間桐雁夜はどこまでも魔術師である 作:百目鬼猫
間桐雁夜は魔術師である。
誰かからそうあれと命じられたからではなく、或いはそう設計されたからでもない。
彼は先天的に、どうしようもなく魔術師だったのだ。
だが、彼は間桐家を出奔するまでの間に一度もその性質を周囲に晒すことはしなかった。
特に自身の肉親、とりわけ間桐臓硯の前では魔術師という生き方を憎悪しているような言動すら見せた。それは何故か。
────間桐家の非合理的な在り方を何よりも嫌悪していたからである。
露悪的で醜悪的。それだけなら魔術師の性質として逸脱していないどころかある意味では模範的であるとも言える。
しかしながら非合理的という性質だけは全く話が違ってくる。間桐家は、間桐臓硯という魔人は、根源到達という魔術師の悲願に近づくどころか遠のくような在り方を自身にだけでなく、一族全体に強要していた。
刻印はとうの昔に受け継がれなくなり、外から仕入れた母体はそうそうに蟲の餌にされ、当主はただの器として利用される。
魔術師としての定義からすら外れつつある間桐家を、間桐雁夜は見限ることにした。
故に、彼は出奔するまでの十八年間、魔術師を嫌悪しているかのように振舞った。その裏で、魔術師としての研鑽を積みながら。
間桐臓硯の目を盗んで魔術の研鑽を行うことは困難に近かった。しかし、間桐雁夜はそれをどうにかやり切ることができた。
と言ってもほとんど独学で行われたそれは数多くの悪癖を生み出すことになり、後に時計塔にて師による厳しい矯正の日々を送ることになったのだが。
そんな日々の中で、彼は恋をした。
三つ年上のお淑やかな少女。彼女の名は禅城葵。
冴えない自分と彼女が仲良くなれたことの裏に、父である間桐臓硯の手回しがあったことは察していた。それでも、間桐雁夜という男は、禅城葵という存在に惹かれることを避けられなかった。
結局、彼は自身の野望と魔道に巻き込むことへの忌避感から彼女に思いを告げられずに同じ御三家の嫡男である遠坂時臣によって恋路を強制的に終わらされた。
故に、間桐雁夜は遠坂時臣に憎悪を抱かざるを得ない。
葵だけが理由ではない。まだ前途有望な遠坂家の才能あふれる嫡男という自分にとっては理想的すぎる生まれに対する嫉妬とも言える羨望も、その憎悪の中で多分に含まれていた。
そんなコンプレックスを払拭することが出来ないまま、彼は出奔して、三年ほど世界を放浪した。
時計塔にすぐに訪れなかったのは、間桐臓硯への偽装のためでもあったが、なによりも自分の劣等感に踏ん切りをつけるためでもあった。
しばらくの間、観光地を中心にフリーライター間桐雁夜としての活動を行った。二年ほど経過し、流石に臓硯の監視も完全に消えたと判断した彼は、魔術師として生きるための道を本格的に歩み始めた。
旅をしながら当面の生活費を稼ぐために魔術使い紛いのこともやった。
これは極めて実践的な研鑽になったが、何度か死にかけもした。だが、死に近い環境に身を置いたことで自身の劣等感を魔道に対する探究心に昇華することができるようになった。
それにより踏ん切りを付けられたと判断した彼は、出奔して三年経った頃に、ようやく時計塔の門を潜った。
無論、間桐雁夜としてではなく、身分を偽った上で、である。
藤田カフカ。彼はその名を引っ提げで時計塔へと乗り込んだが、御三家の次男という素性を隠したほぼ一般人の彼を迎え入れる教室は見つからなかった。
当初の予定では植物科か呪詛科で学ぶはずだったのだが、ロンドンに来て半年を経てもどこかの教室に籍を置くどころか聴講生として迎え入れられることもされずにいた。
これは彼の素性が不明瞭であることだけでなく、彼が英語をほとんど話すことが出来ないというところにも起因した。
異言語間でもコミュニケーションを成立させる礼装はあるが、当然の事ながら雁夜が用意出来る代物ではないし、彼以外の人間が英語を話せない者に合わせる義理もない。
必然、間桐雁夜はぼっちになった。
そのような現状に耐えられなかった結果、間桐雁夜は狂った。
「あははは、蝶々が綺麗だぁー。 葵さんにこの写真を送ったらきっと喜ぶぞ〜」
ロンドンの街中で蝶や野鳥を無駄に立派なカメラで撮影しては、ケラケラと笑うアジア人の目撃情報が噂されるようになったのは丁度その時期からだ。その不気味なアジア人とは当然、藤田カフカこと間桐雁夜(21)である。
その奇行はとある少女に声を掛けられるまで、つまり三週間ほど続いた。
「立派なカメラですね。 CanonのNew F-1ですか?」
「あはは鳩が飛んで……へ?」
渡英して初めて日本語で話し掛けられたことに驚き、振り返るとそこには眼鏡を掛けた、赤みのかかった黒髪の少女が微笑みを浮かべて立っていた。
