僕らが学術都市に来てから一日余りが過ぎた。今日は朝早くから身体能力テストがあったのだ。
「今日のテスト酷かったなぁ……」
「そうですね……」
「そだね」
僕らは疲れから───僕は疲れてないけど───重い足取りで宿に帰っていた。
「科学者の連中は、絶対運動したことないよな」
「そうですね。魔剣士だからって、何でもできるわけじゃないんですよ」
今、口上に上っているのは身体能力テストでの種目の一つ、反射神経テストのことだった。
そのテストでは、超至近距離から射出されるボールを躱すというものだったんだけど、ボールのスピードは余裕で二百キロメートルを超えていた。その上、距離は次第に短くなっていき、最終的には手の届きそうな距離にまでなる。
まぁ、それでも僕が本気を出せば躱すのは余裕だし、実際その距離でも躱している留学生はいた。
けど、モブならどうする? ネームドキャラでさえ、躱すのに難儀するものに対して、モブならどうなるのが正解だろうか?
答えは簡単だ。モブはモブらしく、散るべきなのだ。
……ふっ、久しぶりに全力でモブ式奥義のコンボ技を使うことができて、僕は満足だった。
因みに、そのテストでヒョロとジャガはボールにタコ殴りにされ、今も腫れた顔は元に戻っていなかった。
「あの研究者ども、こっちがやめてくれって言っても、無表情で続けやがって。人の心がないだろ?」
「本当にそうですね。見てください、自分の顔を。いつもより二倍は大きいですよ」
「そうだな……いや、逆にこれはこれでありかもしれないぞ。いつもと違うギャップに女子はメロメロだぜ」
「はっ! ヒョロ君天才ですか!? 女子は弱ってるところを見て好きになるともいいまし!」
「そうと決まれば、行くぞ! ジャガ、シド!」
「あっ、僕は用事があるから……」
「まずは食堂に向かいましょう!」
「おう、そうだな!」
「あっ、これ聞こえてないや」
かくして、ヒョロとジャガは走り去っていった。
つまり、僕は一人取り残されたというわけだ。いやまぁ、自主的に残ったんだけど。
今日はもう帰ろうかな。
「───シャドウ様」
そうして、踵を返して宿に戻ろうとしたところで、不意に名前が呼ばれた。けれど、僕が振り向いたときには、声の主はもういなかった。
「そういえば、ここにも新しく出店するんだっけ」
僕は再び踵を返し、道なりに進むことにした。
□□□
「がうー! ボスー! 会いたかったっ!!」
「うわっ」
まだ開店準備中である『ミツゴシ商会』の店舗を訪れると、匂いで気付いていたのかデルタに出迎えられた。
「どーどー、デルタ。あっ、マーキングはするな。あと、今の僕はボスじゃない」
「あうー、ボス力強いのです……」
体を擦りつけてくるデルタをマッスルで押し返しつつ、僕は店内を見回す。豪華絢爛な装飾は王都のそれと違わない。絢爛とは言ったけれど、過度過ぎず、品がいいことは何となく分かる。
そして何より、王都の店舗との違いは、学術用の本のコーナーや、何に使うかよく分からないフラスコのコーナー等々、学者を狙った商品があることだろうか。聞いた話では、簡易的な実験場も完備しているらしい。
「ボス! 一緒に狩りに行く!」
「行かないよ。あとボスじゃない。それより、ガンマは?」
「上にいる! ボス! 一緒に狩りに行くのです!」
「行かないし、ボスじゃない。……上かぁ。挨拶くらいはして行こうかな」
お金貰えるかもしれないしね。
「デルタ近くに盗賊のアジト見つけたのです! 一緒に狩りに行こう!」
「うん? 見つけたのに、まだ狩ってないの?」
デルタは待てができない。獲物を見つけたら、一直線で狩りに行くようなやつだ。とても、待てができるとは思えない。
「そう! ガンマが近くにあるって言ってた!」
それは、デルタが見つけたとは言わないのでは?
