……知らないとは、言わせないわよ?」
「……な!?」
ボソりとした一言は、それこそ聞き逃してもおかしくない声量だった。
しかし、キリトは"その"言葉だけは確実に聞き取った。さっと顔色を青ざめて、それまでの様子からは信じられないほど動揺しているのがその証拠だった。
「桐ヶ谷さん……私、知ってるのよ?あなたが切り札を使う度に……その代償として、記憶が消えていくって事を……!」
知りえないはずの事を、知られてはいけない事を知られてしまっている。この事実によって、キリトの頭の中には多くの驚き、疑念、懐疑心が渦巻く。
ーーこの事は誰にも言っていない。なのに何故、チカっちがその事を知っている?
思って、千景に再度向き直ったキリトは慎重に言葉を選んだ。
「何処で、その事を……」
「この前、桐ヶ谷さんが退院した日……部屋に行った時よ……机の上に置いてある日記を読んだ」
心中で『あの時か』と項垂れる。
何となく、そんな予感はしていた。キリト自身にとっても、あれは痛恨事だったからだ。代償で記憶が消えて、日記を読んだ直後に千景が来てしまった事で、自分の気持ちを隠しきる事が出来なかった。
あんな事があったのに、千景は翌日以降もそれについて触れることは一度としてなかった。
でも、思えば至る所にヒントはあったのだ。彼女が無意識のうちに距離を取り、時折何かに耐えるように表情を歪めていた事に……。キリトは気付いていたのだから。
「ねぇ、桐ヶ谷さん……さっき、あなたは『私の気持ちが分かる』と言いかけたわよね?」
千景を直視できなくて、まるでしかられた子供のように俯く。
「本当に……今でも、そんな事が言える?」
文章にすれば咎めるような言葉でも、『声』にするだけで全く違う意味になる事もある。それがまさに今で、千景はキリトを責めている訳じゃなかった。
ただやり場のない悲しみを、何故なのか?と問いたくて……問わなければ、不安のあまり心が押しつぶされそうになる。その筆舌に尽くし難い思いが、彼女の言葉には乗っていた。
「……ごめん」
何か答えなければならない。
これは、ここまで仲間に隠してきた罰なのだ。でも、出てきたのは、そんな良く分からない謝罪だけだった。
「また、それなのね……」
失望ではない。
明確に落胆はしているけれど、どちらかと言えば諦めの方がずっと強い。
「……あなたが、私達を悲しませない為に黙っていたことくらい……分かってる。でも、私は……」
聞こえてくる声音が徐々に震えだす。
「私は……こんな
悔やんでも、悔やみきれない。けれど、決して後戻りする事の出来ない後悔が、涙となって溢れる。
「何もかも手遅れになった後に知らされて……こんな気持ちになって……私はもう、分からなくなってしまったわ」
千景にはもう戦う理由も、友達との接し方も分からなかった。この短期間のうちに、あまりに多くの事が変わってしまった。
友との関係性、勇者達の現状、どうしようもない世界の姿、世間からの酷い中傷。まだ中学生の幼い精神をぐちゃぐちゃにしてしまうのに、それ以上の物は必要ない。
「戦う理由も、あなたとの話し方も……何もかも」
頬を伝った透明な雫がアスファルトの上に落ちて、消える。
千景はそのままキリトと顔を合わせる事なく、その場を走り去ってしまう。
「チカっち、待ってくーー」
伸ばしかけた手をキリトは力なく降ろす。
「追いかけたって、どうするって言うんだ……?」
これは罰なんだ。
傲慢にも全てを抱え込もうとした俺へ、神がくだした罰。
今まで、言おうとした事は何度もあった。でも、その度にキリトは『皆の為だって』言い訳して逃げてきた。
真実を打ち明けるのは勇気がいる。でも、その勇気を出さなければ後に必ず後悔する。そんな事、キリトは誰よりも分かっていた。けれど、どうしたって言えなかった。皆と居る場所が心地よくて、思ってしまったんだ。もう、あの地獄の日々には戻りたくないと……
