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黒狼鳥の咆哮が遠くに聞こえるのを感じ取りながら、リズは注意深く周囲を探った。
既に剣は抜刀していて、どこから攻撃が来ても即座に対処できるように、腰はやや低めに落として構えている。
急いで駆けつけたそのエリアは、やけに静かだった。
野鳥の囀りは聞こえず、時折穏かに吹く風が奏でる木々のざわめきと、踏みしめる自らの足音のみが静寂を染める。
そんな不自然さが、さらにリズの警戒心を底上げしている。
リズの記憶では、そんなに数はいなかったはずだった。
しかし、連携行動をとられたら困るほどの数がいるのは間違いないのだから、慎重になりすぎるにこしたことはない。
「(油断するな……気を抜いたらやられるわよ……っ)」
そう、気を引き締めた瞬間だった。
後ろの茂みから物音がしたのに気づいて振り向いたと同時に、その茂みから青い風と衝撃が襲ってきた。
リズはそれを無意識に掲げた盾で防ぎ、力任せにそのまま襲い掛かってきた青い衝撃――青走竜を受け止めたまま押し飛ばす。
「くっ……」
多少姿勢が崩れて、危うく転びそうになるところを踏鞴を踏んで留まった。
キッと睨み付ける様に視線を向けると、当然ではあるが、全く無傷の青走竜が甲高い鳴き声でこちらを威嚇していた。
それに対し、リズは無言のまま呼吸を合わせて踊りかかる。
抜刀状態から最小限の体重移動を行ったジャンプから生じる、荷重を加えた振り下ろしの一撃。
だが、青走竜はその一撃を後ろに飛びのいて避けると、そのまま背後を振り向いて一目散に逃げ出した。
「……こっちを誘い出すつもりね。上等」
かすかに挑発されたのを感じて、リズは笑みをひきつらせながら低くつぶやいた。
さりげなく虚仮にされたのが、想像以上に頭にきた。
どうせこちらから出向くならと、その場で砥石を取り出して入念に剣を研ぎだす。微妙に浮べた笑みがとても怖い。
剣の研ぎ具合を確認し、ポーチの中の持ち物を再び確認してから、リズはようやく前に向かって進みだした。
足取りは、来たときと変わらないくらいに慎重だ。
さすがに怒りは覚えたが、冷静さは失わなかったらしい。かつての反省をうまく生かしていた。
「こっちは無駄に時間はかけたくないってのに」
苛立たしげにそう呟きながら、リズは言葉と裏腹にゆっくりと歩を進めていく。
ここで焦っても、結果はよくなどならない。前はそれが原因で、今も背中に残るような傷を負うことになってしまったのだから。
中央の岩山の周りを四分の一ほど回ると、先ほどアビスに説明されたキャンプ地跡まで来てしまった。
なるほど、とリズは周囲を見渡しながら理解する。
前方には鬱蒼とした茂み。左手は二メートルほどの段差がつらなった高台。そして、左側と後方は見渡しやすいくらいに開けている。
ここならば、近くの高低差を利用していいポジションが取れるだろう。身軽で脚力のある青走竜なら、二メートル程度の高さなら一っ飛びで上れるのだから。
それに、ここだけ空気が違っている。
いくら狡猾な青走竜といえども、さすがに本能に忠実な生き物である。【殺気】というわかりやすすぎるものまでは、消せないようだ。
リズは焦らず、しかし正確に周囲を見渡し、そして感じた。
背後から飛び掛ってくるかのような、そんな気配。だから、リズは確認することなくその左手の剣をなぎ払った。
――狙い過たず。
なぎ払った剣の軌跡は、見事に飛びかかってきた青走竜を、その腹を切り裂きながら払い飛ばした。
ピピッと、リズの頬を飛び散った血が掠め、その生暖かさにリズは顔を軽くしかめる。
「(これが第一波なら……!)」
その予想は外れなかった。