「えっと…」
「見せて貰っても?」
いきなり話し掛けられたせいでどう対応すればいいか戸惑っている雁夜に、少女は笑顔のまま手を出した。雁夜を見つめる彼女の瞳はまるで人形のように完成された、美しい赤色で彩られていた。
雁夜は言われるがまま、少女にカメラを差し出す。
少女はしばらくカメラを様々な角度から見た後に、なにやら満足そうな表情で「ありがとうございます」という丁寧な一言とともに、雁夜に返却した。
「随分と丁寧に手入れしているんですね。 購入して四年は経っているのに、まるで新品のよう」
「はぁ…そりゃどうも……え?」
目の前の少女の褒め言葉に、頭を下げたところで雁夜は彼女の発言のおかしな所に気がついた。なぜ、少し観察しただけでカメラを購入した時期を正確に言い当てられたのであろうか、と。
「君は……」
「もしよろしければ写真を拝見させてもらえないでしょうか」
「えっ…あ、じゃあこれを」
雁夜はまたも彼女の言われるがまま、懐から写真を取り出し手渡した。ロンドンの空を飛ぶ野鳥たちや、人並の中を縫うように歩く猫の写真。彼女はそれをまた興味深そうに一通り眺めて、お礼の言葉と共に雁夜に返した。
「どの写真も素朴で、飾り気がない。 まさに日常そのものを抜き出した、そんな作品ばかり……」
「え」
彼女から発せられた感想に雁夜は困惑する。
褒められているのか貶されているのか分からない。ただ、少女はどこか満足したような表情で雁夜を見つめて手を差し出した。
「突然失礼しました。私は蒼崎橙子と言います。 貴方は…」
「あっ、俺はまと…藤田カフカです。 よろしく」
雁夜はおずおずといった感じで差し出された握手に応えた。本名を言いかけたことはご愛嬌である。
「藤田カフカ……失礼ですが、藤田は寄生虫学の権威である藤田紘一郎氏、カフカは「毒虫」の作者。 それらに由来する偽名で間違いないですか?」
そう、少女は微笑みながら雁夜に問いかけた。雁夜の背中に寒気のようなものが走る。
「えっ……」
狼狽える雁夜を目に少し悪戯っぽく笑うと、彼女は握手をしていない方の手で眼鏡を外した。途端、雰囲気が一変する。
「偽名にしては少々飾りが過ぎる。 私は偽名を使っています、と自己紹介をしているようなものだぞ?
しまいには馴染みが無さすぎるせいで自分で名乗るときに言い淀む始末だ」
「なっ…!?」
先程までのお淑やかな感じとは打って変わって、男性的な口調になった少女は鋭く雁夜の粗を言い当てていく。
「偽名を使うということは即ち身分を隠さなければ危うい立場であるということ。
だというのに偽名に自分の素性や属性を含むような要素を取り込むとは一体何を考えている?
飾りのない良質な作品を撮る腕を持っているのに、振る舞いは後先考えない無駄ばかり。
「君は…っ!」
目の前の少女は魔術師だ。そう理解した時にはもう遅かった。
身体が硬直して動かない。さらに言えば少女の瞳から視線を外すことが出来ない。少女の瞳が先程までの赤色から、青色へと変貌していた。
(まさか…魔眼か……!?)
身体が動かなくなる、という点で恐らくは魅了の魔眼だろうと、雁夜は動揺しながらもどうにか思考した。
しかし、それがわかったところでどうしようも無い。この状況に至った時点で、雁夜の生殺与奪は目の前の橙子と名乗った少女に握られていたのだ。
「刻印は持たず、回路の量も質も低い。 その上で、英語もロクに習得せずに時計塔へと単身乗り込み、最後には往来で奇行を繰り返す。
自分で言っていて笑いが出そうだ。 お前はなんなんだ?」
じっと、橙子は雁夜の瞳を覗き込む。まるで先程カメラにやったように、間桐雁夜という男を底の底まで分析するかのように。
「俺は……」
「質問は私がする。 勝手に答えるな」
刹那、息が出来なくなる。橙子が魅了の効果を強めたのだ。これが意味するところは、橙子の尋問に答えなければ呼吸困難という制裁を下すという通告である。
「では、最初に。 お前の本名は?」
「ハァッ……ぐぅ……間桐……雁夜だ……」
えずきながら、何とか答える。
「間桐……それは冬木御三家の間桐家か?」
「そ……うだ……」
「なるほど。 間桐の魔術師は蟲を使役すると聞いたことがある。 偽名にその手の要素を加えたのはそこに由来するものか。……なぜ時計塔に、偽名でやってきた」
「それは……ぐぅうぁ…」
雁夜が言い淀んだ瞬間、また息が出来なくなる。
しばし、雁夜が悶え苦しむが地面に崩れ落ちることも、握手している手を振り払うことも出来ない。そんな彼を橙子は冷徹に見上げている。
そんな異様な光景が往来で繰り広げられているというのに、道行く人々は雁夜と橙子を一切気にした様子もなく、過ぎ去っていく。
