『赤き月』の伝説
『ブシン祭』も終わり、校舎の復興も終えたということで夏休みは終わりを告げた。
そのことに嘆く者、悲しむ者、泣き崩れる者……は流石にいないが、誰しもが浮かない顔をして、登校していた。その顔には、「もう少し遅くなると思ったのに」と書かれているようだった。
そんな敗残兵共の列に混じるのは、黒く長い髪に、キリッとした赤い瞳をした少女、クレア・カゲノーだ。彼女もまた、その端正な顔つきを歪ませ、難しい表情をしていた。
「はぁ……」
もっとも、彼女は別段学校の再開を
思い出すのは、『ブシン祭』でのことだ。
「まだまだ遠いわね……」
クレアは、自分のことを強いと思っていた。今回の大会は、出場の機会にこそ恵まれなかったが、出場すればまず良いところまで行けると自負していた。そして、その考えは今も尚変わらない。
現に"運さえ良ければ"、良いところまでいけるだろう。
だが、きっと強敵と当たった時点で負ける。確信があった。
正直、アイリス以外なら何とかなると思っていた。けれど、それは大いなる思い違いであった。
アイリスも、アンネローゼも、ギニューも、遠かった。
そう、彼らはあまりにも遠かったのだ。
ローズだって、最後に見せたあの剣は凄まじいものだった。果たして、自分はあれを受けても立っていられるだろうか。
ギニューに至っては、最早勝てるビジョンが思い浮かばなかった。アンネローゼも自分じゃ及ばない程の実力者だったのにも関わらず、ギニューに稚児をあしらうが如く一蹴されてしまった。
遠目に見て、何をやっていたのかはあまり分からない。ただ、ギニューが驚異的な間合い管理をしていたことだけは分かった。
結局、彼女は本気など出していなかった。
「いえ、精進よ。クレア・カゲノー」
パンッと頬を叩く。それに何事かと幾人かの生徒が振り向くが、クレアと目を合わせるとすぐに顔を逸らしてしまった。
「ふん」
「クレア嬢」
そんな反応に鼻を鳴らすクレアに、声が掛けられた。男の声だ。というか、この声は知っている。
クレアは振り返る。
「これは、グレンジャー様。いかがなされましたか?」
「アイリス王女がお呼びです」
「アイリス王女が? ……いえ、分かりました」
クレアはマルコに連れられ、校舎の中へと入っていった。
□□□
「どうぞ、お座りください」
「ありがとうございます」
アイリスに勧められ、クレアは椅子に腰掛ける。
ふかふかとしたイスで、体が沈んでいきそうだ。
「それで、話というのは?」
「……相変わらず単刀直入ですね」
アイリスは苦笑する。
「すみません……」
「いえ、責めたわけではないのですよ。最近、調子はどうですか?」
「特に障りはありません。ただ……」
「ただ?」
「何と言うか、その───」
クレアは先程考えていた不安を、歯切れ悪く、辿々しい言葉で説明する。
そんなクレアの拙い話をアイリスは終始相槌を打ち、真剣に聞いた。
「……なるほど。つまり、今の自分に力が足りないと考えていると」
「はい」
「ですが、あなたはまだ若い。伸びしろは十分にあるでしょう」
「……そうですね」
アイリスが顎に手を当て、少し考え込んだ。
「私も、彼女───アンネローゼには敗北を喫しました」
「───! あれは、剣に細工がされていて───」
部屋の端にいたマルコが、慌てたように声を上げた。
「それでも、負けたということに変わりはありません」
「……はい」
しかし、彼は頭を下げて、部屋の脇に戻る。
「そのアンネローゼすらも、容易く打ち倒したギニューは、やはり傑物の類いでしょう」
「……」
「何も、あそこまで強くなる必要はないのです。私たちは最強を目指しているわけではありません。守るためにいるのですから」
「……ならもし、ギニューが敵に回ってしまったら?」
「私が切ります」
クレアは目を丸くして、アイリスを見た。その瞳に翳りはない。ただ真っ直ぐと、あるべき事実として固く信じている目だった。
「ふふっ、そう驚かなくても。別に、私は一人で戦うわけではありません。試合ではありませんから」
チラッとアイリスは脇に控えるマルコを見た。
「私には、心強い味方もいますしね」
「……そうですね」
自分は、その心強い味方の内に入っているのだろうか?
