陰のボスになりたくて!   作:若林布吉

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本当は昨日投稿しようと思ったんです。存外に長くなってそれは叶いませんでしたが。
各キャラクターの魅力を最大限引き出したつもりです。


君たちはフェンリルを侮っていただろう?

「───フェンリル。それが俺の名前さ」

 

 少年───フェンリルはニヤリと笑い、剣を抜いた。

 

「こいつがフェンリル……」

「……思ってたより小さい」

「君に言われたくはないね」

 

 フェンリルに続いて、ゼータ、シータ、ニーナもそれぞれ己の得物を手に取った。

 コミカルな会話とは裏腹に、張り詰めた空気が漂う。

 最初に仕掛けたのは───シータだった。

 

「先手必勝」

「ぬっ!?」

 

 何やら一瞬、魔力を溜めたかと思えば、とてつもない速さの直線軌道で、フェンリルの目の前までやって来る。

 そして、勢いそのままに、ボディーブローをお見舞いした。

 

「また突っ走って……」

 

 体をくの字に折ったフェンリルに対し、シータが更に連撃を打ち込む。

 凄まじい速さで打ち込まれる拳や蹴りに、フェンリルは為されるがまま、不器用なダンスを踊るが如くであった。

 

「むっ」

「少し大人しくしてろ」

 

 だが、そんな一方的な状況は長くは続かない。

 顔面を殴ろうとしたシータの拳が掴まれる。そして、フェンリルは片手でシータを地面に叩きつけた。

 

「うっ……!」

「まだ終わりじゃないよ」

 

 更に今度は首を掴んで、再び地面にシータを叩きつけようとする。

 

「相手はシータだけじゃないよ」

「おっと」

 

 その寸前、楕円軌道を描き、フェンリルに接近する影があった。チャクラムだ。

 その飛来するチャクラムを躱そうと、フェンリルの体勢が一瞬崩れる。その隙に、シータが体幹で足を持ち上げ、フェンリルの体を踏み台に跳んで離脱する。

 チャクラムはフェンリルの服を軽く切り裂き、ゼータの手元に戻った。

 

「危なかった……ナイス、ゼータ」

「油断し過ぎ。もう少し緊張感を持って」

「……善処する」

 

 二人は軽口を交わしつつ、前方を見据える。

 そこには、唇から出た血を拭う少年の姿があった。

 

「この程度かい? 『シャドーガーデン』の実力というのは」

「まさか」

「まだ一割も出してない」

 

 フェンリルの見え見えな挑発に、二人は淡々と答える。

 

「シータまだいける?」

「……全然余裕」

「そう来なくっちゃ」

 

 実際、先程床に叩きつけられていたが、そのダメージを負っているようには見えなかった。

 

「まぁ、久方ぶりの遊び相手なんだ。焦らずゆっくりと楽しもうじゃないか」

 

 そう言うと同時に、今度はフェンリルが仕掛けた。

 無駄なく洗練された踏み込みで、一気に自分の間合いまで詰めてくる。そしてそこから放たれる一閃は、ゼータの首を狙う。それはまさに長年剣を振り続け、無駄を削いだ剣だった。

 

「ほう……」

 

 だが、それは言ってしまえば無駄を削いだだけ。特筆するほど速くもなければ、独特のリズムがあるわけでもない。

 ゼータは簡単にスライムソードで防いでみせた。彼女の主の剣は、もっと洗練されている。

 そうして、防がれたことでできた空白に、割って入った影がある。シータだ。

 横合いから滑り込むように現れた彼女は、手に持った短剣をフェンリルの右腕に突き刺した。

 

「悪くはない」

 

 しかしフェンリルは、赤い鮮血が飛び散るのもお構いなしに、懐に入ってきたシータを剣の柄で殴る。こめかみを打ち抜かれたシータの意識がブレた瞬間に、追撃の蹴りを腹に入れ、吹き飛ばす。

 

「思った以上に手応えがな……うん?」

 

 フェンリルは何か違和感を覚え、首を傾げる。だが、それが分かる前に背後に気配を察知した。

 

「ボクのことも、忘れないでよねっ!」

 

 その気配の正体は、開戦当初から様子を伺い続けていたニーナだった。彼女の剣は『シャドーガーデン』のシンボルたる剣で、実力はその中でも頭一つ抜きん出たものだった。

 だが、それでもこの場にいる者たちからすれば、ワンランク落ちるのは事実である。

 振り向きざまに振られた一閃は、容易くニーナの刀身を打ち砕く。

 

