自分の部屋から暗転、士道は気が付くと自分が牢屋にいることを理解する。
暗い空間に鉄格子
これがあるだけでベッドやトイレ、シャワーがあっても牢獄のように感じるのだな、と士道は現実逃避気味に感想を抱く。
とは言え、状況の悪さはそんな遊びを許してはくれない。
窓どころかドアすらない獄舎はまるで自分が罪人になったような気分にさせ、士道の心境を酷く心細いものにさせる。
振り返っても当然のように入ってきたドアもなく、白い狂三―――山打紗和はどこにもいない。
深く考えるまでもなく士道は彼女によって監禁されたらしい。
むざむざ彼女の罠にはまった形だが慌ててもどうにもならない。
試しに天使を使おうとして―――できない。
どうやら霊力を吸い上げられている様だ。
「まあ、あの時と違ってイスに縛りつけられてるわけでもないからまだまし……えっ?」
以前の状況を思い出すことでまだ最悪ではないと自分に言い聞かせ―――あの時と違って助けが来ない可能性は考えない―――せめてこの部屋に他に何かないかと牢獄の中を見回して―――
―――部屋の片隅に誰かがいることに気が付いた。
『いる』と言うより『座っている』らしい。
暗がりの中でも士道より小柄なことは分かるから恐らく女性だろう。
更に目を凝らすと、その人物がスカートをはき、なおかつイスに縛りつけられているのがわかった。
―――自分と同じ境遇か
士道が拘束を解いてやろうと近づこうとし―――すぐに足を止める。
それは少し前まで見ていた顔だった。
良く知った彼女の表情は目隠しのせいでうかがえないが、それでもの美人の異常な端麗さはいささかも損なわれていない。
薄い布の様な帯に全身を戒められたうえでイスに結わえ付けられた様は、完全な身体的美しさと相まって、特段露出はなくとも酷く煽情的だ。
「狂三……だよな?」
その名を呼ぶ士道の呟く声が聞こえたのか聞こえないのか、時崎狂三はまるで死体の様に、あるいは人形の様に、いかなる反応も示さすことは無く、その様はここに来て最も士道を不安にさせた。
「狂三! おい、しっかりしろ! 大丈夫か!」
狂三の体を戒める帯の様な拘束―――士道には精霊の霊装の様に見えた―――は継ぎ目がなく、士道の力ではどうにもできなかったが、イスと狂三を結びつける拘束はただの縄で解くことができた。
やむを得ずイスから狂三を開放するにとどめ、狂三を抱き起す。
部屋の隅に会った簡易なベッドの上に縛られたままの狂三を寝かせる。
息があり胸が上下しているのを確認し、生きていることに安堵したものの狂三は士道の行動にも呼びかけにも何の反応も示さない。
改めてみると自分が酷く微妙なことをしていることに気が付く。
寝かせたことで狂三の体のラインがくっきりと浮かび上がる。
今までにない程しおらしい、と言うより為すがままの様な狂三の反応は士道を困惑させる。
一瞬やましい感情が頭に浮かび、すぐにもみ消す。
精霊たちとともにある五河士道は誠実に生きることがなければすぐに堕落する、と言う確信があった。
めげずに狂三に声をかけ続けると、狂三の体が初めてビクリと動く。
突然の動きに士道も驚いたものの、ようやく狂三が見せた反応を無碍にするなどできない。
そのまま声をかけ続け、体を軽く揺する。
「……士道、さん……?」
「! ああ、そうだ! 狂三、大丈夫か!? 無理にしゃべらなくていい。縛りつけられて大変だっただろ、少し楽にして休め……」
狂三が自分の名前を呼んだことによる士道の安堵は
「ぁああぁ…ああ……! 士道さん、士道さん……! ごめんなさい! ごめんなさいぃ……!! わたくしのせいで、あなたが! あなたまで!! わたくしの様な女のせいで士道さんが、士道さんまで……!!」
狂三の席を切ったような嗚咽交じりの懺悔に押し流される。
頭の中が真っ白になる。
女の泣き声が心をざわつかせる。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも、喜んでいるようにも、憂いているようにも感じる。
気が付くと狂三の目隠しの下から涙が流れている。
あの時崎狂三が士道の前で号泣する。
その光景は士道にここまで感じ、見たどんな事柄よりも衝撃を与えた。
