そんなわけで、僕は今トリツブシ伯爵の屋敷まで来ていた。国境付近にあって少し遠かったけど、全力ダッシュなら余裕だ。
さて、取っていくなら何がいいだろう。
壺とかは駄目だ。嵩張るし、何より価値が分からない。同じ理由で、絵画とかも遠慮したい。モンクの『叫び』クラスなら考えなくもないけどね。
できればコスパがいいから硬貨がいい。それも、できれば金貨だ。
次点で宝石の類いだろうか。学生の僕じゃ換金できる場所なんて、たかが知れてるけど、奪った指輪と一緒に売っ払えばいいからね。
「……っと、どこかに金庫とかないかな」
早速屋敷に侵入して、僕は魔力を粒子状にして飛ばす。それと並行して、僕の足は執務室へ向いていた。
執務室なら重要なものもあるだろう。
「あれ、鍵がかかってる」
やっぱり重要なものが隠されてるに違いない。
僕は鍵の部分を破壊して中に入る。
部屋の中心には机があって、向かって右に本棚がある。
一見したところ、金庫のようなものは見当たらなかった。
「ここには何もないのかな?」
重要そうな書類なら山積みなんだけど、その内容はよく分からない。
次はどこに行こうかな。分かりやすくお宝がある部屋があればいいんだけど。
と、そのとき飛ばしてた魔力粒子に反応があった。
「あれは……」
□□□
イプシロンは追手から何とか逃げ延び、近くの屋敷に潜伏していた。だが、傷を癒やせるほどの魔力はなく、地面に滴った血でその屋敷の主に見つかってしまった。
咄嗟に剣を構えるイプシロンに、屋敷の主こと、トリツブシ伯爵は朗らかに笑みを見せた。
「そんな身構えるものでもないよ。お嬢さん」
「……」
見たところ、戦うのは疎か剣を振ることさえもできなさそうな老人だった。今浮かべている笑みも、それこそ孫娘に向けるような優しいもので、同時に寂寥の感を覚えさせるようなものでもあった。
向こうに害意がないことを確認したイプシロンは剣を下ろす。だが、まだ剣は仕舞わない。
「トリツブシ伯爵……でいいのかしら?」
「あぁそうだ。私がトリツブシ伯爵だ」
「何が目的?」
「目的とは?」
「こうして接触してきたんだ。何か意図があるのでしょう?」
トリツブシ伯爵は笑って首を振る。
「誰もいない屋敷に、知らない血痕があったんだ。誰だって見に来るだろう?」
「貴族なら普通誰かに……待て。誰もいない?」
「あぁそうさ」
話を聞けば、トリツブシ伯爵が反乱を企てているとして、近々オリアナ騎士が来るらしい。
それに恐れをなした使用人たちは、みな逃げてしまったそうだ。
かくして、たった一日で屋敷はこのご老人一人となってしまったとのこと。
「何故お前は逃げなかった?」
「忠義だよ」
「忠義?」
イプシロンが問い返しても、トリツブシ伯爵は何も言わない。ただ、窓の外を見て遠い目をするばかりだった。
そして、徐ろに語り出す。
「……陛下は、とても聡明な方だった。それに、芸術への造形も深かった。そして、何より優しいお方だった」
「……」
懐かしむように、トリツブシ伯爵は語る。
「オリアナ貴族は、みな何かしらの芸術を習う。音楽、絵画、舞踊、彫刻、文学……色々ね。それらを極めることが、私たちオリアナ貴族の誉れなのだよ。くだらないと思うかい?」
イプシロンは何も答えず先を促す。
「さて、そんなオリアナ貴族のとある少年は伯爵家の嫡男だった。なのに、彼はあらゆる方面で才能を示せなかった。いや、平凡未満だった、の方が正しいか」
「……」
「けれどそれ以外……ことお金に関しては才能があったみたいで、何とか彼は当主の座を獲得することになるけど、それは別の話」
「……」
「少年はどうしても芸術で称賛されたかった。自分の作品が誰かに褒められるのを見たかった」
「……分かるわ」
イプシロンも、仮の姿とはいえ音楽家なのだ。その気持ちは分からなくもない。
「本当に色々やったよ。あるいはそれが行けなかったのかとも今は思うが……とまれ、がむしゃらに練習を続けていた。
そんなある日だ。他国に交渉に行くことになった先代……あぁ、先々代の国王陛下が道中、この屋敷に滞在することになった。そのときに、まだ幼かった先代の国王陛下も随伴なされていてね。恥ずかしいことに、練習中の
トリツブシ伯爵は先程の朗らかな笑みとはまた別の笑みを浮かべる。だが、嫌な感じのしない笑みだった。
「とある少年の話なのでは?」
「あぁそうだった。年寄りは物忘れが酷くていかんね。
……それで、あまりに酷い演奏で、近衛がそれとなく止めるように言ったんだ。そんな中で、陛下は『もう少し弾いてくれ』と仰った。
勿論、少年は断った。恥ずかしいかったから。
