紗和アベンジ   作:TORIA

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⑧決別の日

 

 筺を開けるとそこは牢獄だった。

 

 高さも奥行きも何もない空間、入ってしまえば然るべきもの以外は出ることができない果てなく広がる様な趣さえする無間地獄

 

 そこに入る然るべきもの、山打紗和が見に来たのは、当然この牢獄の主。

 

 紗和の同盟者が長らくそうだったように、現在のところ、囚人として責め苦を追わせられるのはただ一人。

 

 その囚人、時崎狂三は蓮がかつて己自身を閉じ込めていた筺の中で、少し前の彼女と同じように拘束されている。

 捕えられた時は全身打ちのめされ、まさに満身創痍の有様だったが、今の狂三は傷一つなく、白磁の様な肌が、イスに座らせた状態で拘束具と霊装の隙間から見える。

 全身を革のベルトの様な霊装の一種で戒められ、貯め込んでいた霊力と時間、なにより彼女の天使に至るまで全て奪われた狂三だが、ある意味今まで以上に安全だ。

 蓮の延長線上である筺は蓮の願いの力で始原の精霊に見つかることは無いし、そして紗和の願いによりそれ以外の天使や魔王でも見つかることは無い。

 

 そしてそれはこの世の誰一人、狂三を助けることができないと言う事でもある。

 

 紗和が筺に入ってきても狂三は微動だにしない。

 かつての蓮と同じように目隠しがされているというのもあるが、そもそも動く気が無いのかもしれない。

 紗和によって徹底的に痛めつけられた心は、反転こそ免れたものの、もう二度と以前のしなやかで強靭なそれに戻れないとすら思える。

 

 時崎狂三の残骸―――かつて【ナイトメア】と呼ばれた囚われの令嬢は紗和が入ってきたときと同じく、あたかも死体の如く、身じろぐことも無い。

 その様は醒めることのない悪夢に囚われたかのようで、紗和は今まで感じたことが無い総毛だつような感覚に襲われた。

 

 それでも紗和はその惨たる有様のかつての親友をしばらく見つめていたが、やがて踵を返す。

 持っていたサーベルを虚空に突き刺し、あたかも鍵を回すかのように旋回する。

 それに答えるかのようにドアが出現すると、紗和はそのままドアを通り抜ける。

 

 紗和の姿が無くなり、ドアが消えるまで狂三はいかなる反応も見せなかった。

 

 もはや、狂三を殺すことに何の意味も無い。

 生ける屍は生かして置くのが一番本人にとって苦痛だろう、そう紗和は結論付ける。

 その総括を出した他の意味については考えず、紗和はあえて他の事に意識を向ける。

 

 

 先のウェストコットによる情報攻撃は狂三に対するものであったが、それが現状彼女を捕えている紗和に対するものとサマエルは認識したのだろう。

 

(念のため狂三さんの様子も見たけれども、恐らく本当に情報を調べる能力しかないと思っていいのかな)

 

 情報を抜かれることが無い、と言う意味では大丈夫だが全く安心できる状況ではない。

 狂三の情報が全く入ってこないのは逆に異常であり、それに対し何がしかの対策をとることは容易に考えられる。

 何せ相手は魔法に関する世界最大企業のCEO、いくらでも手駒があると思った方が良いだろう。

 

 紗和はため息をつく。

 草木も眠る丑三つ時、こんな時間に起きて仕事をするだけでも嫌になるが、残念ながら問題の本質はそこではない。

 

 扉をくぐった先、今いるのはDEM日本支部、その一室の電算処理部屋だ。

 目の前には紗和では到底使いこなせない様なコンピューターを扱うDEMのシステムエンジニアの背中。

 この背中を眺めて、途中離席の時間も含めつつ、かれこれ一時間以上になる。

 紗和の存在発覚の危機もさることながら、それ以上に流石に薄々察しが付く。

 

(これは流石に河岸を変えた方が良いのかな……と言ってもここで駄目となると中々難しいかも)

 

 【蠍の弾】で傀儡にしたDEM所属の魔術師の手引きで容易に侵入・スパイできたのは良いが、そこから先が繋がらない。

 

 そもそもDEMについては狂三を捕らえる前、分身体に対する調略を仕掛けていたころから同時進行で情報を得ていた。

 どう考えても敵にしかならない相手なので、手段は選ばない。

 今目の前の協力者も、この時期【蠍の弾】で内応させた優秀な手駒だった。

 こんな状況下にも関わらず手際良くいったのも当然と言えば当然ではある。

 

