「これは……」
カイは感嘆の息を漏らす。
既に日は暮れ周囲には夜の帳が下りている。元は景観の美しかっただろう中庭は荒れ果てて、象徴であった噴水は見るも無惨な程に破壊されていた。
そんな中庭の中心には、赤い水たまりが広がっていた。
「嗚呼……」
その中心には二人。腹に風穴を空け両膝をつく男と、それを見下ろすイータだった。
男は全身に裂傷を負い痛々しい。歴戦の戦士でさえ、その様には思わず目を背けてしまいそうだ。
対して、イータにそこまで深い傷は見受けられなかった。
「素晴らしい……」
男は口の端からだらだらと血を零しながらも笑う。掠れて絶え絶えな笑い声が虚しく木霊する。
「魔力を制限され、それでも私を越える。どれだけの修練を……! はたまた才能なのか。だとすれば嗚呼……やはりこの世は嘆かわしい」
「うるさい……いいから、情報……早く。死んじゃう前に……」
イータが男に詰め寄る。その様は無防備であり、男にその気があったなら、簡単に傷を負わせられただろう。
だが、男は気色の悪い笑みを浮かべるばかりで、行動は起こさなかった。
「いいでしょう。冥土の土産に何か一つお教えしましょう。何か知りたいことは?」
「冥土に行くのは、私じゃない……」
「ならば、冥土からの土産としましょうか───」
そこで、カースがゴボッと血の塊を吐く。
「失敬。残りの時間が少ないようです」
「……アーティファクトの場所は?」
「それなら、桃色髪の娘が持っています」
「そっちじゃ、ない…………魔力を、封じてた方」
「あぁ……」
得心がいったという風に、カースが頷く。
「あれは『痩騎士』さんが持っているので、私は知りません」
「え……」
イータは目を見開いて固まる。
「他には何か?」
「じゃあ……もういい」
もう興味を失くしたのか、イータは男に背を向ける。
地面に広がる赤い
「それなら、こんな話はどうでしょう」
「……」
イータは背を向けたまま動かない。それを見て、男はニヤリと笑う。
「王都には、いくつも教団の拠点があります。その内、最も大きな拠点にはディアボロスの右腕が封印されています」
「それが?」
「それがどうということはありませんよ。ですが、もしあなた方がこの先も闇に抗い続けるならば、この情報は役に立つでしょう」
「そう……」
今度こそ、イータは興味を失くしたのだろう。何も言わずに立ち去った。向かう先は今も大炎に包まれる校舎だ。
我に返ったカイは部下に指示を出し、イータの護衛をさせる。
「嗚呼、ままならないものですね」
部下は去り、カイは一人この場に残る。
男は最早焦点の合っていない瞳で呟いた。そこにあの気色悪い笑みはない。
「あれだけの苦痛を、別れを、限界を乗り越え、辿り着くのがここですか。嗚呼……やはり無常……」
その独白を聞いていたカイは男に近寄る。
「お前、何故教団の情報を話した?」
男は声を掛けられて、初めてカイの存在に気が付いたようだ。ニッと薄笑いを浮かべる。
「抗うに足る力を持たない私の、最期の抵抗ですよ」
段々と男の言葉に抑揚がなくなっていく。呂律も怪しくなり始め、聞き取りにくい。
ゆっくりと確実に命の灯火が小さくなりながらも、カースは喋る。
「教団は大きい。ちっぽけな一人が抗うには、強大過ぎる。私はとうに、反逆も復讐も諦めました」
「……」
「そんな中で、彼女に、あなた方に出会えた。さながら、闇夜を照らす光明を得た心地です。惜しむらくは、私はここで退場するということです」
男は震える腕を空高く伸ばす。そして、星を拾うように、ぐっと握りしめた。
「いつだって、世界は非情で無常で腹立たしい。けれども、最後の最後であなた方に会えたこれは、まさに幸運……」
男は笑った。声にならない声を絞り出し、苦しそうに笑った。
「嗚呼やはり……やはり、嘆かわしくも美しい」
