テレビの画面にヒビが入るように、世界に亀裂が走る。そこから徐々に亀裂は広がり、やがて世界は砕け散った。
砕け散り残ったのは、ただのじめっとした暗闇だった。全てを包み、じっとりと肌に張り付くような暗闇だ。
そんな暗闇にも一つ光が差していた。
「無事?」
「えぇ、おかげさまで」
「ん……疲れた」
シータがゴロンと闇に寝転がる。傍から見れば浮いているように見える。なんか面白い。
「またそうやって遊んでないで、早く行きましょう」
ヴァイオレットさんはそう言って光の方へと歩き出した。
僕とシータは寝転がったまま顔を見合わせてから、ちゃんと立ってその後を追った。
しばらく歩くと、光は次第に広がりを見せる。やがてそれが僕らを包み込む。少し温かい光だった。
「ここが聖域の中心?」
「そうよ」
その光も収束し、気付いたら僕らは遺跡のような場所にいた。今まであったどこか夢の中のようなぼんやりとした感覚は消えて、少しひんやりした空気が僕の感覚を醒ます。
天井は高く、魔法の光が辺りを照らしている。
一見して、魔力の核らしきものは見当たらない。
「そういえば、これ、助かったわ」
「ん……」
ヴァイオレットさんは礼を言って短剣を返す。
「魔力の核ってどこ?」
僕らは周囲を見回した。すると、核そのものはなかったけれど、大きな扉は見つけた。
「あの奥ね」
「なるほどね」
僕らは扉の前まで移動する。
扉はとても古めかしくて、とても大きい。どす黒い血痕がこびり付いていて、びっしりと古代文字が書かれている。そして、僕の胴体よりも太い鎖が幾重にも巻き付き、その扉を固く閉ざしていた。
「鎖切ればいけるかな」
「いけるんじゃない?」
僕は剣を抜き、軽く鎖を叩いてみる。しかし、硬質な音が響くばかりで、びくともしない。
うん。これは無理そうだ。
「なんか鍵とかないの?」
「んー……」
僕らは見回すまでもなくそれを見つけた。一秒もかかってない。
「これだね」
「これだわ」
扉の脇になにやら台座があり、そこには豪華な剣が突き刺さっていた。
そして、その台座にはまたしても、びっしりと古代文字が刻まれている。勿論、僕は古代文字なんて読めない。難し過ぎて習得を断念したのだ。
「この剣でなら、あの鎖を切れるみたいね……」
ヴァイオレットさんが古代文字を見ながら言った。
さっきも思ったけど、読めるのすごいね。
今もヴァイオレットさんは頑張って読んでるみたいだけど、僕には分かる。これはあれだ。
「だが、それは選ばれし者にしか抜けない……」
「えっ?」
「僕には分かるんだ……」
よくRPGゲームやラノベで見るやつだ。古くから使われてベタベタなやつだけど、案外僕はこういうのは好きだ。
ヴァイオレットさんは目を丸くして、先を読み進める。
「本当……これは英雄の直系にしか抜けないと書いてあるわ。あの一瞬で暗号を読み解くなんて……」
「ふっ、テンプレは全て網羅してるからね」
「暗号化された魔術文字をテンプレート化して暗記しているということね」
「ふふっ、多分そういうこと」
「……流石」
試しに僕は聖剣を引き抜こうとしてみる。だが、案の定抜けない。
「だめだ……僕は拒絶されてるみたい……」
全然拒絶されてる気はしないけどね。
「困ったわ……」
ヴァイオレットさんは台座に座り込む。本当に困っているようだ。
「別の方法は?」
「ここには記されていないわ……」
僕は手のひらの上で魔力を練る。けれども、すぐに吸い取られ、消滅してしまう。
「うん。もう少しすれば、何とかなるかも」
「本当?」
「本当」
もう少し、魔力を強く練れば吸い取られることはないだろう。そのためには、もう少し時間が必要だった。
「うん? シータ?」
そうして、今後の方針が決まったところで、シータが台座に登る。
「この剣は英雄の直系にしか抜けない。でも……」
