あれから、週が明けて『ブシン祭』予選が始まった。
既に二回戦までは滞りなく終わり、対戦相手の質も徐々に上がってきていた。普段のアンネローゼであれば、望むところだと息巻くところではあったが、今の彼女にそんな余裕はなかった。それと言うのも、彼女の頭の中ではずっと、あの時の光景が映し出されていたからだ。
誰もが観衆となる中、人混みなど物ともしない態度で歩み出た人物。それは傲慢だと、言える態度だったのかもしれない。だが、
あの時彼の人物が見せた歩法は、そう簡単にできるものではない。歩法だけじゃない。間合い管理も完璧だった。
あれ程のことが、アンネローゼにはできるだろうか。
どちらか片方であれば、できるかもしれない。
しかし、双方同時に行えるかと言われれば、自信がなかった。
「……そろそろね」
アンネローゼはたった今終わった試合を見て、呟いた。
まだ三回戦であり、会場は狭い。適当な空き地に柵を立てて、それっぽくしただけの会場だった。観客の数も、それに見合うだけの数に収まっていた。
「続いて第三試合!」
魔力拡声器で音圧を増幅させた声が響く。
「右手より現れるのは、三年連続三回戦止まりのザッコ・キャーラだぁ! 今年こそ、四回戦に進出なるのか!?」
「あれは……無理そうね」
アンネローゼから見て左方より、大きな体の男が現れる。三十歳前後の見た目だ。
大鉈のような武器を担ぎ、雄叫びのように吠えている。力はありそうだが、体を上手く使えていなそうだ。
「ザッコ選手、今年も気合い十分ですね」
「勿論だぜ!」
「昨年はクイントン選手に、ぼろ負け……」
「惜敗だ」
「そう! 惜敗いたしましたから、今年こそ、リベンジできるといいですね」
「おうよ!」
早く始まればいいのに、とアンネローゼは愚痴を吐く。観客からの盛り上がりも薄かった。
「さて! 対する相手は今回が初出場のギニュー・モリータ選手です!」
パラパラと散発的に拍手が起こる。所詮は予選。決勝ラウンドまで進んだならいざ知らず、今の段階ではこんなものだろう。
「ギニュー選手は今回が初出場ですが、何か意気込みなどはありますか?」
「……」
「あー……ごほん! それでは、第三試合を始めましょう! よーいはいいですか」
両者は距離を取り、向かい合う。
そして、笛の音と共に試合が始まった。
最初に動いたのはザッコだった。彼は開始早々、一挙に間合いを詰めようと駆け出した───ように見えた。
「えっ?」
しかし、ザッコは一歩目を出すと、二歩目で膝をつき、三歩目を出すこともなく倒れてしまった。
「一体何が……」
その一部始終を見ていた観客は呆気に取られる。ザッコが起き上がることはなかった。
「しょ、勝者ギニュー・モリータッ!!」
レフェリー兼進行役が高らかに叫ぶ。だが、普通なら多少なりとも歓声の湧くところに、静寂は訪れた。
ギニューは、誰もが固まって動かないでいる中、会場を後にした。
□□□
アンネローゼは無事に、四回戦進出権を獲得し、帰路についていた。
折角、彼の人物について知ろうと早く会場へ行ったのに、成果は得られず。結局、謎は深まるばかりだった。
「見えなかった……」
油断していたとはいえ、アンネローゼは彼の人物の動きを捉えることができなかった。
唯一見えたのは、ほんの一瞬だけ、姿が霞んだところくらいだ。まさか、認識できないほどの速さで、動いたとでも言うのだろうか。
「何か禁止のアーティファクトでも使っている……?」
だとすれば、かなり貴重なアーティファクトだろう。それに、
「代償は大きいはず」
大きな力の行使には、大きな代償が付き纏う。必ずしも、その原則に当てはまるわけではないが、多くの場合はやはり当てはまるだろう。
いずれにせよ、もう一度見てみるまでは何とも言えない。
「次の試合は、絶対に見逃さない」
そうアンネローゼは決意を新たにした。
「っと、すみません」
「……こちらこそ、考え事をしていた。すまない」
前方から来た二人組の少年の内、黒髪の平凡な少年にぶつかる。
お互いに謝罪をし、そして、彼らとはそのまま何事もなく別れた。
