☆
唸る咆哮に、ほとばしる銃弾。
火炎纏う灼煉の豪球が大地をえぐり、駆け抜ける鎧が草木を引きちぎる。
今、アビスは久々に全力を持って狩りに挑んでいた。
グズリ・と、眼球自体がつぶれてしまっている左目が痛む。
幻痛のようなものだ。時々、こうやって狩りに興奮すると起こる痛みで、それにすら慣れてしまっている。
こちらに向かって威嚇を始め、そこから再び火球を吐き散らすのを避けながら、アビスは淀みなく次の弾丸を装填する。
今度は拡散弾。着弾と同時に分裂し数個の小型爆弾となって爆発するタイプの二次攻撃式弾丸だ。
これまでの様子見から、どうやら目標――黒狼鳥(イャンガルルガ)の甲殻の硬さは耳鳥竜のソレなど比較にならないほど堅固であるとわかった。
ならば、まずはその鎧から剥ぐことにする。
たとえどれほど堅かろうと、連続して爆弾の嵐に見舞われれば必ずそこに亀裂は生じる。それは、飛竜の中でも最上級に堅固とされる、かの重鎧竜(グラビモス)の甲殻で証明している。それゆえの、【黒鎧竜(グラビドU)】の装備だ。
彼――アビスの二つ名は、ミナガルデの街において、まず知らないものはいない。
≪炎山穿つ黒鷹≫
隻眼とは思えぬ、それどころか常人のソレなど比べるべくもないほどの視力と、射撃精度。それは間違いなく、神域に近いものである。
果たしてだれが想像できるか。
弓の最長射程距離(それも凄腕の使い手で、王都にまで名を馳せるような射手がはなった場合の)が五〇〇メートルとするならば、ゆうにその三倍近い距離から、正確無比に飛竜の眼球を打ち抜くその鷹の目と、その狩猟技術を。
そして、幾十もの鎧竜を屠ってきたそんな彼にとっては、そんな二つ名は当然過ぎるものだった。
ギルド全体においても、鎧竜とその幼年期に当たる岩山竜(バサルモス)の討伐においては最も信頼を置かれ、毎月発行されるハンター御用達の雑誌などではその技術を見込まれて狩りにおけるアドバイス(特にガンナーのスキルだ)をインタビューされるほどの人物だ。
そんな彼が、普段はありえないような近接戦闘といっても間違いない距離で戦闘を行っていることが、そもおかしいのである。
軽く十数秒走ればすぐにでも飛竜の目の前に飛び出せるこの距離は、どちらかといえば『剣士』の間合いである。
普段は、飛竜の火球でさえ届かないような遠距離からの攻撃を常とするアビスからすれば、これは不利な間合いだ。
突進されれば、下手をすれば避けることなどできないし、装填の隙に火球を放たれたりすれば、それこそあっというまにあの世行きである。
そんな危険な間合い。それにもかかわらず、アビスはただ無心に、目の前の黒狼鳥を殺すことだけを考えていた。いや、それしか考えられなかったのだ。
はっきり言って、頭に血が上っていた。それほどまでに、普段の自分の間合いを忘れてまで、この目の前に存在する黒き狂風を殺したかったのだ。
「なろぉっ!」
脇を掠める火球には目もくれず、その口めがけてお土産をぶっ放す。ガンナーにあるまじき無茶苦茶な戦法である。
チリチリとした熱気が少しの間を置いてアビスの防具を撫でつけるが、当然アビスはそんなことにかまってなどいられない。そもそも、装備の持つ高い断熱性から、その熱風を感じることすらないわけだが。
手に持つボウガンから発射された弾丸は亜音速で空気を切り裂き、寸分たがわず黒狼鳥の口の中へと吸い込まれ、爆発した。
――ギィイオオオオオオオオンンンンン!!!!!!
