紗和アベンジ   作:TORIA

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⑤茶会と謀議

 

 郊外の住宅、その玄関に光が灯る。

 時刻は戌二つ時、いつもと変わらない当たり前の状況。

 故に誰も気を払わない。

 夫に先立たれた気難しい老女の寂しい城、電気が付かなければいざ知らず、煌々と光を放っているのだから。

 本来の住人がいないなどと誰も思わない。

 ましてやそんなどこにでもいる普通の人が、しばらく前に、影の精霊に喰われて消えたなどと言う真実は、あらゆる人間の想像を絶する。

 

 

 

 そんな誰にも知られない悲劇があった住居の奥、台所で物音がする。

 その音源―――犯人しか知らない訃報を聞きつけ、空城を占拠した、無頼の輩―――山打紗和は

 

「95度っと……電気ケトルとは便利ですね。温度を指定してすぐに沸かしてくれる。ここ20年で一番の発明かもしれません」

 

 お湯を沸かす。

 今のうちにポットも温めておこう

 陶磁のポットに水を少し張り、電子レンジで温める。

 

 茶葉を用意しよう。

 持ってきてもらったのはダージリンのセカンドフラッシュ、比較的大ぶりな茶葉だ。

 沸かしているお湯とポットの大きさから考えて10グラムぐらいだろうか。

 電子はかりを拝借し、きっちり規定量を測り終えるのと、電子レンジが停止したのは同時だった。

 

 カップを二つ用意すると、カンカンに熱くなったポットからお湯を移し、こちらも温める。

 丁度空になったポットに茶葉を入れるころには、電気ケトルもよい塩梅になっていた。

 程よく沸騰するお湯を、茶葉の上からポットに注ぐ。

 

 紅茶になりつつある液面に、一時は姿が戻るのか不安だった自分の眼が、カチカチ秒針を刻むのが映る。

 

 

 今の彼女は本来の―――どういう意味かはさておいて―――白い女王が如き霊装に身を包む。

 結局あれからすぐにこの姿に戻ったものの、今でも短期間―――半日から1日くらいだろうか―――響の姿に変化する。

 原因不明、当然対処も不明、まさに不治の病だ。

 ただ実際の所、姿が変化しても魔王は使えるし、何より変化するタイミング・戻るタイミングが体感でわかることもあり、今は諦めつつある。

 こういっては何だが、響の姿だと変装の代わりにもなるので、デメリットばかりでもないのが少し悔しい。

 

 

 嫌な持病を思い出してしまった、再び意識の外に追い出す。

 紗和は今、紅茶を蒸らしているのだ。

 

 湯気が柱の様に立つ。

 茶葉が染まっていく湯の中を舞う。

 

 紗和の好きな光景だが、それでも今は蒸らし中。

 ポットの蓋を閉めスマホのタイマーを起動、茶葉の大きさから考えて4分半でアラームを鳴らすようセットする。

 同時にタオルでポットを巻き保温、紅茶の蒸らしは温度が命なのだ。

 

 その間にケトルに残ったお湯を、ステンレスの保温瓶に入れ、こちらも温める。

 時間経過で濃くなりすぎた紅茶を、後からお湯で薄めるのは、紗和としてはあまり好きではない。

 

 そうこうする間に4分半が経った。

 流しに熱々のポットとお湯を捨てた保温瓶を持っていくと、茶こしを使い、ポットの中身を保温瓶移す。

 紅茶が入ったことを告げる、香り高い空気が周囲を満たし、少し嬉しくなった紗和は彼女を呼ぶことにした。

 

「お待たせしました。準備が出来ましたから、もう良いですよ、蓮さん」

 

 紅茶が並々と入った保温瓶とカップを居間に持っていく。

 

 そこにはテーブルの上にケーキとクッキーが並べてある。

 保温瓶とカップを置けば、誰が見てもお茶会の始まりだ。

 

「手慣れているね、山打紗和」

 

 どこか神経質そうに問いかける葡萄色の少女、蓮に対し

 

「昔から紅茶は愛飲していました。もっとも最近は自分で入れることは全く無かったですが」

 

 穏やかに涼しげに答える白い少女、山打紗和。

 

