―――間違えた、多分、恐らく
日付が変わる子二つ時、もうそろそろ自宅の様ななじみ深さを感じつつある狂三のアジトの一つに戻った紗和は、電気もつけずに近くのイスに座りながら、口の中でつぶやく。
他でもない、蓮と士道の関係について、まさか蓮の執着の対象が士道だとは全く考慮していなかった―――蓮の話では彼と接触する機会は無いはずだと考えていたが、それでも精霊の恋と言う段階で疑うべきだった。
士道を監禁してから蓮は今回のことについて一言も話していないが、狂三と士道のあの有様を見る彼女の表情を見れば流石に分かる。
無論、それについてあらかじめ言わなかった蓮が悪いとは勿論言えるが、彼女の立場で紗和に話せるかは難しいところだ。
「とどのつまり、わたしがもっと意識していれば良かった、と言う事なのでしょう……」
自分の落ち度を自嘲し、同時に相談が無かったことを仕方なくも思う紗和は皮肉気に笑いそして溜息をつく。
そうやって笑ったところで問題が何も解決していないことに今度は頭を悩ませるのだが。
蓮のフォローもさることながら、それと同時に士道をどうするかと言う問題がある。
今回の目的の一つとしては、始原の精霊の悪逆を説いて味方になってもらう、という計画があった。
無論、かの精霊に対して士道が敵対するか、と言う問題はあったが少なくとも敵にならないように全てが終わるまで大人しくしてもらうくらいは可能なはずだと考えていたのだ。
だがもはや迂闊に彼を味方に引き込むようなまねはできないし、下手に情報も出せない。
どう考えても蓮と士道、お互い何らかの影響を与えようとするだろうし、それがどうなるかの予想は全くつかない。
ラタトスクの介入があるだろうことと始原の精霊の所在が不明なことを考えれば、場合によっては破滅的な結果になるだろう。
(それならあのまま、狂三さんと監禁し続ければ良いだけか……)
今の士道は狂三から離れることは無いだろうし、狂三も士道がそばからいなくなることを恐れるはずだ。
蓮の筺は『将軍』に命じてサマエルに願わせ、中に入ったものの霊力を奪い、内部からの脱出を防ぐ牢獄とした。
二人の情報が漏れないのは今まで通りであり、目的の二つ目、人質としての役割はこのままでも果たせるだろう。
「そういう意味では特に問題がないとも言えるか……」
ここまで考えた所で、別に人質は一人で良いことに気が付く。
むしろ本来の紗和の立ち位置としては、いい加減狂三を殺してしまわなければならない。
狂三を殺すために紗和はここまでやってきたのだ、生かして置いたのはただその方が都合が良かったからに過ぎない。
不確定要素は排除するに限る―――
「なーんて、もうこれっぽちも思えないんですよねー」
誰に言うでもなく、苦笑し独りごちる。
始原の精霊への怒りという別の戦う目的は紗和の狂三への憎悪の減衰、と言うより消滅を改めて認識させた。
山打紗和は時崎狂三の破滅を願っていない。
具体的にいつからかは断言できないが、狂三を捕らえた時に彼女を処刑できなかった段階でもう明らかだった。
後は認めるかどうか、許すかどうかと言うだけの話に過ぎない。
狂三にされたことに思うところが無いわけでは無論無いが、怒りの対象が始原の精霊に移りつつある今、紗和は全く別の状況に対面している。
(まあ、そのおかげで僅かな躊躇いもなく全力で戦えそうだから悪いわけではないんだよね)
問題があるとすれば、狂三に会った時に紗和は彼女に何を言い、どうするのか。
そもそも紗和は士道と狂三を最終的にどうしたいのか、そんな根本的なことが決まらない。
この世界に戻ってきてからというもの、紗和は自分の思考が良く分からなくなっていたが、それが意外と不快でも狼狽もしないことに内心驚いていた。
まるでここにいる紗和は隣界にいた紗和とは別の何かになってしまったかのような心持にすらなる。
そんな新たな自分の心境が直面する新たな難問に悩む紗和の耳に、誰かの足音が背後から聞こえる。
音源は玄関ではなく行き止まりの部屋だが、それに驚くことは無い。
ここに来る者など一人しかおらず、彼女が通るために紗和は次元のドアを残していたのだから。
んーなーお
てっきりいつもの彼女の声が来るかと思っていた紗和に聞こえたのは、別の聞き覚えのある鳴き声。
反応する前に紗和の膝上に乗るネコ―――コロン、そして
「随分懐かれている様だね。動物に好かれる者に悪い者はいないと言う話、聞いたことがあるかい?」
