間桐雁夜はどこまでも魔術師である 作:百目鬼猫
閑静な住宅街に存在する、有り触れた一軒の住宅。
ここには三人の家族が住んでおり、仲睦まじい夫婦に、可愛い盛りの少女が幸せな生活を営んでいる。少なくとも、昨日までは近所からそう周知されていた。
「酷いことをするなぁ」
床に散らばった、つい先日まで家族だった亡骸とぶちまけられた臓物を一瞥して、魔術師、間桐雁夜はそう呟いた。言葉とは裏腹に、悲痛な表情は一切浮かべていない。
彼はできる限り靴とズボンを汚さないような足運びで、リビングルームを物色した。
「身分証は……あったあった。 うわ、結構いいとこに勤めてたんだな、ここのお父さん。 こっちの子は……まだ小学生だったのか、可哀想に」
この惨状の被害者でも、加害者でもない異質の魔術師はしばらく物色したあと、床の血肉と臓物の絨毯に向き直り、手を合わせた。
「葬式とかは挙げてあげられないから、これがせめての弔いだ。 ほんと、ごめんね……」
しばらくの黙祷の後、雁夜は目を開いた。
すると彼の衣服の下から様々な蟲が這い出て、床へと集まっていた。
「まったく、しばらく居ないうちに冬木も物騒になったな。殺人鬼がいるだなんて、世はまさに世紀末って感じだ。
はやく捕まって欲しいよ、本当に」
殺人鬼の凶行の証拠を、自身の使い魔たちの餌にしながら、彼はそんなことを平然と宣った。 だが、彼の発言の矛盾点を突っ込める人間はこの場のどこにもいない。あるのは臓物と、醜い虫と、冷酷な魔術師のみである。
三体の亡骸に蟲たちが潜り込む。 途端、バタバタと亡骸たちが激しく痙攣を始める。まるで、生きているかのように、呻き声のようなものがそれらから鳴り始める。
三分ほど、手足が床を叩く音と不気味な呻き声がリビングルームを包み、そしてピタッと静寂に包まれた。
最初に立ち上がったのは、父親だった。
父親の顔面半分は惨たらしく欠損していたが、みるみるうちに修復されていく。いや、正確に言えば蟲たちによって継ぎ足されていった。
その工程は3回繰り返され、形だけだがかつての家族の姿がこの世に取り戻された。
それから数分も経たずに、先程まで非日常に包まれていた一軒家に、日常が戻ってきた。正確には、醜悪なる蟲たちに日常の皮を被せただけだが。
「きょょきょきょ今日ははは…ハンバーグよォ」
「わわわわわいいいいー!」
「あはははははは」
彼らの歪な鳴き声がリビングルームにこだました。食卓を囲む彼らはまるで下手くそな人形繰りのような動きで、何も載っていない皿にフォークを突き立てている。
「……ちょっとホラーチックになっちゃったな。 まぁ、一晩放置すれば蟲たちも慣れるだろ」
雁夜は自身で構築した歪な光景に呆れたようにため息をつき、工房や蟲蔵を作るためにリビングルームを後にした。
*
工房と蟲蔵を構えた頃には朝日が顔を出していた。
雁夜はリビングルームでコーヒーを一服をする。その周囲では、まるで雁夜という存在を認識していないかのような振る舞いで、家族が朝の身支度をしていた。
「お母さん! 体操服は!?」
「そこに干してるわよー」
「母さん、今日は残業で遅くなるから俺の分の晩御飯は用意しなくて大丈夫だよ」
「はいはい」
皿洗いをしながら母は父子の朝支度を見守る。雁夜も、コーヒーを口につけながら目の前で繰り広げられる幸せな家族の再演を眺める。
「「じゃあいってきまーす!」」
「はいはい、いってらっしゃい」
なんてことの無い日常。
得体の知れない悪意に晒されなければきっと今日も続いていたはずの幸福な日々は、彼らに擬態した蟲たちによって再現されていた。
「うんうん、いい感じだな」
昨日までの歪なものとは打って変わって完璧な擬態に調整出来たことに、雁夜は満足そうに頷いた。これならばこれまで通りに社会に溶け込むのもなんら問題なく行われることだろう。
「さて、と。 聖杯戦争まであと一年か。 ぼちぼち実家にも顔を出しておこうかね」
実家、つまり冬木でもっとも醜悪である魔窟、間桐屋敷へと雁夜は帰省しようと考えていた。
と言っても、赴くのは雁夜本人ではなく、雁夜を模した自動人形である。雁夜が大きなスーツケースを開くとその中には雁夜そっくりの人形が収められていた。
「いやー、本当にいい仕事してくれるな、橙子さんは」
この雁夜人形は高名な人形師の特注品である。かなり値が張る代物だが、その精巧さは折り紙付きだ。
「それにしても冴えない男だなー、こうして客観的に見ると」
精巧すぎるが故に、自身の欠点もはっきりと見えてしまう。雁夜はやや複雑な心境で、人形の起動を行う。
と言っても難解な儀式や詠唱などは必要のない、ちょっとした作業で事前に設定した通りに動いてくれる。こういった利便性にも気を払うのがあの人形師の美点であり、魔術師として異端とされる所以でもある。
この雁夜人形は「只人」をコンセプトに設計されている。つまり、この人形は魔術師ではなく一般人の生き方を選んだ場合の、間桐雁夜なのだ。
