作者も色々と考える期間に入っていて、ようやく気持ちの整理がついたので少しずつでも書いて行こうと思います
ある明くる日の霧雨は、それだけで山の足場を悪くする。
けれど、雨は特段嫌いじゃない。降りしきる雨粒の下では、泣いていたって誰かに悟られる事はない。これらは表裏一体な感情を、余すところなく包み隠してくれる。山奥の屋敷の縁側で、昼時の安らぎを味わう中、俺はふと考えるんだ。
いつまで、俺が、"俺"で居られるのか――
既に、人格の主導権というか、主体的な部分はほぼ向こうの世界の『キリト』と化している。その最後のトリガーを引いたのが、千景との戦闘での切り札の使用だ。故に、以前まではあった俗的な迷いも今は無い。唯一つの目標に集中できている。
でも、記憶は否応なく消える。
明確に意思を保てている今はまだマシな方で、いざ記憶が全部消えた時、俺の人格は果たしてどうなるのか。記憶がまっさらになる事でまた別の誰かになるのか、あるいは、物言わぬ廃人なる可能性だって低くはないだろう。
「あと二回……いや、一回か」
感覚で分かる。
恐らく、次の大侵攻が起これば、俺は無事では済まない。死ぬことはないにしても、間違いなく今のままでは居られなくなる。
だから、その前に"ある程度"は終わらせなくては行けない。
困ったことに、俺にしか出来ない事って言うのはそれなりに多い。それは、俺が唯一若葉達のような文字通りの勇者ではなく、かと言って一般人でもない異質な存在だからだ。年齢通りの精神ではないから責任だって自分で持てるし、かと言って体は未熟だから手段の自由度はかなり高い。
だが、如何せん時間がないうえに数が多過ぎる。
今やらなければ、この先数百年に関わるような大事が、頭上にこれでもかと詰みあがっているのだ。当然、これらを全部処理するのは不可能だし、ある程度は手付かずになるのだろう。だが、せめて身近な人達の将来くらいは守りたいのだ。
今日のひなたとのリモート会議は、主に俺が何をやろうとしているのかの詳細を話す作戦会議で、立案の際にひなたはその内容に酷く狼狽した。
『ほ、本気ですか!?そんな事をすれば、桐ヶ谷さんが……』
「本気じゃなくて、こんな質の悪い冗談言う訳ないだろ?俺だって、出来ればこんな事言いたくないよ」
ひなたにとって『その提案』は大層受け入れがたいだろうし、実際に俺がひなたの立場なら絶対に反対する。だから、こんな諦めたみたいな言い方するのは卑怯だって分かってる。
『何故、そこまで焦って結論を出そうとするんです?もっと、慎重に解決していく方法だってあるじゃないですか……』
彼女の言葉はもっともだ。むしろ、そうした方が明らかに確実だし、リスクも少ない。では、何故そんな手堅い方策を選ばないのか。答えは簡単だ。
「――時間が無いかも知れないんだ」
『……どういう意味ですか?』
記憶をすべて失うまで、もう幾ばくも無い事。代償による記憶の欠損は既に彼女も知るところではあるが、明確にいつまでがタイムリミットという風には言ってこなかった。
でも、それを打ち明けないとひなただって納得しないだろう。彼女は今、大社、若葉達、そして俺と三枚の板に挟まれている状態だ。ひなた自身の能力が年齢に似合わないほど高く、誰よりも信頼できるから頼っている。――と言えば聞こえはいいが、そんな美辞麗句では欠片ほども釣り合わないくらいに、彼女の心身の疲労は相当なものだ。
これは、そんな彼女への俺からのせめてもの誠意だ。
「次か、その次くらい。もし四国への大規模な侵攻が起これば、多分、その辺りで、俺の記憶は完全に消えるって事だ」
『っ……そう、ですか』
明らかな動揺が、ひなたの表情に悲痛な色を滲ませた。でも、自然と驚愕した様子はなく、あくまで既知の事実を突き付けられたような、そんな印象を受けた。
「……驚かないんだな」
