千景が部屋に戻ってからしばらくして、遅れて寮に戻ってきたキリトは自室で力なくベッドに横たわっていた。
ーーあの時、俺はチカっちを追いかけて、どうするつもりだった?
彼女が本当に欲しかったのは、俺の飾らない本心だ。謝罪でも、言い訳でもない。それなのに、あんな状況になっても何も言ってもらえなかった彼女がどれだけ傷付き、悲しんだのか、その苦しみは想像もしきれない。
「『何も分かっていない』か……」
自分の愚かさに自嘲がもれる。
ただ皆とは違う力を持っただけ、ちょっと強い力があって、皆よりも少しばかり長い時間を戦っていただけ。たったそれだけで全て一人で抱え込んだ気になって、「守る」だの「大丈夫」だのとほざく。
本当に、大した正義のヒーローだよ。それがもし、自らの望みであったなら……だが。
俺はそんな殊勝な人間じゃない。
辛い現実を受け入れられなくて、体よく取り繕って逃げていただけだ。戦ってさえいれば、それで良いと思い込んでいた。重要な事は、何も出来ていなかった癖に。
「目の前の友達一人笑わせられないで、何が勇者だ……」
その日は結局夕食も口にしないまま、眠ってしまった。だが、俺はこの後、すぐにでも千景に会いに行かなかった事を後悔する事となる。
□
次の日も、その次の日も、千景は学校に行かなかった。
気持ちに整理がつけられず、何よりキリトに合わせる顔がなかったからだ。外出は最低限におさえ、そうでない間はずっと部屋の中に閉じこもった。だが、一人きりで部屋にいるとふとした瞬間に、『あの時』もう一人の自分が囁いた言葉が何度も甦った。
友奈の面会謝絶が解かれても会いに行けず、学校にも行けない。
誰にも相談できない。隔絶された世界で、千景はひたすらに思考が沈んでいくのを味わう日々ーー
しかし、高知に居る両親を丸亀に移住させて一緒に住むという提案を大社がしてきたのはまさにそんな最中の事だった。
「今更、あの人達と一緒に居たって……どうしろって言うのよ」
大社は千景のメンタルを改善する意図で家族と一緒に住むことを勧めたが、千景は正直乗り気じゃなかった。まだ精神的に未熟な未成年が親と一緒に暮らし、精神を育むのは極めて普通の事だ。そんな程度の一般論は千景にも理解できるし、だからこそ大社の考えも分かる。
だが、今千景が本当に欲しいのはそんなものじゃない。
「………」
だからって、今も尚学校を休み続けている千景にこれといった言い訳があるわけでもない。この八方塞な状況で、千景はもう自身の思考を正常に保つ力すらあやふやになっていた。
何度も送られてくる大社からの様々な提案という名の催促に、ついに疲れ果ててしまった千景は親と一緒に住む事を了承した。
数日後の早朝に、千景は両親を迎えにいくために故郷の高知へと戻った。
以前に里帰りした際はキリトと友奈も一緒だった為に、こんな電車やバスの中も賑やかで楽しかった。でも、今は漠然とゲーム機を起動してプレイするだけの味気ない旅路だ。本来はこうあるべきだとは分かっていても、懐かしさは拭い切れない。
『大社は道具を失いたくないだけ。あなたの事を思いやっているわけではないわ。大社も大人も、誰もあなたの味方ではないの』
その道中にも、そんな声が頭の中に響く。
ーーうるさい……うるさい……
聞きたくない。そう願って何度も頭を横に振って、額を押さえる。
こんなものは幻聴だ。知らぬ存ぜぬで無視すればいい。そう気丈にあろうとしても、負の感情はどうしようもなく心の内側の弱い部分に浸食してくる。
バスが進み続ける先、千景が気付かないうちに更に酷すぎる現実がすぐそこまで迫っていた。
□
休日の昼間、あてもなく街を歩く俺のスマホに杏から一つの連絡が入った。
『精霊の力の副作用が分かったので、皆に話そうと思います。出来れば、キリトさんも私の病室に来てください』
