「ノルマはこういう風に宣言し、それでポリオーネの心を取り戻して、共に死んだわけですよね。でも思うのですが、ポリオーネが不実な男だからこそ、ノルマはこの選択をしたんだと思いませんか?」
「それは自分の友人と密通する男を、その男が裏切った女と一緒に焼き殺すことで憂さ晴らしする、と言う事かい?」
「少し違いますね。ポリオーネは確かに不義理ですが、同時に、ローマの貴族で、ある意味男らしい性格をしている訳じゃないですか。そんな立派な殿方が命を捨ててでも守りたかったプライドを、上からへし折りに行ったというか……」
「成程。そう考えると本当にノルマはよくやったということになる。自分の友人を救い、子供も親に預け、思い人の心を取り戻し心中する。よくやるよ」
紗和と蓮は、今まで蓮がみていたオペラ、ノルマを二人で見ていた。
今までと違い、紗和が用意したチャイミルクティーで、今の時期の名物シュトーレンを摘まみながら感想を言い合う。
先ほどからそれとなく紗和の様子を伺っていたが、どうやら本当に先ほどの『令嬢』とのやり取りを聞いていないようだ。
……それはそれで次に『令嬢』と会うときに覚悟をしなければならないが。
安心したからか、それとも単に小腹が減っていただけか。
薄く切ったシュトーレンを、フォークで口に運ぶ。
本来はクリスマスの物らしいが、見た目通り日持ちする菓子は、一見地味な見た目と裏腹に内側は中々しゃれている。
スパイスが効いた濃いミルクティーと、洋酒がしみ込んだドライフルーツの固いケーキは相性が良く、蓮が先ほどまで無意識で放出していたとげとげとした敵意を鎮めていた。
(我ながら単純だとは思うが、しかし有効なのだから仕方ない)
とは言え、流石に食べ物につられただけではない。
「……それで『令嬢』が何か余計なことを言いましたか? もしそうなら失礼しました。 あの娘、ちょっとおしゃべりなものだから……」
「まあ、あの人格が、弁が立つのはよくわかったけれど……それより人格の間で意見のやり取りができるなら、直接聞けば良いのでは?」
「それはある意味そうなのですけどあの娘はちょっと異色で……わたし自身だから反抗するという訳ではないのですが。むしろ蓮さん、あなたからの意見を聞かなければ。勿論、話したくないことは言わないで構わないので、それを受けて私が彼女を分析します」
「まあ、あなたが良いのならそれで良いのだけれども……先ほどからの様子を見るに、自分の間違いで無ければ、どちらかと言うと何かの話がしたいのはむしろ、あなたの様な気がする」
珍しいと思う。
これまで見てきて分かってはいたが、対人関係において山打紗和はとても世慣れている。
明確な知性で蓮の状況を察して的確に対応する。
彼女自身の柔和な雰囲気で剣呑な空気を穏やかにする。
正に淑女としての対応だが、ただそれは裏を返せば、一線を引き、俯瞰的な立場から物事を見て、合理的に判断しているという事でもある。
そんな紗和が何故か蓮と話したがっている。
それも彼女自身の復讐のこと以外を。
確かにオペラの件は蓮が興味を持ち、紗和が話に乗ってきた訳だが彼女がそうしたことを話すこと自体、おかしいと言えばおかしいい。
山打紗和と言う人物と過ごしてある程度の時間が経つ、その結果分かったことがある。
この人は本来こういう性格だったではなく、何か―――詳しくは言わないが蓮の母のことだろう―――があり、そこからこうなったのだ。
時折蓮にも見せる年相応な人の好い娘、それが元の性格なのだろう。
そして先ほどの人格―――『令嬢』
悪意があると言うこと以上に、他者の内面を読み解き、支配しようとする姦計の達人。
あれが必要になる局面とはどのような状況なのだろうか。
紗和の行く末に興味のある蓮はその理由が気になった―――同時に心当たりもあった。
「……自分はあなたの過去を詳しく知りはしないし、話す気も無いなら聞きはしない……それでも時崎狂三のことで何か言いたいことがあるなら、自分で言うのも何だが、聞き上手ではあるだろう」
「わたしが聞いていたはずですが……まあ、良いでしょう。ここまでお互いのことを意図的に聞かずに来ましたが良い機会です」
上品にカップに口をつけ、放す