■
千景は寮の自室へと駆け戻ってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息を切らしながら閉めた扉にもたれかかり、そのまま崩れ落ちる。薄暗い部屋の廊下で、ただひたすらに深い自己嫌悪を覚える。
「私、なんて事を……あんな事を、言いたかった訳じゃ、ないのに……」
あんなキリトを責めるような、あんな事が千景の伝えたかった事じゃない。確かに、あの言葉だって本心だ。そう思う心があった事は否定しない。でも、それだけじゃない。
本当は千景はもっとキリトに頼ってほしかった。甘えてほしかった。せめて、傷付いた心を癒してあげたかった。そうしなければならなかった。しかし、言葉にしたら結局は空回って真逆の事を言ってしまう。素直に思いを口にできない。
誰にだってそうだ。
千景はそんな自分が嫌いだ。思ったことも口にできない癖に、何もかも他人基準で物事を考える自分自身が……
「謝らなくちゃ、桐ヶ谷さんに……」
今からでも寮の前でキリトが帰ってくるまで待ち、さっきの言葉を謝罪しなければならない。でなければ……
『ーーどうして?』
ゾクリと耳元で囁くような声が聞こえた。驚いて顔を上げると、いつの間にか隣には千景と全く同じ姿をした少女が座っていた。
その瞬間、これは夢なんだと千景は理解した。しかし、そんな自覚とはお構いなしにその少女は言った。
『どうして、あなたが謝らなければならないの?』
聞かれて、千景は当たり前のように答える。
「そんなの……私が桐ヶ谷さんに酷いことを言ったから……」
酷い事を言って相手を傷つけたなら、謝らなければならない。誰でも知っている簡単な事だ。
『ふふっ、果たして本当にそうかしらね?』
「……どういう意味よ?」
妖艶に微笑む所作に全てを見透かしたような目。
普段の千景ならそんな言葉は戯言と切り捨てただろう。しかし、精神が不安定な今の彼女にそんな事が出来るだけの気丈さはなかった。
『本当に、あなたが悪いのかって話よ。代償で記憶が消えること、言おうと思えばいつだってあの子は言えたはずよ。それなのに、あの子は何も言わなかった。それは、あなたが最初から信用されていなかったから……とも思えないかしら?』
「そんな訳ない!桐ヶ谷さんは……」
『友達だと言ってくれたから?それが嘘じゃないって、今のあなたは自信を持って言えるのかしら?』
「そんなの……」
当然だと言おうとして、千景は言葉に詰まった。
何故なら先程、千景は自分の手でその関係にヒビを入れてしまった。それなのに今更、自信を持って友達だなんて言う資格が自分にあるのだろうか?
それに、思えばキリトだってこんな自分の事を好きだと言ってくれるはずがない。ならば、『友達』と言ってくれたのは……
『ほら、その沈黙が証拠じゃない』
疑念を見事に突かれて、千景は思考の檻に閉じ込められる。
『あなたも信じなければいいのよ。今までだって、そうやって生きてきたでしょ。価値のないあなたが、唯一信じられるものは他人からの称賛だけ……桐ヶ谷さんだって、そんなのずっと前から見透かしてたに決まってるわ』
再び千景のドッペルゲンガーは、頭の直接響くような声で囁く。
『あなたは悪くない。悪いのは全部、あなたを蔑ろにしたーー』
「黙れぇ!!」
両腕を振り回して、その幻影をかき消す。
思った通りそれに実体はなく、腕を一振りするだけで消えてしまった。
「……」
しかし、幻影は消えても一度脳裏に焼き付いた言葉はそう簡単には消えてくれない。むしろ、忘れようとすればするほど、より鮮明に思い出してしまう。
「もう、嫌っ」
千景は冷たい床の上に座り込んで、静かに嗚咽し肩を震わせる。
「誰か、助けて」
重すぎて書いてる側も非常に辛い