「紗和さん、紗和さん……!! 聞こえているのでしょう!? この人は何も関係が無いのですわ!! わたくしはどんな罰でもうけますから、士道さんを解放してくださいまし……!」
ここにいない紗和に必死に懇願する狂三。
溢れる涙をとどめることも無く、美貌を損ないながら狂三は全く無駄な哀願をする―――それは士道が知る狂三とは全く異なる何かに遭遇してしまったかのようだった。
頭の中が疑問で埋め尽くされる。
一体狂三は何をされたのか
どうしてここにいるのか
士道はなぜここに呼ばれたのか
紗和と狂三はどういう関係なのか
紗和は士道に狂三をどうさせたいのか
―――面倒くさい、イライラする。五河士道が今すべきはそういう事ではない
気が付けば士道は狂三の頭を抱きしめていた。
急に出てきたのでハンカチは持っていなかったが、それでもと服の袖で狂三の涙をぬぐう。
狂三は最初こそビクリと体を動かしたものの、すぐに士道が抱きしめるとそのまま大人しくなった。
狂三の長く濡れた様な黒い髪を片手でゆっくりと撫でる。
次第に狂三の嗚咽がおさまり、頭を士道の胸に沈める。
こんな時なのに自分の部屋にいたコロンのことが思い起こされる。
あいつ今どうしてるだろうか、そんなことを考えていると狂三がぽつりぽつりと話し始めた。
「……お見苦しいところを見せてしまって申し訳ありませんわ、士道さん」
「お前みたいな美人に頼られるのは光栄だから気にするな」
「……わたくしが、わたくしごときが士道さんに手間を取らせてしまったことが問題ですの」
「狂三……何がだよ……」
何とか軽く返すものの、内心士道は心臓に刃物を刺されたような痛みを感じていた。
恐る恐る狂三の顔を見る。
眼は見えないがそれでも冗談や皮肉で言っている様子ではない。
いつもなら自信に満ちた皮肉気な返しがくるだろう、今の狂三は自尊心を打ち砕かれまるで生気がない生ける屍の如き雰囲気をさらす。
―――士道にとっての時崎狂三のイメージが犯されたようなとてつもない違和感、それを確認してしまったことへの後悔
士道は自分のそんな怯えにも似た感覚を誤魔化すかのように、狂三を抱きしめる腕の力を強くする。
狂三は先ほどと同じく士道のなすがまま、黙って抱擁を受け入れている。
嫌がっていないことにかすかに安堵するも、すぐにいつもの狂三ならからかうように士道を挑発するだろうことを思い起こし、狂三に見られることのない表情を曇らせる。
改めて気を引き締め、狂三の顔を伺う。
涙は収まったようだが、目隠しの下には涙の後がまだ残ったまま。
先ほどまでの益体も無い懺悔をもらし続けた形の良い口元も、不安げではあるが閉じている。
狂三は何も言わず大人しく抱きしめられている。
どうやらようやっと落ち着いた、あるいは安心したのだろう。
―――今まで身動きができない完全な闇の中でどれだけ不安に苛まれていたのだろうか
士道は今更そのことに思い当たり、それを想像した自分の中の落ち着かなさを紛らわすかのように、狂三の髪を手櫛しつつなでる。
狂三は気持ちよさそうに成すがままされている。
やっぱりうちのネコみたいだなぁ、などと士道が思っていると、今度はなでる手に狂三が頭を擦り付けてきた。
何だかやはりコロンのようで、えらく丸くなってしまったかのような狂三を見ていると、狂三がこちらを向いてきた。
「ですから……これがわたくしのせめてもの償いですわ」
狂三の妙に間延びした、そして誘う様に甘ったるい声が耳に入ってきた。
向く、といっても目隠しは外せないので見えていないはずだが、それにもかかわらず狂三の顔は士道の方を向いている。
そんな狂三の様がどこか場違いに煽情的に感じた士道が視線を逸らそうとすると―――狂三は薄く嬉しそうに笑うかのように口を開け、舌を少しだけ口内で蠢く赤い虫のように動かす。
白痴の様な女の顔が士道を誘う
たったそれだけのことで今まで感じたことが無い程に狂三のことを酷く蠱惑的に感じてしまい、思わず士道は身を固くする。
同時に狂三の意図―――士道に対する明確な誘惑―――も理解する。
今士道が狂三を押し倒しても全く拒まないだろう。
あの時崎狂三が自分を士道に完全に委ねる。
狂三を完全に支配できる。
