僕が王城に戻ってきたのは、空にほんのりと白が差した頃だった。
この時間だと、姉さんは部屋で寝ているはずだ。何故か同じ部屋たから、起こさないようにしないと。
「シド君」
「ん?」
そんなことを考えながら、庭園を軽く駆け抜けていたら、誰かに呼び止められた。この声はローズかな?
僕は足を止めて、その声の方を見る。
「シド君も眠れなかったのですか?」
「まぁ、そんなとこ」
「私もいつもより少し早めに目が冷めてしまいましてね。緊張でしょうか」
ローズはそう言って薄く微笑んだ。けれど、その笑みはいつもより心なしか強張っているようにも見えた。
「大変そうだね」
「そうですね……いえ、こんなところで躓いているわけにもいきません。大変なのは、これからですから」
「頑張ってね」
「はい。……それでシド君」
ローズは少し言いにくそうに、俯いて指をいじっている。
なんだろう。何か重大な告白でもあるのだろうか。
よし、驚く用意はできている。いつでもカモン。
「その、これからの話なんですけど」
「うん」
「私は王女で、その結婚相手が国王になります」
「うん」
「それで、その、かなり苦労をかけると思うのですが、よろしいでしょうか?」
「うん。うん?」
「───っ! 本当ですか! ありがとうございます!」
「うん? ちょっと待って、今の何の話?」
何か分からないけど、ローズが飛び跳ねんばかりの勢いで喜んでいる。一体なんだと言うのだ。
「まぁ、いいか」
喜んでいるなら、それはきっと良いことだろう。みんなが喜ぶ世界なら、きっと平和になるだろうに。
あっいや、それだと僕が困るから今のままでいいや。
「じゃあ、僕はこれで」
「はい! また後ほど」
「姉さん怒ってないといいな」
「何か言いましたか?」
「いや、なんでも」
僕は足早にその場から離れる。早くしないと、姉さんが起きてしまう。
その後、完全に気配を消してベッドに潜り込んだはずなのに、姉さんに叩き起こされて怒られたのはまた別の話である。
□□□
去っていくシドの姿を頬を染めて、さながら恋する乙女のようにローズは眺めていた。いや、実際恋する乙女なのは間違いない。
彼女の頭の中にあるのは、理想の結婚生活だ。彼とあんなことやこんなことを……と。
「幸せな生活のためにも、まずはしっかりなさい、ローズ」
そうやって夢想に浸るのもいいが、まずは目先のことをやるべきだろう。差し当たって、結婚式での段取りの確認は必要だ。
頬を叩いて頭を切り替えたローズは、ここにもう一人いることに気が付いた。
「───ッ。誰ッ!?」
振り向き、咄嗟に腰に手を伸ばすが、空を掴むばかりだ。愛用の細剣は今は自室にある。
そのことを思い出し、唇を噛む。
ここまで気配を消せるのだ。相手はかなりの実力者だろう。あるいは、ローズよりも。
そして、ここまでの実力者は騎士団にもいない。侵入者か、または刺客か。
剣のない状況下でどのくらい戦えるか。
「騒ぐな。私は貴方の敵じゃない」
そうやって思考を巡らすローズに、その人物は語りかける。黒のローブを全身に纏った人物で、どこか聞き覚えのある、澄んで凛とした声だった。
「……誰ですか?」
「それは言えない。だが、今は少なくとも貴方の敵ではない」
「今は?」
「貴方が抗い続ける限り、私たちは敵ではない」
イマイチ要領を得ない回答に、ローズは考える。
「……抗い続けるとは、"教団"に、ということ?」
「その認識で構わない」
ここは一先ずそういうことで納得しておこう。
それよりも、彼女の目的の方が大事だ。何故、わざわざ王城に忍び込んでローズに会うのか。
ローズは警戒を緩めぬままに問うた。
「私に接触した目的は何ですか?」
すると、黒ローブの人物は何かを投げた。僅かに差し込む白光に当たり、それはきらりと光る。
それをローズはキャッチした。これは……指輪?
