黄金コンボでした。
「ふぅ……」
東の空が朱色に染まっていくのを、アンネローゼは眺めていた。
ここはアンネローゼの宿泊する宿の屋根の上だ。昼間は暑い季節であるのだが、朝はとても涼しい。少しべとっとした冷たい風が、彼女の青い髪をさらっていく。
「……」
思い出すのは『ブシン祭』準決勝、VSアイリス戦だ。
戦いは途中まで、両者互角の様相を呈していた。幾本もの剣閃が入り乱れ、花火のように火花が散る。
度重なる衝撃が体の芯に響き、高まる緊張感の中で、視界の明度は下がっていった。それに反比例するように、集中力はより深いところまで落ちていった。
その暗くなる感覚を、顕微鏡の倍率で喩えたのは、『ベガルタ七武剣』の誰だったか。
視野狭窄といえば聞こえは悪いが、それはつまり、深い集中の海へと溶け込んでいくのと同義なのだ。
手足が、目が、耳が、意識が、ただ目の前の敵を打ち倒すためだけに研ぎ澄まされ、それ以外の全てを置き去りにする。無限とさえ思えるほどに引き伸ばされた時間は、けれどもゆっくりと流れた。
その中でも、思考は全くの明瞭さであった。意識が手綱を握っていると言えばいいか。とにかく、激しい脈動による興奮とは裏腹に、驚くほど冷静な思考だったのだ。
何とも楽しい時間であった。
だが、そんな時間は唐突に終わりを迎えた。
何が起きたのか。
アイリスの剣が折れたのだ。
一瞬の静寂が会場を支配する。遅れて、今度はけたたましい程の喝采が響いた。
アイリスは折れた剣を少し眺めると、それを鞘に収めて笑顔で手を差し出した。そして、完敗だったと、そう言ったのだ。
「……」
アンネローゼも手を差し出し、握手を交わした。しかし、顔は笑っていなかった。
それは何故か。
生憎と、明確なる理由をアンネローゼはまだ得られていない。
言うなれば、違和感を覚えたのだ。
何に対して?
決まっている。
「来たわね……」
アンネローゼはポツリと呟いて立ち上がった。
遠く東の空には、今日の到来を告げようと太陽が姿を現した。途端、朱色の空に白が差す。
それを見届けて、アンネローゼは自室へと行く。
今はまだ寝巻きだから、着替える必要があったのだ。
寝巻き少女(二十一歳)は少し腫れぼったい目をこすって、一つあくびをした。
今日、『ブシン祭』の優勝者が決まる。
□□□
「さぁ、いよいよ本戦もラスト一戦を残すばかりとなりました!」
司会の声に、会場が色めき立つ。
このイベントの終了を惜しむ声は、想像よりも多かった。
「決勝進出一人目は、元『ベガルタ七武剣』が一人、アンネローゼ・フシアナスだぁーっ!!」
だが、そんなことは関係ない。自分は武者修行中の身。惜しむ声に流されて試合時間を伸ばすなどあり得ない。
アンネローゼはぎゅっと腰の剣を握り、会場へ入る。
その瞬間、どっと声量が大きくなった。
「アンネローゼ・フシアナスさん。何か言いたいことはありますか?」
「何もない」
これから試合だというのに、話しかけないでほしい。この程度で乱される集中力ではないが、それでもやはり、鬱陶しい。
司会は気を取り直して、叫ぶ。
「このアンネローゼに相対する者はぁーっ! ギニュー・モリータだぁーっ!!」
「……」
その声と同時に、漆黒の服を身に纏う人物が現れる。かつかつとブーツを鳴らし、その歩みに迷いはない。
ずいぶんと、こういった場───あるいは、実践慣れをしているように感じられる。
「ギニュー選手。試合に対する意気込みなどはありますか?」
「……」
「あの……ギニューさん?」
「……」
司会の言葉に、ギニューは反応しなかった。
「もうなんなんだよ……」
先のアンネローゼに続き、ギニューも芳しくない反応だった。
それ故だろう。司会はそうぼやいた。
だが、それでもこの道のプロだ。すぐに気を取り直して、進行を滞らせることはない。
「……ごほん。さて、『ブシン祭』決勝戦───」
アンネローゼとギニューは剣を抜き、向かい合う。
「───開始っ!!」
そして、けたたましいサイレンが響いた。
□□□
最初に動いたのは、アンネローゼだった。
僕は本当は、もう少し"対話"をしたかったけど、彼女はずいぶんとせっかちなようだ。
試合開始と同時に、アンネローゼが踏み出す。
それは奇襲であり、並の相手なら即座に決着がついただろう鋭いものだった。
僕は半歩後ろに下がり、彼女の剣の軌道上に僕の剣を置いた。そのまま剣と剣は衝突するが、甲高い金属音はせず、少しだけ耳が痛くなる嫌な音がするばかりだった。