「剣筋は悪くない。後百年も修業すれば、俺にも届き得る……でも、それだけだ」

「くっ……!」

 

 ニーナは間一髪で眼前を通り過ぎる刃を躱す。数本の髪の毛が切られ、はらりと落ちた。

 

「ナイス、ニーナ」

 

 剣を失い、下がるニーナと入れ違いに、起き上がったシータが突っ込む。

 

「またそれかい。もう見飽き……」

 

 そして、勢いは殺さず最短距離で、フェンリルにタックルする。更にその最中に、腰に手を回し、抱きついた。

 

「何の真似だ……ん?」

 

 体幹で何とかバランスを保ったフェンリルが、シータの奇行に眉を(ひそ)めた。

 

「やっちゃえゼータ」

 

 シータが呟いたのと、フェンリルが上を見上げたのはほとんど同時であった。

 先程感じた違和感───あるべき姿が見えなかったという違和感の正体に思い至る。

 

「お待たせ」

 

 上空、漆黒の剣を大上段に構える獣人の姿が見えた。その周囲で、凄まじい程の魔力が渦巻いている。

 

「奥義───」

 

 落ちてくる。自由落下に身を任せ、圧縮された魔力と共に、落ちてくる。

 

「あい・あむ───」

 

 ばっと、フェンリルの動きを止めていたシータが離脱する。先程も見せた、超高速直線移動だ。

 だが、そんなことはどうでも良かった。

 フェンリルの目は、上空の光景に釘付けだったのだから。

 

「───あとみっく・もどき」

 

 世界が真っ白に染まった。荒れ狂う魔力の奔流が世界を染めた。

 

□□□

 

「やった?」

「シータ、こういうとき、それは言っちゃ駄目だよ」

「どうして?」

「シャドウが言ってた」

「ふーん」

 

 砂ぼこりのような、白い霧が辺りを包む中、呑気な話し声が響く。だが、内容は気の抜けたものであるが、声は硬かった。

 

「今のはシャドウ様の……?」

 

 ニーナは混乱しているのか、首を巡らした。勿論、シャドウの姿は見当たらない。

 

「違う違う。今のは私がやったの」

「それは……すごいですね」

「まぁ、主ほどの威力は出ないんだけどね。でも、主が私を助けてくれたときと同じくらいは出てる……といいな」

 

 ゼータが懐かしむように、目を細めた。

 

「ゼータ様───」

「ククク、死ぬかと思ったぞ」

「───っ!」

 

 ゆっくりと白い靄が晴れる中、しわがれた声が響いた。

 

「あれ程の魔力、流石は〈悪魔憑き〉と言ったところか」

「お前は……!」

 

 声のしたそこに立っていたのは、白髪の老人だった。今にも折れてしまいそうな程体は痩せ、深い皺がいくつも顔にはある。

 だが、その見た目とは対照的に、与えてくるプレッシャーは一段と強まっている。

 

「それが本当の姿ってわけか」

「ククッ」

 

 見たところ傷はない。シータに刺された傷も、『あとみっく・もどき』による傷もなかった。

 ぽろぽろと、老人───フェンリルの手の中で剣の柄が崩れ落ちる。既に刀身はなかった。

 

「さて、少し本気を出すとしよう」

 

 そう言って、フェンリルが虚空から剣を取り出した。その剣は彼の身長よりも長く、淀んだ血のような赤色であった。

 

「あれが魔剣『血牙』……」

 

 ───魔剣『血牙』。

 それはかつての有名な剣士が使っていた魔剣だ。その変幻自在の刀身は、圧倒的超射程を生み、理不尽な暴力を相手に一方的に叩きつけるという……。

 

「さぁ、第二ラウンドといこうじゃないか」

 

 そう言ったフェンリルの皺が更に深くなる。何とも醜い顔だった。

 

「ゼータ」

「ん、何?」

「……本気で行く。スイッチ頼んだ」

「オーケー。任された」

 

 不敵な笑みを、ゼータは浮かべる。

 

「ふぅー」

 

 対してシータは目を瞑り、大きく息を吐いた。肺の中の空気を全て押し出すように。

 

「すぅ……」

 

 そして、右足を引くとともに、ゆっくりと息を吸う。肺の中を空気で満たすために。

 

