ドクターはロドスのみんなのこと密かに家族だと思っててほしい……ドクターを家族って明言してるオペレーターも何人かいるけどねムースとかムースとかムースとか
ドクターはこの日、書類仕事の真っ最中にも関わらず、“目は口程に物を言う”という言葉の意味を痛感させられていた。
目蓋の開き具合、眉の動き、瞳の輝き。眼つきを見つつ話せば、相手の心の動きがわかる。それと交わした言葉を組み合わせれば、人柄はもう半分以上理解したと言えるだろう。
ただ、時には視線ひとつが言葉もいらない程の主張をすることもある。
例えばそう、たった今、執務室に置かれたソファベッドで丸くなったムースが、実演しているように。
「うー……」
ムースは毛布にくるまった姿で喉を鳴らした。
隙間から覗く双眸は、山のように積まれた書類を処理するドクターをじーっと見つめている。“構ってほしい”と強く切なく訴えてくる気配に、座りが悪くなるのを感じながら、ドクターは内心で平謝りを繰り返した。
彼女がやってきてから、かれこれ二時間は経った。今は手が離せないからと宥められてから、ムースは同じ体勢でドクターを見続けている。
悪いとは思うのだ。年少のオペレーターの面倒や、精神的なケアを行うのもドクターの仕事だし、最近は事務処理に終われて交流がおろそかになっていることも自覚している。そして本来、それはおろそかにしてはいけないものだ。
そろそろ放っておくのも限界だろう。ドクターは手元の書類にサインを入れると、ペンを置いた。
「一度、休憩にしよう。ムース、何か飲む?」
話題を振ると、ムースの顔は即座に明るくなった。毛布から頭をぴょんと飛び出させ、二本ある尻尾をピンと立てて、目をきらきらさせる。
一方で、いきり立つ者もいた。近くの席で資料整理を手伝っていたヴィグナだ。
「ちょっとドクター! まだ仕事中でしょ!?」
「ヴィグナも、何か淹れるよ。珈琲か、紅茶か。ココアもある」
「しれっとスルーしようとしないで! 誤魔化されないんだから!」
ヴィグナはこれ見よがしに溜め息を吐くと、ドクターのそばに駆け寄ったムースを半眼で睨む。
当のムースはといえば、ドクターに撫でられてご満悦だった。
「すまない、ムース。少し忙しくてね。あまり構ってあげられなかった」
「うぅ、ムース、寂しかったです……執務室に来てもいないし、会いにも来てくれないし……」
頭を撫でられながら、ムースはドクターの体にぴったりとくっついた。嬉しそうながらも切なげな表情は、募った淋しさの現れだろうか。
ドクターが席を立ち、電気ポットを取りに行く間もくっついて離れない姿は、よく懐いたペットのようでさえある。
四つの紙コップを並べて均等に湯を注ぐドクターを見つめながら、ヴィグナは半ばぼやくように言う。
「はぁ……。あのねえ、ドクター。前々から言おうと思ってたんだけど、ちょっと甘やかしすぎじゃない?」
「そうかな。サリアにも同じこと言われたけど」
「自覚無いのが一番タチ悪いわよ。執務室にいつでも誰でも立ち入りOKとかもそうだし……」
「それぐらい、大したことじゃないさ」
その時、ドクターとヴィグナが手を止めている間も鳴り続けていたタイピング音がピタリと止まった。
音の主であるイグゼキュターは、どこか機械めいた鉄面皮のまま白紙を取り出し、恐ろしい速度で何かをスケッチしたあと話に入ってきた。
「お言葉ですが、ドクターの業務はロドス全体にとっても非常に重要度が高いものです。作業を中断させる要因は極力排除するべきと考え、やはり執務室の扉の前に地雷を仕掛けるべきかと。即興での設計ですが、こちらのような……」
「よしてくれ、イグゼキュター。爆発事故はソーンズだけで充分だ」
「しかし……」
「いいんだ」
ドクターは少し不安そうなムースを、安心させるように撫でてやる。
ロドスには、親元を離れざるを得なくなった子供が多く在籍している。
鉱石病の治療のために預けられたのならまだいい。しかし、中にはミヅキのように天涯孤独の身であったり、グレイのように鉱石病感染と両親との死別を両方とも経験している者もいる。
ムースは幸いというべきか、両親も数多くいる兄弟たちも健在だ。
しかし、彼らは今、ここにはいない。故に、他の子供たちと同じように、親代わりとなって守り、導き、支えてくれる誰かが必要で、オペレーターとなった以上は、ドクターがその役目を負わねばならない。