その内容が意味するところを俺は知っている。切り札を使うことによる副作用の詳細な内容、これは杏がずっと水面下で調べていた事だ。一か月前の戦いで重傷を負ってからも、目が覚めてから自身の病室でずっと彼女はその事について調べていた。
そして、先日これがようやく呪術的なものであると断定し、大社に伝えた。このメッセージが来たという事は、大社も遂に杏の考えを認めたという事だろう。
「よく頑張ったな、杏」
ここまでの杏の努力に経緯を表すると、俺は踵を返して病院へと向かう。
三十分後、病院につき杏と球子が使用している病室のドアを開けるとそこにはすでに
「……ごめん、遅れて。皆、もう杏の話は聞いたのか?」
「はい、今ちょうど終わったところです」
杏の言葉に「そうか」と返答し、それぞれを見る。
未だ入院中の友奈と球子は表情を曇らせ、若葉とひなたもまた苦しそうに顔をしかめていた。
ーーまあ、そんな反応にもなるよな。
精霊の加護は使う程に体に穢れがたまる。
具体的には……乱用しすぎるとこの穢れによって、勇者は精神を浸食され、言いようのない不安感や危機感、または負の感情や破壊的な衝動を抱えるようになる。最近、若葉や千景の様子が何処となくおかしかったのもそのせいだ。
これはもう二週間ほど前に、杏と俺の間で結論が出ていた事ではあるが、大社による検証も含めてこんなにも伝えるのが遅くなってしまった。
それぞれ、気持ちを整理する時間が必要だ。しかし、俺はここで一つの疑問をその場に投じる。
「……そう言えば、何でチカっちは居ないんだ?」
全員に呼び出しをかけたのなら、幾ら今の千景でも来てくれはするだろう。だが、そこに彼女の姿はない。その疑問に回答したのは若葉だった。
「千景なら今日の朝早くに、両親を迎えに行く為に高知へ向かった。……聞いていなかったのか?」
「えっ?高知?いや、俺は何も……ひなたと友奈は?」
俺が主だってその二人に質問したのは、二人が千景の過去を知る数少ない人間だからだ。
「ううん、私もさっき若葉ちゃんから聞いた」
「私は事前に知っていました。『あの事』もあるので、本当なら私も同行するつもりだったのですが……千景さんからは『大丈夫』の一点張りで」
事情を聞くと、千景には前から高知に居る両親と共に香川で暮らす提案が大社からされていたらしい。
千景の過去を知るのは、俺、友奈、ひなた、そして彼女の巫女だった美佳だけ。彼女と両親の間に確執らしきものがある事を大社の人間が知らないとなれば、その提案がされたのも理解はできる。しかし、今ひなたが懸念していた通り、この状況でそれは病人に毒薬を盛るのと同じ所業だ。
「なあ、キリト?千景が田舎に帰ったから、何なんだよ?別にそれくらい普通じゃないのか?」
球子が聞いてきたのに対して、俺は咄嗟に取り繕った。
「あぁいや、別に。何でいきなりって思っただけで……」
言いつつ、俺はスマホを取り出して千景に電話をかけた。
ここで出てくれれば、少なくとも安否は確認できる。少し不自然な動機だが、取り返しのつかない事態になってからでは遅い。だが、かけた通話に千景が出ることはなかった。
「……出ない?早朝に出発したなら、もうとっくに向こうには付いてるはず……」
着信に気付いていないだけか、それなら構わないがどうにも胸騒ぎがした。
「さっき私もかけたんだけど、ぐんちゃん全然出なくて……」
友奈がそう言った事で、俺は更に疑心を膨らませる。
あんな事があったし、今の俺と千景の関係性を考えれば着信を無視する可能性もゼロではないだろう。しかし、あの友奈が何回もかけ直して全てに応じないというのは不自然だ。千景は友奈から着信があれば、毎回三コール以内には出る徹底ぶりだ。そんな彼女から折り返しもないのは、明らかにおかしい。
