陰のボスになりたくて!   作:若林布吉

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イプシロンの憂鬱

「───今日も私は美しい」

 

 鏡の前に立つ少女は静かに呟いた。

 その瞬間、足元からまるで意識を持っているかのように蠢く黒い影が現れる。その影は目にも止まらぬ速さで少女を包み、"体"を形成していく。そして、それらは少しずつ形を変え、質感を変え、色を変えながら整えられていた。

 やがて影は収束し、現れた豊満な"体"を見て少女は満足そうに頷く。

 その頃には、東の空に一日の始まりを告げる焼け空が現れていた。

 

 少女───イプシロンの朝は早いのだ。

 

□□□

 

 朝の"日課"を終えたイプシロンはオリアナ王都に新設した拠点の執務室に向かっていた。

 やらなければいけないことは多い。

 特に、オリアナ王国内の教団の掃討と、拠点の確保は可及的速やかに行わなければならなかった。

 それはガンマであれば三徹、四徹などしてすぐに終わらせにかかるだろうし、アルファであれば既にもう終わっているかもしれない。

 だが、イプシロンはアルファほど速く処理はできないし、ガンマのように徹夜するなど彼女にとっては考えられないことだった。肌の手入れを怠ることは、最早命を捨てるのと同義なのだ。

 それでも、イプシロンが仕事の手を抜くことなんて有り得ない。主より伝授され、彼女自身が改良を重ねた超速睡眠法を使った彼女は、最低一時間眠れれば肌的には問題ないのだ。

 やや重い頭を振りつつ、執務室に入った。

 

「おはよう、オメガ」

 

 あくびを噛み殺しつつ、書類に目を通していたオメガに挨拶する。

 オメガは声を掛けられて気が付いたのか、少し血の気が薄い顔を上げる。

 

「……こんばんは、イプシロン様。お休みになられたのでは?」

 

 イプシロンの雑な挨拶に律儀に返す。

 

「休んだわよ。それより、もう朝よ」

 

 指摘されてはっとしたオメガは外を見やる。そこにはもう朝焼けはなく、闇を切り裂くような白光が注いでいた。

 

「……失礼いたしました。こんにちは、イプシロン様」

 

 わざわざ席を立って礼をするオメガにイプシロンは軽く手を振って応答した。

 着席して彼女の前に積まれた山を見る。数時間前より増えている。

 

「また手首が痛くなるわ……」

 

□□□

 

 昼頃。作業に没頭していたイプシロンの耳に小気味よい快活な音が三回届いた。

 ノックだ。

 カイが立ち上がり、少しだけ扉を開け顔を覗かせた。因みに、オメガは今休憩中だ。

 

「イプシロン様。アルファ様がお見えになっています」

「そう。お通しして」

「承知しました」

 

 カイが扉を開けると、その奥には金髪の美少女、アルファがいた。その横にはシータもいる。

 

「ごきげんようアルファ様、シータ」

「ん……」

「忙しいところごめんなさいね」

 

 アルファはそう言って、入室する。

 その動作一つ一つが流麗で、品の高さを伺わせる。イプシロンには到底できない洗練されたものだった。容姿も整っていて、完璧超人で、かなり手強い相手だ。

 だが、バストは負けていない。

 イプシロンは密かに心の中で思う。

 

「今日はどんなご用件で?」

 

 アルファにソファを勧めつつ、用件を尋ねる。

 

「ちょっと気になることがあるの」

 

 着席した両者の前にカイがティーカップを置く。ゆらりと上る湯気に混じって、渋みのある香りが鼻をくすぐった。

 

「気になること?」

「えぇそうよ。まずは、結婚式で現れたあのディディという男のことよ」

 

 ───ディディ。

 ナイツ・オブ・ラウンズ第一席と自称した彼には、イプシロンも底知れない何かを感じていた。

 その正体は形容しがたいものだが、あえて言うならば、何か邪悪なものを凝縮した怪物だろうか。

 主も強い意志を持っているが、それに似通った、しかし異質なものを感じていた。

 

「彼について何か分かったのですか?」

 

 ガーデンはあの日以来かなりのリソースを費やしてディディの行動を追っていた。すると、『無法都市』や『ブシン祭』での目撃情報が出る他、その他数多くの場所に現れていることが分かった。

 だが、その理由は不明だった。目的さえ読めないのだ。あるいは、ふらふらと彷徨っていると言われても信じられる程だ。

 

「そうね……シータ」

「ん」

 