振返ると、すぐそこまで今度は二匹の青走竜が走ってきていた。
どうやら、こうやって前後左右に揺さぶりながら狩るつもりらしい。中々理にかなった戦法と言えるだろう。
先ほどの様に、後方にアビスが援護としてついていないからこそ、この戦法は有効であるといえる。
複数への攻撃でなく、単体への攻撃であれば、こうして多彩な方向から攻撃を仕掛けることで、獲物の感覚を撹乱すると同時に普段よりも大きく疲労させることができるからだ。
改めて、リズは今度の敵の頭のキレ具合に舌を巻くのだった。
「ちっ!」
舌打ちを交えて、走ったまま噛み付いてくる一匹の攻撃を盾で防ぐ。そしてそのまま先ほどやったように、押しだすように盾で青走竜を弾き飛ばしたところで、今度はもう一匹の青走竜が飛び掛ってきた。
それを横に転がって避けると、そのまま起き上がりざまに剣で切り上げた。
硬い手ごたえと共に、何かを切断するのを感じ取る。青走竜の右前足だ。
だがしかし、リズはそれを気にすることなく、即座に切り上げた剣を再び、今度は袈裟懸けに切り下ろした。
青走竜の首の左側からそのまままっすぐ右斜め下のわき腹まで、リズの振るった剣は迷い無く青走竜を切り裂いた。
甲高い断末魔を上げながら、無残にも前足の一つを切り飛ばされた青走竜が絶命する。
それでも、リズに休む間を与えることなく、青走竜達の攻撃は続いた。
続けて左右二匹からの同時攻撃と、先ほど盾で殴り飛ばされた青走竜が襲い掛かってくる。
さすがにこのままでは形勢が不利だと悟り、リズは右の青走竜の攻撃を前に転がってかわすと、その他のは無視して駆け出した。
目的地はこの先の天然の森のトンネル。そこならば、こうやって全方位から攻撃を受けることも無く、またトンネルという閉鎖的な地形を生かして正面から迎え撃つことができる。
しかし、まるでそれすらも予測していたのだろうか。リズの走る先には、既に五匹もの青走竜が陣形を敷いて待ち構えていた。
さすがに、リズはこれに驚きを禁じえず、思わずその脚を止めてしまい、後ろを振返る。当然、無視した三匹が追いついてきて、耳障りな威嚇を始めた。
前の五匹もそれに同調するかのように威嚇を始める。
いや、威嚇ではない。
どこか誇らしげに威嚇――いや、合図する五匹の青走竜の後ろから、悠々とそれはやってきた。
「……やるじゃない」
やってきたソレをみて、半ば負け惜しみのようにリズは苦々しく呟いた。
燃えるように真っ赤な鶏冠と、色鮮やかな青い鱗。そして、他の青走竜たちとは一回りも二回りも違うその体躯。
間違いようも無く、そいつこそがこの群れの統率者であり、今回やたらと知恵の回る【頭】であった。
まるで王を迎えるかのように、やかましく騒いでいた五匹が道を開ける。その間を【頭】は悠々と歩いてきた。
完全に、リズは青走竜たちに囲まれる形となっていた。
後ろに三匹、前方に【頭】を含めて六匹。右手には巨大な岩山、左には鬱蒼と生い茂る藪の森。退路は完全に絶たれていた。これほど狡猾で、機知に富み、そして戦いを上手に進める青走竜はそうそういないだろう。
リズでなくとも、手練なハンターならば誰もが、この【頭】の手際には感服するに違いない。
青走竜が黄走竜《ゲネポス》や紅走竜《イーオス》らと明確な一線を画する理由は、なんと言ってもこの何の特殊能力も持たないゆえの狡猾さ、いや、知略の豊かさであろう。
その身に麻痺や毒などの特殊能力をなにも持たず、ただ己のその牙と爪を持って獲物を狩る彼らからすれば、それは必然的な進化であったのかもしれない。
ただの牙と爪のみで、ただがむしゃらに獲物を追い回すだけでは、決して捕まえることなどで気はしない。
だがしかし、もし罠を張れるなら? 陽動をし、多くの味方の待つほうへとおびき寄せることができるなら?