 とは言え、当時も今も肝心な情報に関しては完全に不明だ。

 ウェストコットに関する情報―――所在や能力、目的などがほぼ出てこないのだ。

 

 恐らく、相手も他者から調べられることを警戒しているのだろう、単に会社のトップの行動を下の社員があまり知らない以上に、行動が徹底的にぼかされている。

 これ以上は日本国内からでは埒が明かないと思った方が良いだろう。

 

 かと言ってイギリス本社まで言って工作するのも非常にリスキーだ。

 【蠍の弾】は誰に対しても即座に確実に効果が見受けられる能力ではなし、またコストも馬鹿にならない。

 失敗したらそこから紗和の正体が露見する可能性が高い以上、時間をかけてDEMの要路者を片っ端から調べ上げ、戦闘、そして傀儡化などと言う悠長なことをするのは危険すぎる。

 

 無視するには危険だが、かといって支配下に置くにはあまりに強すぎる。

 と言うより下手をすると返り討ちに会う。

 

 紗和はここしばらくの諜報活動の結果を受け、熟慮、そして結論を下した。

 

 

 

「そういう訳で蓮さん、二個目の願いが決まりました」

「一度目から結構時間が経ったね。まあそれも遅いか早いかでしかないけれど。それで、あなたは何を望むのかな?」

 

 場所は戻って再びマンションの一室、置いてけぼりにされていた蓮がどこか不満げに紗和に問いかける。

 皮肉気な蓮を前に、紗和はもう一度今から述べる内容について考え、形の良い唇を動かす。

 

「……成程、無論可能だ。その提案なら妥当な所だろう……それで、最終的にかの悪徳企業とその悪辣な頭領をどうするつもりで?」

「わたしがこの願いを言う時点で決まっているでしょう」

 

 紗和は蓮に微笑みかける、それは本当に穏やかに。

 

「DEMを傀儡化します。わたしの目的ために使いつぶす駒になってもらいます」

「大きく出たね……もっとも、それくらいでなければ始原の精霊に刃は届きはしないだろう。だが」

 

 蓮が紗和に笑いかける。

 蛇の様な目を大きく見開き、艶やかに笑う、それはまるで敵意をむき出しにするかのように。

 

「あなたの願いはこれで二個目だ。自分はもうあなたの霊力の大部分を差し押さえることすらできる」

「あら、あら。蓮さんあなた、わたしを殺したいのですか?」

「ただただ殺すなど勿体ない。山打紗和、自分はあなたの全てを自分のものとする。高貴で強大で英邁なあなたは喰らい甲斐がありそうだ……一口で終わらせるなど勿体ない。溶かすように舐めるよう少しずつ味わわせていただこう。とてもゾクゾクするね」

 

 割れ鐘の様な笑みを浮かべ紗和を嘲弄する蓮。

 対する紗和は表情一つ変えず穏やかに微笑む。

 

「それじゃあ今そうしますか」

「まさか。願いはまだ残っている。自分はあなたが最後の願いを叶え、弓折れ矢尽きた時、あなたの全てを自分の物にしよう。あなたが絶望で満たされるだろうその時まではまだまだ我慢するさ」

「わかりました。応援ありがとうございます」

 

 蓮の脅迫にも何の表情の変化もなく、あろうことか屈託なくお礼を言う。

 あなたはそう言わないと激励も出来ないのですね、と顔に書いてあるような紗和の対応。

 蓮は興ざめしたように無表情になる……図星だなどとは思われたくないのだが。

 

 とは言え、蓮も紗和も分かっている。

 紗和が自分の生死にあまり興味が無いことを。

 蓮の先ほどの言葉が全く嘘では無いことを。

 

 結局やる事は何も変わらないのだ。

 溜息をつきながら、蓮は紗和の指示通り願いを叶えるべく、サマエルを起動する。

 

 巨大な何が世界に働きかけるような感覚。

 紗和にとってはこれで3回目のはずだが、それでもこの感覚は慣れない。

 

「完了ですか。それでは少し試してきます。実は何人か目をつけていたのですよね……ああ、そうだ。前に聞いた通訳の件、考えてもらえました? これから英語でないと脅迫すら理解してくれない人が多そうなのですよね」

「全く人使いの荒い女王様だ。見返りは要求して良いので?」

「どうぞどうぞ。それは後で聞きますので、わたしが叶えられるものならば何なりと」

 