「そう言うことではなくてね」

「あら、もしかしてここのお婆さんのことを気にしているのですか。わたしやあなたが何かした訳でも無いのに。意外と優しいのですね、初対面のわたしから存在全てを奪おうとした人にしては」

「……まさか」

 

 口で紗和に勝つのは諦めたのだろう、それ以上何も言うことなく蓮は椅子に腰掛け、テーブルに着く。

 紗和もそれを見て着席すると、保温便からカップに紅茶を注ぐ。

 ダージリンの色味の薄い紅茶から立つ湯気と香り。

 蓮も少しは鎮まった、あるいは開き直ったのだろう、しばし温かい空気を堪能している。

 その様子を見ていた紗和も、カップに口をつける。

 

 紅茶の中でも特にすっきりとした果実味は、丁度よい温かさと相まって心を落ち着かせる。

 見れば蓮も紅茶を口に含んでいるのがわかる。

 表情を見るにどうやら満足いただけたようだ。

 

 茶葉の抽出が上手くいったことに内心満足した紗和は、ケーキを口に運ぶ。

 紅茶と一緒にタルト・タタンを選択した『彼女』は流石にわかっている。

 口の中に広がる甘酸っぱいリンゴと、タルト生地の程よい固さが紅茶と実によくあう。

 

「紅茶もまだまだありますし、クッキーも用意しています。ゆっくり頂きましょう、蓮さん」

 

 蓮のフォークが段々速くなるのを見ていた紗和は呆れた様な、それでもどこか微笑ましい物を見る様に、そう宥めた。

 

 

 

 1リットルは入る保温瓶が、今注いだ分で空になった。

 蓮もジンジャークッキーを一通り堪能した―――もっと言うと300グラム一缶空にした。

 意外と食べることに内心驚いていた紗和だが、本題に入る区切りとしては丁度よいと思うことにする。

 

「さて、それではそろそろ私の話をしますね……単刀直入に言います。わたしの願いを叶えて下さい」

「ふむ……改まってわざわざご馳走してくれるから何かと思えば。そんなことを言うためにこれだけ準備していただけるとはね。大げさな」

「? これはただ単にわたしがお茶をしたかっただけですよ? まあ、話をやり易くするという意味はありますが。感謝は受け取りますが、これで歓待と呼ばれてはわたしとしても落ち着きません。あなたが喜んでくれたのなら、次はもっと良い物を揃えましょう」

「それはどうも……それであなたの『一つ目の』願いは何だい?」

 

 蓮と紗和の同盟は緩いものだ。

 蓮は紗和の近くで、紗和が願いを叶える時まで邪魔せず待機する。

 これだけだ。

 そして、今ようやくその願いを聞く時が来た。

 

 それはさておき、初めて誰かとお茶をした蓮の呆れた様な、それでいてどこか期待する様な反応を面白く思った紗和は一旦息を飲み、そして願いを口に出した。

 

「わたしに関するあらゆる情報を、霊力、天使、魔王、精霊、魔法そういったあらゆる超常の力で調べようとしても何の情報も出ないようにしてください……可能であればスパイが誰か分かる様なら助かります」

「これはまた、また。狙いすましたかのような。ちなみに理由を聞いても?」

 

 いかにも紗和らしい、システマティックな願いに呆れた様な感心した様な蓮の疑問に、「大したことではありませんよ」と前置きし、紗和が微笑みながら答える。

 

「わたしの憎む相手を見つけました。彼女を殺害することで、わたしの情報が第三者に漏れるのを防ぐためです」

 

 手にしたカップから立ち上がる匂いが嫌に印象に残る。

 さも当然の様に、己の殺意と悪意、そして滾る様な憎悪をむき出しにして。

 蓮は何の気なしに聞いたことを少しだけ後悔し、それでも来るべきものが来たことを理解した。

 

 

 

 

 

 トイレを口実に一旦離れた紗和は、家の階段を上る。

 二階は狭い物置になっており、ややかび臭い。

 電気も付かない嫌な部屋だが、スマホに来た連絡通りならばただの定時連絡、すぐに済むだろう。

 それまで少しの間、先ほどの蓮の反応の事でも考えることにしよう。

 