 アルファがこれまで一度も喋らなかったシータに会話の主導権を渡す。

 シータは仏頂面のまま───いや、少し話しにくそうな顔だった。

 

「ディディと前に会ったことがある」

「前に……? それはガーデンの活動で?」

 

 ふるふると首を振る。ガーデンの活動中ではないらしい。

 

「見かけたとかではなく?」

「ん……ディディが、シータを『シャドーガーデン』に入れた」

「はい?」

 

 特に表情の変化なく、今日の夕食を話すが如く調子でシータは言った。イマイチ関係が読めないイプシロンは間抜けに聞き返す。

 

「だから、シータが『シャドーガーデン』に入ったのは、ディディが唆したから」

「唆したって……」

「えっと……前後関係を詳しく話して」

 

 そこからイプシロンはディディとシータのの出会いについての話を聞く。ぶつ切りの文章でちょこちょこ話が飛ぶから分かりにくかったが、要は、〈悪魔憑き〉となった彼女に『シャドーガーデン』の存在を教え、引き合わせたのがディディだということだった。

 

「なるほど……確かに、気になる点はあるわね」

 

 イプシロンは不可解な話に眉を寄せる。

 

「前から、ソースは不明だけどガーデンに会いに来た〈悪魔憑き〉がいるのよ」

「それが彼かもしれない、と」

 

 アルファの補足説明に皺は更に深くなる。

 ディディの目的が分からない。どうしてラウンズの第一席がガーデンの利になるような行動をするのだろう? そこに、一体どんな利が彼にはあるのだろう?

 だが、一つだけ言えることがある。

 

「……少なくとも、教団の総意ではないはず」

「それには同意ね。もし総意なら、ここまで彼らと争うことはないのだから」

 

 しばらく場に沈黙が訪れる。立ち上っていた湯気は既に薄く、香りも馴染んできた。

 様々なことに思考を巡らすが、特にこれだ! と言ったものはなく、いたずらに時間が過ぎていった。

 

「……って、シータ。あなたね……」

 

 長い静寂のせいか、アルファに寄りかかるようにして、シータが眠ってこけていた。

 本当に自由奔放な奴だ。

 アルファはすやすやと眠るシータの頭をゆっくりと撫でている。

 

「穏やかな寝顔ね」

「はぁ……起こさなくていいんですか?」

「いいわ。しばらく寝かしておきましょう。……それで、イプシロン。実はもう一つ、話があるの」

 

 アルファがちらりとカイを見る。その動作の意味に気付いた彼女は、ゆっくりと一礼をする。

 

「イプシロン様、しばしオメガと二人で王都に設置したもう一つの拠点を見て参ります。戻るのは少し遅くなるかもしれません」

「あら、もうそんな時間かしら。私はちょっと手が離せないから、丁寧に見ておいて」

「承知しました」

 

 完全に三文芝居である。

 人払いを済ませ、アルファの方を見る。彼女は出て行ったカイの足音が聞こえなくなるのを十分に待った。

 

「それじゃあ単刀直入に言うけれど───私たち、『シャドーガーデン』の中に裏切り者がいるわ」

「……っ!?」

 

 予想していなかった言葉に、イプシロンは息を呑む。一瞬冗談であってくれと願うが、アルファはこの手の冗談を言わない。なにより、彼女の纏う雰囲気がそれが事実だと思っていることを証明していた。

 

「どういうことですか?」

 

 だからイプシロンは聞き返していた。

 どうしてそんな思考になったのか、と。

 

「前々から、ガーデンや教団以外に動いている組織があることは伝えていたわね?」

「え? えぇ、聞き及んでいます」

「その組織が恐らく、裏切り者よ」

 

 アルファは一拍置いて、続ける。

 

「モードレッド卿の最期の言葉は覚えてるかしら?」

「……教団はディアボロスの肉体を解放させる気だ、と」

「そうね。それに───私たちが既に二つ肉体を解放しているとも言っていたわ」

 

 そこまで聞いて、アルファの言わんとしていることに気付いたイプシロンは再び息を呑む。

 

「確認だけど、私たちは一つも解放なんてしていないはずよね?」

「……そうですね」

 

 ガーデンが解放していないのに、敵はガーデンが解放したと認識している。教団は三つ目の組織について気付いていない?