「……」
アンネローゼは振り返って彼らを見た。彼らは何かを楽しそうに話しながら、去っていく。
アンネローゼはその後ろ姿をしばし眺め、その後前を向いてその場から離れたのだった。
□□□
翌日。今日は『ブシン祭』の四回戦がある日だ。
アンネローゼは観客席の最前列に陣取り、目当ての試合を待っていた。
「よぉ、嬢ちゃん」
そんなアンネローゼの隣に、大柄な男が座った。全身に古い傷跡があり、腰の大剣は使い込まれている。かなりの期間、戦場に身を置いていたのだろう風体の男は、観察するように彼女を見た。
「あんた、『ベガルタ七武剣』のアンネローゼだろ?」
「その名は捨てた。今はただのアンネローゼだ」
「そりゃ悪い」
男はちっとも悪いとは思ってなさそうに、肩を竦めた。
「……アナタは?」
男の瞳とアンネローゼの瞳が鋭く交錯する。先に折れたのは、男の方だった。
男は笑って手を上げる。
「そう睨むなよ。俺はクイントンだ」
「……確か、受け付けで喧嘩が起こっていたときにいたな」
「あぁ、あれは俺も見てたぜ。なんつーか、ヤバい奴だった」
「月並み以下の感想ね」
「こりゃ手厳しいぜ」
ガハハとクイントンは笑い声を上げる。
「昨日の試合も見ていたんだろう?」
「そうね」
「あいつの試合、あんたはどう見た?」
クイントンが足を投げ出す。アンネローゼは足を組んだ。
「……超級のアーティファクトを使ったか、もしくは桁違いのバケモノか」
「なるほどな。俺も大体その線だ……具体的には分からなかったのか?」
「わ、分からなかったわ」
少しムッとして、アンネローゼは答えた。
「まさか見逃すとは思わなかったのよ。油断していた。ただ、ザッコが踏み出した瞬間、ギニューの姿が霞んだように見えたわ」
「ほう」
「とてつもない速さだったのは、間違いない」
アンネローゼの瞳が鋭く闘技場を見据えた。
「ふん……まっ何がどうであれ、今日の試合で分かるだろ」
「そうね」
「対戦相手のゴルドー・キンメッキってのは、俺は知らねぇんだが、有名らしいな」
「有名、ね」
アンネローゼが可笑しそうに、口の端を持ち上げる。それを見たクイントンは眉を顰めた。
「不敗神話のゴルドー・キンメッキ。確かに、良くも悪くも有名だわ」
「良くも悪くも?」
アンネローゼは首肯する。
「逃げるのよ、彼」
「誰から?」
「強敵よ」
ゴルドーは負ける可能性がある相手とは決して戦わない。勝てる相手とだけ闘い、強い相手と当たった時点で棄権するのだ。それで付いた二つ名は、不敗神話。正確に実力差を見抜く彼に、誰も勝つことはできないのだ。
「もっとも、彼はその二つ名が嫌で常勝金龍と名乗っているようだけど」
「ククッ、なるほどな。不敗と常勝、似てるようで全く違う意味だな」
呆れたように、あるいは嘲るようにクイントンが笑う。
「なら、不敗神話さんには期待できないってことだな」
「それはどうかしら」
「────?」
「彼、確実に勝てる相手だけと戦って、何度も大会上位に食い込んでいるわ。小さな大会なら、優勝経験もある」
「なら、弱くねぇな」
そうして、話が一段落ついたところで、丁度次の試合が始まろうとしていた。
ゴルドーとギニューがそれぞれ中へと入場し、向かい合う。
「4回戦第6試合ゴルドー・キンメッキ対ギニュー・モリータ! 試合開始!」
歓声と罵声の混じった盛り上がりが、闘技場に巻き起こる。
そして、試合が始まった。
□□□
ゴルドー・キンメッキは今日の試合に臨んだことを後悔していた。
彼は今、怪しげな衣装に身を包み、顔に狐の仮面を付けた謎の人物と対峙していた。その骨格は、男のようにも女のようにも見える。
最初、彼の人物を見たときゴルドーは雑魚だと判断した。どの動きを取っても隙だらけで、とても戦場で生き残った者には思えなかったのだ。
それに、二回戦、三回戦と見てきたゴルドーに言わせれば、対戦相手が勝手に倒れただけで、彼の人物は何もしていないように思われた。
だが、今対峙してようやく理解した。
このゴルドーへ向けられる圧倒的なプレッシャー。どこから攻めても、全て防がれ───否、それだけではなく、強烈な返しが来るような気がする気配。