おびただしいまでの血がその嘴の中から飛び散り、人間では想像することなどできもしない苦痛の中で、黒狼鳥は怒りの咆哮をあげてのたうちまわる。
「っっ!?!」
その超高音波の咆哮(バインドボイス)をもろに受けてしまい、アビスはその場で耳を押えて硬直してしまった。
飛竜の咆哮は、普通のモンスターが出すような咆哮とはそもそも物が違う。
ヒトの無意識、それも本能よりも奥深くにある衝動ともいうべきものは、自らと相手との差を知っている。
それゆえに、たかがヒトが飛竜などという超常の存在と相対すれば、それは当然のように己の矮小さを自覚するのだ。
その『根源の恐怖』は、訓練や根性でどうにかなるようなものではない。
だから、飛竜と遭遇したときハンター達すべてがその身をすくませるのは、その『根源の恐怖』が原因である。
そして、その恐怖を再び呼び覚ますのが、超高音の飛竜特有の咆哮だ。
聞いたものは思わず耳を塞ぎ、その身を襲う恐怖のためにたった一瞬であってもその身をすくませてしまう。
ゆえにつけられたその雄叫びの名を《バインドボイス》と言う。
ヒトに、この咆哮を防ぐ手立てはない。
ただ、例外的にごく一部の防具に、飛竜の咆哮を防ぐ効果を持つものが存在するとも言われているが、残念ながらアビスの装備にはそんな効果はついていなかった。
その硬直したアビスに向かって、黒狼鳥は嘴の隙間から炎の舌をチロチロとちらつかせて、躊躇なく突進を始めた。
早く早くと、心の中で自らの体に罵声をあびせながら、アビスは迫りくる漆黒の突風から逃れようと必死になる。
「っ!!」
そこから体に自由が戻った途端に体を横っ跳びに転がして難を逃れることができたのは、単に運がよかっただけかもしれない。すぐ脇を駆け抜ける狂風に、背筋がぞっと凍りつくのを感じた。
とにかく、アビスはそれから休む暇も無しに再び行動を開始する。
あまりに勢いが付き過ぎた突進の代償に、黒狼鳥はその身を前につんのめらせて地滑りをしながらつまずいた。
装填するタイミングとしてはこれ以上ないほどの好機。腰のホルダーから今度は先ほどとは別の弾丸――貫通弾を四発取り出した。
【貫通弾】は、その名が示すとおりに鋭利な弾丸によって対象そのものを貫くことを目的とした弾丸である。
ガンナーに最も好まれる弾丸の一つであり、一度の射撃で――威力が低くとも――広範囲を攻撃できる【散弾】とともに広く愛用されている弾丸だ。
補足しておくが、ボウガンに用いられる弾丸には、その弾丸自体の種類のほかに、その弾丸における種類も存在する。
つまりはその弾丸の威力だ。それはハンターだけでなく、売る側やギルド側からも【レベル】と呼ばれ、これはほとんどが三種類で統一されており、特殊弾丸のみが二種類となっている。
徹甲榴弾で例えるならば、レベル1~レベル3までの三段階でその二次爆発の火力が違ってくる。
用いている火薬の量、質が違うからだ。当然、レベルがあがるほど弾丸の値段も比例して上がっていく。
そこでアビスが取り出したのは、貫通弾のレベル2の弾丸。それを四発、手慣れた手つきで素早く装填する。
アビスの持つグラビモスロアが扱える貫通弾は、レベル2と3。だが、アビスはあえてレベル3の弾丸を使おうとはしない。
レベル3の弾丸ともなれば、当然貫通弾の威力は数倍に跳ね上がり、例えリオレウスであってもその甲殻を穿ち貫き、反対側まで突き抜けてしまうほどの威力を誇る。
だが、その代償として、射撃時の反動が半端ないのだ。たとえ腰を落として地面にしっかりと足をついた万全の態勢で打ったとしても、反動で三歩は後ろに後退してしまう上に態勢も大きく崩れてしまい、次の行動に移るまでに大幅な隙ができてしまう。あくまで、これは飛竜と直接対峙せずに、遠距離からの狙撃を行うときのみに使えるようなもので、今の状況で使えるような代物ではない。
だから、アビスはそれよりも一段レベルの低い弾丸を選んだ。今の戦いで致命的な隙をさらすことはすなわち、即死を意味する。
