紗和アベンジ   作:TORIA

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③ネコは紗和の友、紗和はネコの奴隷

 

「へえ、あなたはそんなこともできるのか。成程、それならあなたの正体もばれないだろう。まあ、あなたにとっては当然の事なのだろうけど、自分にとっては昨日見た顔が、今日全く違う顔になっているのはあまり心臓に良くないので一言欲しいものだね」

 

 起き抜けに蓮がおかしなことを言う。

 何を言っているかと訝しく思っていると、呆れたように蓮が鏡を持ってくる。

 

 紗和は絶句した。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 目的地まで歩くことにした。

 11月ともなればそろそろ寒くなる時期だ。

 今の紗和はそんな季節を反映したベージュのトレンチコートの下に、白いセーター、黒いスカートと言ういで立ち。

 

 勿論隣界から流れてきた直後の紗和に現金はない。

 もしそのままの格好で出歩いていれば、さぞかし紗和は有名人になっていただろう。

 幸い紗和に話しかけてきた『親切な人』に紗和の魔王、ルキフグスで融通してもらったお金と、『今の見た目』のお陰で紗和が視線を集めることはさほどない。

 容姿の変化が起こっても魔王は問題なく使用できた。

 僥倖ではあるが、この姿は戻るのか、戻ったとして何の影響もないのか。

 

 ……とりあえず開き直ることにした。

 幸か不幸か、蓮はあまり気にしていないようだ。

 

 

 

(冷静に考えればバグだらけの存在だからなぁ、わたし)

 

 時崎狂三に殺された紗和が、ラクダが針の穴を通る確率で隣界に流れ着き、その時崎狂三が一瞬反転した時の分身体が、これまた奇跡的に隣界にたどり着き紗和と邂逅、半死半生の紗和に肉体を譲渡した後、何らかの理由で現実世界に帰還した。

 

 事実は小説より奇なり、自分で言っても意味が分からないなぁ、紗和は思う。

 

 ここしばらくの状況を観察するに、今回のことが起こるまで、自分の今の肉体は完全に狂三のそれだと考えていた―――今は確信がない。

 分身体として消滅の危機は恐らくない。

 反転していることに目を瞑れば、セフィラもある。

 この世界のどこにも山打紗和は存在しない。

 

 思ったほど悲壮感は沸いてこない。

 覚悟はしていた。

 あるいはこの体が狂三だからかもしれない。

 

(どういう訳か精神も楽だし、反転の弊害が減ってる……?)

 

 反転した狂三の体をもって紗和の精神を維持するというのは元々無理があった。

 それに対して紗和が用いたのは複数作成した自分の人格をローテーションすることでそれに対抗する、というもの。

 お陰で隣界での白の女王は、暴虐で残忍、そして性格がころころ変わると一部で有名だった―――勿論極めて悪い意味で。

 

 何故か今は反転に伴う精神へのダメージが減っている、それをする必要がない。

 人格を複数用いる必要が無いことで、紗和本来の人格を維持できている。

 これも理由は不明だが、そのおかげで蓮に狂人扱いされることも無いので、渡りに船ではある。

 

 今回の偵察では、その蓮は置いてきた。

 本人曰く、さほど外の世界に興味はないとのことだ。

 とは言え始原の精霊への復讐だけが目的という訳でもないらしく、紗和が落ち着いたら、いずれある人に会いに行くという。

 紗和に恋愛経験は無いが、雰囲気や話しぶりから、何となく男ではないかと言う気がしないでもない。

 

(意外ではあるけれど、これを突っ込むのは、正直下種の勘ぐりだよね……)

 

 蓮と言う、本名かどうかも分からない名前の精霊。

 最初の質問の後ででいくつかブラフも含めて試したが、願いを叶えるサマエルと言う天使の力は本物だと考えられる。

 それでも蓮自身のことはあまり知らないようにしている。

 本人が明らかに聞かれたく無さそうにしていたからだ。

 勿論願いの性質上、聞けば答えるのだろうが、別段友人関係でもないし、それで関係を悪くしたら意味がない。

 

 機会があれば追々聞いていけば良い、重要なのは彼女が自分の敵にならないことだ。

 結論に手が付いた紗和はこの問題を考えるのを打ち切り、今自分がいる場所に意識を向け直す。

 

 紗和が戻ってきた世界は思ったよりも変化していなかった。

 車が空を飛ぶわけでも、都市が海や地下にあるわけでもない。

 スマホは隣界で誰でも使っていたし、服装や髪色・髪形も流行り廃りの範囲だろう。

 お金の支払いもまだ現金が使えるし、音楽にのめり込む歩行者も昔からだ。

 残念と言うこともないが、見どころの無い海外旅行に行かされた様な気分になる。

 

(わたしが死んで20年か……まあ、変化に適応する苦労が無くて良いのだけれども……)