ほうっと息を吐き、「大して面白い話でもありませんよ」と前置きし、そして山打紗和は自分の従者たるジェスターに話を始める。
それは喜劇であり悲劇であり、復讐譚であり懺悔であった。
ある日の下校時、体が急に燃え出した。苦しくて熱くて痛くて、それでも死ぬこともできない。
どれだけ体の肉が焼けても、瞬く間に元に戻り、また焼ける。
この時は知るすべも無かったが山打紗和は、この時精霊になった―――されたのだ。
そのまま逃げて、逃げて、逃げて
逃げた先で自分の無二の友人に出会い、助けを求め、そして殺された。
疑問と激痛と衝撃の死。
それはまだ終わらなかった。
一度でも精霊になった―――なってしまった紗和は、天文学的な確率で隣界に落ち、そこで意識を取り戻した。
―――体が燃え続けた状態で
死後の世界でも無限の炎で焼き続けられると言う文字通りの地獄
それは唐突に終わった。
紗和の前に現れた白い女王―――他でもない自分を殺した親友、時崎狂三の堕ちた反転体としての姿
そして紗和は彼女の契約を受け入れる。
後に残ったのは、時崎狂三の反転した体に山打紗和の魂を持つ精霊もどき。
山打紗和は文字通り死ぬほどの激痛から逃れることができ―――そして自分を殺した女になり、その後を過ごすこととなった。
それは正に世界に呪われた瞬間だった。
友人の裏切り、突然の不幸、身に覚えのない凶事
その呪い全てを理解した山打紗和は泣いた。
そして慟哭が終わる時に白の女王が生まれ、あらゆるものへの復讐が始まった。
紗和が憎む隣界、そこの住人である数多の準精霊―――精霊と同じようにセフィラを持ち、遥かに脆弱な存在を容赦なく踏みにじった。
階層に分かれている隣界の世界を征服し、他の準精霊をたぶらかし、霊力を奪い、姦計を持って彼女たちの関係を破壊した。
隣界を破壊しつくして霊力を紗和一人に集めようとして―――そして今何故かここにいる。
紗和の虐殺は無為になり、その代わりに真の仇を知った。
「……以上です。ご清聴感謝します。恐らく、わたしが過去を話すのはあなたが最初で最後でしょう」
ここまで語ったところで、紗和は再びティーカップに口をつける。
淡々とまるで怒りも嘆きも罪悪感も覚えていないかのような語りぶり、いつも通りの白い女王。
つられるように蓮もチャイを口に含む。
刺激的なスパイスが鼻腔を満たし、今までの長い話の中で気になったことを纏めるのを助けてくれる。
まずは疑問。
反転とは一体何なのだろうか。
蓮にはセフィラが無い、故に反転することが無い。
しかし同時に蓮は霊力からなる、ある意味極めて純粋な精霊に似た何かである。
そう言う自分に反転というものは縁がありそうにもない。
と言うより、反転した際に出てくる別の人格、精神とはどこから来るのだろうか。
人間にセフィラを組み込むと何故反転と言う現象が起こるのか、謎である。
さらに紗和は時崎狂三の反転体から体をもらった時に、すでに山打紗和としての精神を持っていた。
つまり、山打紗和は反転する前から山打紗和だったのだ。
その状態で反転体としての意識はどこにも無いが、それでも反転体としての力を振るう事が出来ている。
どうにも引っかかる話である。
そして納得。
蓮はようやっと気が付いた。
山打紗和は現実世界に来たことで揺れている、その理由に。
蓮が初めて会った時、隣界から来たばかりの山打紗和に迷いはなかった。
蓮は隣界を知らないが、紗和の口調の端々から隣界に対する憎悪が感じられた。
きっと紗和にとって隣界とはそう言う世界だったのだろう。
それがこの世界では過去の紗和―――悪いものではなく、無垢だったころの少女の痕跡があちこちにある。
この世界は隣界で修羅の様な生き様を送ってきた女王にはあまりにも優しすぎたのだろう……無論この世界が楽園である訳でも無いが。
そして彼女の恨みの対象たる時崎狂三を早々に打ち倒したことで、復讐のモチベーションたる憎悪や怒りを維持するのが困難になりつつある。
恐らく、始原の精霊を恨んでいないと言うのは本当なのだろう、確かに彼女の存在は知らないものからしたらあまりにも現実離れしたものだ。
だから今一つ敵視はできても、良くも悪くもそれ以上の感情を持っていない。
そしてもう一つ、彼女の覚悟の訳。
そんな状態でも、否だからこそ、紗和は蓮の母、崇宮澪に戦いを挑むのをやめないだろう。