『驚いてますよ。でも、予想はしていました。いつか、遠くない未来にそういう時が来るという事は……』
そんな自分に嫌気さすと言った様子で、ひなたは努めて冷静に淡々と事実だけを述べた。でも、俺は知っている。彼女が意図してそういう仕草を取る時は、必ずと言っていい程、その内心を隠そうとする時なのだ。これはきっと、魑魅魍魎だらけの大社の中で、彼女が自分や周りを守るために身につけた処世術なのだ。
そして、周りはそんな彼女の真意に気付く事はない。
「本当に、世話をかけるよ」
『分かっているなら……これ以上、そういう無茶無謀は言わないでもらえると助かります』
「ははっ、それは無理な話だ。少なくとも今は、な」
俺という人間は何処までもズルい。
ひなたはこう言えば強く否定できないとか、同情してくれるからとか、そう言った卑怯な考え方をしている。彼女は巫女としての責任があるから、無理やり心を殺しているだけで、根は他の子と何ら変わりない心優しい女の子なのだ。時には泣きたいだろうし、誰かに甘えたい時だってあるはずだ。
そんな彼女に再びを無理を強いる俺は、きっとその涙を拭う資格すらないのだろう。
「今日はここまでにしよう。明日以降で詳細な事は決めるけど、先んじて一週間後は頼んだ」
『はい。それでは……』
僅かな声の反響が名残を残しながら、通信を切った。
■
改めて、ここを発つ日も決まったので、千景にも報告しておこうと思う。
彼女は縁側で雨の降る曇天を見つめていて、その儚げな後ろ姿に声を掛けた。
「隣、いいか?」
言って右隣に座ると、いつもの要領で千景は平坦な口調で返した。
「そう言いつつ、もう座ってるじゃない」
本当に日常のワンシーンを激写したみたいな自然なやり取りが、俺達の間に流れた。
心地良い。手放しにそう感じるくらいには、この場所は収まりが良いのだ。でも、もうそう言った感覚すら懐かしく思える。
「……何だか、こうしてチカっちとまったりした時間を過ごすのも、凄く久しぶりに思えるよ」
記憶がないから、あくまでの感覚の話だ。
少なくとも、ここ数か月には覚えがないから久しぶりと言って差し支えない。
「最近は、その……色々と、あったものね」
気まずそうに語る。でも、隠す様子はない。
彼女は彼女なりに、落ち着いた時間の中で考え、色々と気付きを得たのだろう。丸亀城からも、故郷からも離れたこの地は、千景の疲弊した精神を癒やすにはもってこいだった。
「ああ、多分それはこれからも……いや、この話は今はいいか」
未来の話は、一先ずいい。いずれするけど、一番伝えたい事はそこじゃない。でも、途中で話を切ったもんだから千景は訝るような視線を向けていた。
「何よ、気になる切り方をするわね」
「ごめん。こっちは後で話したいから、先に一番大事な方を優先したくて……」
また別の話に路線がずれて、肝心な事が伝わらないのは沢山だ。
その意図を彼女も察したのか「そう……」と一言だけ返事するに留まった。
そこから、数秒の静寂。物静かな千景との間では、特段珍しくもない沈黙だ。むしろ、俺や千景にとっては言葉や話題を選ぶ為に非常に有用な時間ですらある。繊細な千景を傷つけないように、何を話そうか、どういうニュアンスが良いだろうか、そう言った事をお互いに考える合意の上での静寂。
でも、やがてそれにだって終わりは来る。雨音に消されない程度の声量で彼女に言った。
「一週間後、丸亀城に戻る事にしたよ」
「……そう。まあ、ずっとここに居る訳にもいかないものね」
返されたのは、ただそれだけだった。
表情はいつも通りだから、心中でどう思っているのかまでは分からない。
「ごめん。本当なら、もう少しこっちに居られたら良かったんだけど……」
「何言ってるのよ?桐ヶ谷さんが、私を気遣って……少しでも長くここに居てくれようとしてたのは、知ってるわ。もう十分……私はあなたに救われた」