アビスは態勢を立て直そうと立ち上がる黒狼鳥に向かって、たったいま装填したばかりの貫通弾を、ろくに狙いを定めないままに発射した。
三発はその強固な甲殻に阻まれあらぬ方向へとはじかれてしまったが、一発だけはその甲殻の合間の柔らかい部位に着弾し、その肉を抉った。
苦悶のうめき声のような鳴き声をもらしながら、黒狼鳥はアビスへと振り返る。その隻眼に、表現することが厭われてしまいそうなほどの憤怒が、垣間見えた。
本能的な危険を感じて、アビスは即座に転身、急いで黒狼鳥の射線から脱出する。
そして背後を掠めて駆け抜ける、灼熱の業球。黒狼鳥のブレス攻撃だ。
獲物をしとめそこなった紅蓮の破壊は、そのまま大地を焼き尽くし、抉り、暴虐の限りを尽くして破壊を刻んでいく。
灼熱の業火が通り過ぎた後には、もはや草木一つとして残ることなく、ただ穿ち抜かれた痛々しい大地の焼け跡だけが残った。
「ちっ……!」
舌打ちを交えてボウガンを構える。今度ポーチから取り出した弾丸は、徹甲榴弾。
出し惜しみができるような相手ではない。全力で、機会を逃さずにこの場で仕留める。
殺意に近い盲執で、アビスは文字通り全身全霊をかけて狩りに、いや、黒狼鳥の殺害に挑んでいた。
小さな爆発に身をよじらせながら、黒狼鳥はその尻尾を無茶苦茶に振り回す。
大地をえぐり、大木をなぎ倒して、しかもその三叉の刺から毒を撒き散らしながら暴れまわるその姿は、まるで角を折られて怒りに狂っている双角竜(ディアブロス)のようだった。
体のすぐ傍をものすごい暴風とともに尻尾の旋風が掠り、アビスは危うくその餌食になるところだった。
戦いは熾烈を極めた。
体当たり、テールアタック、ブレス、咆哮(バインド・ボイス)、さまざまな攻撃をかいくぐりながら、アビスはその度に的確に隙をついてダメージを与えていった。
このままいけば、そう遠くないうちに黒狼鳥は撤退しただろう。
飛竜種の回復速度は確かに人智の及ぶところがないほど化物じみたものがあるが、しかしそれでもこのような状況では満足な回復を望むことはできない。
ヒトだって、それなりの怪我を負えば、安全な場所に避難してから治療に専念するだろう。それは飛竜とて同じだ。
このままいけば、怪我を治すために黒狼鳥は間違いなくここから撤退するだろう。それに備えて、アビスはすでにペイントボールを投げつけてある。
訓練によってかぎ分けられる香りを付着させるこのペイントボールは、二十分程度ならこの【森と丘】のエリアであればどこにいるか探ることができる。
そして、アビスは内心、早く黒狼鳥に撤退してほしかった。
撤退し、体力回復を図るために湖によるなり眠るなりしてくれれば、その隙を狙って一撃で仕留めて見せる。
そう思っているだけに、この流れはアビスにとってとてもいい流れだった。
一度攻撃を受けたら致命傷ではあるが、集中して弾丸を撃ち込める分、普段よりもダメージ効率は大きい。
全身を血まみれにしながら、怒りに燃えて暴れまわる黒狼鳥を冷ややかに見ながら、流れる動作でまた弾丸を装填する。
だが、往々にして『作戦』というものはうまくいかないものである。
予定では、このまま黒狼鳥を撤退させ、怪我を治すために油断したところを遠距離からの狙撃で仕留めるつもり――だった。
ふと、黒狼鳥が動きを止めた。
隻眼を動かして、きょろきょろとあたりを見回したかと思うと、いきなり後ろを振り向いたのだ。
その動作を疑問に思いながらも、アビスはこの好機を逃すまいと迷わずに照準を黒狼鳥の頭部に合わせる。
そこで、気づいた。
黒狼鳥を挟んだその先。
この丘から森の中へとつながる天然の洞窟の出口。そこに、信じられないモノがいた。
全身を血と泥で汚し、目の前の狂風に呆然と佇む姿。
見覚えのあり過ぎる少女。
それは先に別行動をとったこのクエストの間の仲間で、たったひとりで青走竜の集団を相手にしていたであろう少女。
「……り、リズっ!?」