 蓮はどうも紗和が蓮よりも賢いと思っている節があるが、紗和の見立ては違う。

 蓮は経験の少なさゆえに後れを取ることが多いだけで、本質は極めて聡明だと紗和は思う。

 今回もそうだ。

 蓮が「願いを叶えるのは『あなた』でよろしいので」と聞いたことで、紗和は、蓮が恐らく【紗和が自分の人格を切り替えることで、願いを言う主体を分け、願いのカウントをリセットした】ことに気が付いたと悟る。

 恐らく蓮も願いの主体が人格に対応するなどと言うのは知らなかったはずだ。

 それはそうだろう、ふと気になった紗和も試して、初めて分かったのだ。

 都合よく多重人格者が人格ごとに、サマエルに願いを言う機会などあるわけがない―――紗和を除いて。

 

 紗和の魔王、(狂々帝)ルキフグスは対になる天使(刻々帝)ザフキエルと同様、文字盤に対応した12の異なる能力を持つ。

 そのうちの一つ、【蠍の弾】アクラヴこそ、この一見不可解な手品の種になる。

 

 【蠍の弾】は一言で言うと、紗和の人格を一部切り出す力、ということになる。

 これを用いることで紗和の中の好戦的な自分、狡猾な自分、峻烈な自分などある分野に特化した人格を作り出すことができる。

 それらは紗和と同じ記憶を持ちながら、似て非なる別の人格そのものだ。

 例えば、好戦的で勇ましく、直情的な性格の将軍(ジェネラル)、狡猾で残忍、童女の様なあどけなさと色気を持つ令嬢(レディ)と言った具合に。

 これらの人格を任意に切り替えることで紗和は様々な状況に対処してきた。

 また、これらの人格は霊力を用いて作られた非常用バッテリーとしての側面もあり、万が一の際、消滅と引き換えに霊力を供給する役割もある。

 

 以上は【蠍の弾】を自分に使用した場合だが、この能力は他人に対しても使用でき、その場合、全く違った効果を発揮する。

 一つはルーク、ビショップ、ナイトと言う、切り出した人格をベースに、固有の人格を持つ副官の作成。

 これら副官は固有の無銘天使を持ち、それなりの戦力にはなるが、ルキフグスにはより強力な切り札とも言うべき能力が上位互換としてあるので、今改めてこれらを作成する意義は薄い。

 

 そしてもう一つの効果、それは紗和の意識で他人の意識を汚染するというもの。

 つまりは強力な洗脳手段として使える。

 

 もっともどんな相手にでも効果があるわけではない。

 強い霊力で守る相手には、なかなかすぐに効果が出ないし、相手が強靭な精神力をもつならやはり抵抗されて支配する効果は薄くなる。

 逆に言うとそうでない相手ならば、あっさりと紗和の支配下における。

 そう、例えば―――

 

「お待たせして申し訳ございません、女王。こちらの方に異常はございませんわ……先ほどの彼女が、願いを叶える精霊さんですの?」

「紗和で良いですよ、狂三さん」

 

 背後の何もないはずの空間から突然の声、しかし紗和が驚くことも、それどころか振り返ることも無い。

 それはそうだろう、女王が自分の下僕である傀儡を恐れる訳がない。

 

 遠からず消えるであろう、狂三の分身体多数に【蠍の弾】を使用する。

 本来なら悪手だろう。

 しかし今回は恐らく最善手だ。

 

「これでわたしのことを突き止めるのは二番目の精霊でも無理でしょう。なにせ始原の精霊ですら、蓮さん自身の『自分が見つからないように』と言う願いを破れないのですから」

「……紗和さんは本当に始原の精霊に戦いを挑むおつもりで?」

「狂三さんの件が終われば、いずれ」

 

 分身体からの返事は無い。

 顔を見ずとも紗和には分かる。

 これは狂三自身の破滅を恐れているとのではなく、紗和が始原の精霊に滅ぼされるのを恐れているのだと。

 

 ―――殺しておいて良くもまあ―――

 

 そんな静かな、それでも淑女らしくない怒りは自分の中に秘めておく。

 代わりに別のことを、背後の彼女に質問する。

 

「狂三さんは二番目の精霊が、DEMによってどこに囚われているかを調べているのですよね。それまでに『仲間』は増やしていくとして、目安は何かありますか?」

「残念ながら今のところは何も。ただあと少しで判明するかと。わたくしは、件の精霊さんの所在が分かり次第、即座に行動を起こすつもりですわ」

 