偽りの記憶に、偽りの思想。人形・間桐雁夜の在り方は、偶然にも雁夜の学友らが後に作り上げる死の螺旋における、幾多の死を再現する人形たちのそれに酷似していたが、雁夜はおろか、蒼崎橙子すらまだ知るよしもない。
「────在るがままに生きろ」
雁夜は起動させた自動人形にそう命じる。その文言は言うなればパスワードのようなもので、雁夜人形は無表情のまま、家から出ていく。
きっと彼はこの後、遠坂葵の所へ向かい、その後義憤のままに実家に飛び込むであろうことを魔術師・間桐雁夜は予見していた。いや、それは確信ですらあった。
「葵さんには直接会いたかったけど、流石に今俺が舞台に上がるのは不味いからなぁ。 聖杯戦争が始まるまでは黒子に徹しておかないと」
雁夜は心底からそう嘆いた。
魔術師である自分の人生に巻き込みたくなかったが故に、身を引いたが、今でも彼女に対しての慕情は残っていた。
故に彼女を魔道に引きずり込んだ遠坂時臣に対する殺意は存在していた、がそれは今回は主題ではないので、ぐっと堪えるようにコーヒーを胃に流し込む。
「時臣、奴もこの際始末しておきたいけど、如何せん相性が悪すぎるか……
なにより、臓硯を殺すために手の内は隠しておきたいし、二兎は追うべきではないな。 はぁ…」
自身の非力さにため息が止まらない。
仮にこれが学友たちであったのであれば、二兎どちらも仕留められていたのであろうか。おそらく、彼らはそれを容易にやって退けるだろう。
自分とは違い、熱意だけでなく、才能にも恵まれた彼らに羨望が湧いてくるが、今それは必要のない感情であると、雁夜は邪念を消し去るように頭を振った。
嫌な考えを紛らわすために、自身が嫌った魔窟に戻ってきた愚息に、あの魔人はどういう対応をとるだろうか、ということを想定することにした。
間桐家では、出来る限り魔道を嫌悪しているかのような振る舞いに徹底してきたつもりだ。雁夜が魔術師として生きることを望んでいたことなど、あの魔人は知る由もない。そのはずだ。
これは希望的観測でなく、様々な要因を踏まえた上での結論である。
仮に間桐臓硯がそれに気がついていたのであれば、出奔など許すはずもなく、雁夜はあの場で即座に殺され、ただの操り人形として利用される運命を辿っていたはずである。
だから、臓硯はきっとあの雁夜人形を本人であると思い込む。
「と、いいなぁ」
じゃないと1手目すら打てずに詰むことになるし。 雁夜はやけ気味に笑い、また、嘆息した。
*
午後十九時。
雁夜は現在間桐家にて雁夜人形が愚かな選択をし、臓硯の蟲に身を委ねている光景を視界共有によって眺めていた。
「自分で言うのもあれだけど、本当に道化だな。 ……もっとも、この人でなしに比べたらよっぽど立派なんだろうが」
雁夜はそう自嘲して、自分が弄んでいる家族の死体たちに目をやった。たった一日で、蟲たちは完全に家族団欒を再現するに至っていた。
彼らを殺したのは雁夜ではない。が、今やってる事が倫理的に責められるべきことであることであることには違いはない。
だと言うのに、雁夜の中でそれに対する罪悪感のようなものは一切湧くことはなかった。
「……それにしても、ここまで思惑通りに事が運ぶとは。 臓硯どころか人形の方も下手をすれば予想外の動きを見せる心配があったんだが……」
たとえば人形が臓硯でなく時臣を頼っていた場合、雁夜の計画は完全に破綻していたことであろう。
魔術師としての価値観では、臓硯による遠坂桜の扱いは無駄遣いにすぎる。類稀な先天的な才能を、蟲たちに犯させることで歪ませる。
仮にそれを正統な魔術師を志す遠坂時臣に伝えれば、雁夜との協力を選ぶかはともかく、間桐との衝突は避けられない。
それは少なくとも雁夜人形が考えるような、臓硯の刻印虫によって改造されたボロボロの身体で聖杯戦争を勝ち抜くという計画よりもよっぽど現実的なやり方だろう。
ただ、その場合間違いなく遠坂時臣は間桐臓硯を殺すことはできない。これは断言出来る。
奴は正統な魔術師であるが故にあの魔人の悪辣さと生き汚さを理解していない。どれほど臓硯の愛おしい蟲たちを焼き尽くしたところで、間桐臓硯そのものを滅するには至らないであろう。
そうして最後には、遠坂時臣は惨たらしい死体を蟲蔵に沈めることになるのだ。 協力を持ちかけてきた雁夜と共に、である。
それに、御三家のひとつが自身を殺すために動いていることを察した時点で間桐臓硯は間違いなく身を徹底的に隠す。
そうなれば、誰にも見つけられない。それはここで観測者を気取っている間桐雁夜にとっても非常に困る事態なのだ。
「奴にはあくまで悠々自適な観客として振舞っておいてもらわなきゃいけない。 俺が奴の蟲たちを全て喰らい尽くすその日まで、な」
そう間桐雁夜が呟いた瞬間、今も蟲の群れの中で苦しんでいる雁夜人形の口の中から一匹の蟲が這い出てきた。
それは魔術師・間桐雁夜が臓硯に対して最初に打った布石であり、詰めの一手でもあった。
間桐雁夜はどうかその一手が間桐臓硯に察されないことを願い、目を瞑った。
俺のトウコえもんは最強なんだ!