「なんという試合だったのでしょう……」
その感嘆は、試合の終わりが宣言されると同時にアイリスの口から溢れた。
「ローズ先輩、あれ程だったとは……」
そして、いつの間にやら戻っていたアレクシアも、素直な感想を漏らしていた。
「あらアレクシア、いつ戻っていたのです?」
「つい今しがたです、姉様。丁度、対戦相手のギニューが空に魔力を放った辺りから」
「そうなのですね」
アイリスはコホンと咳払いをする。
「して、アレクシア。ドエム殿への挨拶は致しましたか?」
「……まぁ貴方がドエム様なのですね。遅れ遊ばせながら私は、ミドガル王国第二王女アレクシア・ミドガルです」
アレクシアはスカートの端を摘んでカーテシーをする。
「……あぁ、これはご丁寧に。オリアナ王国宰相ドエム・ケツハットと申します。以後お見知りおきを」
ドエムは立ち上がり、アレクシアと握手を交わした。お互い笑みを浮かべてはいるが、内心はどちらも笑ってはいない。その仮面の裏側にある感情は誰にも分からないのだ。
しかし、このときアイリスには、ドエムが酷く困惑しているように思えたのだった。
「どこか調子でも?」
「い、いえ、何ともありませんよ」
「そうですか……」
会場を包む熱気はVIP席にまで届いていた。その熱気には、「凄いものを見た!」という人々の興奮が含まれている。
ドエムがふらりといった体で席に座った。
「ローズ様のことは残念でしたね」
「……はい。ですが、大変素晴らしい試合でした。私は剣のことについてはさっぱりですが、両者共に全力を出し合いぶつかる姿には、私も感じ入るものがありました」
アイリスはちらりとドエムの手を見る。その手は素人ではあり得ない程に、たこができていた。
「あと一歩足りませんでしたね」
「あと一歩どころでなかったのは、アイリス様が一番分かっていらっしゃるでしょう」
「……」
ドエムは憎々しげに言った。
「あれ程の戦士が、何故今まで無名だった……いや、裏の人間なのか……だとすれば何が目的なんだ……?」
「ドエム殿?」
「……あぁ、失敬。少々考え事をしておりました。ところでアイリス様。あのギニューという選手に関して、何かご存知で?」
アイリスは首を振る。
「いいえ。先程話したこと以外には特に」
「そうですか。……彼の戦士は、恐らく裏の社会の人間でしょう」
「というと?」
「あれ程の実力、そして洗練された未知なる流派。どうして表の世界に名が出ていないのか───」
「……なるほど。そもそも表の人間ではないと」
「ええ」
ドエムは神妙に頷いた。
「いずれにせよ、私が彼と当たるのは決勝です」
「自信はお有りで?」
アイリスは笑みを浮かべた。
「勿論です。どんな相手だとしても、必ず勝ってみせます」
「それは頼もしい」
ドエムが愉快そうな声を上げて笑う。相変わらずその瞳に黄色はない。
だが一瞬。そう一瞬だけ。確かに感情の灯火が宿るのを、アイリスは見逃さなかった。
「〈悪魔憑き〉を治すその力……ギニュー、覚えたぞ」
□□□
僕がVIP席に戻ると、何やら僕の席におっさんが座っていた。アイリスと親しげに話している。
……これは、うん。もう帰ろうかな。
僕は回れ右をする。
「ちょっと、どこに行くのよ」
その僕の肩に、手が乗せられる。というか、強く握られている。
「えっと……少し用を足しに」
「今帰ってきたばかりでしょう?」
「じゃあ、お花を摘みに……」
「同じことじゃない。それとも、本当に字面通りにするのかしら?」
「うわっ」
肩が引っ張られ、そのまま僕は一回転する。
「どこ向いているのよ」
「な、流れに身を任せた結果だから……」
「人と話すときは相手の顔を見るんじゃなくて?」
「人と話すときはね……」
「それって、どういう意味?」
背後から凄い不穏な気配を感じる。
しまった。
「姉さんほど美人だと、直視ができないからね」
「……そういうことなら、仕方ないわね。私が悪かったわ」
なんとか切り抜けられたようだ。
僕は姉さんの方を見ないままに、安堵の息を漏らした。
「それで、僕の席にいるあの人は?」
「あぁ……あれはオリアナ王国宰相、ドエム・ケツハットよ」
オリアナ王国宰相? 来賓なのかな。
「呼び捨てでいいの?」
「いいのよ。本人の前じゃないし」
「でも、どうして僕の席に?」
「アイリス様と話をしに来たのよ。ローズ先輩という存在がありながら、ろくでもない男ね」
ん? ローズ先輩がなんだって?