事務仕事と同じように、決して蔑ろには出来ない、重要なことである。
ドクターは顔を上げ、ふたつの紙コップをヴィグナとイグゼキュターに手渡した。
「ふたりとも、それを飲んだら、昼食を摂ってくるといい。書類はまだたくさんある。休憩を挟まないと、体が保たない」
「それはいいけど、ドクターは?」
「あ、じゃあムースがドクターにケーキを作ってきます! すぐに戻りますので!」
「ありがとう。それなら、一緒に食べようか。コップは、机の上に置いていい」
「はいっ!」
ドクターの礼を聞き、ムースは素早く紙コップをドクターの机の上に置くと、ぱたぱたと部屋を出て行った。
ヴィグナは遠ざかっていく足音を聞きながら、紙コップを傾ける。イグゼキュターはと言えば、いつの間にか手渡された珈琲を飲み干していて、書類仕事に取りかかっていた。さっきまでカラッポだった足元のくず入れには、申し訳程度に携帯食の袋がひとつ投げ込まれている。
何事もなかったかのように書類仕事に戻るドクターとイグゼキュターを余所に、ヴィグナは再三溜め息を吐いて立ち上がった。
口の中に広がる凄まじい苦味は、きっと珈琲だけのせいではないのだろうと思いながら。
そして昼休み。ロドスでは昼食と夕食の時間が決まっており、その時間の間は厨房担当が作ってくれる。
一応、時間を逃しても、キッチンは自由に解放されているため、備品の破損や食材を遣い過ぎたりしなければ、個人で何を作っても問題はない。
ただやはり、自分で料理をするのは時間がかかり、何より今はドクターが抱えた大量の書類を処理せねばならない。よってヴィグナはドクターの言葉に渋々ながら甘えることにして、手早く昼食を摂るべく食堂を訪れていた。
今日のメニューは、ジェイお手製の魚団子スープだ。だったのだが。
―――珈琲の苦味が邪魔して味わえない……!
強い苦味に酸味が入った珈琲の味は強烈で、後味もかなり尾を引く。食事の前に水を飲んだが、それこそ焼石に水というものだった。
―――ドクターもイグゼキュターさんも、どうしてあんな苦いの平気な顔して飲めるのかな……。
―――っていうか、食事の前にあんな苦いの飲ませなくてもいいじゃない! あたしへの当てつけ!?
―――……ドクターに限って、それは無いか。
「はぁ……」
どんよりとした溜め息が、湯気と一緒に口からあふれた。
一体これで、今日何度目になるだろう。どんよりとしながらスープに匙を突っ込むと、後ろから声をかけられる。
「どうかしましたか、ヴィグナ」
「ん? あ、マウンテンさん……と、サリアさん?」
振り返ると、見上げるほど大柄なフェリーンの男性と、それよりも背は低いが数倍強い威圧感を持つヴイーヴルの女性が、魚団子スープを満たした器を手に立っていた。
マウンテンは紳士的に一礼してヴィグナに許可を取ると、サリアと一緒に同じテーブルに着く。
無言で食事を始めるサリアを余所に、ヴィグナの器を一目見たマウンテンが問いかけてきた。
「あまり進んでいないようですね」
「……食欲無いとか、そういうんじゃないんですけどね。ただその、ドクターに淹れてくれた珈琲の味が……」
ヴィグナはそう言って、所在なくスープをかき混ぜる。
機械的に素早く、しかし気品すら感じさせる動きで食事をしていたサリアが手を止めて言った。
「食前に奴の珈琲を飲んだのか。あれはエンフォーサーの仕込みだ。目は覚めるが、食欲は失せる。朝食後、仕事を始める直前に飲む分にはいいが、それ以外で飲むのは勧めん」
「サリアさんも飲んだことあるんですね……」
「おかげで、ハイビスカスの健康食でも問題なかったがな」
真顔で、大真面目にそんなことを言う。ヴィグナはクスッと笑い、ふと思い出す。
そういえば、ちょうどついさっき、ドクターとの会話でサリアの名前を出したのだった。
―――ドクター、この人にも“オペレーターに甘すぎる”って言われたのよね……。
思い切って聞いてみようか、いやサリアに言われても治らなかったのだから、彼女にもお手上げなのかもしれない。
思考を回しながら見つめていると、サリアの方から口を開いた。
「それで? 溜め息の大元は、珈琲ではあるまい。……それとも、ライン生命絡みで、何かあったか」
後半の口調は、ズン、と低いトーンに変わり、鮮やかな橙色の瞳に静かな激情が灯った。
ヴィグナは勘違いさせてしまったことを察すると、慌てて首を振った。