シータが聖剣に手をかける。
「シータは〈
ぐっと手に力を込めて、一気に引き抜いた。
「条件には、当てはまる」
天高く掲げられた聖剣は光に照らされ、美しく煌めいた。その刀身は白銀で、全長はシータの身長程もある。
「おぉ……」
中々良い剣だ。数々の剣を見てきた僕には分かる。
「おっとっと……」
天高く掲げたはいいものの、バランスが取れずにシータはよろける。シータは力がないんだ。
「これで、鎖は切れる……」
落ちるように、強く地面に打ち付けられた聖剣は甲高い音を立てる。
……あぁ、そんな風に扱うから、刃こぼれしちゃったじゃないか。
床にも、鋭い傷が付いていた。
シータはとてとてと覚束ない足取りで扉の方へ向かう。
けど───
「先に来客だよ、シータ」
「ん……」
扉の前に光の裂け目が現れる。その裂け目は次第に広がっていき、中から禿げたオッサンと金髪エルフ美女が現れる。
うーん、エルフさんはどこか、アルファに似ている気がする。まぁ、骨格とか体の使い方はまるで違うんだけど。
「英雄オリヴィエと、ネルソン偽大司教……」
「偽ではない。代理だ」
オッサンは不快そうに鼻を鳴らす。
「ほう。魔女を連れ出したか……」
そして、ヴァイオレットさんを見て笑った。
「知り合い?」
「いいえ。私の記憶にはないわ。と言っても、記憶は不完全だから知り合いじゃないとも言い切れないけれど」
「じゃあ、暫定ストレンジャーってことで」
ストレンジャー、見知らぬ人だ。
ストレンジャーさんはそれから、シータを見る。すると、途端に目を見開いた。
「なっ、それは……」
その視線の先にあるのは聖剣だった。
「貴様、聖剣を抜いたのか……ということは、〈悪魔憑き〉だと……?」
ストレンジャーさんはくつくつと笑う。
「なるほど、ようやく繋がったぞ! 貴様らは〈悪魔憑き〉が集まってできた組織だった!」
「……」
「それなら納得がいく……あの恐ろしいまでの戦闘力も、魔力も、あの金髪エルフがオリヴィエに似ていることも」
満面の笑みを浮かべたストレンジャーさんは、今度は忌々しげに僕らを見る。
「災難だったな、少年。"奴ら"との関係は知らないが、たとえ無関係でもここに来た以上は始末する───殺れ、オリヴィエ!」
ストレンジャーさんが、側で立ち尽くしている少女に命令する。
「ダメよ、彼女は……逃げて……」
ヴァイオレットさんはか細い声で言った。
「私は彼女を知らないのに、怯えているわ」
震える手で僕の袖を掴む。
「大丈夫」
僕はそんなヴァイオレットさんに声をかける。
直後、視界は目まぐるしく回転した。
□□□
その戦いは少年が吹き飛ばされるところから始まった。凄まじい勢いで壁と衝突し、血飛沫が飛び散った。その血飛沫は、彼が闘技場のようなそこで見せた血糊とは違う、本物の血だ。
アウロラは今にも泣き出しそうな声で、少年を呼ぼうとした。だが、結局それが音となり、実空間に干渉することはなかった。
なぜならば、アウロラは一度も少年の名前を聞いてはいなかったからだ。
アウロラが何も言えないままでも、戦闘は続いている。
少年は辛うじて致命傷は裂けているものの、差は歴然としていた。当たり前だろう。魔力の有無だけで、大人と子ども程の差があるのだ。いくら彼でも、魔力がなければ、英雄と戦うことはできない。
少年は距離を詰めようと前に出る。しかし、それよりも速くオリヴィエは半歩足を引いた。
結果、無防備を晒すこととなった少年の首筋に剣閃が走った。
それを少年は間一髪で防ぐが、甲高い音と共に吹き飛ばされてしまう。ゴロゴロと滑るように転がり、再び壁に強く当たる。
「何をしている。そんな小僧に手間取るな」
ネルソンと呼ばれていた男が苛立たしげに言う。
その眼光の先には、今ちょうど立ち上がった少年の姿が映っていた。彼は既に半身を赤く染め、痛々しいまでの裂傷を負っていた。さらに、彼の持つ剣は半ばで折れている。
