「来たか……」
月のない夜だった。まだ冬であるにも関わらず、開いた窓からは冷たく鋭い風が吹き込んで、カーテンをたなびかせていた。
「ん……」
そんな窓から巧妙に隠された気配が入ってくるのを感じる。月光のない夜にあって、捉えどころのない淡い闇のような気配だ。というか、なんか黒い靄に包まれていた。
でも、一つだけミスがある。
「よく分かったね」
「ふん……尻尾が出ているぞ」
「……あっ」
間の抜けた声がしたかと思えば、黒い靄の中から金色の獣人が姿を現した。
ゼータだ。
彼女は尻尾をゆらりとくねらせ、流れるように、カーテンにマーキングをした。
「マーキングはやめて」
「ん、つい」
ゼータは特に反省した様子もなく、ベッドに腰掛ける。
その鮮やかな手腕はまさに見事としか言いようがなく、僕も一瞬見逃すほどだった。
……変な技術が向上してるな。
「……シャドウ話がある」
「例の件か?」
彼女が何を話したいのかは分からないけれど、彼女は今『シャドーガーデン』モードのようだから、僕もシャドウとして話す。
"例の件"みたいな"何か分からないけれど、意味深な言葉"が僕は好きだ。とてもかっこいい。
ゼータは目を細める。そのまま、僕らは見つめ合った。
「うん、それもある。じゃあ、先そっちから話そう」
「ふむ……やはり、教団か」
「そう。教団のアジトはバカ犬がいくつか潰したけれど、メインの拠点は巧みに隠されてるみたい。怪しい場所はあるけど、特定できるのはまだ先かな」
「ふむ……」
つい最近、デルタと一緒に盗賊狩りに行ったけれど、ここら辺にはまだ盗賊がいるみたいだ。是非とも、狩りに行くときは僕も連れていってほしい。
そういえば、盗賊のアジトと言えば、変なものを拾っていたっけ。
あのラ◯ュタに出てくるような正八面体の石だ。仄かに魔力も込められていた。
「魔力の石……光が導く……」
僕の脳裏には飛◯石を掲げて高笑いするサングラスのおっさんが映っていた。
「魔力の石? 光が導く……?」
対して、僕のその呟きを聞いたゼータは顎に手を当て、何やらぶつぶつと呟き始めた。
いいね、こういうの。よくある参謀みたいなキャラが、秘密に気付くシーンだ。
これであれでしょ。「まさか……! いや、そんなことは……」とか呟くんでしょ?
「まさか……! いや、でも……」
ゼータがはっと閃いたようにぴくっと眉を上げる。ピンと尻尾が真っ直ぐに伸びている。
そう! その反応が欲しかったんだ!
流石ゼータ。実力者プレイの醍醐味を分かっている。
僕はニヤけたい気持ちを抑えて、厳かな雰囲気を作る。
「どうかしたか?」
「……主には、全てお見通しだった?」
「勿論だ」
『陰の実力者』に知らないことはないのだ。僕は、窓から外を見下ろし、鷹揚に頷いた。
「分かった。後で調査しておく」
「そうか」
話は終わりだとでも言うように、僕は窓際で夜空を見上げる。そこには点々と、宝石のような星々があった。
それからしばらく、静寂が室内を包んだ。
僕は本来的に、静寂だとか沈黙だとかが嫌いじゃない。話題を探すという一点において、二人が同じことを考えていることに何だかほっこりするのだ。
けれど、今は少し、ほんの少しだけ僕は気まずいと感じていた。
それがどうしてなのかは分からない。
ただ、一つだけ言えることがあるとすれば、これは"違う"気がするのだ。どう"違う"のかは分からないけど。
「シャドウ」
「なんだ?」
ぽつりと、ゼータが僕の名前を呼ぶ。
その声音はとても平坦だった。
「私はシャドウ……主のためなら何でもするよ」
「……」
「死ねと言われたら死のう。殺せと言われたら殺そう。探れと言われたら探そう。その全ては主のために。主のためなら、何でもするよ」
「……そうか」
「主との約束は覚えてる。そして、主がそれを他のガーデンメンバーに言っていないことも……」
ゼータはパタリとベッドに寝そべった。彼女の尻尾が布団の上をなぞるが、それはいつものマーキングの動作ではなかった。
「この都市に、バカ犬───デルタが来ているのは知ってる?」
「あぁ、知っている」
「そっか。今回の作戦に『七陰』は三人もいらない。主もいるしね……ということはつまり、そういうことだよね」
「ふむ……」
「どこで気付かれたのかな。流石はアルファ様だね。でも」
ゼータが足を振り上げ、反動で起き上がる。
僕は窓から視線を離し、ゼータの方を見る。
彼女の目がその視線を捉えた。
「もう一度だけ言う。いや、改めてここに宣言する───私は、主のためなら何でもするよ。たとえ、全てを失ったとしても」
「……そうか」
彼女は何を思ったのだろう。何を考えたのだろう。
その真意は測ることができないけれど、僕はその瞳の奥に何か温かいものを感じた。あるいはそれは、脆いガラスのような気もする。
ゼータはほっとしたように、長い息を吐いた。
「それじゃ、私はもう行く」
「ふむ……あっ、マーキングはするな」
「ふふんっ」
最早お決まりのやり取りに、ゼータが頰を緩める。
彼女が窓に足をかけた。
