シェリー回です。
シェリー・バーネットは、図書館へ向かって歩いていた。放課後、賑やかな廊下を大量の本を抱えながら通り抜ける。
窓から見える中庭では、楽しそうに笑い合う生徒たちの姿があった。
「ひゃっ」
そうしてよそ見をしていると、何もないところで躓き、コケてしまった。抱えていた本は散らばり、鈍い音を立てる。
普通なら、近くにいる人や友達が一緒に拾ってくれるのだろう。あるいは物語ならば、ここで運命の出会いをしていたかもしれない。
けれど、シェリーにはそんなことは起こらず、一人黙々と拾って図書館へ向かうのだ。
シェリーはそれを悲しいことだとは思わない。それが寂しいことだとは思わない。
今までずっとそうであり、シェリーには研究さえあれば、それ以外はどうでもいいのだから。
図書館に着き、いつも座っている席に座る。両側にはしきりがあり、正面には板がある。
シェリーは箱の中に閉じこもる虚像を覚えながら、深い集中の海へと落ちていく。
そこには、感覚なんて必要ない。味覚も、嗅覚も、聴覚も、触覚も。そして、視覚すらも必要ない。
やがて肉体を手放し、意識だけの世界へたどり着く。文字と思考が混ざり合い、形を成しては溶けていく。チリチリと世界が瞬きをして、閃きは寸刻と待たずに泡となった。
その微かな発見を見失わないように、慎重に手繰り寄せる。そうして、もう手が届くところまでやって来た。
「わっ!」
不意に、目の前に包装された箱が置かれた。底の浅い、平べったい箱だ。
「チョコあげる」
「え?」
そう言って少年は立ち去った。
「え? え?」
突然のことに事態が呑み込めないシェリーは疑問符を浮かべて箱を見た。
考えていたことはとうに霧散していた。
□□□
「ゴホッゴホッ」
ルスラン・バーネットは咳き込みながらも、睨みつけるように報告書を読んでいた。
チルドレン1stであるレックスの行方が分からなくなったという内容だ。最後に確認された路地には致死量分の血溜まりがあったとのことだ。
十中八九、やられているだろう。
ルスランこと、『痩騎士』はぐしゃりと報告書を握り潰す。
もし、何らかの理由でレックスが計画を喋っていたら、"奴ら"の介入があるかもしれない。
"奴ら"は名前すら知れぬ組織的だ。黒いスーツに身を包み、瞬く間に教団員を殺戮する。
圧倒的な戦闘力を持ち、諜報能力も高い。そして何より、完璧なまでに統率されている。
今回の襲撃に介入されては厄介極まりなかった。
「ゴホッゴホッ」
再度、咳き込み、薬を手にする。水と一緒に流し込めば、体が少し楽になった気がする。
「延期はできない……」
ルスランには時間がない。この機を逃せば、次はないかもしれない。
そもそも、教団に抹殺される可能性すらあった。
「新しいチルドレン1stを呼ぼう。できれば二、三人……」
新しい真っ白な紙を取り出し、ペンを握る。そして、教団宛に一筆書いた。
十分そこらで書き終え、引き出しの中に入れて置く。後で、定時連絡員に渡そう。
「さてと」
ルスランは立ち上がり、部屋を出る。向かうのはシェリーのいる部屋だ。
シェリーは大事な大事な愛娘だ。愚かな母とは違い、従順に言うことを聞いてくれる。
「シェリー、どうしたんだい?」
研究室を覗いてみれば、シェリーが茶色の物体が並ぶ箱を眺めていた。
「ルスラン副学園長……」
「二人のときは父と呼ぶ約束だよ」
「お義父さま」
シェリーは困ったように笑う。
ルスランは箱を覗き込む。この茶色い物体には見覚えがあった。
「そのチョコレートはどうしたんだい?」
「チョコ、レート? という名前なんだ、これ。……これは魔剣士学園の男の子に貰ったんです」
「ほう」
ルスランは口髭を触り、興味深げに目を細めた。
「それは最近流行ってる高級お菓子だよ。きっと、君へのプレゼントだ」
「えっ、でも知らない人でしたよ」
「一目惚れというやつだよ。そのチョコは貴族でも中々手に入らない。きっと君のために無理をしたのだろう」
「一目惚れ……」
シェリーは恥ずかしそうに俯いた。もじもじしている。
それにしても意外だ。まさかシェリーにアプローチする人が出るとは。
勿論、そういった手合いは今までにもいた。だが、それは打算的であり、シェリーの頭脳を求めてのことだった。
今回も、その例かもしれない。けれど、ルスランの直感はそうでないと言っていた。
友達でも彼氏でも、ずっと一人だったシェリーの側に居てくれる人ができるのは喜ばしいことだ。それは嘘や欺瞞ではなく、本心からの思いだった。
ルスランの笑みが深くなる。それもやはり、自然になったものだった。
「それで、返事はどうするのだね?」
「へ、返事ですか?」
「きっとその男の子は返事を待っているよ」
「で、でも私は……」
シェリーは真っ赤になって目を泳がせていた。
「研究以外にも、人との付き合い方も学んだ方がいい。学園とはそういう場所だ」
「……はい」
俯くシェリーにルスランは笑いかける。
「アーティファクトの件は順調かい?」
「まだ、始まったばかりです」
困ったようにシェリーは微笑んだ。
「それもそうだね」
「ただ、一つ分かったことがあります」
「ほう」
シェリーはアーティファクトについて分かったことを説明する。
どうやら、母ルクレイアが研究していた暗号とこのアーティファクトの暗号が似ているとのことだ。