「それは『継承の指輪』だ」
「『継承の指輪』……」
話に聞いたことはある。彼の伝説の『黒キ薔薇』を呼び起こすことのできる指輪であり、王位継承の時にその所有者が変更されるという指輪だ。
具体的なことは聞いていないが、これがその『継承の指輪』だというのか。
「何故あなたがこれを?」
「全ては主さまのお導き……我が主は、ずっと昔から貴方のことを守っていた」
「私を、ずっと?」
「筋道は既に用意されている。それに乗るか、乗らないかは貴方次第だ」
「そう、ですか」
守られていた自覚はないが、その自覚がないくらいに陰ながら守ってくれていたのだろうか。
判然とはしないが、しかし何となく腑に落ちる気もした。
「どれだけ前からこのことを読んでいたのやら……」
「何か?」
「いや、何でもない。……その『継承の指輪』には、元オリアナ国王の言葉が入っている」
「元国王って、まさかお父様の!?」
「うるさい、黙れ」
ローズが素っ頓狂な声を上げると、黒ローブの人物は苛立たしげに彼女を嗜める。
それから、ため息を吐いて話を続けた。
「その言葉には恐らく、ドエムを断罪する旨が含まれているはずだ」
「───っ! それを、結婚式で公にしろと?」
黒ローブの人物は首肯した。それを見て、ローズも頷く。
「分かりました。どなたかは存じ上げませんが、ご協力感謝いたします」
「礼はいらない」
深々と下げていた頭を上げると、そこにはもう誰もいなかった。
敵か味方かは分からない謎の組織。あるいは、あれがアレクシアの言っていた『シャドーガーデン』なのだろうか。
だとすれば、敵の敵は味方として、今は信じてみてもいいかもしれない。
いずれにせよ───
「シド君と私の未来のためにも、頑張りましょう」
ローズはぐっと指輪を握り締め、朝日の登る方へと歩き出した。
今日が決戦の日だ。
□□□
一方その頃、ドエム・ケツハットは焦っていた。それはもう、慌てふためくと言えるほどに。
何故それほどまでに彼は焦っているのか。それは、『黒キ薔薇』を呼び起こすのに必要な『継承の指輪』が無くなっているからだ。
ずっとポケットに入れていたはずなのに、気付いたらダミーの箱と入れ替えられていたのだ。
恐らく、教団の他の派閥の者がドエムを陥れようとしているのだろう。
「教団が団結して謎の組織に立ち向かうという話はどうなったんだッ!」
怒りのままに机を叩けば、達人が
所詮は既得権益の保持と自己利益の追求しか能がない連中だということか。呆れていっそ笑いすら込み上げてくる。
だが、笑っている場合ではない。
もし、これが教団に……モードレッド卿にバレたら、間違いなく殺される。
「それだけは阻止せねば……」
とりあえず、今使える駒はない。教団の者を使っては、モードレッド卿に話が通ってしまうかもしれない。
「受け渡しまで、三日は伸ばせる……」
その間に、是が非でも見つけなければいけない。どの派閥か見当が付かない以上、厳しいものだが、諦める=死だ。躊躇は許されない。
「ドエム様! どうかなさいましたか」
と、そこまで考えたところで、先程の音を聞きつけたのだろう衛兵が入室してくる。
「なんでもない」
「ですが……」
「なんでもないと言っているだろう。とりあえず、外で待機していろ」
「分かりました」
退出する衛兵を尻目に、ドエムは気持ちを切り替える。
まずは目先のことだ。これをしくじっても、ドエムの首が飛ぶことは想像に難くない。
さっと身だしなみを整え、部屋を出る。
「さて……」
ローズが何か企てているようだが、どうせ無意味な抵抗に過ぎない。不穏分子と一緒にその企ても潰してやろう。
「私は、必ずラウンズになる」
その呟きは思わずドエムの口から漏れたものだった。つまり、それを聞いた者は誰もいなかった。
次回は結婚式本番です! お楽しみに!