間桐雁夜はどこまでも魔術師である 作:百目鬼猫
間桐雁夜は身を乗り出しながら埠頭での決闘を見守った。
海からやって来ていた謎の気配が冬木に辿り着いた瞬間に霧散したことも、彼が目の前の光景に意識を集中させる一因として働いていた。
しばらく征服王の演説が続く。
雁夜はそれを苦笑しつつ聞いていると、どこからか男の声が鳴り響いた。
どうにも、あのウェイバー・ベルベットなる青年は師に位置する人物から聖遺物を強奪してこの聖杯戦争に参戦したようだった。
それを聞いて雁夜は一瞬、あの生意気な青年の胆力に感心をした。仮に雁夜が自身の師であるイノライ・バリュエレータ・アトロホルムの所有物を強奪しなければいけなくなれば、雁夜は迷いなくその場で死を選ぶであろう。
そういう意味で、あの生意気な青年は恐ろしく肝が据わった人物なのであろうと、雁夜は感じたのだ。
が、それも青年が酷く怯える様を見てすぐに撤回をした。
師である魔術師の底冷えするような脅し文句に、今にも泣き出してしまいそうな始末だ。
「ビビるくらいなら最初から盗むんじゃないよあのバカ……!」
雁夜は呆れつつ、事の次第を見守る。なぜだか、あの青年に親近感を抱きつつあったのだ。
「余のマスターたる男は、余と共に戦場を駆ける勇者でなくてはならないッ! 姿を晒さす度胸すら無い臆病者など、役者不足も甚だしいわッ!」
ウェイバーをグチグチ責めていた魔術師に対してライダーはそう一喝した。
雁夜はライダーに魔術師がイラついているだろうなぁ、と辺りを見渡すと、街灯の上に妙な気配を感じた。何も無いはずなのに、何かが居るという違和感。 手に持っていた望遠鏡をそちらに向け、さらに視力を強化するとそこには黒い外套に身を纏った仮面が居たのだ。
「アサシン……やはり生きていたか」
踊っていたアサシンとはやや容貌が異なる。
つまり、アサシンとは二人、下手をすればそれ以上で構成されるサーヴァントの可能性がでてきた。それならばあんな使い捨て同然の運用も頷ける。
「なんだその反則技……使いようによっちゃ金ピカと同じくらい無法なことできんだろ……こりゃ警戒を強めないとやばいな……っと」
また埠頭の方で動きがあったようだ。
雁夜がそちらへと目を向けると、
「────我を差し置いて王を名乗る不埒者が、一夜に二匹も湧くとはな」
「ゲゲゲっ!!」
恐ろしき金ピカが、街灯の上に立っていた。
ビクビクしながら雁夜は金ピカと征服王がなにやら傲慢極まる会話を観測したのち、さらに事態が急転する。
「ッ!? おいおいおい、ここに飛び込ませるとか正気か、俺は!?」
金色の鎧の王の次は、黒い鎧の騎士が乱入した。
無論、雁夜のサーヴァントであるバーサーカーだ。金ピカとバーサーカーが戦闘を始める。
それと同時に雁夜から魔力がどんどん消費されていく。
「マスターのこととか本当に一切考慮しないのな…!!」
先程まで悠々自適に観戦に洒落こんでいた魔術師は、脂汗を流しながら事の次第を見守った。下手をすれば令呪を行使する必要が出てくるかもしれないが、それをすれば雁夜人形と臓硯が雁夜の存在に勘づく可能性がある。それは非常に不味い。
「だが、これだとバーサーカーがやばい…他の三騎が敵に回りでもしたら詰みだぞ…!」
バーサーカーという対話不可能な存在は、あの場においてパブリック・エネミーと見なされる可能性がある。
バーサーカーがあの金ピカとある程度、対等にやり合えるということを知れたのは僥倖だったが、このままだとその優位性は簡単に消えてしまう。
「早くバーサーカーを引っ込めろ、俺! クソっ…」
自分が、雁夜人形が時臣憎さに戦術を投げ捨ててこのような軽挙に打って出たことは簡単に察せた。なぜならば、その行動指針に対して魔術師・間桐雁夜も一定の共感を抱いてしまっているからだ。
しかし、だ。
このままだと、こんな序盤も序盤で退場をすることになるということを、雁夜人形は理解しているのであろうか。
