その夜は雲のないよく晴れた夜だった。
ローズは、王城にある一室で、一連の騒動についての後処理をしていた。
「中々片付きませんね……」
ローズの机に置かれた膨大な資料は、その一部が今回の騒動に関するものであり、それ以外は過去の"教団"の動向に関するものである。つまり、その大部分が公にできないような極秘資料ということになる。
既に整理を始めてから、半日以上経っているが、目の前の山は始めたときと何ら変わりがない。
「前に進んでいる実感が湧きませんね」
ローズは自嘲気味に笑った。
これがこの国の実態なのだ。これだけ膨大な数の不正が横行していた過去。その全てではなく、一部を見るだけでもこれだけの時間が必要なのだ。
過去の清算をするだけで、一歩も前に出れていないのが現状だった。
「いえ、清算が始められただけでも前に進めているということでしょうね」
ローズは席を立った。だいぶ集中力が乱れてきたから、少し散歩でもしよう。
そう思い立ち、閃いた。
「それなら、シドくんのところにお邪魔しましょう」
そこで一夜の夢を……と、それはまだいけない。
だが、結婚式は無事に終わったので、アレクシア一行は明日にはここを出ることになっている。その前に、彼には一度会っておきたかった。
「そうと決まれば、何か手土産でも……」
「少しいいかしら?」
彼の部屋に持っていくものを考えながら、意気揚々と扉に手をかけたローズの背後から声がかけられる。
この感覚には覚えがあった。そして、声には聞き覚えがあった。嫌な感じはしない。
ローズはゆっくり振り返る。
「あら? 先日の方ではないのですね」
振り返った先には金色の髪をしたエルフの少女と、その側に二人マントを纏った人物がいた。
あのエルフの少女は先の一件で黒マントの集団を指揮していた人物だろう。
「彼女は今、後処理に追われているわ」
「どこも同じなのですね」
少し親近感が湧いたローズは微笑んだ。
「それもそうなのだけれど、今回は私自身が来るべきだと思ったの」
「……それはどういう意味ですか?」
自分でも声が強張ったのを感じる。少し、喉が渇いている。
エルフは静かに答えた。
「───『シャドーガーデン』と手を組みましょう」
「手を組む?」
ローズが訝しげに聞き返すと、エルフは首肯した。
「あなたと私たちで協力して、教団に立ち向かいたいの」
「……」
ローズは考える。
彼らの力は学園襲撃事件のときや、先日の結婚式で直接見た。その圧倒的な武力は、長らく暗躍してきた教団をさえ凌いでいるように思える。
彼らの力が借りられるなら、一見して、この話はオリアナ王国にとってもいいもののように思う。
だが、彼らがオリアナ王国と手を組む意味はなんだ? どんな利益がある?
「……あなた方にどんな利益があるのでしょう?」
考えていたことを馬鹿正直にローズは聞く。ずっと悩んでいても仕方ないと割り切ったのだ。
「自分たちの利益よりも先に、私たちのを聞きたいのかしら?」
「自分たちのは明白なので。むしろ、そちらに得があるようにも思えません」
今、オリアナ王国から渡せるものはあまりにも少ない。机の上の負債がその証拠で、悲しいことだが、この後は相当数の貴族を罰しなければならないだろう。
金銭や芸術品なら、多少余裕はあるが、まさか彼らがそれを欲するだろうか。
そういった思考の下、ローズの警戒心は少しずつ高まっていた。
それを機敏に感じ取ったのだろうか。エルフはゆるゆると首を振った。
「これは私たちにとっても悪い話ではないわ」
「具体的には?」
「まず、あなたが協力してくれれば表立ったところに拠点を作ることができる。他国では、政治の中枢まで教団が浸透しているから、できないのだけれど」
なるほど、とローズは頷く。確かにそれは利点かもしれない。だが、それだけでは少し弱い気もする。
ローズは続きを促す。
「他には?」
「……分からないわ」
「はい?」
「私には分からないわ」
「私には?」
それは何か引っかかる物言いだった。
エルフは少し寂しそうに遠くを見る。
「"彼"は、ずっとあなたのことを守っていたわ」
「それは……結婚式前にも言われました。どういう意味ですか?」
ローズには守られている実感なんてなかった。
あの攫われて助けられた夜からずっと、剣を振って、自分の力で進んできたつもりだ。
───本当にそうだろうか?