半歩引いた分浅くなった彼女の剣を僕は受け流したのだ。
それでも手に伝わる感触はあった。うん。悪くない剣だ。
「ふぅー……」
彼女は一旦僕から距離を取った。今のは挨拶代わりの小手調べだったのだろう。
僕らは互いに静かに向き合う。
この感覚は悪くない。ちょっと物足りないけど、ちゃんと"対話"できてる気がする。決して、僕が一方的にぶん殴る戦いにはならなそうだ。流石は決勝戦。
「……」
ジリジリと彼女は距離を狭める。
まだ僕の間合いにも、彼女の間合いにも入っていない。けど、大きく踏み出せば、そこはお互いの手の届く距離。僕らはミリ以下の単位で牽制し合う。
そっちから来ないのなら、僕から行こうかな。
「くっ!」
僕は大きく一歩踏み込み、剣を横薙ぎにする。アンネローゼは素早く反応して、体勢を崩すことなく、受け止めた。
まぁ、ここまでは想定内だ。
僕は更に一歩詰める。
警戒したアンネローゼが半歩下がるのに合わせて、僕は剣を押し込んだ。
それで彼女の体勢が崩れたところへ、すかさず蹴りを入れる。
「うぐっ!?」
ちょっと浅かったかな。僕も体勢が悪かったから、あまり良い手応えではなかった。鎧もあるしね。
彼女は蹴られた腹を押さえて、しかし、すぐに剣を構えた。
「その武術、どこで学んだの?」
「……」
「……」
僕からの返事がないと分かると、アンネローゼも何も言わなかった。
僕らの距離は、もうお互いの間合いの内側だった。
……さて、そろそろかな。
□□□
アンネローゼは、相手の全身を油断なく見据えながら、ここまでの情報を整理する。
ギニューの使う剣は、ここまで行われてきた試合で見せたものと同じ剣だった。
既存の型に囚われない全く新しい剣。それは、悠久のときを凝縮したかのように鋭く洗練されていた。
今しがた僅かに切り結んだだけでも、その片鱗を味わえた。絶妙な受け流しに、完璧なタイミングでの力の抜き差し、そして、死角からの蹴り。
アンネローゼが考えるに、"間合い"とは単純に開いている距離を指すのではない。動くタイミングや、剣を構えた位置など、それら全てを包括したものを、"間合い"というのだ。
彼女の知る限りにおいて、その"間合い"に明確な解はない。相手や自身の状態など、様々な条件が複雑に絡み合って、その時々に最適解が存在するのだ。
彼女の旅の目的は、その最適な"間合い"の条件を見つけることだ。"間合い"を制する者が戦いを制するというのは、多くの戦士の見解であり、それにはアンネローゼも賛同するところだったから。
少々脱線が過ぎたが、言いたかったことは、アンネローゼにはギニューがその最適な"間合い"の所在を知っているように思えたということだ。
この戦いは彼女にとって、『ブシン祭』優勝がかかっているということよりも大きな意味があった。
「行くわよ」
小さく声に出し、己を奮い立たせる。
もう相手の間合いの内側だ。いつでも相手の剣は届く。
感じるプレッシャーはアイリスと同等か、それ以上。
頬を伝った雫がポツリと地面へ落ちた。
仕掛けたのは、ここでもやはりアンネローゼだった。
"間合い"を学ぶためには、自分から積極的に動いて、肌で感じるしかない。彼女はずっとそう教えられてきたし、いつだってそうやって学んできた。
ギニューはアンネローゼの剣を、先程と同じように受け流す。だが、二度も同じ手を食らわないのが彼女が『ベガルタ七武剣』と呼ばれるようになった所以の一つだ。
受け流される力のベクトルを変え、ギニューの剣に対して直交させる。無理な軌道変化だが、最初から狙っていたのだ。やってやることは訳ない。
そのまま更に距離を詰め、鍔迫り合いに持ち込む。
ギニューは後手に回るばかりで、何ら反撃する素振りを見せない。
彼女は全身の力を振り絞り、剣を押し込んだ。
一歩、ギニューが引いた。
いや、彼はすぐに一歩進み出た。
───それを、アンネローゼは待っていたのだ。
思い出すのは、数瞬前のギニューとの攻防。あのとき彼は押すことでアンネローゼの体勢を崩したが、今度は引いて崩すのだ。要領は同じだ。
詰められたのに更に一歩詰め、さっと力を抜いて、剣の上を滑らせる。
案の定ギニューはバランスを崩した。
今がチャンスだ。
「はぁッ!」
下段に構えられた剣を振り上げる。そこは相手の死角であり、刃があれば、相手の命をも刈り取れる一撃だ。
───取った!