答えは明白である。
だがその中でも、この【頭】はある意味異常ともいえるほどに知略に富みすぎている。
過剰に言ってしまえば、リズたちを虚仮にすらしていた節があった。さらに言えば、今のこのリズの状況は、完全にリズが誘い込まれた形となっている。
途中、黒狼鳥などというアクシデントが起きたにもかかわらず、それによって混乱して統率を乱すようなことなく、あろうことかそれすらも利用してこうしてリズを包囲してみせた。
この手際を見事と言わずして何と言おう。
だから、リズは覚悟した。
この包囲、抜けるならば腕の一本は覚悟しなければ、と。
そのリズの決意を見抜いたのか、【頭】は低く、しかしこの場にいる全員の青走竜に聞き渡るように、低く啼いた。
まるで、『雰囲気が変わった。油断するなよ』とでも言いたいかのように。
「簡単にはいかせないって? まったく、アンタホントにすごいわよ」
嘆息して、リズはしっかりと剣の柄を握り締める。
こっちも本気、あっちも本気。
ならば、これは純粋な生き残りをかけた戦いだ。
それだけでいい。難しいことは、その後でいいのだ。
深く、深く深呼吸をする。
目は閉じずに、しっかりと周囲に気を張り巡らせたまま、ただ神経を研ぎ澄ませる。
「(まるで、何かの決闘よね)」
心の中でそう独りごちて、吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した。
決闘。確かに、言いえて妙かもしれない。
自分らの命と命をかけて争う、純粋な生き残るための殺し合い(バトルロワイヤル)。これほどシンプルで、明白な戦いに余計な疑問はいらない。
リズは吐き出す深呼吸とともに、無意識に生じた無駄な考えをはき捨てるようにして消し去る。
緊張しきっていた筋肉がいい感じにほぐれ、臨戦態勢が整う。
戦意は高まり、気分は高揚としてきた。
「いくわよっ!!」
リズのその一声が合図となった。
前後合わせて五匹の青走竜が同時に駆ける。
それに対し、リズはその場で剣を構えると、中央の岩山に向かって駆け出した。
先に攻撃をしかけたのは、前方から走って来ていた二匹だ。残りの四匹はその後方から時間差で攻撃してくるつもりらしい。
右側から襲い掛かってきたその攻撃を、体をひねるようにして避けると、リズは崩れた姿勢を直しながらそのまま正面の岩山へと走る。そして、勢いよく地面を蹴り上げて飛び上がると同時に、岩山を蹴り付けて無理やりに体を反転。そしてそのまま真下にいた青走竜の背中に向かって、いつの間にか逆手に持ち替えた剣を突き立てた。
――ゲギェッ!
まるで釣りカエルが潰れた様な声を出しながら、背骨ごと脊椎を通る神経を潰され、心臓等の内臓を破壊された一匹の青走竜が絶命した。
リズはその青走竜を蹴り飛ばすようにして剣を引き抜くと、身軽に跳躍する。
なるべく青走竜から離れた場所に、多少大げさながらも膝をしならせて着地した。案外、衝撃を殺すように着地しないと自重で膝を痛めてしまうからだ。ハンター達が身につけなければならない、基本身体技能の一つである。
だが、そこで多少の隙ができた。
先にしかけてきた二匹の内の一匹は、リズの突然の行動に回避行動をとって離れているものの、その後からきていた三匹が攻撃をしかける。
二匹が同時にリズに襲い掛かり、一匹はさらにその二匹の頭上を飛んできた。
「くっ!」
さすがに完全に避けきることができないと見たリズは、ある程度のダメージを覚悟で三匹の攻撃を捌きに入った。