「い、いえ、そういうわけではないんです! ただその、さっき、ドクターがサリアさんの名前を出していたので……」
「どういうことだ?」
毒気を抜かれたか、サリアの激情があっさりと収まる。ヴィグナは少しほっとしながら、ええいままよ、と全てを白状することにした。
焦って口を突いて出たこととはいえ、ここで引っ込めるのは逆に失礼だろう。そう考えて、先の執務室でのやり取りを話すと、サリアの眉間に深いしわが出来た。
「……奴め……」
低く呻き、目頭を押さえるサリア。マウンテンの方は、話を聞いてほんのりと苦笑を浮かべている。
ヴィグナは少し安堵した。
ロドスのオペレーターの多くは、ドクターを信頼している。それは間違いなく、サリアが口にした“甘さ”のためだろう。
だから正直、自分の意見が受け入れられるかわからなかった。ドクターに、ではなく、オペレーターたちに。
サリアは大きな溜め息を吐き出すと、先の数倍の速さで魚団子スープを食べ終えた。
「ヴィグナ。食事を終えたら、私も仕事を手伝おう。いいか」
「いいんですか、サリア。今日は休暇だったのでは?」
「休暇をどう使おうが、私の自由だ。それに、ドクターに言いたいことも出来た。奴はあまりに自分の部下を甘やかし過ぎているからな……アンソニー、何を笑っている?」
サリアが口を挟んできたマウンテンをじろりと睨む。
マウンテン―――アンソニー・サイモンは穏やかな、どこか好々爺じみた雰囲気の微笑みを浮かべていた。
彼が思い返すのは、執務室の留守を守っていた時のことや、ドクターと共にロドスで過ごしていた時のこと。
報告書の提出や何かの申請、あるいは、ドクターに会うこと自体を目的として顔を出し、留守と聞くやそろって落胆した表情を見せるオペレーターたち。
廊下でドクターの姿を見かけるや、駆け寄って来て袖や腕を引き、撫でられて嬉しそうにする子供たち。
バーに集まっていた顔ぶれと酒を酌み交わし、ロドスの様子を見て回る際のドクターの表情。
オペレーターとドクター、双方の横顔を見たマウンテンは、再度自分の見立てが間違っていたことを知った。
「いえ、ドクターとあなた方ふたりの間で、見解の相違が生まれていると思っただけですよ」
「見解の……」
「相違だと?」
「ええ。私も似た勘違いを、二度していましたが」
マウンテンはラウンジを見渡した。
昼時を迎えた食堂は、オペレーターや患者たちでごった返している。皆それぞれに暖かな表情をして、他愛もない話をして、食事を共にする。またケオベかイーサンがつまみ食いでもしたのだろう、厨房は少し騒がしい。
移動監獄マンスフィールドを出て、サリアの紹介でここを訪れた時、アンソニーはこう思った。ロドスは感染者たちを乗せた自由な監獄で、ドクターはそこに囚われつつも君臨する王なのだと。それが一度目。
しばらく生活するうちに、ドクターは王でなく、囚人でなく、ロドスに籍を置く全員の友人だと考えた。それが二度目。
最後の気づきは、若いオペレーターたちの言葉と、穏やかなドクターの横顔によってもたらされた。
「ドクターにとって、我々は皆、家族なのでしょう。兄弟、あるいは……我が子のように想っている。ですから、つい甘くなってしまうのも、当然と言えば当然なのかもしれません」
「ふっ。お前もずいぶんと
「まったくもって、返す言葉もありませんね」
珍しくニヒルな笑みを浮かべるサリアに、マウンテンは頷いた。
そのやりとりを聞いていたヴィグナはじっと考え込むと、器を持ってスープを一息に飲み干した。
「……やっぱりあたし、ドクターにガツンと言ってきます!」
「そうか。では私も……」
「いいえ、サリアさんのお手は煩わせません! ここはあたしひとりで行きます!」
「ほう?」
サリアの目が少し開く。ヴィグナは器を乗せたトレイを持ち上げる。
珈琲の苦味は、きれいさっぱり洗い流されていた。
「やっぱりドクターは甘すぎると思いますし……家族なら、なおのこと甘やかしすぎるのは良くないですから! ちゃんとムースとも話してきます!」
それだけ言い残して、ヴィグナは足早に去っていく。
テーブルに取り残されたサリアとマウンテンは、ヴィグナを見送る。
サリアはコップの水で唇を濡らし、呆れたように呟いた。
「奴も大概、お節介なことだ」
「お互い様ですよ、サリア」
賑やかすぎる一日は、そうして今日も過ぎ去っていく。