だが、そんな剣でも少年はしっかりと握り、素振りをして感覚を確認していた。
「もう、やめましょう……」
堪らず、アウロラは言った。それは悲しげであり、懇願するような声だった。
「お願い……もうやめて……」
ネルソンへ向けて、祈るように言う。
アウロラの記憶は完全ではない。彼女の記憶は、彼女の人生の途中までしか、ないからだ。その記憶の中にオリヴィエの姿はないが、何故か危険だと思った。記憶にはないのに、まるで知っているかのように心が怯えた。
だから、アウロラは必死で止めようとした。だが彼女の予想に反して、少年は闘い抗った。
もしや彼ならと、そんな淡い期待もあった。でも、もう十分だ。
ずっと蔑まれてきた彼女の人生で、彼女のために命を懸けてくれた人はいなかった。忘れられない思い出ができたから、もう十分だ。
アウロラのその様子を見たネルソンは口の端を持ち上げた。
「良いだろう。貴様が協力するというのなら、そいつは救ってやる」
「協力?」
「そうだ。貴様が拒み続けたせいで、我々は大きく出遅れている」
「何を言ってるの?」
「ふん。所詮は不完全な記憶か。貴様はただ、協力すると誓えばいいのだ」
ネルソンが一瞬少年の方へ視線を移す。
「手間をかけさせると、殺すぞ?」
アウロラはきゅっと口を結ぶ。
誓うと言うのは簡単だ。だが、それをすれば何か大きなものを失う気がした。
しかし、言わなければ、今目の前で大事なものが失われてしまう。
アウロラは決心する。
「分かっ───」
「勝手に話を進めないでくれるかな?」
そうして、誓いの宣言をしようとするアウロラの言葉を誰かが遮った。
少年が、自然な足取りで歩いてくる。
「僕が負けるみたいな話はしないでほしい。とても、不愉快だ」
少年はアウロラの前で立ち止まり、ネルソンに剣を向ける。
「つくづく哀れなやつだ。今、貴様を助けようという話で───」
「だから、必要ない」
少年が肩越しにアウロラを見る。
「君はそこで見ていればいい」
「もういい。殺せ、オリヴィエ!」
「待っ……」
ネルソンが命じれば、オリヴィエは疾風の如く加速する。あっという間に距離を踏み潰し、最速の一撃を放つ。
「……残念」
だが、その一撃が少年に届くことはなかった。
どこか場違いな、間の抜けた声と共に、オリヴィエに影がひっつく。
「ナイス、シータ」
背後から覆いかぶさるように、小柄な少女が抱きつく。体格は五分。勢いが散らされたオリヴィエの剣は空を切る。
だが、オリヴィエのその後の反応は速く、背中から抱きつく少女を地面に叩きつける。そして、トドメを刺そうと剣を突き立てた。
「残念だったね。もう一人いるんだ」
けれどもまた、その刃は届かない。安物の剣で心臓を貫かれた英雄は、光の粒子となって消えてしまった。
「そ、そんなオリヴィエが……」
ショックにネルソンが口を開ける。
少女が地面に投げ出されていた聖剣を拾い、少年の隣に並ぶ。
「それで、エルフさんはいなくなったけど、次はオッサンでいいかな?」
「クッ……クククッ」
「うん?」
ネルソンがくつくつと嘲るように笑う。
「まさか、魔力を使えない人間がオリヴィエを倒すとはな。たとえ劣化コピーだったといえども、称賛してやろう」
パチパチとネルソンは手を叩く。そして、ピカピカと頭を光らせた。
「だが、それがどうした。聖域には、途方もない量の魔力が眠っている。つまり───」
ネルソンが腕を振るうと、辺り一面が光に包まれる。 やがて光が収束するとそこには、オリヴィエがいた。
一人ではない。 遺跡を埋め尽くすかのように、数え切れないほど多くのオリヴィエが現れたのだ。
「こういうことも可能だ」
得意げにネルソンは言う。
「嘘……」
絶望したように、アウロラは呟いた。