 

 通りすがりの店先のガラスに自分の姿が映る。

 何度見ても実に気に入らない姿だ。

 昔の栗毛の髪を思い出しながら、今の自分の白い髪をいじる。

 

 もうマロンは亡くなったはずだ。

 杏桜女学院は退学になっているだろう。

 最終学歴中卒はともかく、それを受け入れた自分の両親はどうしているだろうか。

 もう紗和は死んだと思っているはずだ―――何一つ間違えていない。

 今ここにいるのは紗和を殺した時崎狂三の反転体、白の女王。

 今更、会いに行ける訳がない。

 

 紗和が鬱々と戻らない過去について思いめぐらしている内に目的地に着いた。

 

 中々立派なマンションだ。

 いかにも新築らしく、入り口も真新しい。

 紗和の学生時代にはあまりなかった監視カメラが複数見える。

 周囲に人気は無いがその方が助かる、と言うよりできるだけ紗和の姿は見られたくない。

 なぜなら、ここに自分と同じ精霊が複数いるという。

 面倒ごとは避けるに限る。

 

「よくもまあ、こんな人口過密な都心部に精霊なんて危険な物を複数、留め置こうとしますね……」

 

 自分で言うのも何だが、精霊は結局の所、異形の力を持ったただ普通の小娘でしかない。

 どんな精霊もそこは変わらない。

 自分を見ても分かる様に、欲しい物、なりたい自分、叶えたい望みに忠実な等しく下らない俗物だと紗和は思う。

 いつの間にか増え、勝手にそうなってしまう隣界の準精霊はともかく、人並程度の道徳も規律も期待できない不安定な少女に、始原の精霊がセフィラを与えた理由は紗和には全く理解できないが、そんな危険な存在を力が弱まったとは言え、1000万人以上の大都市で放し飼いにする方も大概意味不明だ。

 

(もっとも、それも件の彼のお陰かもしれませんが。まあここで会うのを期待するのは、大統領に会いにアメリカ旅行をするようなものですね)

 

 紗和は踵を返し、次の目的地に向かう。幸いすぐそこだ。

 

 精霊のマンションから目と鼻の先のごく普通の民家。

 ただ、隣に件のマンションがあるせいで、家屋全体が日陰になってしまっている。

 何となく彼の立場を反映している様で、愁傷様と言う言葉が脳裏をよぎる。

 

 近づくと表札には『五河』と書かれている。

 ここに住む人物は紗和も知っている、と言うより隣界で知らないものはあまりいない。

 

 どんな精霊でも虜にするという、伝説の男の子。

 

 コンパイルと言う、現実世界にいる精霊の心象が隣界に映し出される現象に登場する『あの彼』

 その光景を見ただけで多くの準精霊が恋に落ちたという、精霊にとってのアイドル。

 

 紗和は知っている。

 隣界第三階層ビナー、影と時間があり得ざる動きをする地で、他でもない狂三の心象が反映されたコンパイルが起こったことを。

 そこに、『彼』がいたことも。

 

「……それで? だから何だというのかしら?」

 

 誰に言うでもなく呟くと、紗和は人の家の前を後にする。

 今日はただの下見だ、別に誰かに会いに来たわけでもない。

 十分だ、帰ることにしよう。

 

 誰に対するわけでもない言い訳の様な考えを頭の中で思考しながら移動を始め

 

 

ニーニーニーニーニーニー!

 

 

 久しぶりに聞きた小さな、それでも覚えのある、路地裏からの鳴き声で足を止る。

 今行ってどうするつもり?

 脳のどこからかそんな正論が聞こえた気もするが、その間にも足は動き続け、紗和をそこに連れていく。

 

 路地裏は工事現場になっており、周りをコンクリートブロックに固定したガードフェンスが隙間なく立っているというよくある作業風景になっている。

 工事現場らしく、粉塵対策で水がまかれた結果の水溜まりがあちこちにあり、重機で掘り起こしたのだろう土がむき出しになっている辺り、余り長く居たくなるようなきれいな場所ではない。

 今日は休日だからだろう周囲に人はいない。

 凡そ生き物とは無縁の場所、その奥から

 

 

ニーニーニーニーニーニー!