「人形のくせに、制御できないって……いや橙子さん的には実に理想的な出来なんだろうけども……!!」
バーサーカーが動く度に、魔力がごっそりと持っていかれる。一部分しか負担していない自分がこの様なら、雁夜人形はそれはもう酷い有様だろう。
どうにか人形の自分が冷静になることを願いながら、戦況を見守っていると、突如金ピカが虚空に向かって叫び出して、それからすぐに退却してしまった。有難いことに時臣は冷静な判断を下したようだ。
非常に憎たらしいことだが、今回ばかりは助かった。さぁ、バーサーカーを早く退かせるんだ、と目を向ければ今度はセイバーに襲いかかっているバーサーカーがそこにいた。
「もーーーーー!! なにやってんだよぉおお…」
酷いことに魔力消費がさっきよりも増えた。 どうやらあのセイバーと何らかの因縁があるようだ。勘弁して欲しいと、雁夜は心の中でバーサーカーに非難を向ける。
だが、幸運なことにその戦闘はすぐに終わりを迎えた。ランサーとライダーが割行ったのだ
ライダーの戦車に轢かれたバーサーカーは流石にダメージが堪えたのか、その場から退却をした。
その後は穏やかなもので、セイバーランサーライダーの三者は各々撤退を選んだ。
どうにか無事に初戦を生き残れたことに安堵しつつ、雁夜はその場から去った。
*
埠頭付近の下水道にて、男が一人、無様に這っていた。
周りから間桐雁夜と認識されている男は、蟲混じりの血反吐を吐きながら、遠くへ、遠くへと這う。
「ははは…ざまぁ…見ろ…時臣め……ッ」
仇敵に対する嘲りを口にしているというのに、それはまるで呪詛のような暗く強い響きを持った言葉だった。
男の心中は、今どこかで吠え面をかいている大嫌いな男の顔でいっぱいになっていた。
男は矛盾していた。どうしようもなく、歪な矛盾を己の中で構成してしまっていたのだ。
だが男は気が付かない。気が付けない。
桜を救うという行為と、時臣を殺すという行為が必ずしもイコールではないということを彼は理解できない。桜を傷つけているのは、あくまで間桐であり、臓硯である。決して、時臣ではない。
だが、男はそれを理解できない。
痛みにのた打ち、下水道に滴る汚水があたりに飛び散る。 血と汚物の渦の中で、男は、人形は声を聞いたような気がした。
『────の人間性の残滓よ。全ては二つに一つだ』
とても馴染みのある声が、雁夜の頭の中で鳴り響いた。
「だれ…だ…」
周囲には誰もいないはずなのに、なぜか自分を何かが見下ろしているかのような感覚に陥る。
わからない、わからないがそれが酷く恐ろしい。まるで、自分の矛盾点を突きつけられているかのような、怖気が走る感覚。
『殺すも良いさ、生かすもいいさ。 だが、お前はどちらか選ばなければならない』
「やめ…ろ…」
『選べよ。 それこそがお前の役割であり、唯一許された権利だ』
「黙れ…」
見上げれば、声の正体を知れるかも知れない。
だが、どうやっても首が言うことを聞かない。体力的な問題では無い。まるで身体がそれを拒否するかのように、硬直してしまっているのだ。
『復讐か、正義か。 選べ、どっちつかずのただの男よ』
「誰だ…お前は…」
『……そんなこと、当の昔にわかっているだろう?───したときから』
怖い、聞きたくない。雁夜は己の耳を塞ごうと、手を動かそうとするが、やはり硬直して動かない。
声の主は、それを見て笑い、とうとう最後の言葉を口にした。
『俺はお前だよ────間桐雁夜』
地を這う男は、矛盾に耐えきれずに金切り声をあげた。
*
間桐雁夜が下水道にて目を覚ました時には既に時刻は昼前に迫っていた。 ほんの少しの日差しが下水道を照らす。
一晩休んだおかげか、間桐雁夜を四六時中、襲う激痛はだいぶマシになっていた。 雁夜はよろよろになりながらも、壁を使って立ち上がる。
「…………夢か」
周囲には雁夜以外には誰もいない。その事に安堵した雁夜はゆっくりゆっくりと、歩を進めた。
そんな哀れな背中を、地面に吐き捨てられた物言わぬ蟲たちがじっと見送った。