「準備はできたか?」

「待っててくれるなんて、存外に優しいんだね」

「ククッ、『シャドーガーデン』の実力、見せてもらおうか───」

 

 フェンリルは言い終わるや否や、『血刃』を振るう。数メートルと伸びた『血刃』が狙うのは、カンガルー・スタートの姿勢で動かないシータだ。

 シータは、しかし、動かない。

 

「シータ様!」

 

 『血刃』の間合いより外にいるニーナが叫ぶ。

 だが、シータは動かない。

 

 ───いや、ニーナには見えなかったのだ。

 

 気が付けば、『血刃』は空を切っていた。シータの姿はどこにもない。

 

「ほう……ならば、これはどうだ?」

 

 長く伸びた『血刃』が何本もの線を描く。その剣速は、ニーナの動体視力をして、捉えきれないものだった。

 だが、そんな剣も全て空を切る。むしろ、どこを目標に振っているのかさえ、ニーナには分からない。

 傍から見れば、フェンリルが高速で素振りをしているようにしか見えないのだ。

 そんな素振りの軌跡も、徐々にフェンリルを中心に収束していく。『血刃』が短くなっているのだ。短くなる度に、剣速は更なる高みへと上っていく。

 やがて、剣閃すらも形を失い、赤みがかった影しか見えなくなった頃、ピタリと『血刃』が止まる。

 

「見事だ」

 

 直後、フェンリルは吹き飛ばされた。

 

□□□

 

 シータが本気を出せば、体術においてシャドウとも数秒は戦える。

 では、何故数秒だけなのか。それは、全力を出したシータの息が数秒しか保たないからだ。

 シータは全力を出すとき、最初に息を吸ったきり、その後は呼吸をしない。呼吸による空白を省き、極限まで切り詰めたアップテンポで以て、相手を圧倒し、制圧する。それが彼女の戦闘スタイルであり、切り札だった。

 それは並の肺活量では、到底なし得ないものだ。そして、それ故に体にかかる負荷も尋常じゃない。

 そうやって、魂を削る真似をしてでも、やらなければいけないときがあるのだ。

 

 シータは、カンガルー・スタートの体勢から、軽くホップして『血刃』を避ける。だが、その避ける動作で同時に前にも進んでいた。

 続く『血刃』の連撃も、ほとんど軌道を逸らさずに、最小限()()の動きで躱す。

 そう、最小限()()なのだ。

 体には深くはない無数の傷が刻まれていく。それでも、シータの足は止まらない。

 何故余裕を持って躱さないのか。

 答えは単純だ。

 時間がないのだ。シータが動ける時間では、『カップムードル』だってできやしない。

 そんな致命傷だけは避けたような回避で、ほぼ一直線に進む。

 徐々に『血刃』の密度が高まり、裂傷の数も指数関数的に増えていく。このまま血を流し続ければ、遠くない未来に倒れるだろう。

 だが、それよりも前に、シータはフェンリルを己の間合いの内に入れた。

 

「見事だ」

 

 そして、瞬きよりも速く距離を踏み潰し、最大限力の乗ったパンチを打ち込んだ。

 

□□□

 

 フェンリルは何とか急所に来る攻撃をいなしつつ、しかし、反撃には出れないでいた。

 ───この敵は手強い。

 それがフェンリルの印象だ。

 ハイペースで繰り出される一発一発が重い。時折来る"大技"は、防いだ腕の骨を容易く粉砕する。そして、連撃の端々で、拳から、つま先から、膝から、ピック状のスライムが出て、確実にダメージを与えてくる。

 フェンリルはそれらを捌きつつ、魔力で自己修復しながら、それでも防戦に回るしかできなかった。

 そして、フェンリルを悩ませているものはもう一つあった。

 

「ぬっ」

 

 突然シータがしゃがんだかと思えば、高速で飛来するものがある。

 矢だ。

 それも、十全に魔力が乗り、直撃すれば即死しかねないものだった。

 

「ぐっ……」

 

 フェンリルは僅かに体を傾ける。しかし、それでは完全に躱し切ることはできない。

 矢は肩口に命中し、肉は(おろ)か、骨まで削り取っていく。

 即座に回復を試みるが、そればっかりに意識を集中させるわけには行かない。再びシータによる連撃が始まった。

 しかし、その動きは先に比べて些か悪い。

 

「ハッ、もう疲れたか?」

「……」

 