下の一匹の攻撃を身をよじるようにかわし、頭上からの攻撃を盾で受け止める。しかし、残りの一匹がそのがら空きとなったリズのわき腹へと噛み付いた。
「あっ……ぐぁっ!!」
何も防具を装備していないのが災いした。
無防備に晒された肌につき立てられた青走竜の鋭い牙は、リズの饅頭の薄皮のような柔肌を易々と貫通し、決して逃すまいと深々と突き刺さったまま、しっかりと喰らい付いている。
まるでそこだけ焼かれているような、猛烈な痛みに思わず呻き声を出しながら、盾で受け止めた青走竜を払いとばすと、まだ逆手に持ったままの左手の剣を、噛み付いてきた青走竜の後ろ首に、迷わうことなく叩き込むようにして突き立てた。
ズガッと硬い衝撃があり、それから青走竜の顎から力が抜ける。首の骨ごと叩き潰された上に、折られた骨でそのまま喉を潰されてしまったからだった。
そのまま絶命してから牙が抜けるのを待つのすらもどかしく、死に掛けの青走竜の口を半ば強引に引き剥がすと、今度はさきほど盾ではねとばされた青走竜がリズの左腕に噛み付いてくる。先ほど腹に噛み付かれたように、青走竜の牙が皮膚を食い破って貫通してくるのを感じ、次にはまるで脳を焼くかのような激痛がリズを襲う。
また無意識に漏れそうになった苦悶の声を、今度は奥歯をかみ締めてこらえると、右手で青走竜の首根っこを捕まえて引き込むように引っ張りながら、その首に向かって渾身の膝蹴りを叩き込む。
さすがにそれで首の骨を折ることはできなかったが、首へのダメージからか青走竜はそのまま口を離した。
その隙を逃さず、リズはその腹へと剣を突き刺すと、手前に向かって引き裂く。
真っ赤な血飛沫があがり、腹を引き裂かれた青走竜が悶絶しながら倒れる。ぱっくりと開いた腹から、膨大な血と臓腑が漏れるように外に露出していた。
それを最後まで見届けることなくリズは振返り、今度は先ほど頭上から襲い掛かってきた青走竜を探す。
見ると、その青走竜は残った【頭】を含めた四匹と合流していた。
「ちっ……厄介ね」
どうやら、もう小ざかしいことはなしらしい。正面からの、純粋なぶつかり合いをしかけてくるつもりらしかった。
「また傷が増えちゃったじゃない……」
ずきずきと痛む左腕に、ドクドクと血が流れる腹。
正直、なんでこんな露出してる部分ばっかり狙うのかむかついてしょうがない。
「(せっかく防具を装備しているのにほとんど意味無いじゃない! 攻撃するならちゃんと鎧を攻撃しろってのよ!)」
そんな、かなりむちゃくちゃな批難を心の中でしながら、リズはとっとと気絶して楽になりたくなるような痛みを我慢して駆け出した。
剣を逆手から順手に持ち替えて、身を青走竜の顔よりも低くして駆ける。
全部で五匹となった青走竜の集団だが、いちいち全員相手になどしていられない。
「(まずは、後方に控えている青走竜たちから潰す。護衛をなくしてタイマンに持ち込まなきゃ!)」
かなり体力の減った今、とても護衛の四匹を同時に相手しながら【頭】を狩れるとは思えなかった。
だからこそ、まずは外堀から埋めていく。
陣形は中央に【頭】を置いて、その周囲を四匹が四角形で囲むような形。
そのために、手前の二匹を無視してまずは後方の二匹に的を絞った。
初動なしにかけだしたリズは、まず前方の二匹の懐を潜り抜け、さらに驚いたような【頭】さえも完全に無視して駆け抜ける。狙うは、後方にいた二匹!