 そもそも小間使いが欲しいなら、傀儡にしたなにがしかを用いれば良い、つまり一応蓮に対する好意だろう。

 恐らくDEMに対する攻撃に蓮が乗り気だからこその発言だ、実際蓮に異論は別段ない。

 二つ目の願いを叶えたことで顔の包帯が消滅した蓮が紗和に願う内容を考えている間にも、紗和はマンションの窓から体を乗り出し、空に飛びあがる。

 

 

 ―――今はこれで良い。

 目標があってそれを達成する、それだけだ。

 そうしている間は余計なことを考えなくて済む。

 後悔などもう一度死んでからすれば良い。

 

 全ての意志ある者が寝静まった夜半、山打紗和は一陣の風の如く駆け抜ける。

 白刃を月明りで煌めかせ、雲一つない星空を遊ぶ白い霊装の女。

 その姿は幻想的で、さながら夜空から降りてきた星の姫の様にも、闇から出で立った冥府の女神の様にも映る。

 

 汝ら愚昧、白の女王が勅を賜る。

 御剣をもって悪逆人刎頸す。

 

 魔術師の帝国を打ち崩さんとするそれはあまりにも小さく、さながら蟷螂の斧であり。

 それでも刃は間違いなく、王の首を紛うことなく断ち切ることを欲していた。

 

 

 

 

 ―――黒い男が溜息をもらす、それを聞くのはやはり黒い女。

 

「ふむ、やはりセフィラを持った未封印の精霊で確認できるのは今回見つかった【ゾディアック】だけのようだ」

「それでは【ナイトメア】の消息はやはり不明なままですか……」

「ああ、確かに不安要素ではあるね。だが【ゾディアック】を放置するのもあまり良い手ではないだろう。まがりなりにも【シスター】もわずかだがラジエルを使用できる。ラタトスクがいつまでも虚空に浮かぶ彼女に気が付かないと願うのも、なかなか難しいだろう」

「……楽しそうですね、アイク」

「ああ、そうだね。新しい精霊は中々強大な力を持つようだ。早く地上でお迎えしてあげたいところだ。それに―――」

「【ナイトメア】行方不明の原因が【デウス】かもしれない、そう考えていると?」

「持つべきものは旧友だね、エレン。もしかの始原の精霊が動いたというなら、これほど喜ばしいことも無いだろう。こちらは30年間音沙汰も無かったのだから、期待するなと言う方が酷だ」

「まずは目の前の事から処理するのが先かと。【ゾディアック】攻撃部隊の編成を指示します」

「ああ、頼むよ。【ナイトメア】の行方も分からないので全力でとはいかないが場所が場所だ。精鋭で行くとしよう」

「はい。アルテミシアも出撃させましょう。ゲーティアの方も問題ありません」

「結構。では準備ができ次第、出立してくれたまえ」

 

 DEMのCEO、アイザック・ウェストコットが去っていくエレン・メイザースを視界の端に収めながら、手にした異形の本、魔王(神蝕篇帙)ベルゼバブに目を向ける。

 

 全知の魔王、その神託だ間違えているはずがない。

 【ナイトメア】の詳細が不明なのは気になるが、ラタトスクも含めそれ以外で特に異常は無し。

 【ゾディアック】の確保を目標とする作戦もおかしなところはない。

 

 全ては万事順調、問題なく事が運んでいっている。

 だがそれも、彼女の出方ひとつで全てが狂う。

 

 ―――【デウス】か

 もしそうなら、大いなる危機だが、逆に言えば好機でもある。

 

 アイザック・ウェストコットは想像の中で待望の女神を思い浮かべ、不安と期待に心躍らせる少年の様な笑みをただ一人浮かべた。

 

 それはある意味油断であった。

 自分を害することができる者など、かの神の如き始原の精霊くらいだと言う慢心。

 ―――その代償は高くつくことになる。

 

 

 

 

 死は永遠の安らぎである、と誰かは言う。

 嘘をつくな、と紗和は嘆息する。

 

 善人は天国へ悪人は地獄へ、生前を反映する死後の世界は世界中で信じられている。

 世迷いごとを、と紗和は憤る。

 

 死ねば全ては終わり、と内心誰もが諦めている。

 そうだといいなぁ、と紗和は自嘲する。

 

 この世で一度死に、幽世たる隣界から現世へ帰還した少女は、死にも、そして生にもどんな期待も絶望も感じはしない。

 生はただ今の状態でしかなく、死はしばらく先のこの世での形態だ。

 