何故なら、山打紗和の中で彼女自身は20年前に死んだも同然なのだから。
それを蓮が止めることは無いし、そもそもできないだろう。
彼女が自分の過去を蓮に話したのも、恐らく紗和は死ぬことを前提にしているからだ。
蓮としては紗和の人生に対して付け足すことは何もない。
元々勝算の限りなく薄い戦いだったのだから。
数奇な運命に弄ばれた薄幸のお嬢様の最後がどうなるか、重要なのは結局死に様だ。
ただ、それでも
「折角、戻ってきた世界だ。せいぜい心残りが無いように楽しむと良い―――自分もあなたの紅茶と茶菓子が頂けるのはありがたい」
「……あなた食べるのが本当に好きなのですね。そんなもので良ければ幾らでもご馳走しますよ」
話が始まってから紗和が初めて蓮に微笑みかける。
この位は言っても良いだろう、そう思うのは蓮が甘くなったのだろうか。
いや、単に山打紗和に少しでも始原の精霊に被害を与えて欲しいだけだ、他意はない。
「わたしはともかく、あなたは全てが終わったらどうするのですか? 人と会う、と言っていましたが」
「ふむ、あなたの願いを叶えた後か……実際特に決めてはいないしさほど興味もない。確かに人に会うとは言ったが……」
「わたしがこれだけ言ったのです。わたしに話したところで別に後に残ることはありませんし、蓮さんは何か言うことが無いんですか」
完全に女子会の様な雰囲気で話をふって来る紗和。
蓮は若干驚きながらも、先ほどの紗和の独白もあってか少しだけ口が軽くなってしまう。
「自分も大して変わらないとも言える。自分には殺したい人がいる……愛しているがゆえに」
「……あなた誰かを殺したいんですか? はっきり言っておきますが、蓮さんあなた人を殺すのは向いていない、と言うよりも、悪いことするのにあまり向いていないですよ」
―――自分語りをしろといっていきなりこれである。
蓮はやや憮然とした面持ちで、駄目だししてきた紗和に向き直る。
「何とまあ、我が女王様にそう言われるのは心外だな……自分は悪辣で無慈悲な悪の精霊だよ? 自分の気まぐれに他者から虚言をもって搾取する生粋の略奪者さ」
「そう言うところなのですが、うーん、そうですね……蓮さんに一つ問題を出しましょう。悪人に一番必要な才能って何だと思います?」
いきなり問題を出されてしまった。
悪人に必要な才能……容赦のなさ、優れた知能、機を見る敏感さ、暴力に対する忌避感の無さ
頭の中を様々な考えがよぎるが、どれも一番だとは思えず考え込んでしまう。
蓮が黙り込んだのを見た紗和が、面白そうに口を開こうとして―――急に頭を押さえる。
「な!? 頭の中に何かアラートが……これって……もしかしてこの間の願いの影響ですか……! 誰かが私の事を、いえ、狂三さんを調べようとしている……」
「ほう、早いものだね。しばらく前に時崎狂三がいなくなったわけだ。流石にそういう事をする輩も出てくるか……自分が叶えた願いならば犯人も分かるだろう。恐らく頭の中に浮かんでくるのではないかな」
面白そうに説明する蓮に対し、最初の内こそ動揺していた紗和だが、暫らくすると願いの力に慣れたようだ。
頭に手を当てながら閉じていた眼を開く。
まるで対象が目の前にいるかのように、ゆっくりと忌々し気にその名を口にする。
「この間者の名前は……アイザック・レイ・ペラム・ウェストコット。狂三さんが言っていた魔法に関する世界最大手、デウス・エクス・マキナ社のCEOだったはずです。現在の居場所はロンドンの様ですね。狂三さんたちの話だと、最近二番目の精霊からセフィラの大部分を奪い、魔王としてその力を振るえるようになったと言っていましたが、これがそうなら厄介ですね……」
蓮はその名前に覚えがなかった。そもそも紗和が話している途中から聞こえてもいなかった。
会ったことも無い誰か、聞いたことも無い赤の他人、自分の生活圏と関係がない外野
ならば何故、蓮はその誰かに凄まじい殺意を覚えるのだろうか。
まるで前世で何か因縁があったようだ、と蓮は思う。
「少しだけ、このネズミに興味が沸いたよ……自分の本来の目的以外で」
奇妙なほど無表情な蓮の場違いに冷静な発言は、若干狼狽えていた紗和の心を落ち着け、同時に曖昧模糊とした憂慮をもたらすこととなった。