そして、瞳が曇った。そのまま男は動かなくなる。
「……憐れ」
カイは未だ腕を伸ばしたままの男から目を逸らす。
「限界を勝手に決めて絶望し、諦めて、挙げ句世を儚んで散る……」
そして、イータの護衛に向かった部下の後を追う。
「勝手に光を決めるな。我らの光は
そうして、荒々しく破壊された中庭には誰もいなくなる。どこからともなく風が吹いてきても、涼しいと感じる者も、寒いと感じる者もいない。ただ暗い闇夜に明るい月が浮かぶばかりだった。
□□□
「なるほど……」
グレンからの報告を聞いたアイリスは眉間にシワを寄せる。内容は勿論、先の襲撃事件だ。
「目的も襲撃者の正体も不明ですか」
「はい。力が及ばず申し訳ない」
グレンは深く頭を下げる。その頭には包帯が巻いてあった。
「それで、あなたが戦った男……」
「カースと名乗っていました」
「相当な手練だったようですね」
グレンが頷く。
「魔力を封じられた私では手も足も出ませんでした。恐らく、魔力を使えていたとしても……」
「それほど……」
報告書にもそのことは書いてあったが、改めて本人の口から聞き、驚嘆する。
「では、魔力が封じられた中でもその男と対等に渡り合った少女は……」
「尋常ならざる力を持っていると言えるでしょう」
アイリスの眉間のシワが更に深くなる。
「報告によれば、新たに別の黒装束の集団が襲撃者を壊滅させたとありますが、その少女とは無関係ではないでしょう」
はぁ、とため息を吐いて窓の外を見る。その視線の先にあるのは、昔自分もそこで学び、今は妹が通っている学園だった。
現在は火事で校舎が焼失し、修理をするため夏休みが前倒しになっている。
「死人はいなかったらしいですね……」
「アイリス王女? いかがされましたか」
「いえ、怪我の方は大丈夫かなと」
グレンは一瞬虚を突かれたように目を丸くし、すぐに目を細めて笑う。
「この程度、なんてことはないですよ。食べて寝れば治ります」
「……そうですか」
「マルコの方も大した怪我もないようで、羨ましい限りですな」
髭をしごきながら、愉快そうにグレンは笑い声を上げる。
「さて、それでは私はここで。まだ片付けなければいけない仕事が多いので」
「そうですか。ですが、今は傷を負っている身。あまり無理をなさらないように」
「ええ、できる限り善処しましょう」
扉に手をかけたグレンは、ふと何かを思い出したかのように振り向いた。
「重要な調査には『紅の騎士団』を当てていただきたい」
「……? それはどうして」
「どうやら、騎士団の方に怪しい動きがあるようでして」
「怪しい動き……」
「はい。あくまで確証はありませんが、何か隠していると思われます」
「分かりました。なるべくそうなるよう掛け合ってみましょう」
「ありがとうございます」
グレンは一礼して退出する。
残されたアイリスは椅子に深く座りふぅーと長く息を吐いた。
□□□
サーテライトは暗い廊下を歩いていた。
「はぁ……いつも思うけど、この廊下は長すぎよ」
そんな呟きが静かな空間に響く。
そして、そこから更にしばらく歩き、ようやく足を止めた。
目の前には質素だがいい素材の扉がある。サーテライトはそれを開けて、中に入る。
「ようやく来ましたか」
「えぇ、ようやく着いたわ」
二人は微妙にニュアンスの異なる挨拶を交す。
中にいたのは男だった。髪は黒く、綺麗に切りそろえられ、丸いサングラスを掛けている。
「それで、首尾はどうでした?」
「上々、と言いたいとこだけど、あまり期待しないでほしいわね」
そう言って、サーテライトは報告をする。
「なるほど……やはり、かなりの戦闘力を擁しているようですね。
「そうみたい───ペトス様」
ペトスと呼ばれた男は嫌らしい笑みを浮かべた。
カースの話し方は静かな方が素です。
次回はシェリー先輩です。