 シータは何も言わない。だが、動きは目に見えて悪くなる。

 やがて。

 

「ぷはっ」

 

 吐き出すように息を吐いたかと思えば、彼女は距離を取る。

 

「ごほぉっ……」

 

 だが、もう限界なようで、片膝を着いてしまった。

 

「シータ! 早く下がって!」

「ぺっ……善処する」

 

 唾を吐き、シータは背を向け退く。

 フェンリルは、その隙を見逃さない。

 

「私に背を向けるなんてな……古流剣術奥義───」

「なっ! シータ避けて!」

「───っ」

「『空蝉(うつせみ)』」

 

 咄嗟にシータはスライムソードを作り、フェンリルの剣の軌道に割り込ませる。

 しかし、フェンリルの剣はその剣をすり抜けるようにして───

 

「シータ!?」

「シータ様!」

 

 真っ赤な花が咲いた。シータは地に倒れ伏す。

 

「お前……っ!」

 

 ゼータがスライムソードを持って、シータの側に立つフェンリルに突貫する。そのままフェンリルを斬りつけた。

 激しい連撃を軽くいなされているが、確実にその場からは離れる。

 その裏で、ニーナがシータを回収する。かろうじて、呼吸はまだあった。

 

「シータの容態は!?」

「まだ何とかなりますっ!」

 

 言いつつ、ニーナは魔力を込める。少しずつ、繊細に傷を癒していく。

 ゼータはシータの容態を聞いて、何も言わず戦闘に戻った。心なしか、動きが柔らかくなっている。

 

「ごふっ……」

「シータ様! ニーナです! 分かりますかっ!?」

「……うるさい」

 

 青い顔をして、煩わしそうにシータは眉を顰める。そして、今も戦うゼータの方を見た。

 ゼータは『空蝉』を警戒してか、間合いを外して中距離戦闘を展開していた。

 剣で『血刃』を弾きつつ、チャクラムとナイフを投擲(とうてき)する。

 だが、それらは簡単に防がれて、決定打にはなり得ていなかった。

 

「……遅かった」

「はい?」

「遅かった」

 

 遅、かった?

 主語が抜けたその言葉は一体何を指しているのだろうか。少なくとも、今のゼータの戦いではないように思えた。

 シータはそれだけ言って、ふっと体の力を抜く。

 

「シータさっ! ……なんだ、眠っただけか」

 

 言いたいことだけ言って満足した顔だ。まだ治療中なのに……。

 ニーナは治療を続けながら、先程の言葉の意味を考える。

 

「さて、もう残り魔力も少ない。全力で行くとしよう」

 

 フェンリルの纏う魔力量が爆発的に増える。それと同時に、嫌なプレッシャーが吹き付ける。

 

「中々楽しかったぞ」

 

 フェンリルが構えると、それら魔力がぎゅっと凝縮され、不自然に自然な空白が生まれる。

 

「見よ。我が『空蝉』を更に昇華させた奥義───『空蝉の血刃』」

「───っ!」

 

 急に背中に寒気が走り、ゼータは大きく飛び退いた。

 直後、霧が割れ、地面が割れる。遅れて赤い剣閃が走った。

 ───それは、本来あるべき順序とは全く逆の現象であった。

 

「くっ……」

 

 そのチグハグな攻撃は、フェンリルが剣を振る度にその数を増やしていく。

 やがて、その数は九つの数字を数えるようになった。

 

「バケモノめ……っ」

 

 その九つの剣閃を、ゼータはかろうじて直感だけで躱す。だが、直感で全てを避けられるはずもなく、浅くない傷が蓄積されていく。

 

「遅い……」

 

 その様子を見ていたニーナは、じっと考える。シータの言葉の意味を。

 遅いとは、単純な剣閃を言うわけではないだろう。フェンリルの剣は間違いなく一級品だ。

 では、攻撃のテンポの話だろうか。いや、それもない。彼の九つの剣はゼータでさえ防ぎ切れていない。

 

「それなら……」

 

 遅い。その主語は何だ。

 フェンリルを観察しろ。何が遅いというのだ。

 剣速、テンポ、反射、現象……。

 

「まさか……」

 

 ニーナははっとして、顔を上げる。

 そう、現象だ。あれは明らかに遅い。()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが意味することは───

 

「ゼータ様! 見えているのはダミーです!」

「ダミー!?」

「ほう……」

 

 ニーナも剣を抜き放ち、加勢に向かう。もうシータの治療は終わった。峠は越えただろう。

 