 それ故に、自分の死も増して他者の死にも、何も感じはしない。

 特に最近の紗和は極めて多忙で、そんなことに気を払うことは論外と言っても良い。

 

 それでも、今回だけは特別だ。

 紗和は墓参りに来ている。

 もうすぐ決戦だ、勝っても負けてもここに来ることはもうないだろうと紗和は確信していた。

 

 とは言え、何の意味も無い墓参りではある、それはそうだろう。

 この墓の中に人はいない。

 

「自分のお墓を見るって、こんな気持ちになるんだ。何にも感じないかと思ったけど、意外と……」

 

 暗い冬の寒空の下、紗和の目の前には白い石の碑。

 これがここにできたのは昨日のこと。

 遂に両親が紗和の死を受け入れた、それだけのこと。

 

 きれいな真新しい墓石は傷一つなく、それでいて20年前のあの日のことを、紗和に思い起こさせてくる。

 

 墓に刻まれた名前の女が目の前にいる。

 滑稽ではある、

 もっとも、紗和は空の墓を慰めるために来たわけではない。

 この墓は空ではない、紗和が当時使用していた雑貨が副葬品となっているし、何より―――

 

「あなたもようやっと息えたね、それとも家の方が良かった? ……ゆっくりおやすみなさい、マロン」

 

 紗和の部屋に会った骨壺はもうない。

 寂しくないように、娘の為にせめてもマロンの遺骨を、と言う両親の愛、マロンはどう思うのだろう。

 

 手を合わせ、黙とうする。

 かつての我が家と家族、愛猫を、思い出す様に、ここに置いていく様に。

 

 二度と戻らないそれを偲ぶには短く、さよならを言う時間にしては長すぎる時間が経ち―――そして山打紗和は自分の名が刻まれた墓から立ち去る。

 

 自分に墓は必要無い、だがそれでも来た甲斐はあった。

 山打紗和と言う人間が本当の意味でこの世から亡くなったのを確認し、しかしそれでも紗和は自分が両親に愛されていたことを思い知った。

 

「これ以上ない位親不孝だなぁ……わたし」

 

 そんな思いを漏らすも離れる足は止まらず、帰りたくなるような過去を振り切り、紗和は現実の戦場に赴く。

 

 チャンスは恐らく一度きり、ここで仕留められねば次は無く、紗和の存在に何らかの形で気が付かれる可能性は極めて高い。

 かと言って安全策をとって何もしないのは事実上、精霊最大の敵をずっと放置しておくことであり、それは始原の精霊を紗和が倒すより先に、紗和がDEMに攻撃されることとほぼ同義である。

 

 紗和自身、自分の準備や予防措置が完璧でないのは理解している。

 しかし、恐らくかけて良い時間はさほどない。

 DEMがこれ程不用意に戦力を分散したのは、紗和の不足を補って余りある。

 未だ影も見えない始原の精霊を恐れて行動を起こさないのは、ラタトスクあるいはDEMの強大化と言う形で結局紗和の首を絞めることに直結する。

 

 この両勢力の内、どちらかと言えば始原の精霊に関わっていなそうなDEMを支配する。

 

 博打ではあるが無謀ではない。

 仕込みは十分、後はアドリブで臨機応変に補う。

 

 墓地を後にする紗和は一度だけ振り返る。

 自分の墓標、それを見て。

 

「もし失敗すれば、最後の願いであそこに骨を入れてもらおうかな」

 

 冗談にもならない冗談を口に、山打紗和は寒空と枯野が彩る人生の最後の地を、笑いながら心穏やかに去ろうとして―――

 

 正面から来た老夫婦とすれ違った。

 手に花と水、ブラシなどと持って先ほどまで紗和がいた所を目指す。

 

 念のため響の姿で来ていて良かった。

 ああ、本当に憎たらしいこの姿。

 

 今度こそ紗和は一瞬たりとて振り返ることなく霊園を出る。

 幸い怪しまれることは全くなかった、はずだ。

 

 この世で生きていくには未練としがらみが多すぎる、早く死なないとなぁ。

 

 そんな冗談を両親の愛情を目一杯受けて育ち、死に、そして転生した娘は今度は口に出さず心の中だけで思う。

 

 朔風は厳しく、日は陰り、心は沈む。

 そんな冬の特に代わり映えのしないある一日がこうして終わった。

 

 誰の姿も見えない夕暮れ、それでもまだあそこにいるであろう二人に向かって、白い少女はせめて心の中で礼を言った。

 

 

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