ルスランからすれば、それは当たり前なのだが、そのことを言う必要はない。
「いい依頼を受けたね」
「はい」
シェリーの頭を撫でれば、彼女ははにかんだ。
それからしばらく会話をし、その場を後にする。
去り際に、
「研究、頑張りなさい。それと、チョコレートも食べてあげなさい」
「……はい」
ルスランは頷いて、今度こそ立ち去った。
□□□
学園最強は誰かと問えば、一昨年まではアイリス・ミドガルと誰もが答えただろう。
では、今は誰かと言えば、誰もが口を揃えてその王者の名前を口にするだろう。
彼女の名前はローズ・オリアナ。
芸術の国、オリアナ王国からの留学生であり、国王ラファエロ・オリアナの娘である。
彼女の名は隣の学術学園まで轟いていた。
今日、シェリーは珍しく試合を見に来ていた。その試合とは、ブシン祭の選抜大会、その一回戦だ。
その試合にはローズ・オリアナが出場するらしく、客席はいっぱいだった。
突然、歓声が巻き起こる。どうやら、ローズ・オリアナが出てきたようだ。
ローズ・オリアナは手を振り、歓声に応える。
「頑張ってください……」
手を組み、祈るように目を瞑る。
祈る相手はローズ・オリアナ──ではなく、その対戦相手だ。
ローズ・オリアナが出てきた入口とは反対の入口から、とある少年が出てくる。
一見すれば、いやしなくとも、平凡な少年。シド・カゲノーだ。緊張しているのか動きが少しぎこちない。
それも無理のないことだろう。相手は学園最強とまで謳われるローズ・オリアナだ。この会場にいる誰もが、彼女の勝利を確信している。
「頑張ってください……!」
それでも、シェリーは彼の勝利を願う。
両者が対峙し、歓声が止む。
そして、審判の号令と共に、二人は動いた。
「きゃっ!」
シェリーは小さな悲鳴を漏らす。
試合の決着は一瞬で着いたのだ。少年が派手に血をまき散らしながら、吹き飛ぶ。地面に転がった彼は、血まみれだった。その結果を受けて、客席は一気に盛り上がる。耳が痛いほどの歓声だ。
シェリーは黙って倒れる少年を見た。
彼女の胸には青年の安否を思う不安と、微かな落胆があった。
もしかしたら、シドがローズに勝つんじゃないかと思っていた。あるいは、単にかっこいい姿が見たかったのかもしれない。
自分勝手だとは分かっていても、少しばかりの落胆は消せなかった。
ぎゅっと、手に持ったクッキーを握りしめる。
後でお見舞いに行こう。まずはお友達から、と伝えるのだ。でも、試合の直後に押しかけては迷惑かもしれない。
そんな風に考えていたシェリーは、己の目を疑った。
なんと、少年が立ち上がるではないか。
「まだ、だ……」
今にも倒れそうになりながら、少年が立ち上がる。大きな歓声の中、シェリーには何故か、彼の声が聞こえた気がした。
ローズが剣を向き直り、構える。少年も剣を構えた。
「頑張ってください……!!」
シェリーは小さくも、しかし彼女にとっては大きな声で叫んだのだった。
□□□
試合はそれはもう、凄惨なものだった。
何度も何度も、少年が吹き飛ばされる。けれど、その度に彼は立ち上がるのだ。
剣を受ける度に血飛沫が舞い、服が裂ける。
歓声はいつしかなくなり、悲鳴までもが聞こえてきた。
見れば、ローズも驚きに目を丸くしていた。
「まだ、だ……!」
何回目だろう。少年が立ち上がる。
会場全体が妙な雰囲気に包まれる。何故立つのだ、と。何故諦めないのだ、と。
そんな中でも、シェリーは真っ直ぐ少年の姿を見つめる。瞳にその景色を焼き付けるように、真剣に見つめた。
「私は、あなたのことを見くびっていたようですね」
静かな会場に、ローズの声が響く。
「次で終わりです」
何度も見たローズの構え、そして、今日一番の魔力の高まり。その魔力で、会場にどよめきが生まれた。
「や、やめて……」
鼻の奥がツンとする。自然と視界が歪む。
このままでは、彼が、シド君が死んでしまう……!
大きな声で叫ぼうとして、けれど喉が痙攣して声が出ない。
「やはり、あなたは諦めないのですね」
「……」
ローズの纏う闘気が膨れ上がる。客席のシェリーまで、ピリピリとした感覚を味わう。
試合を止められる人は……審判!
シェリーは審判のことを見る。しかし動かない。ローズの闘気に当てられてか、立ち上がる少年の覚悟に呑まれてか。審判は動かなかった。
ローズの剣が呻りを上げる。合わせて少年も動いた。
二人の剣が交錯し、少年が吹き飛ばされる直前──
「あっ……」
少年が僅かなでっぱりに足を取られてバランスを崩す。
その結果、ローズの剣の軌道上から外れた。そして、ローズの剣は空を切る。
更に、起きたミラクルはこれだけではない。予測不能な軌跡を少年の剣は辿ったのだ。
ローズは慌てて回避行動を取るも、間に合わない。微かに頬に切り傷ができた。
「ぐはっ」
そして、少年は地面に伏した。全ての力を使い果たしたのか、もう動かない。
「しょ、勝者ローズ・オリアナ!!」
ようやく我に返ったのか審判がコールする。
寸刻を経て、大きな歓声が会場を包む。その歓声はローズを称えるものであり、同時に少年の勇姿を称えるものでもあるように思えた。
ぐったりとした様子の少年が運ばれていく。ローズはどこか安堵したような表情だった。
シェリーは席を立ち上がり、駆け出した。
あのローズ先輩に傷を付けるシドくん。そして試合後は動かなくなる。次回はシドくん視点です。多分。