「あまり気負い過ぎるなよ」
そして、今にも飛び出そうな背中に、僕はそう声をかけた。
いつもはそんなこと言わないのだけれど、今日はどうにも調子がおかしい。ふと、口をついてそう言葉が出てきたのだ。
ゼータは一瞬驚いたように、びくっと硬直したが、すぐに鼻を二度スンスンと鳴らし、笑った。
「うん。分かった」
僕しかいなくなった部屋はとても暗い。びゅっと冷たい風が吹き込んで、カーテンをさらっていった。
それに紛れて、金色の毛が舞い上がる。それは静かに、夜の闇の中へと消えていった。
「うっ、寒い……火鉢どこだっけ?」
僕はあまり大きな音を立てないように、窓を閉めた。
□□□
「うーん……後少しのはずなんだけど……」
シェリーは大量に本を抱えながら独り言を呟いていた。
積み上げられた本は右に左に揺れ動いている。今にも倒れそうで、しかし、何故かそのタワーは倒れていなかった。
これが、シェリーの熟練の技だとでも言うのだろうか。
勿論、前方はほとんど見えていない。
「ほら、前見ないと危ないよ、っと」
「わひゃっ!?」
不意に、そんなシェリーの視界が開ける。同時に、腕の中にある重さが一気に減った。
見上げてみれば宙に浮く本が……ではなく、持ち上げられた本があった。
「シド君ですか」
「そうだよ、っと」
彼は持ち上げた本を抱きかかえる。
「ずっと勉強してて偉いね。これから図書館?」
「い、いえ、その……」
シェリーは目を泳がせて、言葉を濁す。つい半年ほど前のシェリーなら、迷わず図書館へと向かっていた。だが、最近のシェリーは色々やらなければいけないことがあるのだ。そう、例えば───人に言えないような研究などだ。
「あー、宿舎の方?」
「えっ? あっそうです!」
「最近は何を研究してるの?」
彼の目が抱えられている一番上の本へと滑る。タイトルは『古代アーティファクト目録』である。
「えーっと、古代アーティファクト……」
「わわ、わー! 私は、今、研究をしてます!」
シェリーは慌てて意味不明なことを言った。
ぴょんぴょんとその存在を主張するように、シェリーは飛び跳ねる。反動でシェリーの抱えていた本が数冊落ちる。
「いや、何の研究してるの? ほいっ」
「えーっと……アーティファクトの研究?」
「あぁ、確か学園にいたときもしてたね」
「そうですね。あはは……あれ?」
シェリーは落ちた本を拾い上げようと下を見るが、そこに本は見当たらなかった。おかしいと思って、持っている本を見ると、ちゃんと全部揃っていた。
「あれ? 今確かに落ちたような……気のせいだったのかな」
「すごいねー。僕はアーティファクトとかからっきしだから」
気のせいだったとシェリーは納得する。
丁度、T字路に差し掛かった。
「私もまだまだです。最近もかなり行き詰まっていて……」
「へー、そうなんだ───」
「はい。って、あれ? シド君?」
段々とシドの声が遠くなるのを感じた。振り返ってみると、左に曲がったシェリーに対して、シドは右に曲がっていた。つまり、遠ざかっていくシドの背中が見えた。
「し、シド君! こっちです!」
「うん?」
シェリーはできるだけ大声で叫んだ。こんなに大声を出したのは、この都市に来てから初めてかもしれない。
ズキズキと喉の奥が痛む。
「こほっこほっ」
「あれ先輩、大丈夫?」
「は、はい……ちょっと大声を出して喉が痛くなったんです」
「あー、なるほどね。それなら、お腹から声を出すといいよ」
「お腹から、ですか?」
「そうそう。喉を使って声を出すと、奥の方で炎症が起こっちゃう。だから、お腹を使って、負担をかけないようにするんだ」
「そうなんですか。お腹から……」
シド君は何でも知っているなぁ、と感心していたところでふと、彼女の中で閃くものがあった。
それはまだ不定形で、かっちりと形の定まったものではないが、何か大きなヒントを得た気がする。
「喉からでなく、お腹から……ううん、負担をかけないために、お腹から……いや……」
「うん? シェリー先輩?」
ぶつぶつと戯言のようなことを呟くシェリーにシドは訝しげな表情を見せる。だが、すぐに得心がいったように頷いた。
そして、シェリーがその手がかりに気づいたのは、奇しくもシドが頷いたのとほとんど同時刻であった。
研究者モードに頭が切り替わったシェリーは、すぐさま研究に取り掛かりたいとばかりに、歩調が速くなる。というよりも、小走りに走り出していた。
「シド君! ありがとうございました!」
「うん?」
「シド君のおかげで、研究が進みそうです!」
「それは良かった。転ばないようにね」
「はい!」
そうしてシェリーはその場から走り去る。
その走り行くシェリーの姿を見ていたシドは、
「みんな誰しも、人に言えないことってあるよね」
そう、例えば特に意味はなくとも、何かぶつぶつと言いたくなったり、とりあえず駆け出してみたり。
そうやって一人納得していたシドは、手の中の重みを思い出す。
「あっ、これどうしよう」
結局、その本たちをシェリーに渡したのは次の日のことだった。