そんな少年に、ならばと陛下はあろうことかバイオリンを一代借りて、『一緒に弾こう』と言う。『合わせて弾いた方が上手くなるから』と。
無論、少年もそれくらいのことはしてた。一流の奏者を付けてね。けれど、駄目だった。
でも、そんなのは重要じゃない。重要なのは、陛下が私のために知恵を絞ってくれたことだった」
「……そう」
老人の体験を自分に重ね合わせながら、イプシロンは聞いていた。
イプシロンは、『七陰』に入った当初、何もできなかった。頭ではアルファとガンマに劣り、戦闘力ではアルファとデルタに劣り、容姿でもベータ筆頭に、アルファ、ガンマ、デルタより優れてるとは言えなかった。
だが、そんなイプシロンを見捨てずに、シャドウは剣を教えてくれた。知恵を教えてくれた。時には先頭に立ち、勇気を教えてくれた。
自分より遥か上の存在が、自分を導いてくれる喜び。それはイプシロンにとって、理解しやすいものであった。
「さて、そんな陛下に彼は永遠の忠誠を誓ったわけだが、最近どうにも様子がおかしいことに気づいた。そして、その裏に怪しい影があることにも」
「ドエムね……」
トリツブシ伯爵はちらりとイプシロンを見て目を細めるが、何も言わずに話を進める。
「しかし、気づいたときにはもう手遅れだった。彼は何もできなかった。そればかりか、下手に嗅ぎ回って他の大切なものまで失うほどに、愚かだった」
その言葉に一瞬首を傾げるイプシロンだったが、即座に納得する。
そう、この屋敷から逃げたのは使用人なのだ。家族ではなく。
いや、この老人なら、逃げられるのであれば逃がしたのかもしれない。それはあくまで、逃げられる家族がいたらの話だが。
「そんな愚かな彼に、一筋の光が差し込んだ。彼女は王女でね。姉に代わって戦力を集めてるそうだった。
生憎と、彼には大した駒はいない。腕の立つ者で、未来なき伯爵家に仕える者は少なかった。……まぁ、少しアンダーな組織な友達はいたのだがね。
さて、ここまで話したら、後は分かるかな?」
「……えぇ」
彼が忠義と言った理由は、イプシロンにはある程度の推測ができた。
恐らく、彼はローズが結婚式でドエム派と戦うことを知っている。そこで加勢させられるような手勢はいないが、相手の戦力を削ることはできる。
戦いとは、敵を倒すだけではないのだ。敵を決戦の地から遠く離すことも、相手の戦力を削る一手となり得るのだから。
トリツブシ伯爵の元まで騎士が来るということは、それだけ敵戦力が減ることを意味する。なぜなら、ドエムが今、表立って動かせるのは子飼いの騎士たちだけなのだ。
そして、反乱を沈める、阻止しようとするならば、相応の戦力を宣伝的にでも見せる必要がある。
もし、ここでトリツブシ伯爵が逃げてしまえば、確かに捜索に出る可能性もあるが……いや、それは十中八九ないだろう。表から消えた者を追う方がドエムには都合がいいのだ。
トリツブシ伯爵がどこまで知っているかは分からないが、なるほど、称賛すべき覚悟と忠誠心であろう。
「……来たわね」
「何がだね?」
イプシロンは、訝しげな表情を浮かべるトリツブシ伯爵の首根っこを掴み、部屋の奥へと放る。老体には少し酷なことだが、致し方ない。
それと寸時と待たずに、彼のいた位置を銀閃が走った。
「……なるほど。彼らがバックにいる組織というわけだ」
「そうよ」
相手は全部で三人。三人とも、1stチルドレン級の実力者だ。
未だ完治してないイプシロン、それも守りながらの戦いだ。
「別に私のことは見捨ててくれても構わないが?」
「……参考にさせてもらうわ」
「強情なことだ」
参考にすると言いながら、その気配がないイプシロンを見て、老人は笑った。その瞳に宿るのは、諦念でも、闘志でもない、この先の成り行きを面白がるそれだ。
死ぬことへの恐怖などは微塵も感じられない。
「老人の特権というとこかしら?」
それはそれとして。
チルドレンたちはイプシロンを囲むように、三手に分かれる。相互にカバーし合える適切な距離感だ。
完全に包囲してくれるなら、各個撃破もできたものだが……。
これは相当キツイ戦いになるだろう。せめて、傷さえなければ良かったのだが、それはないもの
高まる緊張感が、久々にイプシロンに"死"を予感させる。青く冷たく感じる腹の底に、一石投じて波紋を作る。
そうか。"死"か。
カチッと彼女の中で何かが嵌まる。
「───クッ、ハハハ!」
突如として笑い出したイプシロンに、伯爵もチルドレンも困惑する。チルドレンたちはどうするべきかと、お互い目配せするほどだ。
そうか、そうか、そうか!
