「エルフの匂いがする」
その声に僕は振り返る。すると、そこには色褪せた灰色のローブを着た人物がいた。青色の瞳が、フードの隙間から僕のことを見据えている。
「エルフの匂い?」
「そう。エルフの知り合いがいる?」
その青色の瞳は、僕を探るように覗き込んでいる。
「エルフの友達なら、何人かいるよ」
「……エルフの友達?」
僕の言葉に、アレクシアが首を傾げる。
「あなた、エルフの知り合いがいたの?」
「そうだよ。僕の実家の近くは森だからね」
本当は関係ないけど、勘繰られると面倒だからね。
僕は完全には嘘じゃない嘘を吐いた。真実の中にちょっぴり虚構を混ぜるのが、上手い嘘の吐き方だ。
「ふーん」
「話しているところすまないが、私はエルフを探している」
ハスキーなヴォイスの彼女は、言葉通り申し訳なさそうに言った。
「そうなんだ」
「かわいい子だった」
「へー」
「心当たりはないか?」
「うーん、ないかな」
「私とよく似ているはずだ」
「そっか」
「私とよく似たエルフに心当たりはないか?」
「あのー……」
「心当たりあるか?」
「ローブで顔が見えないんだけど」
「……そうだった」
ハスキーヴォイスな彼女は顔のローブをとって、素顔を曝した。 その顔は、アルファの親族と言われれば信じられるほどには、よく似ていた。
だけど、僕は何も反応しなかった。
いや、意識して何も反応しないようにしたんだ。
「……ちょっと心当たりはないかな」
「また嘘?」
「僕が嘘ばっか吐いてるみたいに言わないでほしいな」
まぁ、間違ってはいないんだけどね。
とりあえず、今度アルファに会ったら確認したほうがいいかもね。
「そうか……」
ハスキーなヴォイスの彼女は残念そうに肩をすくめて、僕を見る。そして、自然な動作で剣を抜いた。殺気も予備動作もない完璧なる一撃。
それでも、僕は反応しなかった。分かってる。これはあれでしょ。寸止めってやつ。
「うわっ」
僕は当たるかどうかの絶妙なタイミングでバランスを崩す。どうせ当たりはしないけど、この方がモブっぽい。
そのまま、僕は無様に尻餅をついた。
「なんて自然な剣……」
アレクシアが呟いた。
「むむ?」
エルフでハスキーなヴォイスの彼女は首を傾げた。
「間違えた。ごめん。もう少し強いかと思った」
そして、僕に手を差し伸べる。僕はその手を掴み、弱々しく立ち上がった。
「君の名は?」
「し、シド・カゲノーです」
少し怯えた風に、僕は言った。
「なんか胡散臭いわね……」
失礼な。どこからどう見ても、純粋なモブだろうに。
美人でエルフでハスキーなヴォイスの彼女は、僕の手を握ったまま離さない。
「あの……?」
「いい手だ。君はきっと強くなる」
更に美しく微笑んだ。
すごくアルファに似ている。
「私の名はベアトリクスだ」
「ベアトリクス!?」
アレクシアが素っ頓狂な声を漏らす。見れば、目が真ん丸になっていた。
「知り合い?」
「そんな訳ないでしょ。むしろ知らないの? 『武神』ベアトリクスという名前を」
「あー、どっかで聞いたことがあるような気がしないでもない」
「あなたね……」
アレクシアはやれやれと言いたげに、ため息を漏らす。それから、ベアトリクスの方へと向き直る。
「探している人がいるそうで」
「そうだ。何か知らないだろうか」
「生憎ながら、そのような人物に心当たりはありません」
「そうか……」
アレクシアはコホンと咳払いをする。
「ですが、協力はしましょう。もし、探し人が王国内にいるのなら、必ずや見つけ出します」
「それはありがたい」
「なので、まずは姉様……アイリス王女に話を───」
「その必要はない」
「───通して騎士団を……えっ?」
アレクシアは言葉を失ったようだ。口をパクパクと開閉させている。
そんな彼女に気が付かないのか、ベアトリクスはそのまま続けた。
「実は、先日アイリス王女と会ったんだ。そのとき、協力は惜しまないと言ってくれた」
「へ、へぇー、そうなのですか」
アレクシアの笑顔が微妙に引きつっている。口元に手を当て、おほほほとか言っていた。
「ま、まぁ、私も出来る限りのことはいたしましょう」
「よろしく頼む」
何とも言えない微妙な雰囲気で、沈黙が舞い降りた。
どうするんだ。この状況。
僕はアレクシアの方を見る。……駄目だ。愛想笑いを浮かべるだけで、なんら動きそうにない。
続いて、ベアトリクスの方を見る。……駄目だ。何やらまぐろサンドを頬張るばかりで、動きそうにない。
こうなれば、僕の取るべき行動は一つだろう。
僕は意を決して、手を上げた。
「トイレ行ってきます」
僕は二人の反応を待たずして、その場から脱した。
その後二人がどうなったのかは、僕は知らない。
……でも、あの『武神』ベアトリクスという人物は結構強いね。
□□□
アイリスは特別席で、試合が始まるのを待っていた。
「もうすぐ試合が始まるというのに、あの子は何をしているのかしら……」
トイレに行ったきり、戻ってこない妹を思い浮かべる。
「大丈夫ですか? アイリス様」
「えっ? えぇ、大丈夫です。少し、考え事をしていました」
アイリスの隣に座るのは、クレア・カゲノーという魔剣士学園の生徒だ。学園での成績は優秀で、一応は男爵家の出ということもあり、一定の礼節も弁えている。
そんな彼女には、いくつかの騎士団から勧誘があったようだが、今は『紅の騎士団』への加入がほとんど確定的に決まっていた。