「霊装に毛が付いてますよ? 五河さんの話だと初めての相手は必ず警戒すると言っていましたから、蓮さんは特例ですね」
振り返った紗和の眼に何とも言えない表情の蓮の顔が飛び込んできたことで、紗和は自分がもう一つ失敗していたことを悟り、膝上のコロンをなでながら嘆息した。
数少ない現状のメリットは無駄な会議にかかる時間が減ったことだろうか。
今やあらかじめ決まった内容を報告する連絡会以上のものではない。
以前のように無為な議論が無いのは良いことだ、もっともCEOのウェストコットは今からの会議が本番なのだが。
アイザック・ウェストコットは一人だけ残った会議室で今から来る『お目付け役』との話し合いを前に、重役と言う肩書の『人形たち』の顔を思い起こし―――彼らは自分が操られている自覚はない―――皮肉気に苦笑する。
端から見れば変化は分からないだろう。
それこそ少し前に本来ならDEMが無くなるか否かと言うほどの反乱が発生したことを考えれば異常とすら言える。
外部や末端は多少動揺しただろうが、今の状況を観察して程なく落ち着いた模様だ。
元よりDEMはウェストコットの独裁国家、下手に介入すれば己が身の危ういことは関係者なら誰でも知っており、その王様が健在な以上付け入るスキはないと誰しもが思う事だろう。
それこそが彼女たちの目的なのだろう、あの【クイーン】がそこを考慮しないはずがない。
(上に立つ者が狡猾で強いのはともかく、恐れられすぎるのも考え物か。そういう意味では姿を隠し続ける【クイーン】は実に賢明だ)
ウェストコットが今更ながら自分の行った恐怖政治の効能と副作用に考えていると、誰もいない会議室の空中にドアが突如として現れた。
他でもない、DEMの王たるウェストコットの主人たる『上王』とでも言うべき【クイーン】の来訪を迎えるべく、ウェストコットはイスから立ち上がり、御辞儀で迎える。
ドアの開く音とともに地に足が付く音と気配を感じるウェストコットはそれが二人分であることを知り、もう一人に察しがつく。
「出迎えご苦労。面を上げなさい」
ウェストコットが頭を上げると視界には予想通りの二人、柔和な笑みを浮かべる【クイーン】と不機嫌そうな【オラクル】がいた。
これは想定どおりである。
【オラクル】がいるのは初めてだが【クイーン】はこういう風に何度も出現した。
否、いつも通りなら彼女は【クイーン】ではない。
「久しぶりだね【オラクル】、それに『令嬢』。何もないところだがようこそ我が東屋に」
「心にも無い世辞は良い。早急に自分たちの用を済ませよう」
相変わらず【オラクル】はウェストコットに敵対的だが、今更なのでほとんど挨拶変わりでもう慣れた。
薄く笑いながらウェストコットは睨みつける【オラクル】、そしてたおやかに微笑む『令嬢』に目をやる。
彼女こそが他でもない、【クイーン】からウェストコットにつけられた監視役だ。
ウェストコットが【クイーン】に己が魔王をもって【オラクル】の身の上を明らかにした直後、それは起こった。
突如、【クイーン】が己の左腕を右手で引きちぎると、次の瞬間銃声が鳴り響いた。
ウェストコットの動体視力では見えなかったが、どうやら瞬時に自分の落とした腕を早撃ちしたらしい。
何が起こっているかわからず混乱するウェストコットは、その腕があっと言う変化し、完全な女王の現身を作ったことに驚くことになった。
成程、【クイーン】はこのように分身体を作るのかと、少し冷静になり感心していると、今度はその分身体の背後に白い天文時計が立ち上がり、続いて乾いた銃声とともに無くなった【クイーン】の腕が見る間に再生していくのを目の当たりにすることで、ウェストコットは二度目の驚愕に襲われることとなる。
信じがたいことに、この分身体は魔王を顕現させたのだ。
はっきり言って規格外の能力だろう、流石は元【ナイトメア】などとウェストコットが内心破顔していると、【クイーン】が畏まる分身体に命令を発した。
「それでは『令嬢』。この男の監視をよろしくお願いします。わたしは少し蓮さんに聞かねばならないことができました。後事は聡いあなたの判断に任せます」
「畏まりましたわ『女王』。いざとなれば及ばずながら微力を尽くさせていただきます」
畏まる【クイーン】とその礼を受ける【クイーン】。
どうやら単純に同じ精神の分身体ではないことを察し、ウェストコットはさらに興味を搔き立てられて笑みを浮かべそうなほど―――