何を恐れていたのか。イプシロンの思考は本能的に、生きることを第一目標としていた。
だが!
だが、誓ったではないか。あの日、主に助けられた日に、そしてその後も助けられる度に、この身を賭してお仕えしようと。
それでどうして今更"死"を恐れようか。自分の忠誠心は、その程度だったのか?
否、否、否。断じて否だ。
"死"を恐れるべからず。背信をこそ、恐れめ。
「全員、道連れにしてやろう」
全力で戦えば、傷は開くだろうが、それがどうしたと言うのだろう。ここでチルドレンを倒さない方が、よっぽど忠義に反する。
イプシロンが研ぎ澄まされた戦意を示せば、即応するようにチルドレンたちも構える。
先程の緊張感とはまた違った、異様な張り詰めた雰囲気だった。
「───踊るにはいい夜だな」
そこに場違いなほど落ち着いた静かな声が窓から響いた。
その声に、まさかとイプシロンは動揺する。いや、胸が高鳴ると言ってもいい。
「だが、女一人を相手に三人で踊ることもあるまい」
「シャ、シャド……!」
その高鳴りのままに、名前を叫びそうになってぐっと堪える。イプシロンは陰の組織。そして、彼はその長。表の世界の住人に名前を知られるわけにはいかない。
「我が相手になってやろう」
コツコツと足音を鳴らして、シャドウがゆっくりと迫る。
すっかり戦意の飛んでしまったイプシロンと、突然現れた怪しい男を見比べて、チルドレンたちは男を先に倒すことを決める。
それが愚かな選択だと知らずに。
イプシロンのときと同様の陣形を整えたチルドレンたちははたと気付く───一人いないのだ。
彼らから見て、右翼を担当していた者がそこにはいないのだ。
動揺も束の間。
今度は左翼にいた者の胸から漆黒の刃が生える。
「な、なんなんだ……」
「ふっ、貴様に名乗る名はない。……あぁ、そうだ」
残って震えるチルドレンに向かってシャドウが何かを投げる。
ゴロリと二つの何かが転がった。
その物体と目が合って、チルドレンは声も失う。
「外にいた仲間たちだ」
もっとも、声以前に命をも失っていたのだが。
「ありがとうございます。主さま」
「構わん」
そう言って、シャドウより放たれし青紫の魔力がイプシロンを包めば、みるみる内に傷が治っていく。
いつ見てもぶっ飛んだ神業だ。
その神に等しき御業を、褒め称えようと口を開きかけたところで、はたと思い至る。
そんなことしてる場合ではない。
「主さま。ローズ王女の結婚式についてですが……」
「問題ない。万事順調だそうだ」
「なっ! まさか指輪の回収も既に?」
「指輪? ……あぁ、既に我が手中にある」
「さ、流石です! 主さま!」
その手際の良さには、感嘆せざるを得ない。一体何手先まで読み、効率化して動いているというのだろうか。
「俺はやることがある」
「はい。存じております」
「では、後は任せたぞ」
「はい」
そう言って、シャドウは消える。イプシロンの目でさえ、ほとんど捉えられないほどの高速移動だ。
「彼が?」
そこまで面白そうに成り行きを見守っていたトリツブシ伯爵が、既に誰もいない虚空を眺めて聞いた。
「えぇ、そうよ」
イプシロンは胸を張って答える。
「こいつは、傑物だな」
伯爵はいいものを見たとばかりに、口元を緩める。
イプシロンも笑みを浮かべようとして、あるものを見つける。
「これは指輪? ……いえ、まさか!」
『継承の指輪』だ。
まさか、敬愛すべき主が不注意で落としていったはずがない。であるならば、先程の言葉の意味は……
「全てこの
誰もいない虚空に向かって、イプシロンはお辞儀する。
そう、主は失態をしたイプシロンに重要な任務を任せてくれたのだ。
ここは何としても挽回しなければならない。天然にリードされないためにも!
張り切った様子で、イプシロンは伯爵の屋敷を出て行った。