 その可能性はあり得る。ゼロとは言い切れない。

 だが、その三つ目の組織がガーデンの中にいるとするなら───教団が失態していると考えるよりも、遥かに合理的な筋が通るではないか。

 長らく世界を牛耳ってきた教団が無能であったと考えるよりも、それはあり得る話だった。

 

「誰が裏切っているかはまだ分からないわ」

「でも、ガーデンの力を使わずに解放するなんて、相当な実力者であるはず……まさか『七陰』が?」

「……」

「……」

 

 言って、静寂が舞い降りる。

 それが大いに可能性のあることだったからだ。

 

「解放された肉体というのは?」

「恐らく一つは王都にあるものね。イータが1stチルドレンから集めた情報では、フェンリルの拠点に一つあるはずだから」

「そのフェンリルがやられたことが証拠ということですか」

 

 フェンリルがやられことは最早周知の事実だ。最近、ミドガル王国での教団の活動はかなり限定的になっていた。

 その動乱に乗じて、集めたのだろう。

 

「もう一つは?」

「これも真偽は不明だけど、学術都市か『聖域』に封印されていたものでしょうね」

「『聖域』……それなら、シャドウ様に聞けば解決しそうですね、学術都市の方は……」

「今ゼータが行っているわ」

「ゼータが……応援を送りますか?」

「えぇ、そうしましょう」

「では、そのように手配を───」

 

 いたしましょう、と言おうとしたイプシロンをアルファは制する。

 

「必要ないわ。既にガンマには連絡してあるから」

「ということは、ガンマが応援に?」

「……そうよ。『ミツゴシ商会』の新店舗を出すという建前だわ。それと、後もう一人行く予定よ」

「ガンマが行くなら……ニュー当たりですか?」

「いえ───」

 

 アルファはいやと首を振る。ずっしりと雰囲気が重くなるのをイプシロンは感じた。故に、それが意味すること、アルファの思惑を察し、納得する部分があった。

 

「───デルタよ」

 

 アルファは、『七陰』のゼータを疑っているのだろう。

 イプシロンは何も言えなかった。

 

□□□

 

 アルファが去ってから、どうしても集中ができなかったイプシロンは王都を歩いていた。

 街は結婚式での騒動で一時混乱していたが、今はだいぶ収まってきていた。

 

「……っと」

 

 中央通りを歩いていると、何やら先が人だかりができていることに気が付いた。騎士団が道路の交通整理をしていた。

 そこではっと思い至る。今日はミドガル王女が帰国する日だ。

 ミドガル王女には興味はないが、そこには主もいるはずだ。その主を一目見ようと、イプシロンは人だかりに混じる。

 

 しばらく待っていると、王城の方から物々しい護衛を連れた一台の場所が来る。どうやら来たようだ。

 イプシロンは先程痴漢しようとしてきた男を踏みつつ、その馬車の中を見ようとする。

 

「こんなところで何やってんの? イプシロン」

「ひゃっ!?」

 

 突然声を掛けられイプシロンは驚く。だが、すぐに胸中に浮かぶのは、熱いような気持ちだった。

 

「主さま! どうしてここにおられるのでしょう?」

「ちょっと馬車から見えてね。挨拶くらいはしておこうと思って」

「そんな、わざわざ私のために……!」

「なんか浮かない顔だけど、何かあったの?」

 

 イプシロンの顔を覗き込むようにして、シドが言う。

 

「はい、いいえ主さま、何でもありません」

 

 一瞬彼にも先程のアルファの話を伝えようか迷ったが、すぐに主なら知っているだろうと考え直す。

 もしかしたら、彼には全てお見通しなのかもしれない。

 そこでふと、気になることがあった。

 

「主さま」

「うん? なんだい?」

「天然と人工、どちらがいいですか?」

「……うん?」

 

 これだけは今聞いておかねばならないとイプシロンは思った。最近会っていない天然に一歩リードするためにも、ここだけははっきりさせておかなければならないのだ。

 

「いや、僕は別にどっちでも……」

 

 イプシロンは主の視線が一瞬彼女の胸に行ったことに気付く。

 まさか、気付かれている!?

 

「ちょっとシドー! どこにいるのよ!?」

 

 と、そのとき、馬車の中からけたたましい声が響いた。クレアの声だ。

 それを聞いたシドは「やばっ」と言って馬車の中に戻っていく。

 残されたイプシロンは(スライム)を寄せて呟いた。

 

「いえ、きっと私の胸に見惚れていただけね。ふふっ」

 

 そうして機嫌の良くなったイプシロンは、拠点へと戻っていった。

 




次回から学園都市編です!
少し間が空くかもしれません。
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