一人倒すのに、あれ程苦労し、奇襲でもって倒したのだ。同じ手は二度は通用しない。それに、あの数を一度に捌き切るなど、魔力の使えない現状、不可能に近い。
「刮目しろ! これが聖域の力だっ!」
「驚いたよ。でも……」
少年は安物の剣を投げ捨てる。隙だらけの少年に、無数のオリヴィエが集まった。
「時間切れだ」
しかし、その全てが薙ぎ払われ、吹き飛ばされた。いつの間にやら、少年の手には漆黒の刀が握られている。
「その剣はどこから……いえ、魔力が使えるの!?」
ここは聖域の中心。魔力は全て吸い取られるはずだ。
「いやまさか、そんなこと……ええい! 早くそいつを殺さんか!」
絶叫するようにネルソンが吠える。
「練った魔力が吸い取られるなら、吸い取られないほど強固に練ればいい。少し時間はかかったけど、簡単な話さ」
少年は軽く掃除でもするかのように、オリヴィエをあしらう。その様子はもう、子どもと大人の差だった。
「さて、そろそろ終わりに……」
「……待って」
「うん?」
「待って」
少年の後ろに隠れていた少女が少年の袖を引っ張った。
「回収……しないと」
「なんの?」
「左腕」
「ふむ……」
激しい戦闘の中、それに見合わない会話は進む。
「合図したら、聖域ごと吹っ飛ばして」
「人使いが荒いなぁ。まぁ、いいけど。それで、合図は?」
「……。……聖剣を投げ飛ばす」
「いいの? それ」
「別に、聖剣を回収しろとは言われてない」
「じゃあ、いいか」
「そう、いいの」
話し合いを終えた二人は、徐々に扉の方へ移りながら戦闘を続ける。やがて、扉の前に来たとき、少女は少年の影から飛び出した。
「よいしょ」
そして、扉に巻かれた鎖を切る。先程はびくともしなかった鎖が、バターのようにすらりと切れる。
それを幾度か繰り返し、全ての鎖を切り終える。
「えっ、重い……」
開けようとして少女は扉を押す。けれども、全く動く気配はなかった。
「それ、横開きじゃない?」
「むむむ?」
横に思いっきり引っ張ってみると、少しだけ動いた。
「やっぱり重い……」
そう言って、あろうことか少女は、僅かに開いた隙間に聖剣を差し込んだ。そして、梃子の力を使いこじ開ける。
ゴゴゴといかにも重そうな音とともに、少しずつ扉が開く。人一人が入れそうな程の隙間ができたところで、
「あっ……」
悲鳴を上げていた聖剣は遂に、刀身の半ばで折れた。
「いいの? それ」
「せ、聖剣が二つになったと思えば……」
流石に苦しい言い訳だ。
「ともかく、回収に……」
一連の流れを傍から見ていたアウロラは、あまりに常識外れな出来事が続いて呆気に取られていた。
その間に、聖剣の一部が扉の隙間から飛び出してきた。
合図だ。
少年の周りに、可視化された魔力の光が現れる。それは恐ろしい程に力強く、緻密に練られていた。
「何をしている!? 早くそいつを止めないかッ!」
「もう時間切れだよ」
何人ものオリヴィエが少年に群がる。だが、たったの一振りで弾き飛ばされる。
青紫の魔力が螺旋を描き、漆黒の刀身に集約していく。その剣を少年は逆手に持ち、振り上げた。
「アイ・アム……」
「な、なんだそれは!? やめろォッ!!」
オリヴィエたちが疾走する。その内の最も先頭にいた者が剣で少年の心臓を貫く。
「そんな……っ!」
アウロラが悲鳴を上げる。
しかし、
「───オールレンジアトミック」
彼は胸を貫かれたまま、剣を大地に突き刺した。
青紫の魔力が、一瞬で世界を染める。 オリヴィエは掻き消え、ネルソンは蒸発し、聖剣だったものは溶けていく。
青紫の魔力は、周囲一帯全てを飲み込んだのだ。
その日『聖域』は消滅した。
祝! 初アトミックですね!
聖剣と聖域は無事消滅しました。
あと、言い忘れていたのですが、アルファsideについては、あとで回想という形でやろうと思います。というのも、あっちはあまり変化がないので……。