目的としていた地点まで達すると、リズはそのままもっとも近くにいた一匹に勢いよくジャンプして飛び掛った。
先ほどから何度と無く繰り返しているこの動作。これぞ、片手剣使いの基本中の基本、『飛び掛り斬り』である。
十分な加速と荷重を加わえたその一撃は、青走竜程度の頭蓋であるならば容易に叩き割るほどの威力がある。
斬れ味が高い名刀ならば、そのまま一刀両断にすることも可能だ。
さらに、その十分な荷重は、飛竜の起こす小さな風圧程度ならものともしないので、攻撃の手を緩めることなくそのまま攻撃を続けることができる。
片手剣を使う者ならば、何千何万と繰り返し練習して覚えなければならない、基本中の基本の攻撃だ。
そして、リズのその日頃の鍛錬の積み重ねとなって現れた一撃は、当然たやすく無防備にこちらを見つめていた青走竜の頭蓋を砕き割る。
勢いをそのままに地面へ叩きつけると、その衝撃で内部の脳がグシャグシャに破壊されて、青走竜は一瞬の激痛と共に絶命した。
リズの奇襲じみた攻撃は止まらない。
反撃に転じようと、こちらを振り向いた一匹のランポスを、リズは振り下ろした剣を切り上げて出鼻をくじく。
多少腹を掠めただけでリズの一撃は空を切ったが、しかし、リズは迷うことなく、払いきった腕と肘を体に引き寄せると、左足を軸にして右足を踏み込み、体を捻る様にして力を一瞬だけ溜めると、雷光の一閃のようにその腕を突き出した。
熟練した槍使いの突きに劣らぬ鋭さを伴うその一撃は、無防備に晒されていた青走竜の腹を貫き、一瞬にしてその内部にあった臓器を破壊する。
駄目押しとばかりにそのまま剣をグリッとねじり、リズは切り払うように剣を抜き去った。
――ギギャァッ!
想像することすら拒否したくなる、そんな激痛の嘆きに満ちた断末魔をあげながら青走竜が絶命した。
当然であろう、いきなり剣を差し込まれたうえに内臓を抉られ切り払われたのだから。
それを見ていた【頭】が、リズからあまり離れていないところで怒ったような鳴き声をあげた。
さらにその脇から前衛にいたうちの一匹の青走竜が、さながら青い弾丸のように飛び出してきたかと思うと、その勢いに任せて凶悪に尖った牙が生え揃った口を命一杯広げ、リズに向けて噛み付いて来た。
驚く暇など無い。
ただ、いままで築き上げてきた経験の直感で、リズは青走竜から剣を引き抜いたまま、多少崩れた体勢で盾を正面にかざした。
――ギャリイィン!!
牙と盾がこすれ、耳障りな金属音が森の中に響き渡る。
音が示すように、襲い掛かってきた牙の一撃をかろうじて防いだリズだったが、十分な姿勢で防御できなかったためだろう。その衝撃で隙丸出しの尻餅をついてしまった。
「うわ」
しかも、湿気で足元の地面が少しぬかるんでいたらしい。
倒れそうになる体を踏ん張ろうとしたが、そのまま脚が滑ってしまい姿勢を完全に崩してしまう。
一瞬だけ体が空中に跳ね上がり、同時にふわりとした浮遊感を感じると、重力に従ってリズはお尻から地面へと倒れこんでしまった。
反射的についてしまった片手を見て、ようやく自分が転んだのだと理解して急いで立ち上がろうとしたが、そこへ前衛にいた二匹のうち、先ほどとは違う残りの一匹の青走竜が、今度は空中から飛び掛ってきた。
急に自分の頭上が暗くなったのを感じ取って、立ち上がる動作もそこそこにリズは上を見上げもせず、そのまま横に体を転がす。
隣で「ズジャッ!」という鋭い爪が大地を穿つ音を聞きながら、うつ伏せから腕立て伏せの要領で手をつき、息をするのすらもどかしいまま立ち上がって走り出した。もしアレをそのままくらっていたとしたら、まず間違いなく青走竜の爪は自分の肉を貫通し、筋肉を切り裂いていただろう。そう想像したら、背筋に形容できないほどの冷たいものが走った。
その考え事が一瞬の隙になったのかもしれない。
完全に立ち上がって走り出すより一瞬早く、リズに飛びかかってきた青走竜は、着地からすぐにその向きを変えて、たった今外したその爪とは別に、確かに大きさも鋭さも劣るであろうが、しかし確かに痛苦足りえる小さな一撃を振るった。