その感覚は士道の思考を一瞬麻痺させ、そして狂三がそんな状況まで追い詰められていることを理解したことで慌てて正気に戻ろうとする。
どうにか言葉を発し狂三を制止しようとして―――
「ひうっ!?」
狂三の唇が首に吸い付く。
恐らく狂三がキスしようとしてかぶりをふった士道が躱したからだろう、狂三は士道の首筋をどこか不満げになめつつ、それでも急に思いついたかのように士道の皮膚に吸い付き鬱血の跡をつける。
痛みと舌が這う感覚が脳を麻痺させる。
あたかも捕食の様で厭わしく、それでいて不愉快ではない。
どこか満足げに自分が士道につけた証を舌でつつくようになめる狂三。
そのまま士道の顔を見上げつつ陶然とした笑みで、首筋の痛みと急な状況に困惑する士道を迎える。
それでも、見えていないはずなのに的確に士道を見やる狂三を、まるで獲物を追う肉食獣の様な若干の凶暴さを感じたことでかえって冷静さを取り戻した士道は、狂三の両肩を押さえ耳元に顔をもっていく。
「狂三……あえて聞くぞ。何があった? 言いたくないなら仕方がない。それでも俺はお前の為にできることはしてやりたい」
「あら、あら。言うまでもないでしょう。抵抗できないわたくしを、士道さんの好きなように扱ってくださいまし……あるいはぁ、士道さんがわたくしが思ったよりも上手ければぁ、もしかしたらわたくしを完全にデレさせて容易く封印できるかもしれませんわよ?」
「狂三……俺はお前が本当にそう思っているならそれで良い。でも今のお前は捨て鉢にしか見えないんだ……」
「一体士道さんに何がわかりますの? 一体わたくしの何を見てきたかのように言う権利がありますの?」
「目隠しに感謝した方がいいかもな。今のお前思ってるほど色々隠せてないぞ?」
「……! 士道さんのくせに生意気ですわ。わたくしのことなど知りもしないくせに」
「だから教えてくれないか? 俺はお前のことが好きだ。だからお前がそんな風に言いたがる理由が知りたい」
「っつ~~~!?」
先ほどの雰囲気から一転、言い合いが白熱しつつある中、士道の一言で顔が真っ赤になる狂三。
このまま言い合いしてもどうにもならなかったから良いのだが士道としては複雑だ。
とは言え話を聞くチャンスではある。
多少ズルいとは思うが肩においていた手を背中と腰に回し、もう一度狂三を強く抱きしめる。
先ほども思ったが抱き心地が良い、思わず髪をなでてしまう。
狂三は最初こそ少し身じろぎして抵抗するそぶりを見せていたが、すぐに落ち着いてなすがままにされる。
しばらくこの奇妙な抱擁は続いたが、そのうち狂三はぽつぽつとつぶやき始めた。
「大したことはなにもありませんわ。ただどうしようもない夜郎自大同然の女が調子に乗って馬鹿をして、自分のしでかしたことが後悔してもしきれないことを思い知っただけ……今ここにいるのは死んだも同然の精霊もどき、ですわ」
狂三は語る、自分の過去を。
山打紗和と友人だった高校時代
始原の精霊、崇宮澪との出会いと狂三の精霊化
澪に言われるまま多くの人間のなれの果てを殺したこと
その果ての山打紗和の殺害、崇宮澪から話された真相
復讐を誓い、過去に戻る力で全てを無かったことにする願望
―――そして異形の紗和との衝撃的な再会と自身の破滅
説明の内容は士道に衝撃を与えるものだった。
狂三を襲った悲劇とその後の覚悟、そして犯した罪とそれがすべて無意味どころが全くの蛇足と言う形になってしまった。
これを災厄と呼ばずして何と呼ぶのだろうか、士道はかつてない程狂三を知り、そして教えた狂三は語り終えると、疲れたように息を吐いた。
「……これでわたくしの話はおしまいですの。長いわりに何の実の無い話で恐縮ですわ」
「……んなことねえよ。お前が自分の話をしてくれたことが単純に嬉しい」
「あら、あら。お世辞でも何の価値も無い脂身の様なわたくしを、士道さんが褒めてくださるのはうれしいですわ」
「……狂三……」
わからなかった。
何が起こったかが分かった。
何をしてきたかはわかった。
どうしたかったかもわかった。
そして、どうすれば良いかは全く分からなかった。
何とかしてこの自分を痛めつけるしかない女性を助けたい。
今の狂三は完全に生きる目的を失っている。
あるのは想像を絶するほど積み重ねた罪と紗和から下される罰に怯え、嘆き、悔やみ続ける日々。