 しばし考える紗和。それをへりくだって待っているであろう狂三の分身体。

 明確な上下関係、姿は違うとはいえ、かつての自分たちが見たらどう思うだろうか。

 

「ある程度の数で十分……そうですね50程度にしておきましょう。増えすぎても狂三さんに疑われる可能性も増えるでしょうし。二番目の精霊の所在が判明したら、わざと攻撃前にDEMに攻撃が漏洩する様にして、通常よりもあちらの警戒態勢を上げさせてください。勿論、他の分身体にばれないように気を付けてくださいね。あなたたちは戦闘に参加せず、適当な口実でお留守番をして、損害をあなたたち以外が被る様にしてあげてください。この間に、可能なら仲間以外の分身体で影に残った者を排除しましょう。這う這うの体で彼女たちが戻ってきたら、あなたたちで分断するのに有利な場所へ誘導し、わたしも参加して帰還した分身体を各個撃破、並びに最後の勧誘を行うことにします。そして―――」

 

 ここでようやく紗和は狂三の方へ振り返る。

 

「狂三さん本人を捕縛、全てにけりを付けます」

 

 紗和の眼前には跪き、顔を下げたまま同意する狂三の分身体がいた。

 女王に拝謁する家臣の姿としては完全に正しく、かつての親友同士の姿としては明らかに異常な光景。

 優越感などどこにも無く、ただひたすら悲しい。

 

「何らかの異変や連絡事項などがあれば、あなたが持ってきたわたしのスマホに連絡してください。それまでは定時連絡以外、狂三さんの下で何食わぬ顔で過ごして下さい」

「了解ですわ、紗和さん」

 

 そんな心情はおくびにも出さず、淡々と指示を出す紗和。

 それに対して短く返答すると、狂三の姿が影の中に沈んでいく。

 

 狭い物置はそれで再び無人になる。

 静まり返った部屋で紗和はふと、かねてからの疑問について考える。

 

 狂三の分身体に【蠍の弾】の効果があり洗脳できる。

 これはまあ当然だ、【蠍の弾】はそう言う能力なのだから。

 不思議なのは効果がありすぎることだ。

 

【蠍の弾】が当たった直後に、紗和の傀儡になる。

 これは隣界の普通の準精霊相手に試してもなかなか無かった。

 大抵は意識の定着まで時間がかかる―――それこそ酷い場合だと紗和が使用したことを忘れるほどに。

 勿論、まがいなりにもセフィラの欠片を持つ準精霊と、ただの分身体では前者の方が手ごわいことが多いのは事実ではあるが、それでもこの結果は疑問ではある。

 何せ一度の例外も、反撃も、抵抗も、反応の遅れも無かった。

 

 それはまるで―――

 

「わたしの意識を共有したことで、反抗する気をなくしたかのような有様だった……」

 

 ―――何を今さら、紗和とて分かっているではないか。

 紗和と知って殺したのではなかった。

 彼女たちも、今まで紗和を殺したことで苦しんできた。

 償えるのならどんな形でも、紗和本人に償いたかった。

 それこそ自分自身を殺すことになっても。

 

 どうしてこうなってしまったのだろう、そんな疑問を慌ててねじ伏せる。

 それを考えてはいけない、それ以上は反転体としての白の女王を維持できなくなる。

 再び自分の最後を思い起こす。

 

 暗がり、炎上、痛み、裏切り、悲しみ、惨め、不信、反転

 憎悪で自分の心に箍をかけ、殺意で頭をクリアにする。

 

 それでも紗和が、蓮を待たしていることを思い出す程余裕ができるのはもう少し時間が必要だった。

 

 

 

 

 ―――そしてここからの事態は、概ね紗和が計画し、企んだ通りになった。

 

 太平洋に浮かぶネリル島、そこに二番目の精霊が拘束されている。

 その情報を掴んだ狂三は、即座に、そして秘かに攻撃の準備を行い、実行した。

 ―――そのはずだった。

 

【通達。島内で『ナイトメア』を確認。規定の作戦通りに配置・反撃せよ】

「くっ……なぜこれほどの戦力が急に結集していますの……!?」

 