「おい、お前」
眼前に迫ったサーベルの煌めく切っ先を前に、その思考を一旦停止させる。
「そのドブの様な目、反乱ものでしてよ。わたしの忍耐と己が首を惜しむなら疾く控え伏せなさいな、下郎」
柔和な笑みと声のまま、落下する氷柱が如く冷たく刺し殺さんとせんばかりの『令嬢』の視線と発言。
気が付けば【クイーン】本人はもう姿を消していた。
本人の言の通り自分の相手は『令嬢』で十分と言う事らしい。
それは事実だ、現にウェストコットはこの冷徹な『令嬢』を前により一層首を垂れることしかできない。
『令嬢』はそれに満足したのだろうか、あどけなさすら漂う笑みを浮かべたまま手にしたサーベルを降ろし―――ウェストコットの顔を剣の腹で打ち付けた。
無論本気ではないだろう。
魔王を持つ反転精霊が本気で殴りつければ、ウェストコットの首くらい軽くはたきおとせる。
彼女からすれば文字通り埃をはたく程度のことなのだ。
そんなことを考える余裕はあった。
たとえそれが空中を回転しながら背後の壁に叩き付けられ、地面に崩れ落ちるまでの数秒間の間であっても―――あるいはだからか。
意識が飛びそうになるのを怒りと憎しみで踏みとどまったウェストコットはどうにか血に濡れる顔を上げ、ぶれる視界の中『令嬢』を見やる。
目の前の女王が如き白の少女は先ほどと変わることなく見惚れるような柔らかい笑みを浮かべたまま手にしたハンカチでサーベルを拭っている。
魔王の一部である芸術品の様なサーベルの白刃に汚れは全く見当たらないが、あたかも汚いものを掃う如く入念に吹き清め、唐突にハンカチを放り出した。
薄いシミ一つないレースのハンカチはゆらゆら空を舞い、ふわりとウェストコットの前に落ちる。
「下賜しましょう。拾いなさいな、使いなさいな。 気になさらずとも、あなたはわたしとは違うのですから」
「……ああ、ありがたく頂戴しましょう、見苦しい物を見せて申し訳ない……『令嬢』とお呼びすればよろしいので?」
「あなたに呼ばれるのは不愉快ではありますが……まあ、良いでしょう。そう呼ぶことを許しましょう」
『令嬢』は変わらぬことなく微笑続けながら、どこか影を含んだように形の良い唇を少しだけ曲げる。
許可を得たウェストコットは地に落ちた白いハンカチを拾うと、額の血汗をぬぐい改めて彼女に膝をつき拝謁する。
距離はわずか5m、されど決して埋まらぬ距離。
子爵であり、長らく傅かれてきたウェストコットにとってほとんど未知の領域の屈辱。
ウェストコットは今まで感じたことが無い程強い感情を―――それこそ【デウス】にすら持ったことが無い程―――目の前で微笑む白い悪魔に抱いていた。
「もう『令嬢』から聞いているとは思うが、それでは始めるとしよう……他でもない【デウス】打倒の具体的な作戦を」
あれ以来『令嬢』に抱いている思いをおくびにも出さず、ウェストコットは二人に説明を開始する。
【オラクル】は相変わらず好意的な様子を微塵も見せないが、それでも席につき話を無表情で真剣に聞いているようだ。
『令嬢』はいつも通り、三人しかいない広い会議室の上座で底の見えない微笑を浮かべて佇んでいる。
実に様になる光景だと、自分の直属の上司を評価しながらウェストコットは説明を続ける。
「……以上が基本的な流れになる。詳細は後で資料を参考してもらうとして、ここまでで質問があれば一度聞こうか」
「彼女がこんな姦計で倒されてくれるかどうか……それはまあ良い。どのみち元が無理筋なのだから、蟷螂が牛車に博打を打つのはやぶさかではないさ。まず第一、それ以外の妨害者となりえる者たちはどうするのかな」
「それに関しては『女王』が今ここにいないのが解答ですわぁ。わたしがお願いしてぇ、今少しばかりお仕事をこなしていただいています。上手くいけば、件のラタトスクは一夜で解体、最低でも機能停止状態にはなるでしょう」
さも当然のように強敵の破滅を淡々と語る『令嬢』。
ウェストコットの時と異なり、妙に甘ったるい言い方なのも気になるが、それ以上に内容は聞き捨てならない。
「差し支えなければ【クイーン】がどのようにラタトスクを破壊するつもりなのかお聞きしてもよろしいかな」
「大したことではありませんわ。あのような組織は致命的な弱点がありますからぁ、それを少しばかり利用させていただくだけ」
『令嬢』が己の立てた計画の説明を開始する。
それはかの宿敵を追い詰めるのに十分、かつシンプルな手堅い手段ではある―――しかし