ふと、クレアは疑問に思う。
「いいえ、違うわね」
だが、即座にそれが愚問であることに思い至る。
これは、相手がクレアをどう思うかではないのだ。
逆だ。
重要なのは、クレアが相手にどう思わせるかなのだ。
問答無用で心強く思わせられる程、クレアが強くなればいい
「よし」
「どうやら、心の準備ができたようですね。いい顔です」
ここにきて、ようやく今までの会話の意味を理解した。
アイリスは、自分の悩みをとうに見抜いていて、その上で自分を元気付けようとしていたのだ。
それを理解すると、途端顔が熱を帯びる。
「お手数をおかけしました」
「お気になさらなくともいいですよ」
アイリスがふわりと微笑む。
「さて、あなたを呼んだ理由ですが……秋休みに、少々遠出をしていただきたいのです」
「遠出、ですか」
「えぇ。場所は『無法都市』です」
「『無法都市』……」
それから、クレアは『無法都市』について聞いた。
彼の都市には三人の支配者がいて……だとか。
巨大なスラムみたいだけど、あなたなら大丈夫ね……だとか。
魔剣士協会について……だとか。
色々だ。
「……で、どうしてその『無法都市』に私が?」
「『赤き月』の伝説はご存知ですか?」
「一応は」
どのくらい昔だったか。かなり昔の話だが、『血の女王』と呼ばれる存在がいた。『血の女王』は吸血鬼であった。
色々あって、人族に追い込まれた吸血鬼たちだが、月が赤く染まったそのとき、その力が爆発した。
その結果、一晩で周辺諸国を滅ぼしたという。
結局どうなったかは知らないが……
「その『赤き月』の伝説がどうしたのですか?」
「……これは、グレンが掴んだ情報なのですが、近々、その『赤き月』が『無法都市』に現れるようなのです」
「私にどうしろと?」
「調査をしてほしいのです。既に、魔剣士協会を通して人員は送り込んでいますが、『紅の騎士団』の息のかかった者も送り込みたいのです」
「なるほど……それは私で良いのでしょうか?」
「是非、お願いします」
クレアは一度大きく深呼吸をする。それから、アイリスの瞳をキッと見つめた。
「分かりました」
「……ありがとうございます」
了承の意を表したクレアに、一瞬アイリスが呆けたような顔をした。
「私の顔に何か付いてますか?」
「いえ、そういうわけでは。すみません。ただ……」
「ただ?」
「これは失礼に当たるのかもしれないのですが、その、ギニュー・モリータに今の顔が似てるなぁ、と……」
「そうですか?」
クレアは自分の顔に触れてみる。けれど、よく分からなかった。
「それだけです! 他意はありません!」
「はぁ……」
アイリスは「こほん」と咳払いをする。
「それでは、先の件よろしくお願いいたします」
「はい。承知しました」
その返答を聞いて、アイリスは微笑んだのだった。
□□□
「来たか……」
ニューがその部屋に入ると、そんな声が掛けられた。すぐに膝を付いて、頭を垂れる。
「遅れて申し訳ございません」
相変わらずの素晴らしい部屋だ。元貴族として多少なりとも目の肥えたニューとしては、目を奪われるものがあった。
例えばあの絵だ。前に見たときはモンクの『叫び』が掛けてあったところには、今はゴーホの『アジサイ』が飾られている。世界に七枚しかない幻の『アジサイ』シリーズの一枚だ。
他にも、あの……っと、今はそんなことをしている場合ではないのだった。
「『無法都市』で動きがありました」
「ふむ……『赤き月』か」
「はい。その関連でしょう」
事前に、『赤き月』のことについては報告していた。そのときも、主はまるで全てを見通したかのように「ふむ……」と言ったきりだったのだ。
恐らく、このことも想定済みだったに違いない。
だが、いかに主が全てを知っていようと、報告を怠っていいことにはならない。
「既にベータ様は戻って来ており、準備が出来次第発つとのことです」
「ふむ……」
ベータはベガルタに赴いていたが、『赤き月』の報告を受けて急遽戻ってきたのだ。
「ベータ様の補佐として、カッパとオミクロンも同行する予定です」
「ふ、む?」
「いかがなされましたか?」
「いや、何でもない」
ニューはそれ以上のことは聞かない。
「誰だそれ……?」と聞こえた気がしたが、よもや主が組織の人間を知らないはずはない。気のせいだろう。
「報告は以上で……」
「待て」
ニューが報告を終えようとしたそのとき、主がそれを制止した。
何か不十分、不明瞭な点があったのだろうか。それとも、何らかの粗相をしてしまったのだろうか。
びくっとニューの肩が震えた。
「『無法都市』だったか?」
「『赤き月』関連でしたら、そうです」
「……我も行こう」
「えっ!」
断罪覚悟の心地から一転、衝撃と共に微かな喜びが胸に広がる。
この件は必ず成功する、と。
だが、同時にある種の不安が去来する。
自分たちの力が足りないから、主直々に来られるのではないか、と。
できるならば、主の手を煩わせることなしに解決したい。
そんなニューの思いとは裏腹に、答えは最初から一つしかないのだ。
「分かりました。そのように手配いたします」
「頼んだぞ……」
こうして、報告を無事終えることができた。
先程まで二人の人物がいた部屋には、もう誰の気配もなかった。
カッパはΚ、オミクロンはΟで、原作にはいません。また、出場予定もありません。ニューとかと同じ立場です。
尚、『無法都市』については深くはやりません。というのも、章題の通りに色んな視点をやるつもりなので。
その関係上、どうしても本章はシドくんの出番が少なくなります。というか、ほぼないです。そこら辺については、予めご了承ください。