穏やかな声音だった。激情に駆られて鎌を振っていた頃の彼女からは想像も付かないほどに、柔らかい雰囲気だった。
本来なら千景はそういう子だ。素直じゃないけど、他者を痛みを理解し思いやる心を持っている。あんな事があったから今や角も取れて、随分と成長したように思う。だからこそ、俺は彼女を直視する事が出来なかった。
こんな所まで連れて来て、結局置いていくしかない事に負い目を感じていた。
以前、俺は彼女から「無責任」だと言われた。
実際その通りで、俺という人間は最終的に消える事実からは逃げられない。消えた後に、皆がどれだけ苦労しても、それをどうにかしてやる方法は俺にはない。自分の行動に責任を持って進むことを決めた。でも、死んだ後まで誰かを助けたいなんて、それこそ虫のいい話だ。
「桐ヶ谷さん」
不意にその名を呼ばれた。
反応を返す前に、俺の顔を二つの手が挟んで方向を変える。そこには、安心したように微笑む千景が居た。
「やっと、こっちを見たわね」
そう言われて、俺は「まいったな」と苦笑した。
見透かされていた。この言葉を言われた時点で、俺は自身の苦悩が彼女に筒抜けだった事を自覚した。
「今の桐ヶ谷さん。酷い顔よ……強くて、でも悲痛そうな、そんな顔」
「……だろうな」
失った後に泣けるくらいには、俺は多くの時間と、それに比例した幸せを享受してきた。明確な決意と後ろめたさ。そのどちらもあって当たり前だ。色々と難しい事は多いけど、それらは向き合う事で折り合いを付け、整理していくしかない。
でも、苦しいものは苦しいのだ。
「俺……きっと、これから沢山の人を傷付けると思う。大切な人に、悲しい思いをさせるかもしれない。でも、俺にはもう手段を選ぶ余裕がない。目の前の問題すら、どうにかするには全然足りなくて……」
千景の両肩に手をおいて、思いの丈を口にする。今のうちに言っておかないと、この先言える機会はないだろうから。
「
でも、一度こうと決めたら止まれないのは性分なのだ。
迷う事はあるし、答えをすぐに出せるほど頭が良い訳でもない。目の前に明確な実行案があって、仮にそれが間違いだとわかっていても縋ってしまうのは、弱さだと分かっている。そうと分かっていても、愚かだと自覚していても、止まる事が出来ない。本質を捉えていなくても、自分できるやり方でしか前に進めない。
しかし、それが俺なんだ。何故と聞かれても、俺だからとしか言えない。
それまで相槌を打つに留まっていた千景が、おもむろに口を開いた。
「……私は、桐ヶ谷さんに、傷付いて欲しくないわ。でも……それと同じくらい、あなたの在り方を否定したくないの」
相反する二つは、彼女にとってはどちらも真実だ。
「桐ヶ谷さん……私達は、まだ中学生なのよ。間違って当然じゃない……でも、困ったことに『この世界』は私達の間違いの責任を取ってはくれない。だから………勝手だろうと、何だろうと、私はあなたの進む道を尊重するわ。その上で――」
時が、ゆっくりに過ぎる。
「私は、皆でもう一度笑えるって、信じてるわ」
そこに居たのは俺が守らなきゃ行けない、か弱い少女じゃなかった。
痛みを知り、喪失を知り、彼女は一つも二つも大人になっていた。言葉を紡ぐ表情の一つすら美しくて、見惚れそうになる。直接言葉にしなくても、愛されてると、嫌でも理解させられる。
その瞬間、俺がここに置いていた後悔がすっと消えていくような気がした。
千景はもう大丈夫。何かあっても、自分の足で進むことが出来るし、その為に彼女なりに色々とやっていくのだろう。
「ああ……最後には、そうなれたらいいな」
それから数日後。
俺は山奥の屋敷を旅立ち、演説が行われる丸亀城へと向かった。
あまりにも駆け足過ぎた部分が多かったので
こういう風な回を執筆しました