「すぅー、はぁー」
この感覚は生まれて初めてではない。
じっとりと全身から汗が生じ、バクバクと鳴る鼓動が頭に響く。血流が速くなり、体温の上昇と共に気分が高揚していく。
しかし、それに反するように心臓の奥深くが冷え込む。痙攣を起こしているかのように収縮する錯覚を覚える。
この感覚は、恐怖だ。
かつて一度だけ体験し、それより逃げ続けてきた感情だ。
「───」
この試合は無理だ。棄権しよう。
その言葉が何度頭を巡ったことだろう。
既に心は折れ、合図さえあればいつでも逃げ出す準備はできていた。
表面には出さないものの、もはやゴルドーに、戦意などというものは存在しなかった。
「キンメッキさん! やっちゃってください!」
不意に、そんな声が聞こえた。
いや、あるはずはない。これだけの歓声なのだ。よしんば叫んだとしても、ここまで届くはずはないのだ。
「キンメッキさん! 負けるな!」
だが、再びその声が届く。誰かは分からない彼は、必死にゴルドーのことを応援していた。
ふと思い浮かぶは、昨日の少年の姿。ゴルドーの話を目を輝かせて聞いていた少年だ。
「ふっ」
賭けをするろくでもない少年であったが、どうせ自分もろくでもない奴だ。
あの純粋に尊敬する瞳を思い出す。
自分も、かつては騎士に憧れ、剣を取ったのだ。
それがいつしか、逃避心と虚栄心から強敵を避けるようになった。
だが、騎士とはそんなものではないはずだ。彼が昔、尊敬の眼差しで見つめたのは、そんな騎士ではないはずだ。
「ふぅー」
凍える胸を震わせて、笑いそうな膝を無視して笑い飛ばす。
「ハッハッハ!」
───オレは誰だ?
「お前も運がないなっ!」
ゴルドーは己の心に問いかける。
「この、不敗神話のゴルドー・キンメッキ様が相手だなんてな!」
───そう、オレは不敗神話のゴルドー・キンメッキだ!
ゴルドーの体の周りに、黄金の龍が現れる。それは、大量魔力を練り、集めた故に起こる奇跡。
会場がどよめきに包まれる。
「喰らえッ! 邪神・秒殺・金龍剣ッ!!」
一息で間合いを踏み潰したゴルドーが、全力で剣を振るう。
風をつんざき、
それは今までの彼の人生において、最高の一撃であった。
「───見事」
そして、ゴルドーの意識は僅かな浮遊感と共に、深い闇へと沈んだ。
□□□
「ゴルドー・キンメッキ、まさかこれほどやるとはな……」
「えぇ。最初で最後のあの一閃、並の魔剣士では太刀打ちできない。もっと上を目指していれば、本戦でも戦い抜けられたでしょう」
それが、試合後のゴルドーに対する評価だった。アンネローゼたちは、少し彼のことを見くびっていたようだ。
「で、ギニューの方はどうだった?」
「……この試合で、彼は初めて剣を抜いたわ」
「今までは抜いてすらいなかったのか」
「恐らく。きっと、ゴルドーを剣士として倒そうとしたのね」
救護隊による担架で、ぐったりと動かないゴルドーが運ばれていく。彼に送られる声は、野次よりも励ましの方が多かった。
「ギニューの剣は……美しかったわ」
「美しい?」
クイントンは首を傾げる。彼には見えなかったのだろう。
「そう。言うなれば『凡人の剣』。基礎を積み上げ、無駄を省き、研ぎ澄まされた果ての剣よ」
「そりゃ……ずいぶんな評価だな」
「それだけの技術が、彼にはあった」
何もかもが謎に包まれた人物であるが、こと剣においては、比類なき努力をしたのだろうと分かる。
アンネローゼは少しだけ親しみを覚えた。
「けどまぁ、これでアーティファクトに頼った卑怯者って線は消えたわけだ」
「元々、可能性は低いと思っていたでしょ?」
「まぁな」
クイントンは苦笑を浮かべ、立ち上がる。
「見るもん見たし、俺は帰るぞ」
「いちいち言わなくてもいい」
そして、大声で笑いながら去っていった。
アンネローゼは再び闘技場を見下ろす。既に次の試合の準備は終わっていた。
「ギニュー・モリータ……本戦で待っているわ」
そう言い残し、アンネローゼも会場を後にした。
結構緩い話が多くなりそうですね。四章は