ギラリと、森の中に漏れ入ってくる太陽の光に反射した青走竜の前足の爪が、リズの背中にある大きな傷の上をなめるように掠めた。
生々しく残っている、少女が持つにしてはあまりにも似つかわしくないその裂傷の上に、さらに小さな新しい裂傷が刻まれたが、その程度の傷をリズは気にしなかった。いや、できなかった。
今この状況では、致命傷でもない限り立ち止まってはならないからだ。
それでも、思わず漏れ出そうになった苦悶の声を喉の途中で飲み込んで、できるだけ青走竜たちから距離をとる。
そして、再び三匹のいるほうへ振り向きながら剣を構える。
仕切り直しとなった攻防ではあるが、その勢いはまだ止まってはいない。むしろ、終盤が近づいたことで、より苛烈さを増しているように思える。残り【頭】を含めて三匹となったことが、青走竜たちにも焦りを生ませているのだろう。
これが普通の青走竜たちであるならば、既に【頭】は群れを見捨てて逃げているのだろう。
だが、この【頭】はあまりにも人間臭かった。
その思考に『撤退』という二文字は無く、代わりに失った仲間への『弔い』という思いが、その本能たる思考を、灼熱の復讐心を持って満たしている。
リズは、こんな相手は初めてだった。
狩りの暦が浅い。確かにそれもあるだろう。
だが、正式にハンターとなって二年の歳月の中、たとえ噂話であろうともこんな狡猾なモンスターの話は聞いたことが無い。それゆえに、リズは焦りもしていた。本当に、自分にこいつらを倒せるのか。決して抱いてはいけない、致命的な不安を。動悸が起こり、不自然に脈が速くなって息が上がった。視界が一瞬だけ歪み、その場に倒れそうになるのを維持だけで踏ん張る。
「(……負けられない。負けちゃいけないんだっ!)」
そんな、このまま背を向けて逃げ出したくなる不安に駆られながらも、少女がいまだに戦う意思をみせるのはきっと体の芯にしみついてしまった《ハンター》としての気質に違いない。
本能的に動かした視界に捕らえたのは、こちらに走り寄ってくる二匹の青走竜。
それに対して体が瞬時に――本人の意思とは無関係に――働き、臨戦態勢をとる。
今は考え事は後回しだ。目の前のことに集中しないと。
しかし、その思考の切り替えをしながら、リズは早速違和感に気付いた。
「(【頭】は!?)」
見当たらない【頭】に戸惑いつつも、急いで気配を捜すと同時に感じとる。
直感的に岩山のほうへと振り向いて頭上に盾を掲げると、今まさにその【頭】がこちらにむかって飛び込んでこようとしているところだった。
「(陽動!?)」
どうやら、岩山を登ってその上から強襲してきたらしい。リズは同時に、こんなどこぞの傭兵集団のような『戦略』とよべる戦法をとってくることに、ひたすら驚いてばかりでいる。
まるで、巨大な岩をそのまま受け止めたかのような衝撃が、掲げた盾を貫いてリズを襲う。
骨が刹那の間悲鳴を上げ、支えていた肩に加えて体中の間接がギシギシと鳴った。
そのまま衝撃で盾ごと体を弾き飛ばされながらも、間一髪で防ぐ形となって後ろに仰け反ってしまう。すぐに体勢を立て直すが、すでに攻撃してきた青走竜はいなくなっていた。
「(なんてやつ……っ! 手ごわい!!)」
この計算されたかのような陽動と波状攻撃。
狙いは、こちらの体力切れか。
自分たちの戦力ももうないから、こちらが完全に体勢を整える前に畳み込んでしまおうという腹積もりなのかもしれない。連携の質も一流なら、その性質の悪さも一流だ。
冷静にあちら側の戦法を分析しながら、次の攻撃に備える。
当然、攻撃は先ほどの一撃にとどまらず、間をおかずして体勢を立て直したばかりのリズの横から、飢えた猛禽類のような勢いで、青走竜が前足を掲げて襲い掛かってきた。
その右の二の腕を狙ってきた噛み付きを、リズは右半身をスウェーバックしながらひねらせて避けると、その遠心力のまま左手の剣で青走竜の首筋に刃をあてて、一気に切り捨て――ようとした。
――ガツン!
「うそっ!?」
だが、刃は決して青走竜の首を真っ二つにすることはなく、あろうことか鈍い音と共にその首の骨にひっかかってしまったのだった。