士道に対する反応も理解する。
今や狂三にとって士道は恐らくほぼ唯一の逃げ道なのだろう。
そこまで狂三を追い詰めた山打紗和、そして元凶の崇宮澪。
(何でだろう……そこまで彼女たちを悪く思えない。勿論精霊だからと言うのはあるけれど)
士道は紗和がコロンと接する時のことをよく覚えている。
狂三がまだ平和だったころの彼女に話すときの印象も、仲が良い友人だったと言う狂三の言をたがわず、決して悪いものではなかった。
何故反転した狂三の姿をしているのか、何が目的なのかと言う疑問はあるが今の紗和が、彼女が被った災厄のせいでこうなったのは間違いないだろう。
ならば士道としては彼女の問題を解決するのが最優先と言うことになる。
そしてその悪事の起源とでも言うべき始原の精霊、崇宮澪。
狂三の説明から受ける彼女のイメージは邪悪の権化であり、彼女のせいで狂三や紗和が被った悲劇を考えれば憎んで然るべき存在。
―――そのはずだ
(聞いたことがある名前な気がする。なんだかとても懐かしくて……頭が痛くなる)
その名前を聞いた時から士道は得も言われぬ既視感を覚えた。
まるで士道の人生においてとてつもなく重要な人物の名前を忘れてしまったかのような違和感。
これが何なのか士道には分からなかったが、決して嫌な感じはない。
(もし直に会ったら……その時何か分かるんだろうか?)
奇妙な不安と確信を一旦意識の向こうに沈め、改めて狂三に向き直る。
視界を封じられ何も見ることができない狂三は士道の反応が無いことを不安がっているのだろう、顔を下げて俯いてしまう。
―――狂三をこれ以上悲しませてしまった、今彼女を助けられるのは自分しかいないのに。
慌てて士道が彼女の頭を抱きしめる。
たったそれだけで安心したように、狂三はどこか嬉しそうに狂三は体を擦り付けながら少しだけ顔を上げると、士道の首筋への接吻を再びしだした。
その感覚が先ほどと違って驚きよりも、ある種の憐憫や悲嘆、何より感じたことが無い程愛おしく感じることを認めながら士道はどうすべきかを改めて考える。
今の士道が紗和に対してできることはほぼ無い。
目の前には狂三しかおらず、そして一切の力が使えず、そもそもここがどこかも分からない。
ここに連れてきたのは彼女なので今の状況は紗和の想定内のはずだろう。
何故放置しているかは謎だが、放置しても問題ないと考えているのは間違いない。
もっともそれがいつまでも続くわけもない、どこかで対面することになるはずだ。
紗和とどう話せば良いか、結論が出ない思案に没頭する士道。
だから当然だろう、いつの間にか狂三が少し不機嫌そうになっていることに気が付かなかったのは。
首筋を舐める舌がいつの間にか顎まで来たときに、士道がようやっと狂三に意識を向け、制止しようとした口は狂三の艶やかな唇に塞がれた。
最初の内こそ歯が閉じられていたが狂三が舌先でつつくと、士道は少し隙間を開けてくれた。
拒絶されない、と言う事実が狂三の背中に電流が走る様な快感をもたらす。
すぐに士道の舌を探る。
嬉しい、嬉しくて仕方ない。
これに比べればもはや天使も使えない自分の霊力が封印されることなど何の問題も無い。
増して狂三は罪人なのだ。
これから先どう考えても紗和によって断罪されるのは間違いない。
紗和がなぜ士道を狂三の前に連れてきてくれたのか、希望を持たせて取り上げた方が絶望が深くなるからか、はたまたそれ以外に何か理由があるのか。
正直もうどうでもよい。
狂三は士道を感じたい。
これが最後でも、最後ならばこそ。
そうすればこの先どんな地獄が待っていても、このことを思い出せる。
紗和には悪いが苦痛の中でも笑って死ねる。
目隠しの下で目を閉じる。
離れたくない、永遠にこのままでいたい。
狂三のそんな思いが伝わったのか、士道は狂三を抱きしめたまま、口付けを続ける。
狂三も士道に抱き着きたいが、その代わりに体をできるだけ士道に押し付けて士道に自分を感じてもらう。
どれ程そうしていたか、士道が自分から離れていく。
狂三と士道の間に掛かった透明な橋が切れるのがわかる。
自分の頬が紅潮しているのがわかる。
士道が自分の顔を見つめるのが見えずともわかる。
恥ずかしくも嬉しい情景、狂三は微笑む。
