光の裂け目から抜け出し、聖域から出ればそこは、森の中であった。
突き刺すようにこぼれ落ちる朝日に、アレクシアは目を細めた。徹夜明けのせいか、少し頭が痛い。
「あれは、街かしら」
木々の隙間から街のような光景が僅かにだけ覗いていた。我ながら、この発見をした自分を褒め称えたいところだ。
「彼女は……いないようね」
周囲を見回してみれば、そこには見飽きるほどの木々があるばかりだった。一緒に連れ去られたはずのナツメ・カフカの姿は見当たらない。
「いえ、私は連れ去られてはいなかったわね」
アレクシアはあのカマトトぶったポヨヨンとは違って、自分の意志であの地へと赴いたのだ。
そう自分を納得させ、アレクシアは歩き出す。一先ず街の方角へ向かうことにした。
「それにしても……」
思い出すのは、つい先程までの『聖域』での出来事だった。
英雄の正体や、"教団"の目的、『聖域』の正体───世界の陰に埋もれて、歴史の闇へと葬られた真実……いや、ここはそれを真相と呼ぼう。その失われた、あるいは秘匿された真相をアレクシアは昨夜、一挙に知った。
「"教団"は、このまま野放しにしてられないわ」
それは一人の人間としての思いでもあり、王族の一人としての責任感から来るものでもあった。
"教団"の行ってきたことは到底許されるものではない。たとえ、彼らの研究の成果が英雄を生み出したのだとしても、何万もの犠牲者を出してもいい免罪符とはならないのだ。
だが、そういう思いとは裏腹に、今の自分にも、そして王国にも抗うだけの力がないことをアレクシアは知っていた。
「でも、それだけじゃないわ……」
そう、今回分かったのはそれだけではない。何も分からなかったことこそが、今回得た最大の成果だった。
「世界に根を張る"教団"ですら、その全容は疎か、名前すら知り得てないなんてね」
ネルソンが"奴ら"と呼んだ組織、『シャドーガーデン』。
アレクシアはその名前を、シャドウと名乗った男から直接聞いていた。
「今まで巧妙に隠してきた名前を彼が出したのは、世界に出る準備が整ったってこと? それとも、もっと別の意味があるのかしら」
全く見当が付かない。それでも……
「力は必要ね」
力とは、単純な武力だけではない。知力や、情報統制能力、統率力など、多岐に渡る能力だ。
アレクシアは優秀ではあるが、天才ではない。今の彼女を構成するのは全て努力の欠片であり、凡人が一生で極められるものには限界がある。
「何にしても、人が必要だわ。信頼のできる、できれば優秀な人が」
とりあえず、今回の話は姉であるアイリスにもしておくべきだろう。
今後の予定を考えながら、アレクシアは森の中を歩いた。
□□□
アルファとイプシロンは、山頂からリンドブルムを見下ろしていた。
「『聖域』は消滅しました」
「そうね……」
イプシロンの報告に、アルファは目頭を押さえる。
「聖剣の回収は?」
「聖剣は蒸発したものと思われます」
アルファはため息を吐いた。
「核のサンプルは?」
「恐らく、蒸発しました」
アルファはやれやれと首を振る。
「最もシンプルで、最も確実な解決策。彼らしいわ」
そして、疲れたように呟いた。
「それができるのが、シャドウ様なのです!」
対してイプシロンは、頬を染めうっとりとした表情だった。
「彼にもきっと、考えがあるはずよ」
「はい」
考えがあることは分かる。だが、それがどのようなものなのかは皆目見当も付かなかった。
「それでイプシロン。ベータは今何を?」
「教団の拠点に潜り込んでいます。ネルソンがいなくなった混乱に乗じて、資料の回収をしています」
いくら指揮系統が乱れたからと言って、そう簡単には有益な情報が得られないだろう。あまり期待せずに待っておこう。
「そう。『聖域』の調査はどのくらい進んだかしら?」
「可能な限りの調査は終えました」
「詳細を教えてくれる?」
イプシロンが小さな手帳を開く。そこにびっしりと書かれた文字は、アルファには読めない。恐らく、彼女にしか読めない暗号で書かれているのだろう。
アルファはイプシロンの話す内容をその明晰な頭脳で瞬時に処理していく。
「もういいわ……それで、例の件は?」
「仮説は正しかったようです」
その言葉に、カチッとパズルのピースが嵌る音がした。
「『災厄の魔女』アウロラ───またの名を、『魔人』ディアボロス」
「そう。だから彼は───」