 

 

 甲高い必死な鳴き声は先ほどよりはっきり聞こえる。

 紗和には良くわかる。

 聞いているだけで庇護欲をそそり、悲しさと愛おしさが湧き上がる幼いSOSの声

 

 これは母ネコが近くにいない時に、助けを求める子ネコの鳴き声だ。

 フェンスの向こうがどうなっているかわからないが、声のする場所がずっと変わっていない以上、このままではカラスやイタチがやってくるかもしれない。

 すぐに助けないと危険だ。

 

「待っていてね、今助けてあげるから……あとちょっとの辛抱だよ」

 

 普通の少女の身体能力ではフェンスを飛び越えるのも、ましてコンクリートブロックから生えるフェンスを抜くのも動かすのも難しいが、紗和は精霊だ。この程度、造作もない。

 今の自分がネコを助けてどうするのか、という理性の声を軽く無視し、紗和はオレンジのフェンス上部の金網に手をかけ―――

 

「ああ、そこにネコがいるんだ。真那、ちょっと待ってくれ。悪いが荷物を頼む……そこの君、俺に任せてくれ」

 

 そんな声が背後からした。

 驚いて振り返ると、高校生くらいの男の子とそれより少し幼い感じの少女がこちらを見ている。

 自分が思ったよりもネコを助けることに集中していて、他者の接近に気が付いていないという、通常ではあるまじき失態を内心恥じている間にも、男の子はフェンスに手をかけ、金網をやや危なげに昇る。

 フェンスの上まであがったところで向こう側の様子が見えたのだろう、「ちょっと待ってろよ。今ひきあげてやるから」と向こう側の一点を見つめながら優し気に語り掛けているのが紗和にもわかった。

 そうして反対側に降りていき姿が見えなくなると、暫らくして、「みゃあああああ!」と鳴く声が聞こえた。

 

「ちょっと大人しくしてくれな、もう大丈夫だから」

 

 どうやらネコを抱き上げたらしい。フェンスが再び音を立てて軋む。

笑顔の少年が抱きかかえたネコを下にいた紗和に預けたのはそれからすぐだった。

 

 生後三~四か月くらいだろうか、シルバータビーのマンチカン系と思われる可愛らしい子ネコだ。

 お尻を見た感じ恐らくメスだろう、ヘーゼルの眼を紗和に向けると安心したのか、腕の中で電池が切れたようにおとなしくなった。

 周囲に母ネコの気配は無いし、毛並みがきれいでノミがいる感じもしない、何より人に触られることに慣れている辺り野良ではないだろう。

 今日一日放っておけば、まず間違いなく助からなかったはずだ。

 

 人を呼ぶでもなく、目の前にいる誰かを頼るでもなく、放っておいても良いネコを助けに行く。

 この人はきっと良い人だ。

 子ネコを撫でている間、そう思ったからだろうか、気が付けば紗和はお礼を口にしていた。

 

「この子を助けていただきありがとうございます。よしよし、いい子ね……ふふふっ、あなたは大きくなったら美人なネコになりそう」

「そうなのか、良かったなお前。 側溝の中にはまって出られなかったみたいです。見た所大丈夫そうだけど体力的な心配もあるし、一応獣医に見てもらおうと思っています」

「そうですね。折角なので私も同行します」

 

 紗和がネコの頭や喉をゆっくり撫でていると、少年が目の前にやってくる。

 わざわざ病院に連れて行くということで、更に好感度が上がった紗和はここで初めて少年の顔をよく見る――――

 

「ありがとう。こいつ君に懐いているみたいだし一緒に行ってくれるなら助かります。俺の名前は五河といいます。良かったら君の名前を聞いても良いかな?」

 

 柔和な笑みを浮かべる、紗和も知っている初対面の彼。

 まさかこんな形で件の人物、精霊の君、五河士道に出くわすとは思っていなかった。

 

 元々、この辺りに来たのは単に精霊が複数集まる場所とその周辺の地理を知るため。

 それ以上ではない。

 それが、いきなりキングピン、最重要人物が無防備で紗和の前にいる状況。

 

 一瞬唖然としたが、その間にも脳内で様々な方法をシミュレート、最適解を模索する。

 

 誘拐―――不確定要素が大きすぎる

 逃走―――周囲に誰がいるかもわからない条件では危険

 攻撃―――論外

 同行―――無難

 

 結論は出た、あまり意味の無い思考だった気もするが。

 そしてすぐに自分が返事を返していないことに気が付き、あらかじめ考えていた名前を名乗る。

 

 

「―――私の名前は、緋衣。緋衣響と言います。よろしくお願いします、五河さん」

「ああ、よろしく緋衣さん」

 

 どうにか、声色や表情を変えずに本名以外で返事が出来た。

 

 少年が、後ろにいた同行者の少女―――話しぶりから妹らしい―――には話かけている間、すっかり大人しくなったネコを撫でながら紗和は足元を見る。

 

 アスファルトにできた水溜まりには白い髪の少女の姿が映っていた。

 

 腰まで届く長い髪に、狂三と比べても華奢な体。

 全体的に儚い雰囲気の少女、その青みがかったグレーの両目と目が合う。

 

「本当に、憎たらしい人……」

 

 山打紗和はこの肉体の持ち主だった、今しがた自分で名乗り彼にもそう呼ばれた、紗和にとっていけ好かない準精霊の顔を思い出し、その姿の自分に対して口の中でぼやいた。

 

 

 

 

 

 

 

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