「組織の拡充は急務、ね……」
それは『聖地』リンドブルムから帰ってきたアレクシアが進言したことだった。
出来るだけ信頼できて、なるべく優秀な人材を集めて『紅の騎士団』を強化するべきだ、と。
「それができたら苦労はないのよね……」
人材もそうだが、騎士団の予算が通らないというのも大きな障壁だ。このままでは、まともに人員を増やすことすら覚束ない。
「はぁ……」
「気分が優れませんか? アイリス王女」
アイリスの隣の席に、男が座った。そこは、シドという少年の席だ。
「その席は……」
「何か?」
隣に座った男を見て、アイリスは出そうになった言葉を飲み込んだ。
「いいえ、何でもありません───ドエム殿」
別に席は用意されているはずだが、ここで指摘しては、彼を遠ざけているように思われるかもしれない。それは国家間のいらぬ摩擦を生みかねない。
シドには悪いが、ここは口を噤むが吉だろう。
「ご機嫌麗しゅう」
ドエムは優雅に微笑むが、その目は笑っていなかった。
「アイリス様と観戦できるとは、夢のようですな」
「お戯れを。ドエム殿には婚約者がおられるではないですか」
「おや、まだ非公式なのですが……流石はアイリス様。お耳が早い」
この男、ドエム・ケツハットにはあまり良い噂がない。それは、彼がミドガル王国へ訪問するに際し、色々調べ回ったグレンから聞いたことだ。
元はしがない貴族であったにも関わらず、宰相まで登り詰めた経歴。そこに至るまでに、彼の周りでは不審死が相次いだという。その範囲は、競争相手となっていた大貴族から始まり、対抗勢力の貴族や従者、果てはその親族にまで及ぶ。
更に、不確定ではあるが、相当数の平民、それも貧困に喘いでいた人々も姿をくらましている。まず借金などの形に使い潰されたのだろう。
アイリスは、そんな彼に対する不信感はおくびにも出さなかった。
「オリアナ国王のお加減はまだ優れませんか」
「そうですね。本日も欠席されるそうです。ですが、明日は出席されるとのことですよ」
「そうなのですね。明日は丁度、ミドガル王も出席されます」
「それはそれは。奇遇ですな」
ドエムはハハハと声を上げて笑うが、やはりその目には何の感情も宿ってはいなかった。
「……それで、アイリス様はこの試合をどう見られますかな」
ドエムが会場を見て言った。
今は折よく選手が入場してきたところだ。
対戦カードは、ローズ・オリアナ対ギニュー・モリータだ。
アイリスは一旦気持ちを切り替え、会場を見下ろす。
「順当に考えれば、ローズ殿と言いたいところですが……」
アイリスはちらっと、ドエムを流し見る。
「何か懸念点でも?」
「……そうですね。あのギニューという人物は、予選で何人もの強者を打ち倒しています。あるいは、今大会のダークホースとなるかもしれません」
「そこまで言うとは。いやはや、試合が楽しみですな」
「……」
薄い笑みを浮かべて、手を組むドエム。
「私の婚約者には、是非とも頑張っていただきたい」
その瞳に一瞬、ギラリと怪しい光が灯るのを、アイリスは見逃さなかった。
□□□
ローズは深く呼吸をし、『ブシン祭』本戦の場内へと足を踏み入れる。
多くの歓声が入り乱れ、右を見ても、左を見ても人で埋め尽くされていた。
一度、ローズが足を踏み入れれば、白鳥が水面から飛び立つが如く、どっと会場全体が湧き上がる。その盛り上がりが熱気を生み、うねりくねって熱狂となっていく。
そんなある種一体感に包まれた会場で、ローズの心には深い影が差し込んでいた。
「さぁ、始まりました『ブシン祭』! 今年も古今東西、津々浦々! 国内からも国外からも、有名無名の実力者が揃いました!」
魔力で増幅された司会の声が大きく響き渡る。その大きさに負けじと、観衆の盛り上がりも更に爆発した。
「さて、そんな『ブシン祭』の映えある第一試合はぁぁっ!!」
そこで司会はぐっと溜めを作る。
そこまで溜めなくとも、みんな知っているはずなのに。
「はぁぁっっ!!」
まだ溜める。
「ぁぁぁっっっ!!」
まだ溜める。
もういいのではないだろうか。会場も静まり返っていた。
「───ローズ・オリアナ対ギニュー・モリータだぁーっ!!」
「「うぉぉ!!」」
もう盛り上がれば何でもありなのだろうか。
そう思いつつも、ローズはギニューと向き合った。
「それでは用意はいいですかー?」
司会が元気に吠える。
それにしても、不思議な人物だ。彼の、ギニュー・モリータという人物からは、全くと言っていい程、殺気を感じない。
いや、殺気だけじゃない。その実力も全く分からなかった。
言うなれば、自然。森に木が生えているかのように、そこに存在するのがもっともらしく思えるのだ。
これは、油断ならない相手だ。
「……」
ローズは全ての感情も、迷いも、葛藤も心の奥にしまい込む。
そして、遥か上空、空の彼方へ飛び立つように集中する。あるいはそれは、深い海の底へと沈着するに等しい行為でもあった。
いずれにせよ、頭に
それは、そうしなければ勝てないことは疎か、かすり傷一つ付けられないとローズの本能が告げている証でもあった。
「それでは第一試合、ローズ・オリアナ対ギニュー・モリータ───始め!!」
そして、試合が始まった。
ドエム関連は捏造です。
ローズ先輩に何があったのか。次回へ続く。