この後に何が起こるかはよくわかる、今から狂三は士道と契るのだ。
心臓が痛いほど脈打つ。
体中が汗ばむ感触が気持ち悪くも興奮する。
「狂三……」
「士道さん……」
名前を呼んでくれるだけで嬉しくてたまらない。
今まで感じていた色の無い世界が跡形もなく消えていく。
嬉しくて嬉しくて、狂三も士道の名前を呼ぶ。
「狂三、聞いてくれ。俺はお前を助けたい……いやお前だけじゃない、山打さんも何とかする。だから……」
「……士道さん、士道さん。もう、良いのですわ。わたくしが紗和さんの憎しみの対象になれば、少なくともあなたは解放されるはずですわ」
「俺はそうは思わない。山打さんが始原の精霊に何かするつもりならば俺を利用しようとするだろう。話し合う余地はあるはずだ―――その前に」
狂三は再び士道に抱きしめられる。
驚きつつも、士道の体温と強く抱かれる感覚は狂三にいかなる反応も取らせなかった。
「狂三、俺はお前の味方になる。お前を助ける。お前を何より大事にする。だから……お前の半分を俺にくれないか」
士道の告白―――狂三に対する愛を謳う宣言。
正気か、などと問うのは野暮だろう。
同情などいらない、などと言うことはできない―――彼の心からの発言だと理解してしまったから。
五河士道がそういう男性なのは狂三も良く知っている。
正直期待はしても予想はしていなかった。
士道が狂三を他の誰よりも愛する―――遅れてやってきた頭がおかしくなりそうな快感。
たとえその理由が、弱った狂三に対する庇護欲の様な愛情だとしても、時崎狂三がそれを断れるわけがない。
それでも狂三は士道が好きになってくれた時崎狂三を最後までやりきる。
簡単にチョロい女などやってやらない。
それが狂三の最後まで残ったプライドであり、何より士道に対する礼儀なのだ。
「物好きな人……こんなわたくしなどに関わらずともあなたの周りならば幾らでも良い女の子がいるでしょうに。そんなにわたくしを絆したかったですの?」
「俺が自分の好きな女に責任が取れないなら、最初からこんなこと言う訳ないだろ……俺は誰に対しても誠実に相対したい」
「そうですわね。士道さんが女を抱くために愛を囁くなどと言う器用な有様は想像もできませんわ……わたくし、恐らくもう先がありませんわよ?」
「俺を甘く見るなよ。精霊の一人や二人、どうにかして見せる」
「わたくし重い女ですわよ?」
「お互い様だろ」
「……十香さんや折紙さんに会ってから決めなくてよろしいので?」
「……まあ、それは……うん、何とかしてみる」
苦笑する雰囲気が狂三にも伝わり、狂三も笑い返す。
軽い女と思われなかったか、と言う不安はもう考えても仕方ない。
もう狂三から言うべきことは無い。
頭がおかしくなりそうなほどの幸福感、狂三は今や人生で一番満たされていた。
「幼年期の終わりでしたっけか。紗和さん読書がとても好きでしたわ……ええ、ええ。勿論、半分などと言わず、全て差し上げますわ」
返事を受けて士道が再び狂三にキスをする。
士道が狂三を抱き寄せ、狂三は士道に全てを委ねる。
狂三はこの牢獄の中で初めて心から微笑むことができた。
彼女は暇だった。
自分のお気に入りは別の缶切りと遊んでいる。
いつもなら割って入るところだが、先ほどから二人して大きな声でうるさくて近づきたくない。
仕方がないので探索をすることにした。
部屋の中は彼女が入るのに都合が良い箱があったり、彼女が包まるのに丁度良い毛布があるから、これは単に好奇心だ。
彼女は鉄格子を容易くすり抜け廊下に出る。
奥を見ると誰かがいる。
暗がりでも彼女の眼には人相がはっきり分かる。
一瞬誰か分からなかったものの、あれはたまに訪れるお気に入り、だと彼女の本能は判断した。
機嫌が良くなった彼女はお気に入りの足元まで向かい、足元に纏わりつく。
「おや、あなたは……初めまして。嫌に懐くネコだね……もしかして始まる前に終わっていた女を慰めてくれるのかい? やれやれ、自分はどうも本命以外には奇縁があるようだ」
葡萄色の女は皮肉気に、どこか寂し気に呟き彼女を抱き上げると、優しくなで始める。
それが気持ち良くて、穏やかで、それでいてどこか寂し気で―――ネコの彼女にはそれ以上は感じ取ることはできなかった。