「ガンマにはなんて言われたの?」
「一緒に狩りに行こう!」
「絶対言ってないでしょ。ガンマになんて言われたの?」
「狩ってこいって言われた! 一緒に行こう!」
「うーんまぁ、今は暇だし、僕も行こうかな」
「やったー!」
ガンマにも挨拶しようと思ってたけど、同じ都市内にいるんだ。会おうと思えばいつでも会えるだろう。
デルタは僕がそう言うと、嬉しそうに尻尾を振って、腕に抱きついてきた。
「じゃあ、ボス! 早く行くのです!」
「だから僕はボスじゃ……いや、そうするか」
今日のデルタは特に頭が残念なので、どうしてもボス呼びが止められないらしい。それなら、デルタにシドと呼ばせるよりも、もう僕がボスになる方が手っ取り早いだろう。
というわけで、僕はスライムボディスーツを着て、シャドウモードになる。
「行くぞ、デルタ」
「こっちです!」
嬉しそうに尻尾を振りながら駆け出す彼女の背を見て、僕はふと昔飼っていたゴールデンレトリーバーを思い出した。
□□□
もうほとんどの研究者たちが寝静まった頃。しかし、とある宿舎の一室からは暖色系の明かりが漏れていた。
「えっとー、ここは古代文字だから……」
シェリー・バーネットはランプを光源に、机に向かって球体状のオブジェをいじっていた。いや、正確に言うならば、それはアーティファクトの一種であり、数ヶ月前に、使われていない古い倉庫で見つけたものだった。
このアーティファクトは時折淡く光り出す。その起動条件は不明だが、シェリーが持つときは大抵光っているので、もしかしたら手に持つことが起動条件なのかもしれない。
「でも、サーテライトさんが持ってたときには、光らなかった」
シェリーにあって、サーテライトにないものなんてあるだろうか?
シェリーになくて、サーテライトにあるものだったら思い付くのだが。例えば、背が高いとか。
「そんなことは関係ないですよね……」
「あら、まだ起きてたの?」
「ひゃっ!?」
コンコンとノックがしたかと思えば、ほとんどノータイムで扉が開く。そして、少し驚いたような女性の声が聞こえてきた。
件のサーテライトである。
「驚かさないでくださいよ」
「あなたが勝手に驚いたのでしょう……」
サーテライトは手に持った袋から、飲み物や食べ物を取り出す。
「はい、差し入れ」
「あ、ありがとうございます。でも、どうして?」
「本当は日中に持っていくつもりだったんだけどね。忘れてたから、部屋の中に置いていこうと思ったのよ」
「は、はぁ……」
サーテライトはそう言いながら手近な椅子に腰掛ける。
「それで、研究の進捗はどう?」
なるほど、こっちが本命か、とシェリーは思った。
「はい。ここまでの研究で分かったことは二つです。一つは、このアーティファクトの中には、膨大な魔力量が秘められているということです」
「それは前にも言っていたわね。具体的な数値とかは分かってるの?」
「それは……いいえ。定量化するには、もう少し時間がかかりそうです」
「もう一つは?」
「はい。この中にある魔力が、どこか別の場所に繋がっているということです」
シェリーの言葉を、サーテライトはイマイチ理解できていないようで、首を傾げた。
「つまり、どういうこと?」
「えっと、例えば、ある物体間に電流を流そうとしたら、導線とかで物体と物体を繋いだりしますよね?」
「えぇ、そうね」
「その"導線"のようなものが、このアーティファクトから伸びているんです」
サーテライトはしばし顎に手を当て、考え込む。
「それで、その"導線"の先がどこかは分かっているの?」
「それはまだ……。というのも、その"導線"は非常に繊細というか、虚弱でして、ちょっと風が吹くだけでも、簡単に途切れてしまうのです」
「やっぱり、封印を解かなければいけないということね」
「はい。そうなるかと」
「分かった。因みに、何か手伝えることはあるかしら?」
立ち上がったサーテライトが不意に思い出したようにそう言った。
対してシェリーは「えっと……」と歯切れが悪く指をこねている。
「その、特にしてほしいことはありません……」
「そう。本当は私にもできることがあればいいのだけれど……不甲斐ないわ」
「い、いえ! そんなことありません! サーテライトさんがいて、えっとその……頼もしいです!」
シェリーの精一杯のフォローにサーテライトは苦笑する。そして、机の上にコトッとアーティファクトを置いた。
「魔力はまた充填しておいたから」
それは魔力を溜めることのできる、『強欲の瞳』に似たアーティファクトであった。
何故彼女がそのようなものを持っているのかは不明だが、なんだかんだで魔力を使うことが多いこの研究では、非常に有用なものであった。
「いつもありがとうございます!」
「私にできるのはこれくらいだからね……と、それじゃあ私はもう行くわ」
去り際に「早く寝なさいよ」と言い残し、サーテライトは部屋を後にする。
シェリーは再び研究に戻ろうかとも思ったのだが、今しがた言われた言葉を思い出し、眠ることにした。
その日は、とても深い夜だった。