アビスはトリガーにかかった指を思わず止めて、その少女の名を叫んでいた。
☆
――時間は遡って
決死の一撃があるというのなら、正にそれこそが相応しいに違いない。
今まさに決着がつこうとしていた少女と青走竜の戦いは、意外にもあっさりと決着がついた。
襲いくる青走竜の【頭】の一撃は、瞬時に掲げられたリズの盾に阻まれ、同時にはじかれるようにして跳ね返される。
次の瞬きの間に、死に体そのものだった少女の体が欠き消えた。かと思った刹那、青走竜の側頭部に衝撃が走る。
それは、容赦も加減もなく無慈悲に青走竜の意識を刈り取り、【頭】はいったい己の身に何が起きたのかもわからないまま気絶させられた。
もし、今の攻防をアビスが見ていれば、先日の自分の身を思い浮かべただろう。
盾で弾かれたことで視界の一部を塞がれた青走竜は、この時リズが起こした次の行動に気付けなかった。
限界まで捻られた体、鞭のようにしなる少女の、横ざまに振りぬかれるハンマーのような蹴脚。
先日、リズがアビスに対して見舞った、渾身の回し蹴り(ローリングソバット)だ。
それを側頭部から直に受けた【頭】は、思考の暇すら与えられることなくその意識の糸をぶっつりと切断され、そしてそれからもう、二度と目覚めることはなかった。
リズは、意識を朦朧とさせながらも本能に従うようにして、倒れ伏した【頭】のもとへと足を引きずりながら歩いた。
まだ。まだ止めを刺していない。
腰から武器のナイフとは違う、剥ぎ取り用のナイフを取り出して、なんの戸惑いもなく【頭】の頭蓋にソレを突き立てた。
一度目は弾かれ、二度目は少しだけ食い込む。
三度目にしてようやく鈍いガギン、という頭蓋を砕く音と共に、ふきだした鮮血がリズの腕を濡らす。
びくびくと跳ねる【頭】を気にすることなく、リズはそのまま【頭】の鶏冠をはぎ取って、ようやく動きを止めた。
「……」
満身創痍。
それ以外にどう表現しろと言うのか。
血が足りない体はふらふらと頼りなく、疲れた思考は今すぐにも意識を手放してしまいそうだ。
両手で剥ぎ取り用のナイフを握りしめたまま、リズは大きく息を吐く。地面に転がる【頭】の鶏冠が、この依頼の達成を雄弁に物語っている。
街に来て初めての依頼。その達成。
そこまで思考が及んで、違和感に気付いた。
朦朧とする意識のさなかで、自分がもっと大切なことを忘れてやいないかという焦燥感のようなものに駆られる。
でも、後回しだ。今はとにかく、やすまないと……。
ナイフを手放すと、サクッという軽い音と共に大地に突き刺さった。
それを無視して、リズは右手で自分のポーチをごそごそと漁る。
取り出したのは、中身いっぱいに液体が詰め込まれた緑色の瓶。
ハンターの必需品、回復薬だ。
飲むだけで新陳代謝を活性化させて傷を塞ぎ、幹部に直接当てれば、それだけでたいていの傷が回復する。
依頼に出た先のフィールドでも調合できる便利なアイテムである。
ごくごくと一気にそれを飲み干すと、体の各所にある傷が瞬く間に塞がっていくのがわかる。
無理やり肉と肉をつなげるような感覚は不快だが、死ぬよりかはましだ。それに、回復薬は傷を治すだけでなく、乱れた体調などを整える滋養強壮の効果もある。たとえば、足りない血液を補ったり、などだ。
急速に意識がクリアになっていき、ぼんやりとしていた視界も次第にはっきりしてくる。
頭を振ってまだまだぼんやりとした思考を振り払い、ようやくリズは本来の意識レベルにまで回復できた。
「……痛っ」
小さな裂傷などはあらかた回復したが、青走竜に噛まれた箇所だけはどうやら完全に治らなかったらしい。
鈍く痛みを訴える個所を押えて、リズはいらだたしげに舌打ちした。
ポーチからもう一つ瓶を取り出して今度は飲まずに直接患部にかける。
左腕と脇腹にかけると、ひきつるような痛みと患部にしみ込んだ回復薬とで悶絶したくなるような痛みが全身をむしばんだ。
息を荒く吐きながら、リズはじっとその痛みに耐える。