しかも、よりにもよって、このタイミングで、だ。
ーー何もないなら、それでいい。でももし、これが凶兆なら……
悪い予感ってのはいつだって当たってしまう。ならば、この場で取るべき行動は一つ。
「悪い、皆。俺、ちょっとチカっちの所に行ってくる」
「は?あ、おい、キリト!待て、どういう事だ!?」
「訳なら後で話す!夕方までには帰ってくるから!」
病室を飛び出そうとした俺を友奈が「キリちゃん!」と言って呼び止める。振り返って彼女の顔を見ると、真剣な表情で彼女は言った。
「ぐんちゃんのこと、お願い!」
「ああ、分かってる」
言って、俺は呆然とする若葉や球子や杏を置いて病室を飛び出した。きっと事情の説明とか誤魔化しはひなたがしてくれるだろう。そう信じて、病院を出るとすぐ勇者に変身して高地に向かって跳んだ。
□
千景が村のバス停についたのは、丁度キリトが病院をたったのと同時刻だった。
まず感じたのは、村の様子が前に来た時とはまるっきり違うという事だ。以前は勇者になった事で、村人の殆どは千景と顔を合わす度に微笑みを浮かべてくれた。しかし、今回は顔を合わせても誰もがよそよそしく顔を背けるだけ。まるで、三年前以降に戻ったかのような冷たさだった。
最初は気のせいだと思った。でも、村の人間している立ち話を聞いた事で、その予想が外れる。
「あの子のせいで人が死んでるのに……」
確かに、そう言ったのだ。
それだけでなく、樹海の浸食によって現実世界に被害が出て死者が出ていること。それらを批判するような内容だった。
ーー何で………私の、せい?
『ああ、ひどい。なんてひどい。あんなに勇者様、勇者様って言っていたのに、すぐ手のひらを返す。やっぱり、何処にもあなたの味方なんていないんだわ』
心のもろい部分を揺さぶるようにまたあの声が響く。
「うる、さい」
千景はなるべく人通りの少ない道を通ることにした。
途中で何度か携帯が鳴ったが、もうそれを確認するのも億劫で見る事さえしなかった。やがて一階建ての古ぼけた実家に帰ってくる。扉を開けて相変わらずゴミだらけで散らかった廊下を通り、リビングへ。そこには布団の上で眠っている天恐の母と、その隣に座る父の姿があった。
無表情に言葉を介す父に千景はもはや何も思わなかった。
必要最低限の会話だけで済ませよう。そう思った矢先に、父はいきなり怒鳴り出し、幾つもの紙束を千景に突きつけた。
「これを見ろ!千景!」
「なに、これ……」
それは、ネットの掲示板と同様に勇者を中傷する内容が書かれた紙だった。まるで悪意を書きなぐるような赤い文字だったり、筆文字だったり、けれどその全てが共通して酷い中傷や罵詈雑言。中には目も背けたくなるような酷い言葉で、勇者を罵っているものもあった。
父が言うには、これが毎日家に投げ込まれるそうだ。これが、村民が陰で言っていることなのだと。
「千景、お前のせいだぞ!勇者のくせに負けるから……!このクズが!」
実の父すらも指差して罵ってくる。
千景はあまりの動揺に持っていた紙束を落としてしまった。紙が床に落ちて擦れた音で、千景の意識が少しだけ鮮明になると、反射的に床に散らばった紙に目が行った。だが、それと同時に千景はその中にあってはならない言葉を見つけてしまったのだ。
『この無能。お前らが死ねばよかったのに』
「何よ、それ…………」
腕を失って、足を失って、取り返しのつかない後遺症まで負って、記憶を失ってまで戦った結果がこれ?
千景の瞳に映る光が黒くよどんでいく。それを止める事はもう彼女自身には出来ない。
「その報いが……これ………?」
『ふざけてる』
「無価値なのは」
『お前たちだ』
その時にはもう、千景の本心ともう一つ悪意はすでに混在してしまっていた。
赤黒い怒りを瞳に宿した千景は大鎌を持って家を飛び出した。