「つ、作った!?桐ヶ谷さんが、ここを?」
屋敷の客間に千景の悲鳴じみた驚愕が響く。
「去年の十月頃くらいからかな?花本さんやひなたと一緒に裏で進めてたんだよ。いざとなった時に、俺達勇者や巫女を、大社から匿えるようにって」
「はい。私も当時、桐ヶ谷さんや上里さんから話をされた時は驚きましたが、少しでも勇者の皆様の助けになれば……と、僭越ながら協力させていただきました」
何という用意周到。
最初からこういう状況になるのを分かっていたような口ぶりで言うキリトに、千景はもはや別の意味で呆気に取られていた。そもそも、この二人が知り合っていたこと自体にも驚きが隠せないし、一体何手先までこの剣士は読んでいるというのだ?
「俺やひなたが表立って動くと怪しまれるからな。建築の主導はある程度マークの薄い花本さんにしてもらってて……俺は会ったことがないけど、安芸さんって言う巫女も協力してくれたらしい」
実に当然のように自身の属する組織を出し抜く強かさは、もはや脱帽の域だ。
こんな山奥に作ったのも、出来るだけ大社に場所を悟られない為だろう。つまり、ここは大社の管理が及ばない勇者と巫女の為だけの不可侵領域。さながら、使命を与えられた少女達の儚いレジスタンスといった所だろう。
だが、そうなると、千景はキリトに一つだけ問わなければならない事があった。
「待って。桐ヶ谷さんは、切り札の代償で……その……記憶が消えてるんでしょう?私が部屋で読んだあの日記にも、この屋敷の事は書かれていなかった。一体どうやって……」
前々回の時点で既に年明け辺りまでの記憶が欠損している以上は、今はそれこそ数か月前の事すら覚えていない。
大事な事は全て日記に書き残して、記憶が消えたらそれを読んで確認していた。だが、千景が読んだ時点ではここの事は書かれていなかった。つまり、別に資料を残していたか、或いは別の方法で思い出す以外には考えられないわけだ。
「チカっちの言う通り、俺はつい最近まで、この屋敷の事を忘れていた。でも、言っただろ?ここの建築は元々、ひなた達巫女を主導に行っていたんだ。三日ほど前、俺はひなたに代償の仔細を打ち明けると同時に、こう聞いたんだよ。……『俺が忘れている、重要な事を教えてくれ』ってな」
思えば、ひなたには少し悪い事をした。でも、辛そうな表情はしていたけど、
彼女は「やっと頼ってくれましたね」と言ってくれたのだ。
その説明で千景も納得して様だった。
「そう……確かにそれなら、筋は通るわね。でも……」
口ごもった千景の言いたい事はキリトにも分かった。その上で、首を横に振った。
「いや、まだこの事はひなたや花本さんにしか話していない。この屋敷の事も、代償の事も……」
憂いを帯びた目で、けれど何処か決意じみたものを帯びた目でキリトはそう語った。
これに関しては千景も複雑な心境にならざる負えない。後々の事を考えるなら、彼の秘密はすぐにでも勇者達に打ち明けるべきだとは思う。だが、打ち分けるという事は当然、その分リスクを背負う事にもなる。
例えば、若葉や友奈といった残った勇者が、キリトに切り札を使わせないようにしたり……とか。
キリトが扱う精霊の加護は、一目連や七人岬といった既存の加護とは文字通り格が違う。ハッキリ言って、これからも激化する戦いの中で、これを一切使用しないというのは現実的に考えて不可能だ。これを使わせないようにして、若葉や友奈が無理をすれば、逆にそれが二人を死なせる要因になりかねない。
そう言ったリスクもある以上、打ち明ける時期は慎重に選ぶ必要がある。少なくとも、今のように連日に渡って侵攻が続く最中に行うのは得策ではないだろう。
「……私はもう、
「郡様……」
千景は今、自分がどんな表情をしているのか分からなかった。
だが、美佳が心配そうにしている事から、少なくとも景気の良い顔はしていないのだろう。
「それに、私もしばらくはここから動けないんでしょ?」
「ああ、申し訳ないけど……今はまだチカっちをここから出すわけには行かない。出来るだけ早く現状をどうにかするつもりだけど、それまでは花本さんと一緒にここに居てもらう事になると思う」
バツが悪そうに告げるキリトに千景は微笑む。
「そんな顔しないで。私を守るためだって、ちゃんと分かってるから……それに、花本さんも居るんでしょう?それなら……多少不自由でも、寂しくはない」
「はい。今まで何も出来なかった分、せめて今だけは御傍に居させてください」
誠心誠意といった様子で、頭を下げる美佳に千景は優しく柔らかな表情で首を振った。
「ありがとう、花本さん。……そういう訳だから、私の事は大丈夫。だから、今度はちゃんと桐ヶ谷さん自身の決着を付けて来て」
「チカっち……分かった。必ず、全部終わらせて、皆で丸亀城に帰ろう」
■
山奥の屋敷に身を固めてから数日、俺達は粛々と屋敷内で身を潜めていた。
屋敷の中には自給自足が出来るだけの設備が揃えられているため、外に出る必要は殆どない。建てられている場所も、様々なトリックでカモフラージュしているので、外部の者に見つかる可能性は皆無と言っていい。
悠然と構えながらも、ひなたの報告や、インターネットを通じて外の状況はしっかりと把握し、万全の態勢で立てこもっているという訳だ。
そして、丁度昼頃、屋敷内にある俺の自室でひなたと定期連絡を取り合っていた。