傷が塞がるまでそうして耐え忍ぶと、今度こそ大きく息を吐いて立ち上がった。
体を軽く動かしてみて、おおかた回復したことを確認する。体力はだいぶ落ちてしまっているが、まだまだいける。
地面に刺さったままの剥ぎ取り用のナイフを手に取り、【頭】の死体が消えないうちにさっさと素材を剥ぎ取った。
「……無事なのは爪と鱗か」
他の部分、特に頭なんかは――自分でやっといてアレだが――ぐちゃぐちゃに破壊されて、もはや原型をとどめてすらいない。
とどめを刺して、そのまま朦朧としたまま鶏冠をはぎ取ったからだろう。
ポーチの中に爪と鱗、そして鶏冠を革袋に入れて詰めてしまう。
とにかく、これで自分に任された仕事は終わった。
「……っ、そうだ、アビスさん!」
まだ、アビスが終わっているとは思えない。
いくら耳鳥竜に似た飛竜といっても、飛竜は飛竜だ。
アビスがいくら優秀といえど、まだ決着がついているはずがない。
むしろ、それどころか逆に……。
「っ!」
ぶんぶんと頭を振って、それから先の憶測を頭からたたき出す。
「行かなきゃ!」
心にそう決めて、リズは【頭】の死体からナイフを引き抜き、すぐに血糊を落として砥石で切れ味を整える。
そして、もう迷いなく走り出した。
かすかに漂うペイントの実の香り。
間違いなく、アビスがあの耳鳥竜もどきにペイントボールを投げたに違いない。
距離はここからすぐ隣のエリアだ。
もしかしたら、ただの足手まといになってしまうかもしれない。
だが、それでもじっとしているのは我慢できなかった。
自分はもう戦えるんだ。昔のように、ただ兄を待つだけのひ弱な妹ではない。
やれる。やるしかない。
半ば脅迫観念のような強い意志に引きずられるように、リズは森の中を駆け抜けた。
☆
「……り、リズっ!?」
自分の名が呼ばれたことに気付くのに、たっぷり五秒はかかった。
その間、リズはまるで体が石にでもなったかのように硬直していた。
黒狼鳥の、怒りに染まった隻眼がじっとリズを見つめる。
その中に、言い知れないほどの恐怖を覚えた。
全身が粟立ち、嫌な汗がとめどなく背中を流れ落ちる。
とたんに息をすることすら苦しくなり、心臓を直に握り締められたかのように呼吸が止まった。
リズの思考を、ただ一つの感情だけが支配する。
――怖い…怖い……怖いっ!!
耳鳥竜の時とは比較にならないほどの恐怖感。
存在そのもに飲み込まれそうな、恐ろしい不安がリズを包み込む。
だがそれは、ハンターならばだれでも感じる感情だ。
熟練していようと、そうでなかろうと、飛竜と出会ってしまった時、ヒトは自らの意志にかかわらずその存在に恐怖する。
太古よりその血に刻まれた本能に近い恐怖。存在自体に刷り込まれた防衛本能。
だが、ハンターたるものならば、これに負けてはいけない。
負けることはすなわち、その者のハンターとしての資格を投げ捨てることと同義だからである。
「っぐ」
気がつくと、リズはきつく歯を食いしばっていた。
負けぬよう、怯えと恐怖に負けぬよう、無理やりに体を動かすために。
それゆえの、呻き声。
体に自由が戻った瞬間、リズは腰のハンターナイフを素早く引き抜くと、黒狼鳥に対峙するように盾を掲げて剣を構えた。
相手はいくら耳鳥竜に似ているとは言え、やはり未知の飛竜。ここはしばらく様子をうかがいながら、アビスの援護に回ったほうがいい。
素早くそう判断して、リズは構えたままアビスに向かって走り出した。
「馬鹿っ! こっちにくるな! 逃げろっ!!」
だが、アビスはそのリズの行動に狼狽した。
黒狼鳥と闘いながら、リズをフォローできるような余裕は、今の自分にはない。
かと言って、援護なしに渡り合うには、新米のリズには荷が重すぎる相手だ。
それを踏まえての、逃げろという発言である。
半ば怒号に近い命令だったが、リズは結局従わなかった。逆に、アビスに向かって声をかけてくる。
「アビスさん、よけて!!」
「なに……っ!?」