「ローズ先輩がどうかしたの?」
「知らないのも無理ないわね───」
姉さんが声を潜める。気配からして、周囲を気にしているようだ。そして、「ここからの話は他言無用よ」と前置きをした。
「ローズ先輩とあの男は結婚するようよ」
「へぇ」
ここはもっと驚いた方がモブっぽいかも。
「なんだって!?」
「シッ! 声がでかいわ。……それに、なんか二回驚かなかった?」
「そんなことはないよ」
「そう?」
姉さんは咳払いをする。
「それで、これからどこに行くのかしら?」
「うーん。寮に帰ろうかなと」
「アンタ、折角姉と観戦に来たのに、もう帰るわけ?」
「だって、僕の席ないし」
「……」
沈黙が降りる。けれど、それもすぐになくなった。
背後で姉さんの遠ざかる気配がする。
「どこいくの?」
「あの男をどかしてくるわ」
「それはやめておいた方がいいと思う」
「……じゃあ、どうするのよ」
あっ、ヤバい。この声は完全に頭にきてる。下手すれば、カゲノー家がお取り潰しの未来まで行きかねない。
「僕のことはいいから、姉さんは一人で観戦してきなよ。僕はその間に、適当に町をぶらついとくから」
「……そう。でも、私も観戦はもういいわ。お目当ての試合は見たから」
「まだ第一試合なのに?」
「うるさいわね。……というわけで、私も町に行くわ」
「えー、一人でいぃ───」
「何か言ったかしら?」
「やったー! 久しぶりに姉さんと散歩だー!!」
「まったく、アンタはいつまで経っても子どもなんだから」
そんなこんなで、その日僕らはほとんど丸一日町をぶらついていたのだった。
───その一報が届いたのは、僕が宿に戻ってから、ジャガの口からだった。
□□□
「アイリス王女が負けたんですよ!」
「へー」
僕の部屋に入ってくるなり、ジャガは開口一番でそう言った。というか、いつ帰ってきたんだ。実家に行っているという話では?
「いつ帰ってきたの?」
「今日ですよ」
帰ってきて早々、情報を仕入れてくるとは。その情報通魂に敬礼。ついでに、モブ魂にも敬礼。
「お土産は?」
「ありませんよ。あっ、でもジャガイモならあります」
「それはいらない」
『聖地』のときは僕がお土産を買ってあげたというのに。
そういえば、あのお土産まだジャガには渡してないや。まぁ、後でいいか。
「ところでシド君。『聖地』リンドブルムに行ったそうですが、お土産はどこですか?」
「多分あそこら辺のどっか」
クローゼットの方を指差す。すると、ジャガは物凄い勢いでクローゼットの前まで移動した。
……ふっ、やはりこういう小物っぽさが、モブになるための第一歩なのだろう。
「おぉ! 頼んでいたものもちゃんとありますね! ありがとうございます!」
「全部で三千ゼニーね」
「ジャガイモ払いで」
「それは駄目」
ジャガは渋々銅銀貨を出した。
「お土産って、こういうものじゃないと思うんですが……」
「買い物代行サービスだよ」
「そういうものですか」
「そうそう」
ジャガは大事そうにお土産を抱えた。
「それで、話は逸れましたが、アイリス王女の件です」
「あぁ、確か負けたんだっけ。でも誰に?」
「それが、元『ベガルタ七武剣』のアンネローゼ・フシアナスという人です」
「へぇー、そうなんだ」
『ベガルタ七武剣』のアンネローゼか。
僕もいつかは、そんな二つ名で呼ばれたいものだ。
「あっ、あれは○○のシャドウか!」みたいな感じで。
「そういえば、この前『女神の試練』でも、古代の戦士に勝ってたね。名前は忘れたけど」
「そうなんですか。やっぱり、かなりの実力者みたいですね。試合の方もかなり拮抗していたらしく、どちらが勝っても不思議じゃなかったそうです」
「決め手はなんだったの?」
「僕も見ていたわけではないので、詳しくは分かりませんが、どうやらアイリス王女の剣が折れて、そのまま棄権したようです」
「剣は確か、主催者が用意したものだったよね?」
「そうです。アイリス王女は自分の腕が未熟だったと反省してたみたいですね」
「そっか」
なにはともあれ、このまま順調に行けば、決勝相手はアンネローゼということにになりそうだ。
「シド君。どうです? 一緒にアンネローゼさんに賭けませんか?」
「いや、僕は遠慮しておく」
「どうしてですか!? 絶対に儲かりますよ!」
「でも嫌だ」
僕はヒョロのように、すかんぴんになるつもりはないのだ。
それからしばらく、僕はジャガによる誘いを断り続けたのだった。
まずは、いつもよりだいぶ間が空いたことをお詫びいたします。何があったのかと言えば、単に忙しかったというだけですが。
しばらくは忙しい日々が続きそう(6月いっぱいは結構大変です)なんですが、何とかブシン祭編は終わらせようと思います。
その後について、5章以降を始めるまでに、しばし休載期間を設けようと思います。5章以降は更にオリジナル要素が強くなるため、時間が欲しかったというのもあります。
明確な期限は設けませんが、次回(ブシン祭編ラスト)より一ヶ月以内には戻ってくる予定です。
身勝手な話ですが、何卒ご容赦ください。