『――大社の内部でも、桐ヶ谷さんや千景さんの失踪を
報告の方法はビデオ通話。音声だけにしないのは、お互いに表情を見れるようにする事で隠し事をしないためでもある。
「流石に、まだここを知られる訳には行かないからな。タイミングはじっくり計るつもりだったけど……仕方ないか」
元々、俺はそこまで長くここに滞在するつもりはなかった。
千景の様子だけ見つつ問題ないと判断すれば、俺だけ丸亀城に戻る手筈ではあったのだ。しかし、現状だとそうも行かない事情がある。それは、民の間で立ち込め始めた噂と、それに関連する不安や懐疑心の為だ。
端的に言うと、前回の戦闘によって起こった民間人への被害が決定打になって、勇者や大社に対する不安が爆発しつつある。
しかし、更にまずいのが、何故か千景の暴走まで民間人に知れ渡っているという点だ。
『事を起こすとすれば、今月中が正念場になりますね』
「ああ、時期的にも一番タイムリーで分かりやすい」
確実に大社内の、それも幹部クラスの中に外側に情報をリークしている奴がいる。現状、その人物を特定する術はないが、この組織としての有り得ないほどのお粗末さが、俺が大社を信用できない理由の一つでもあるのだ。
窓口という窓口も無く、風通しがすこぶる悪いくせに、内部の情報はポンポン漏れるし、外側に働きかける事ばかりに気を取られて土台を作る事が全くできていない。まずこの組織は成り立ちからして複雑極まる。そんなカルト組織に行政的な役割を付け足した結果、更によく分からない状態になっているのだ。
故に組織としての対応も杜撰だから、下につくにしたって信用ならない。
「……全く、大社の組織構造がもう少しまともなら、こんな回りくどい事をせずに済んだんだけどな」
『返す言葉もありません』
「あ、いや、今のはひなたに言ったんじゃなくて……ごめん、話を戻そう」
とは言え、今ここでそれを言っても仕方がない。
愚痴りたいのは山々だが、今はそんな事よりも優先すべき事が沢山ある。
「今、俺達の目の前には、やるべき事、取るべき行動が山積している。それら全てに大社が判を押すのを待っていたら、いずれ取り返しのつかない事態になるだろう」
『はい。桐ヶ谷さんのおっしゃる通り、事態はかなり深刻です。勇者の欠員に、バーテックス侵攻の苛烈化、民衆の不安。どれを取っても解決は急務でしょう』
だが、うち二つは現時点では解決不可能。
まず勇者の欠員は、球子、杏、千景の三人で、前者である二人は当然無理だし、かと言って五体満足で健常な千景も動かすのはもっと難しい。今彼女を大社に戻せば、それこそどんな目に合わされるか分からないからだ。少なくとも、現状の負債全てを背負わされる事は想像に難くない。
最悪、死ぬより辛い地獄に放り込まれる可能性すらある。
そして、バーテックスの侵攻の苛烈化。これは輪をかけて難しい。そもそもこれに対する対処法があるなら、勇者なんていらない訳だ。
であれば、残る一つは民の不安を解消ないしはコントロールする事。まあ、ぶっちゃけて言うと、これはやろうと思えば出来なくもない。
「まずは民衆の不安の解消だな。色々とプランはあったけど、やっぱり狙い目は公の場に限るか」
ネットでの拡散、個人的な呼びかけ、幾つか方法はあるが一番効果的なのはここに大社を巻き込む事だ。
「ひなた、例の……若葉の演説の話はどうなった?」
『それについては、予定通り行う事になりました。日付は七月の末、時刻は夕暮れ時の午後五時。場所は丸亀城です』
「あと一週間後……よし、動くとしたらそこだ」
PCの画面上にカレンダーを開き、そこまでの予定を組み立てていく。
「ひなたは通常通り、若葉達のケアや演説の方に集中してくれ。こっちもそれまでに、出来るだけ準備を進める」
『分かりました。……ですが、動くと言っても何をするつもりですか?』
その問いに対して、俺はまるで悪い事を思いついた子供ように不敵な笑みを浮かべて返答する。
「それは、その時までのお楽しみだ。大丈夫、ちゃんと演説が始まる前には教えてやるよ」
『その表情を見る限り嫌な予感しかしませんが……分かりました、一先ずは桐ヶ谷さんを信じます』
一週間もあれば、それなりに綿密な計画を建てられるだろう。
実行案に関しては固まり切っていないので伏せるが、言ったらいったで間違いなく却下される内容なので当日まで明かすつもりはない。
「と、そろそろ時間だな。それじゃあ、計画の打ち合わせは明日以降にでも……」
『はい。では、また』
それを最後に両者ともチャンネル切ることで通話は終了した。
途端、人の声がなくなって伽藍とした部屋の中で俺は伸びをする。
「……あと、もうひと踏ん張り。だと、良いんだけどな」
本当に嫌になるほどに問題だらけな状況に、辟易としつつも一つずつ手を付けていかなくてはならない。
そうしなければ、仲間を守れないのだから、避けて通る事は出来ない。大小さまざまな困難を踏み越えて、その上でまた更にどでかい壁を打ち破らなければ、俺達の足場はたちまち崩れ去ってしまう。そんな薄氷の上に、今俺達は立たされている。
眉間を抑えながら背もたれに体重を預けていると、不意に部屋の扉をノックされた。
「桐ヶ谷さん、食事の用意が出来たって……花本さんが」
「ああ、分かった。今いくよ、チカっち」
まあとりあえず、ここに居る間くらいはのんびり休息を取らせてもらうとしよう。