視線を黒狼鳥に向けて、アビスは思わず絶句した。
先ほどまでリズに意識を向けていたはずの黒狼鳥が、迷うことなくその巨躯をアビスに向かって走らせていた。
その隻眼のギラギラと輝く眼光が、残像を率いてアビスへと猛る様をみせつけるようにして迫る。
アビスはそのまま構えていたボウガンの引き金を、舌打ちとともに引いた。
だが、弾丸は黒狼鳥の鬛を打ち抜いただけに終わり、その勢いを減退させることはできない。
直後、アビスは狂風の突進をまともにその身に受けて、軽く三メートルほど突き飛ばされた。
瞬間、驚いたリズの顔をすぐ間近で見た気がしたが、「(驚いた顔も案外かわいいなぁ)」などという場違いな感想を思い浮かべる。
大地にその身を投げ出され、まるでゴムまりのように二度三度とバウンドしてゴロゴロと転がると、ようやくうつ伏せになったところで勢いが止まった。
「(……っくそ! 肋をやられたかっ)」
感覚的には右が二本、左が一本。耐えられないことはないが、しかし動きに支障が出るくらいのダメージである。
激痛を我慢して体を起こそうと、右腕に力を入れる。それだけで、胸全体にえも言われない激痛が走る。
このまま寝っ転がっていたいという欲求がわいてくるが、状況は決してそのような甘えた願望を許してくれたりはしない。
悲鳴を上げる体に鞭打ちながら、アビスは右手をついて懸命に体を起こす。
だが、顔を上げた先の光景を見てその動きが止まった。
青白い嘴から、気味悪くオレンジ色の小さな舌をいくつもはみ出させながら、黒狼鳥が大きく首を後方にそらしていた。
ハンターならば、誰もが予備知識、または常識として知っている動作。
飛竜のブレス攻撃の前兆。
たとえ今から最速で体を起しても、回避は絶対に間に合わないだろう。
瞬時に、アビスは直撃を確保して身を固めた。
瞼を閉じて来るべき衝撃に備える。
この重鎧竜の装備ならば、一発程度の火球なら、重症になろうとも耐えられるだろう。
想像してからそれは、文字通りあっという暇もなく訪れた。
噴き上がる熱風、大地を砕き、抉る大爆発と衝撃。
だが、それだけだった。
覚悟していた熱風からはほど遠く、覚悟していた衝撃など無きに等しい。
瞑っていた目をあけると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
周囲が、文字通りの焦土と化しているのは何も意外なことではない。アビスの目を奪ったのは、そんなわかりきった結果ではないのだ。
その姿ははたして何に例えるべきなのか。
赤銅のポニーテールが残風に揺らぐその姿、突き出した両手で構えているのはかつて盾だったもの。
灼熱によりそのほとんどが焼け溶け、消し飛ばされてしまっている。
それは、身に纏っていた防具とて同じく、金属という金属はすべて溶け消し飛び、外気にさらされている肌には至る所に見るのも痛々しくなるような無数の火傷が生じていた。
その少女――リズの立ち姿に、アビスは絶句した。
何よりもその気概に、その心意気に、その勇気に。
ともすれば自殺志願にしか見えないその行為を、この少女はいとも簡単にやってのけた。
なんと声をかければいいのか。それとも、少女が振り返って声をかけてくるのを待つべきか。
しかし、どちらにしろアビスは声をかけざるを得なかった。
リズが突き出していた両手をだらりと力なく下げて、そのまま前のめりに倒れ伏したからだ。
腕を下げた際に、持っていた盾の残骸が手から離れて、大地に落ちて乾いた音をたてた。
「リズっ!!」
アビスは即座に体を起して、倒れたリズのもとへと駆け寄った。
脳を圧迫するような激痛を訴えてくる肋骨を無視して、背後のポーチから手探りで一つのボールのようなものを取り出して、ほとんど予備動作なしで、こちらに威嚇を続けている黒狼鳥へと投げつけた。
飛距離はないが、しかし投げ出されたボールのようなものは、空中で即座にその殻を弾き飛ばすと、一瞬にして眼球を突き刺すような裂光となって炸裂した。