「それでは【デウス】を倒した後どうするので? その世界ではあなた方も難儀するのでは?」
「あなたがどうこう言う心配には及びません。負ければそれでおしまい、勝てば―――」
ここで『令嬢』が【オラクル】を見つめる。
「蓮さんは好きなようにできるでしょうし」
実際の所、この案はウェストコットと言うよりもDEMにはデメリットが大きすぎて実行できない類の計画であり、内容自体は悪辣で効果的でも行うは難い。
何より【クイーン】本人もデメリットが大きい。
―――それも気にならないか
どうやら本格的に【クイーン】は―――ウェストコットにとってありがたいことに―――この世界に未練が無いようだ。
「……ああ、そうだね。では二つ目の質問だ。始原の精霊を激怒させこちらに目を向けるのは良いだろう。どうやってどこにいるかもわからない彼女の初太刀に耐えるつもりなのかな? 自分で言うのも何だが、自分はセフィラが無い半端な存在で、この礼装も不完全なものだ。到底彼女の怒りの鉄拳に耐えれはしないだろう」
『令嬢』から水を向けられた蓮が憮然と、あるいは誤魔化す様にウェストコットに言う。
実際の所この件はさほど問題ではない。
始原の精霊誕生に立ち会った時ですら、世界最大の次元震のダメージをウェストコットたちは容易く防いだのだ。
一撃を耐えるだけなら準備すれば容易い。
しかしそれを迂闊に言えば、どうしてそんなことが可能なのか試したのかと確実に『令嬢』に、そして【クイーン】本人に問い詰められる。
それはウェストコットこそが始原の精霊誕生の黒幕だと言うのがばれるのと同義であり、ほぼ間違いなく速やかな死を賜ることになるはずだ。
なので一つ策を講じる。
「ああ、そのことで一つ提案がある。【オラクル】、君の天使で私の願いを叶えてくれないだろうか?」
心の底からの嫌悪感を顔に出す【オラクル】を尻目にウェストコットは話を続ける。
「願いは二つ、一つは【オラクル】の筺を始原の精霊を捕らえられる牢獄にすること」
「不可能だ。サマエルは自分の力以上のことはできない。月が太陽の代わりなどできはしない」
「月を地球並みに太陽を月以下にすれば良いだけさ。何、あくまで【デウス】打倒の可能性を広げるだけのことだ……ああ、願いとしては君の力が相対的に十分になれば、その筺に始原の精霊を封印し、不可逆的に力を吸わせてしまえるようにする、というものにしておこう。私から【オラクル】、君への贈り物だと思ってくれれば良い」
「……二つ目は?」
ウェストコットはもう一つの願いを告げる。
「……成程、確かにやる価値はありそうね。蓮さんこれは受けてもよろしいのでは? どのみちあなたの害にはならないでしょうし」
言外によりウェストコットを殺しやすくなると言う意味を匂わせて『令嬢』は蓮に柔和な笑みを向ける。
艶やかな花の様な殺意はこの白い貴婦人にとってあまりに自然体で、思わずウェストコットもそのまま流してしまいそうになり、それを防ぐべく改めて『令嬢』を見やる。
何度見ても絶世の美人だ。
とは言え【ナイトメア】の頃は精霊としての力にしか興味はなかった。
だが今は別の感情がある。
【オラクル】は不機嫌そうに『令嬢』を睨む。
ウェストコットの言いなりになるのは嫌だが、発言の有効性は認めなければならない。
そんな二律違反な心境を表情豊かな無表情で晒すも、やがて諦めたかのように溜息をもらす。
始原の精霊を打倒し、現状を打開するため秘かな姦計。
どうやら目の前の二人には気が付かれずに済んだようだ。
今回も何とかしのいだ。
内心の安堵を表情に出さず、余裕のある笑みを浮かべ続けるウェストコット。
全知の魔王があってもこれだけの綱渡りを強いられる。
万事順調とは言わないが、それでも何とかさばけている。
それどころか、これが上手くいけばあるいは逆転の一手になるかもしれない。
それは例えようもない程のストレスであり、同時に達成感と生の実感を強くもたらす。
―――せいぜい楽しませてくれ、この私が君らを滅ぼすまで―――
ウェストコットは楽しくて仕方がない。
だから笑った、朗らかに。
そんなウェストコットを二人が気持ち悪そうにこちらを見ているのに気が付くのに少し遅れたのは今日最大の失態だったかもしれない―――こんな状況でも下らないことを考える程度には余裕ができていたことを知り、さらに苦笑した。
結局、今回は折檻は無かった。