アンネローゼが確信したそのときだった。
ぐわんッとギニューが仰け反った。
そのまま刃の軌道から、顔は逸れた。
「……」
「アナタ……」
けれど、彼……いや、彼女も無傷ではなかった。
顔に付けた狐の面は真っ二つに割れ、頬には細い裂傷が付いていた。
ギニューは頬から出る血を拭う。
「女だったのね」
「……」
試合中だというのに、やけに会場が静かだった。アンネローゼにそう感じられるのではない。本当に、静まり返っていたのだ。
仮面を破壊されたことにより、ギニューは被っていたフードを脱いだ。
長い髪は黒色で、綺麗な光沢がある。瞳の色は赤く、やや目つきが悪い。けれど、総評として美人の部類で、凛とした雰囲気が感じられた。
アンネローゼはキッと睨まれる。
「それがどうかした?」
「いいえ……続けましょう」
今更、相手の性別など関係ない。全力を尽くすのみだ。
異様な雰囲気の中、両者は互いに向き合った。
張り裂けそうな緊張感により、アンネローゼの感覚は意識下から遠ざかる。次第に、それらは無意識下に置かれていった。
理由がなんであったかは分からない。
傍から見れば唐突に、けれど、本人にしてみれば何らかの目的をもって、前方に跳躍する。
攻撃ではない。
これは、防御だ。
直後、アンネローゼのいた位置を銀閃が通りすぎる。
だが、そこに安堵はない。
試合はまだ終わってない。
そして、アンネローゼには……見えなかった。
予備動作もなしに、視界から消え、次の瞬間には風切り音が迫っていたのだ。
いや、その表現は正しくない。
銀閃に続いて、風切り音が鳴っていたのだから。
ぱっと振り向いても誰もいない。
だからか。否、だけれども、アンネローゼは一歩下がって剣を振るった。
不快な金属音が鳴り響く。火花が散る。
その明かりに照らされてか、刹那、ギニューの姿が見えた気がした。
まだ、終わっていない。
見えてなくとも、まだ続いている。
先程から防げているのは、直感か。
それは半分正解だ。
……だが、逆に言えば半分は間違いないなのだ。それは何故か。
それは───
「───見えたッ」
あるいはそれは、錯覚だったのかもしれない。
───いや、信じよう。ここまで剣に捧げ続けた自分の勘を信じよう。
その勘という不確定的要素とは裏腹に、アンネローゼはひどく確信を抱いていた。
言うなれば経験。
努力し、蓄積してきたあらゆる経験の全てが、今この瞬間に沸騰する。
それら全てがアンネローゼに語るのだ。
今目の前に最高の一撃を放て、と。
「はぁぁァッ!!」
雄叫びのような声を上げる。気炎を吐いたのだ。
美しき剣の軌跡が描かれる。
まさしく、アンネローゼの人生で最高の一撃だった。
そこで、アンネローゼは見た。
不意に現れたギニューが、その剣の寸前で立ち止まるのを。
───あぁ、これが"間合い"の、武の頂き……
最後の光景、そんな感情が頭を過った。
彼女の意識はそこで暗転する。
□□□
結局、その後は表彰やら何やらで僕は大変だった。
もうギニューにはならなくていいかな。なんか、来賓のおっさんがすごい見てきたし。
でも、あの素顔を見せたときの反応は良かったね。今まで騒がしかった会場が、一気に水を打ったように静かになったのだ。
あいつ、女だったのか……! ってね。
「ギニュー」
僕が満足しながら会場の廊下を歩いていると、声をかけられた。
振り返れば、そこにはアンネローゼがいた。
「……」
「アナタ、やっぱり強かったのね」
「アンネローゼも、強かったわ」
彼女は苦笑する。
「アナタのおかげで、私は目標に大きく近づけた気がする。ありがとうと、言っておく」
「そう……」
話は終わっただろうか。僕は背を向ける。
「アナタ、『ベガルタ七武剣』に入る気はない? 丁度、私のいた分が空いているはずよ」
「ない」
「なら、ベガルタに来る気は?」
「……」
なんか妙にグイグイ来るな……。
ここは断らずにいこう。
「気が向いたら」
それを聞いて、アンネローゼが笑った気配を感じた。
「そう。そのとき私がいるかは分からないけれど、いたら歓迎させてもらうわ……また会いましょう」
それだけ言って、彼女は離れていく。
勿論僕も。
僕らはもう振り返ることはなかった。
予定通り、しばらく休みます。幕間に関しては、ウォーミングアップとして、再開一発目に出そうかと思います。