「ダミーってどういうことっ!?」

「考えてみてください! フェンリルの剣は過程より先に、結果が起こっているんですっ!」

「……なるほど。そうか」

 

 得心が行ったように、ゼータは頷く。そして、回り込むように横に飛んだ。ニーナはその反対に回り込む。

 フェンリルを二人で挟み込む形だ。

 

「まさか『空蝉』を見破るとはな……少々見くびっていたぞ」

「シータ様のおかげです」

 

 じりじりと間合いを測る。嫌な汗が、ニーナの背中を伝う。

 

「ふっ……だが、見破るのと見切るのは訳が違う───見切れるかな?」

 

 九つの赤い線が、空中を自在に舞う。その一つ一つが即死級の威力を秘めたものだ。

 それでも、ニーナは震える己の心を叱咤し、全力で踏み込んだ。反対では、ゼータもチャクラムを投擲し、スライムソードを持って踏み込んでいた。投擲をした分、ニーナより一歩遅い。

 

「まずは雑魚からだ」

 

 九つの剣閃が、ニーナを狙う。

 ───見える線は全てダミーだ。

 ニーナは魔力の流れを感じ取ろうと目を瞑る。

 探るのは不自然な魔力の動き……ではない。むしろ、自然な場所が怪しい。不自然な魔力の動きは全てダミーだろう。

 ニーナは不自然に自然な魔力を探る。それは、砂漠から小さなダイヤを見つけるに等しい作業であった。

 とどのつまりは、ほとんど直感で見つけると言っても良かった。

 その直感で持って、一本、二本……と躱していく。どれもあまり速くない。ニーナなら察知さえできれば簡単に避けられる。

 そうして、七本、八本と躱してはたと気付く。

 ───九本目がない!

 ニーナは焦る。もう不自然に自然な魔力はない。では、ダミーの中に本命があるのか? いや───ニーナは目を開けた。

 

「残念だね」

「ぬっ……!」

 

 ニーナは首を狙いに来た『血刃』を受け止める。

 それは直感で防いだというよりも、賭けで防いだというべきだろう。なぜならば───

 

「決めに来るときに、首を狙う癖は治した方がいいよ」

「ほざけ……っ!」

 

 フェンリルが最初の一本目をニーナに向けて放ったときだった。

 

「すぐ後ろの敵を忘れる癖も、治した方がいい」

「がっ……はっ……」

 

 フェンリルの胸に漆黒の刃が突き立てられる。

 むせ返るほど血の匂いが広まり、床にポタポタと垂れ落ちる。

 刃が抜かれ、支えを失ったフェンリルはどさりと地面に倒れ伏す。赤い血溜まりが広がっていく。

 

「ここまでか……」

 

 そう言ったフェンリルの顔は、無念というには余りにも清々しいものだった。

 

「今までで一番手強かったよ」

「当たり前だ……私は……俺は、ラウンズの第五席フェンリルだぞ」

「……右腕は貰っていくよ」

「ふん……好きにしろ」

 

 ゼータは尻尾揺らして、シータを肩に担ぐ。心なしか、いつもより覇気がない。疲れているのだろう。

 

「忘れるな」

「……何が?」

「今回の俺の敗北は、間違いなく円卓が協力する結果を招くだろう。……ごほっ」

 

 フェンリルは血を吐き咳き込む。

 

「数百年ぶりのことだ。その力は───」

「問題ない」

「───侮ると後悔するぞ」

「問題ない。私たちにはシャドウがいる」

 

 興味を失くしたのか、ゼータは顔を背け、扉の方へ歩き出す。

 だが、最後に一度だけ振り向いた。

 

「それに、私は主に拾われたちっぽけな子猫だから」

「……ハッ! 傑物だな」

 

 ゼータは前を向く。もう振り返らない。

 二つ分の無機質な足音だけが、静かに響いていた。




ウィクトーリアがいない分、攻め手が減って苦戦した感じです。
作者の脳内戦力順位としては「シャドウ≫フェンリル≧アルファ>デルタ>ゼータ>ベータ=イプシロン>イータ≫ローズ>クレア>アレクシア」といった感じです。シータは数秒ならフェンリルの上に来るでしょう。
フェンリルはもっと評価されていいと思います。

〈追記〉
前に五章ラストと言いましたが、もう一つだけ話を追加します。クレアさんの話です。
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