 狂三は想定を遥かに超える敵戦力に迎えられた。

 アルテミシア・アシュクロフトと言う精霊を殺しうる魔術師だけでなく、無理矢理各所からかき集めた魔術師に大量のバンダースナッチ、果ては急行して来た複数の空中艦が攻撃態勢維持で待機するという、DEMの準備万全の布陣は狂三に凄まじい損害をもたすこととなった。

 

 結論として、狂三はこの戦闘で二番目の精霊を救助・確保することに失敗した。

 

 何もかも悪い方に転がった狂三にとって幸いだったのは、DEMが資材A―――二番目の精霊を十分な護衛とともに他所に移動させる余裕は無かったという事だろうか。

 その結果、輸送中の飛行機が破損、積み荷が落下、DEMは資材Aを喪失することになる。

 二番目の精霊―――すなわち本条二亜は、ついにDEMの魔の手から逃れることができた。

 

 それは間違いなく、狂三が成し遂げた今回の成果であったが、しかし、狂三本人はその果実に与ることはもはやない。

 

 

 

 緊急時の集合場所に指定した廃工場、そこにネリル島の戦闘を生存した百以上になる狂三の分身体たちが結集する。

 予備戦力として影の中に残存した分身体に誘導された彼女たちは、想定以上の激戦に消耗し、作戦失敗に落ち込みながらも、安全な拠点に戻ったことでようやく安堵し―――安全なはずの工場内部で各個に完全な奇襲を受けて慌てふためく間もなく、あたかも屠殺工場の家畜のように、ことごとくに殲滅された。

 

 それは時間にして一時間もかからない解体作業だった。

 

 その頃、紗和に忠誠を誓う分身体たちの一部は、狂三本体の周りを自然に取り囲み、紗和が作業する時間を稼ぎつつ、丁度よいタイミングで、自分たちの元首魁を死地へ案内する。

 自分の周囲にいるわたくしたちが、全て内応者に置き変わっているという、破滅的な事実を知る由もない狂三本人が工場にたどり着いた時、紗和は分身体の解体を全て終え、ただ一人残った哀れな子羊を捕縛する様に命じるだけで良かった。

 

 終わってみれば、あたかも二亜のかわりに狂三が捕らえられ、身代わりとして地獄に落ちたかのようだが、その事実を知る者は紗和と蓮、そして自分自身を裏切った分身体たちのみ。

 

 蓮が紗和の願いを、サマエルをもって叶えた以上、紗和に深く関連する狂三を助けに行ける者など世界のどこにもいない。

 

 こうして『ナイトメア』と呼ばれ恐れられた、時間と影の邪悪な精霊、時崎狂三は表舞台からひっそりと消えた―――他でもない、彼女よりずっと悪辣で冷酷な存在の手によって。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 山打紗和は時崎狂三を打倒した

 この後に始原の精霊が控えていることを考えれば、最短の期間、最小限の元手何より、最低限の情報漏洩で勝利したと言える。

 

「……こうして振り返ると、本当に幸運だけでここまでやって来ていますね、わたし」

 

 口からこぼれるのは別の感想、それも全く正しい。

 山打紗和はオープニングを無難にこなした。

 しかしミドルゲームはここからだ、賽の目が良いだけでどうにかなりはしない。

 

 気が付けば空が白み始めている。

 月もじきに見えなくなるだろう。

 

 座っていたパイプイスを脇にどけ、折りたたむ。

 結局徹夜して過去を振り返っただけで得るものは無かった。

 

 くだらないことをした己を自嘲する。

 一眠りしよう、そしたら次は始原の精霊をどうするか、だ。

 

「あの……紗和さん」

 

 そんなことを眠い頭で考える紗和に声がかかる。

 顔を上げると声の主、狂三の分身体の一人が紗和に向かっておずおずと話しかけ来るのが視界に入る。

 太陽が顔を見せる直前の、世界が明るくなりつつある清々しい空気の中、それとは真逆のどんよりとした空気の、早く微睡みたい紗和は無言で首をふり、視線で続きを促す。

 

「もし、宜しければ……紗和さんのご両親にお会いになりませんか?」

 

 それは紗和が一度は考えて、結局保留した難題だった。

 

 

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