雁夜は呼吸困難になりながら、おそらく認識阻害の術式かなにかを目の前の恐ろしい少女が使役しているのだと考えた。
「もう一度、質問する。 なぜ、偽名を使って時計塔にやってきた?」
「一般人……として……実家から出奔したからだ……! 本名を使うと…実家に……クソ親父に察知される……!!」
「……それの何がまずい?」
「殺されるんだ……もしバレたら…!」
橙子は怪訝そうに眉を歪めた。
「殺される? なぜだ。 魔術師の親としては我が子が研鑽のために時計塔に赴くことに歓心はすれど、殺意までは抱かないだろう、普通。
秘儀の流出でも恐れてるのか?」
「秘儀なんて教えられてないさ…! そうじゃなく、うちの当主様は……自分の身内がそういう誠実とか、実直みたいな生き方をするのがたまらなく嫌いなんだ……! ハハッ……!」
「……ハッ、歪んでいるんだな」
違いない、と雁夜は笑った。
「それで? お前はなんで魔術師を志している」
「……そういう風に……生まれたからだ……!」
雁夜の即答に、橙子は一瞬、驚いたように口を閉ざした。
しばらくして、これまでよりも一層、真剣な口調で、質問を繰り出した。
「魔術師になってお前は一体、何をするつもりだ?」
雁夜は瞬時に察した。ここで回答を間違えれば自分は目の前の少女に殺されるであろうことを。
つまりじっくり考えた上で答えなければならない質問である。
しかし、雁夜は即答を選んだ。
「クソ親父をぶっ殺し……刻印を手に入れて……間桐家を俺のものにする……·! それが俺の野望だ……!」
殺されてもいい、という程の度胸は雁夜にはない。
しかし、こればかりはこう答える他になかった。なぜなら、彼が野望と呼んだそれは、ある意味で彼の起源とも言えるようなものだったからだ。
橙子はしばらく沈黙した。
そして、
「ぐぁ…っ」
雁夜の身体を縛っていた強い拘束が、一気に霧散した。
思わずそこにへたり込む雁夜を、橙子は無表情に見下ろして、そして、
「あはははははははっ!」
と哄笑した。
雁夜は戸惑いを隠せず、地べたに屈したまま目の前で狂ったように笑う少女を見上げていた。
「父親を殺して、刻印を奪うと…あははははっ! そのために、家出して、単身で渡英……! ふふふ、なるほど、奇遇だ、本当に奇遇だな! くっくっくっ…」
ひとしきり笑ったのち、彼女は眼鏡を掛けて、地べたに座り込んだままの雁夜に手を差しのべた。
その有様は、会ったばかりのお淑やかで優しい雰囲気を纏った少女そのものだった。
「本当に、失礼しました。 立てますか?」
「あ、うん」
雁夜は困惑しながら、橙子の手を取り立ち上がる。成人男性が自分より年下の少女に持ち上げられる様は情けないの一言に尽きるが、幸い橙子による認識阻害のルーンによって誰かにその様を見られてはいない。
「雁夜くん、貴方に紹介したい人がいるの。 まぁ、正直、どうなるかはわからないけれど、会ってみない?」
「えっ?」
先程までの敵対的な態度から打って変わって、一気に距離を縮めてきた目の前の少女に雁夜は呆然とする。しかし、橙子は構わず続ける。
「まぁもし籍が置けなくても、英語の勉強の面倒くらいは見てあげましょう。 いいかしら?」
「えっ、じゃあお願い…します…?」
「そう。 じゃあ早く行きましょうか」
雁夜は橙子のペースに流されるまま、彼女に連れられて時計塔へと向かった。
それから五年間、彼は橙子のみならず二人の学友(というにはどちらも年上すぎたが)との才能の差に苦しみながらも、恐ろしい師匠に扱かれる激動の生活を送ることになった。
*
「ピザ煎餅が…食いたい…」
早朝、工房のベッドで目を覚ました雁夜は開口一番に、そんなことを呟いた。
今は懐かしき、学生時代についての夢を見たせいであろうと考えながら、雁夜は涎を拭った。
時計を見れば時刻は午前6時を回っていた。しばし欠伸をして、立ち上がる。
頬をかく雁夜の右手の甲には令呪が刻まれていた。これは聖杯戦争まで残り二ヶ月を控えた時に、浮かび上がったものだ。
この令呪は現在、間桐屋敷にて臓硯に虐め抜かれている雁夜人形にも同様のものが刻まれていた。
本来であれば、同一の令呪が同時に存在することは聖杯のシステム上、有り得ない。聖杯すら騙しそれを可能にしてしまうのが、あの人形師が冠位たる所以であると雁夜は嘆息した。まったく、才能の差というのは如何ともし難い。
「さて、と」
いつものパーカー姿に装いを変えて彼は動き始める。
これから遅くとも一週間後には、げに恐ろしき魔術師たちやそれに準ずるもの達、或いはまったくのイレギュラーによる闘争の場になる冬木に、より強く根を張るために。そして、
────あの蒼崎橙子ですら失敗した、身内殺しを成功させるために。
魔術師は動き始めた。