ローズの心の中で少しだけ引っかかるものがあった。不鮮明だったそれは、少しすつ輪郭を帯び、次第に明瞭になっていく。
学園襲撃事件のとき、『ブシン祭』、そして今回の結婚式。いつも、誰かに守られていた気がする。
いや、そう。ローズは確かに守られていた。襲撃事件で久しぶりに会ったときは襲い来る凶刃から、『ブシン祭』では〈悪魔憑き〉から、結婚式では教団から。
ローズがピンチになると、必ず誰かが助けてくれた。そして、彼らはどこか同じような温かみを持っていたのだ。
そこでようやく、気付くものがあった。
「スレイヤーさん……」
彼らの剣は全て同じだったのだ。どうして今まで気が付かなかったのだろう。あんなに綺麗な剣なんて、他にはないのに。
「気付いたみたいね」
エルフが言った。
「あなたはずっと私たちの主……シャドウに守られていた。不思議に思わないかしら? どうしてピンチになったときいつも、"彼"が現れるのか」
「それは……」
覆面や仮面、果ては女装までしてローズの前に現れる意味。都合よくピンチには駆けつける理由。
それらが暗に仄めかすのは───スレイヤーの正体がローズの知っている人物であるという可能性だ。
「でも誰が……」
「"彼"はあなたにとても近い人物よ。側にいてもあなたが遠ざけないくらい近い……」
なぞなぞのような言い回しだ。
だが、もうローズには検討が付いていた。誰が"彼"なのか分かってしまったのだ。
それに気付いて、はっと息を呑む。
「スレイヤーさんはまさか───シドくん?」
エルフはなにも言わなかった。その沈黙が答えだとでもいうように。
「"彼"に見えているものは分からないわ。でも、その行動には意味がある。"彼"があなたを助け続けたのは、あなたが私たちにとって必要だから」
「私が必要?」
ローズは積み上げてきたものが全て瓦解していくのを感じた。添い遂げようとした人物が実は、ずっと陰ながら助けてくれていたとは。しかもそれは愛故にではなく、必要だから、と。
大きな衝撃が走る。しかし同時に、内側から湧き出るような感情があることに気付く。それは激情ではなく、熱情でもなく、もっと静かで強いものだった。
「具体的に何があるのかは分からないけれど、それが"彼"の意志なら私たちは従うまでよ。あなたはどうする?」
「私は……」
ローズは固く誓う。
「分かりました。私、ローズ・オリアナはあなた方と手を組むと誓いましょう」
「そう。良かったわ」
「ただし」とローズは付け加える。
「これは私個人との協力で、オリアナ王国が正式に手を組むというわけではありません」
「えぇ、分かっているわ」
この予防線にどれだけ効果があるかは分からないが、ローズの身勝手に国を付き合わせるわけにもいかない。
エルフは首肯して、側にいた二人を前に出した。
「彼女たちは連絡係として置いていく。好きに使ってもらっていいわ」
「よろしくお願いします」
「よろしくねー」
二人はペコリと頭を下げた。その声を聞いて、ローズは驚く。
「リズさん!?」
「えぇと、そうですけどそうじゃないんですが……」
詰め寄るローズにリズはたじろぐ。その様子を見て、リズの同僚と金髪のエルフは楽しそうに笑った。
結局、リズ=664番と自己紹介した頃には、東の空は明るくなっていたのだった。
次回幕間を挟んで、七章学術都市編です!