閃光玉である。
投げつける際に、仕込んでおいた一点に衝撃を与えることで破裂する特殊な玉で、中には光蟲という自身が発光する特別な虫をしこんである。とにかく、強烈な閃光が一気にその場で爆発を起こして発生するのだから、直視をすればどうなるかなど明白だ。それは、先の青走竜戦においても見事に証明されている。
予想外の閃光を直視した黒狼鳥は、その視覚機能をしばらく麻痺されてしまっているだろう。
アビスは直前に顔をそむけて目をつむっていたので、問題はない。黒狼鳥が錯乱している今のうちに、アビスはグラビモスロアを背部のラックに吊り下げ、すぐに倒れたリズを抱えあげて黒狼鳥から遠く離れた岩陰へと身を隠した。
そっと黒狼鳥の様子を蔭から伺ってみると、錯乱してるためか、滅茶苦茶に尻尾を振りまわしては周囲の大地を抉り暴れまわっている。まだ少しは時間が稼げそうだった。
安全性を確認できたところで、アビスは再び岩陰に身を隠す。
「……無茶しやがって」
大地に下ろしたリズを身を下ろしながら、アビスは黒兜の中から呆れて呟いた。
全身火傷だらけな上に、防具はほとんどが消し飛び、もはやリズを守っているのはかろうじて残っている布と申し訳程度に残った鉄の残骸のみとなっている。
満身創痍としか言えないその状態に、アビスは苦笑から厳しい顔を浮かべた。
ハンターがハンターを庇うというのは、そもそも信じられないくらいに馬鹿げた行為である。
長年連れ添った、ツーカーで通じるようなコンビやパーティーでさえも、こんなことをするのはいないだろう。
ハンターとはそもそも、命あっての物種である。
死んでしまっては、それまでなのだ。信頼できる仲間のために命を張る、なんてことはまずあり得ない。
ごく稀に、そんな堅い信頼と絆でつながっているハンター達もいるが、それだってほんのごく一部だ。百人のハンターを集めて一人でもいればいいほうである。
それだというのに、この赤銅の少女は大して信頼関係のない、それも昨日知り合ったばかりのハンターであるアビスをなんの躊躇も無しに庇い、こんな重傷を負った。
「……死にたがりでもねぇくせによ」
そうぼやいて、アビスはポーチから三つの瓶を取り出した。
三つとも同じもので、巷では回復薬グレートと呼ばれているものである。
回復薬に比べて効能が格段に高く、上級クエストになれば回復薬などよりも必需品と呼ばれているアイテムだ。
取り出した瓶の蓋をすべて開けると、二本を惜しげもなくリズの体全体にかけ、一本を無理やりにでもリズの口に含ませた。じゅぅうっという、液体が蒸発するときのような音をたてて、リズの火傷や傷痕がみるみるうちに塞がっていく。そのせいか、リズが顔をしかめた。たぶん、傷が強制的に塞がっていく時の痛みだろう。
軽症ならそんなことはないが、重症ともなると回復に多少の痛みが伴うのが欠点である。
とにかく、無理やりに半分ほど飲ませたところで、残りをアビスは飲み干した。
回復薬グレートをかけられたリズの焼けただれていた肌が、見る間に健康な肌色を取り戻し、火傷の跡もそのほとんどがおさまり始めている。
ただ、やはり相当酷い火傷の個所もあったために、すべてが治りきるというわけではなかったが、致命傷は避けられた。
そのことを確認したアビスは、安堵のため息を漏らしてポーチから携帯食料を取り出してかじる。
ついでに残りの弾の種類と残弾も調べてみる。
LV2 通常弾が四八発、LV2 貫通弾が二三発でLV3が一八発、LV3 徹甲榴弾が三発、LV2拡散弾が二発、そしてLV2 毒弾が二発だ。
これだけあれば、うまく立ち回ることができるならすぐにでも決着がつくだろう。
グラビモスロアを展開し、LV2 貫通弾を装填する。
「……助かったぜ、リズ」
確かに弾丸を装填できたのを確認すると、再び背部のラックに吊り下げて、気絶したままのリズにふっと笑いかけて感謝を告げる。
そして、アビスは再び、死地へとその身を躍らせた。