アルファは目を細める。朝日に照らされたリンドブルムは、宝石のように輝いていた。
「今後の予定はどうなっているかしら?」
「一先ず、王都のミツゴシ本店に戻り、その後は……」
「私じゃなくて、あなたのよ。イプシロン」
「私の、ですか?」
首を傾げつつも、イプシロンは答えた。
「特にはありませんが……」
「そう。なら、ベータのところを手伝ってくれるかしら?」
「ベータをですか……」
口には出さないが、顔には嫌だと書いてある。アルファは変わらない彼女を見て、頬を緩めた。
「アルファ様?」
「ごめんなさい。それで、回収が終わったら、あなたはオリアナ王国に、ベータはベガルタ帝国に行って頂戴」
「分かりました。ベータにも伝えておきます」
「えぇ、お願い」
頭を下げ、イプシロンはいなくなる。
「教団の目的は魔人の復活……それだけは阻止しないといけないわね……」
その少し後に、アルファもその場から離れたのだった。
□□□
目が覚めると、僕は見覚えのある病室のベッドの上にいた。窓辺に近いここには、白い朝日が差していて眩しい。その眩しさに目を細めながら、僕は周囲を見回した。
「心臓を貫かれても平気なのね」
そして、ベッドの側には見覚えのある人がいた。ヴァイオレットさんだ。なんかだか体が透けているみたいだ。
「心臓の位置を、魔力でずらしたんだ」
僕は体を起こす。
「私よりもずっと、びっくり人間ね」
「そうかもね」
ヴァイオレットさんは僕に触れようと手を伸ばす。けど、その手が僕に触れることはなかった。
まるで実体を帯びていないかのようなその手は、僕の体をすり抜けてしまう。
それを見た彼女は、一瞬だけ悲しそうな表情になる。
「シータは?」
「あの子なら、あなたの起きる前にこの部屋を出ていったわ。『アルファ様に見つかっちゃう……』とか何とか言って、大急ぎで」
「あぁ……」
そういえば、シータはお忍びで来ていたらしかった。本来の業務とかサボってたのかもしれない。
「もう消えるの?」
「えぇ、多分ね」
僕らは何も喋らなかった。ただ緩やかな静寂だけが流れていく。
「あなたを呼んだのは、実は私なの。嘘を吐いてごめんなさい」
「嘘なんて言ってたっけ?」
「知っていて言わないのも、嘘だと思うけれど?」
「ふーん、なるほどね」
まぁ別に、僕は大して困ってないから、いいんだけどね。
「他にも嘘を吐いたわ」
「いいよ、別に」
静かな朝に、小鳥の鳴き声が聞こえてくる。二匹いるようで、耳をすませば、
「ずっと、早く消えたいと思っていたわ」
「うん」
「でも、忘れたくない記憶が、一つだけできたの。たとえ私が消えても、この記憶だけは忘れずにいたい」
ヴァイオレットさんは胸の前で手を組み、微笑んだ。
「大切な記憶を、ありがとう」
少しずつ、影が薄れていく。そこに彼女はいるはずなのに、背後の光景と同化しているようだった。
「僕も楽しかったよ。ありがとう」
その言葉を聞いたヴァイオレットさんは、やっぱり微笑んだ。無理やり作ったような表情で、それが少しだけ悲しかった。
「もし、あなたが本当の私を見つけたら───」
シドの頬に手を添えて彼女は言った。でも、彼にはもう、彼女の姿が見えなかった。
そこには誰もいない、静かな朝がずっと続いていた。
「私を殺して、か……」
彼はアウロラが残した言葉を呟いて、自分の頬に触れた。彼女の温もりが、まだそこにあるような気がした。
「あっ、いつの間に戻っていらしたのですね」
「ローズ先輩?」
そうして、僕がしばしの感傷に浸っていると、静かに扉を開けてローズが入ってきた。
彼女は、僕の顔を見るなり安堵の表情を浮かべた。
「昨夜はどこに行っていたのですか?」
「えっとー、その、用を足しに……」
彼女は直ぐ様、ベッドの脇の椅子に腰掛ける。そこは、さっきまでヴァイオレットさんが座っていた場所だ。
「お腹の具合も悪いのでしょうか……? でしたら、すぐにお医者様を呼びますが……」
「いや、大丈夫。もう治ったから」
「そうですか」
ほっと息を吐いたローズが、血まみれの僕の服を見る。
「あら、確か着替えたはずでは……? それに、傷の位置も上に上がっているような……」
「それは……えーっと……」
それから、彼女を言いくるめるのに、僕はかなり苦労したのだった。
次回はいつも通りの幕間を挟みます。その後、四章ブシン祭編に突入です。